限りある光
図書館の自動ドアが静かに開いた。
「着きましたよ」
葉山が小さく振り返ると、麟征は一歩遅れて中へ入る。
天井まで届く本棚を見上げ、
静かに目を細めた。
「……ほう……」
まるで未知の遺跡を前にした探究者のように、
ゆっくりと歩みを進める。
やがて一冊の本を手に取る。
表紙には、淡い海色の装丁。
麟征は迷いなく椅子に腰を下ろし、
ページを開いた。
葉山はその姿を横目に見て、ほっと息をつく。
「私は……あっちで本、探してきますね」
返事はない。
もう物語の世界に入り込んでいるらしい。
葉山は小さく苦笑し、
別の棚へと歩いた。
(……なんで、こんなことになってるの……)
五神。禍神。朽神。
自分の日常が、
まるで別世界にすり替わったようだ。
葉山は「神話」「伝承」の棚を探し、
背表紙をなぞっていく。
そのとき。
「……夏海」
「ひゃっ……!」
葉山は肩を跳ねさせ、振り向く。
すぐそこに麟征が立っていた。
(もう……!)
顔が熱くなるのを必死で誤魔化す。
麟征は気づいていない様子で、
手に持った本を示した。
「この物語……この人魚は、最後に消える」
「なぜ消えたのだ」
ページを指でなぞる。
真剣な問いだった。
葉山は少し落ち着きを取り戻し、隣に立つ。
「その本…私も好きです。」
「このお話の人魚は、海の王の娘なんです。
人間の王子に恋をして……でも、声と引き換えに人間の姿になって。
もし王子に選ばれなければ、泡になって消えるって条件だったんです」
「でも王子は、別の人を選ぶ。
人魚は王子を傷つければ助かる方法もあったけど……それを選ばなかった。
だから、自分が消えることを選んだんです」
少しだけ声が柔らかくなる。
「……好きだったから。
傷つけたくなかったから」
「悲しい物語ですよね」
葉山は小さく言った。
麟征は本を閉じ、遠くを見るような目をした。
「……悲しい、か」
「自ら消えると知りながら、
誰かを傷つけぬ道を選ぶ。
それを……悲しいと、人は呼ぶのか」
麟征の横顔は、どこか不思議そうで、どこか考え込んでいるようだった。
「……なるほど」
その言葉に、
葉山は少しだけ笑った。
この人は、まだ物心ついたばかりの子供のようで、
でも本気で理解しようとしている。
麟征は、本を閉じたまま葉山の顔を見つめていた。
そして、すっと距離を詰める。
「……夏海」
顔が近い。
思わず葉山は息を止める。
「お前も、いつか消えるのか?」
その問いは、あまりに真っ直ぐだった。
葉山は一瞬言葉を失い、
ゆっくりと窓の外に目を向ける。
夏の光が、静かに差し込んでいた。
「……人間は、誰しもいつかはいなくなります」
「それは明日かもしれないし、今この瞬間かもしれない」
指先が、無意識に本の背をなぞる。
「だから……悔いのないように、
必死に毎日を生きてるんです」
「結末がわかっているのに、なぜそこまで必死になれる」
葉山は少し困ったように笑う。
「なぜって言われると……正直、私にもわかりません」
「でも、私がこうして麟征さんと話してるのも、
昨日までちゃんと生きてきたからです」
「失敗もしたし、後悔もいっぱいあるけど……
それでも逃げなかったから、今日がある」
「消えるとわかってるからこそ、
今この瞬間が、大事なんです」
麟征は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに息を吐く。
「……そうか」
ふと、麟征が視線を落とす。
「ところで、その本は何だ」
葉山が持っている本を指す。
「あ、これは……神話の本です」
少し照れながら答える。
「私に何かできるわけじゃないですけど……
少しでも知っておきたくて」
麟征は、ぽかんとした顔をした。
そして、ゆっくりと自分を指差す。
「……私がいるではないか」
葉山は一瞬固まり――
「ふふっ……」
吹き出してしまった。
「なぜ笑う」
麟征は本気で不思議そうに眉をひそめる。
「たしかに……ふふっ」
葉山はくすくすと笑いながら言う。
「神話が、目の前にいるなんて……
普通、ないですよ?」
麟征はしばらく黙り、
やがて小さく鼻を鳴らした。
「……人間は、奇妙だ」
「そうかもしれませんね」
葉山は、柔らかく微笑む。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




