少しずつ、前へ
『神縁』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
桜の花びらが舞っている。
柔らかな光に包まれて、こはくがふと立ち上がった。
「誰か、来るようじゃ」
こはくが、振り返らずにそう言う。
その耳も、尻尾も、まるで光に溶けていくようで。
「また会えるといいな、智也…」
僕は咄嗟に叫んだ。
「こはく──!」
その瞬間、目を開けた。
白い天井。淡い光。薬品のにおい。
視界の端に、誰かのうつむいた横顔があった。すぐそばで、僕の手を握っている。
「……叔母さん……?」
すると、はっとしたように顔を上げた叔母さんが、目を大きく見開いて──そして、涙ぐみながら笑った。
「智也くん…!よかった……ほんとに……!」
その目の下にはうっすらとクマができていて、きっとずっとここにいてくれたのだとわかる。
「……僕、何があったの?」
叔母さんは、涙を拭いながら話し始めた。
「昨日、葬式のあと、急にいなくなっちゃって……。式場の外にもいないし、電話も出ないし……」
「それで、探してたら……花畑の真ん中に、智也くんが倒れてるのを見つけたの、そしたらすごい熱で…」
「すぐに親戚に連絡して、近くにいた人に車出してもらって……それで、病院に運んだのよ」
叔母さんの声は、まだ震えていた。
「……僕のほかに、誰かいた?」
こはくの姿を思い浮かべながら、問いかける。
けれど──叔母さんは、少し首を傾げて、優しく首を横に振った。
「誰もいなかったわよ。……智也くんだけ。……もう、ほんとに、心配させないでよ……二日も寝てたんだから……っ」
「……えっ、二日も……?」
僕は、思わず聞き返していた。
たった今まで見ていた夢が、まるで一瞬前の出来事のように鮮明だったから──時間の感覚が追いつかない。
「うん。でも、本当に、よかった……」
そう言って、叔母さんはようやく少し笑った。
「ちょっと、看護師さん呼んでくるから、おとなしくしていること!」
そう念を押して、バッグを肩にかけて病室を出ていった。
扉が静かに閉まる。
病室に残された僕は、深く息を吐いた。
舞い散る桜の中にいた白い髪の少女
その光景が、夢だと片づけるにはあまりにもあたたかすぎた。
「……こはく……」
僕は、ぽつりとその名前を口にしていた。
窓の外へ視線を向ける。
淡い雲が、ゆっくりと流れていく。
──あれは、夢だったんだろうか。
そう思った瞬間、病室のドアがノックもなく開いた。白衣を着た女性が、にこやかに入ってくる。
「失礼しまーす!一ノ瀬さん、よかった、目を覚まされたんですね!」
看護師さんだった。
「ちょっと血圧と体温、測りますね」
そう言って手際よく準備を始めた。
「今のところ熱も落ち着いてますし、これからの検査の結果で問題なければ、明日の午前中には退院できそうですよ!」
僕はうなずいた。
ー少し時間が経ったあとー
「それでは検査室のほうにご案内しますねー」
僕は車椅子に乗せられ、病室をあとにした。
──検査は、思っていたよりも時間がかかった。
レントゲン、血液、心電図──いくつもの検査が続いた。
まだ、体のどこかが重くて、目の奥に疲れが残っている。
すべてが終わって病室に戻ったころには、もう夕方近くになっていた。
「智也くん、今日は本当にお疲れさま。先生からも明日退院で大丈夫そうって言われたから、明日の朝、迎えに来るね」
叔母さんは、そう言って僕の頭をそっと撫でてくれた。
「ちゃんと寝るんだよ。変なとこ行っちゃダメだからね!」
冗談めかして笑うその声に、僕も小さく笑い返した。
「うん。もう行かない……たぶん……」
「“たぶん”は禁止!」
そう言いながら、叔母さんはバッグを肩にかけ、病室をあとにした。
──叔母さんは、きっと僕なんかより、ずっと疲れている。
姉である母を亡くし、葬儀の段取りから親族の対応まで、誰よりも動いてくれていたのに。
そのうえ、僕が突然姿を消して、倒れて──どれだけ心配をかけたか、想像もつかない。
「……ちゃんと、しないと」
僕は静かに目を閉じ、ベッドに横になると、疲れがどっと押し寄せてきた。
あの場所での出来事を、もう一度思い出そうとした──けれど、意識はそのまま、静かに深い眠りへと落ちていった。
翌朝、柔らかな朝日が差し込む頃、病室のドアがノックされる音がした。
「おはよう、智也くん。迎えに来たわよ〜!」
元気な声とともに、叔母さんが手を振りながら入ってきた。
昨日よりも少しだけ目の下のクマが薄れていて、それがなんだか嬉しかった。
退院の手続きを済ませ、僕たちは一緒に病院をあとにした。
家に戻ると、玄関を開けた瞬間──
「智也くん!!」
勢いよく振り返った叔母さんが、頬をぷにっとつまんできた。
「どれだけ心配かけたと思ってるのよーっ! 二日も寝っぱなしで! 私、心配しすぎて胃が2回くらい破裂したわよ~!?」
「い、痛い痛い! ご、ごめんなさい……!」
僕がたじろぐと、叔母さんはふっと手を離し、少しだけ真剣な顔になった。
「……でもね、智也くん」
声のトーンが落ち着き、優しくなった。
「お母さんとお父さんは……もう、戻ってこない。
本当につらいことだと思う。すごく……悲しくて、寂しくて。やりきれないよね」
僕はうつむいて、小さくうなずいた。
「私に、お姉ちゃんの代わりなんて……できるわけない。そんなこと、言うつもりもないよ」
ふっと一呼吸おいてから、叔母さんはまっすぐ僕を見た。
「でも、これからのことは、私が何とかする。だから、智也くんは安心して、前だけ向いてればいいの」
その瞳には、不安なんて一切なかった。強くて、あたたかくて──母さんのようだった。
「私に、まっかせなさいっ!」
そう言って、満面の笑みを浮かべる。
(……叔母さんは、本当に強い人だな)
そして、少しだけ口元をほころばせる。
(僕も……もう大丈夫。ちゃんと、前を向こう)
毎週水曜日/日曜日更新予定(第一章・全48話)
※諸事情により日曜日のみの更新の可能性もございます。
更新当日にはインスタで告知致します。
評価、ブックマークがとても励みになります!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。