表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神縁  作者: 朝霧ネル
40/40

夜を超えて、朝へ

こはくは、ゆっくりと目を覚ました。


 天井が、少しぼやけて見える。 身体は重く、どこか遠くに引き戻されたような感覚が残っていた。



 ――……ここは……。



 視線を動かした、その瞬間。


 すぐそばに、智也がいた。


 床に座り込み、ベッドに頭だけを乗せた不格好な姿勢で、深く眠っている。 その手は――こはくの手を、離すまいとするように、しっかりと握られていた。


 こはくの胸が、きゅっと鳴る。


 その寝顔を見た途端、 昨夜の記憶が、断片的に押し寄せてきた。


 紫色の棘。 冷たい笑み。 そして――


 ――貫かれた、智也の身体。


 血の感触。 崩れ落ちる音。 動かなくなった、その姿。


 はっ、と息を呑む。


 胸の奥が、ずきりと痛んだ。


 だが同時に、別の光景も浮かぶ。


 自分を抱き寄せる温かい腕。



 ――助けて……くれたのじゃな。



 こはくは、そっと視線を窓の方へ向けた。


 朝の光。 穏やかな空。 一見すれば、何事もなかったかのような世界。


 だが―― 空気の奥に、確かな歪みを感じる。


 昨夜、確かに世界は壊れかけた。 そして、自分たちはその渦中にいた。


 こはくは、再び智也へ視線を戻す。



 生きている。 ここにいる。 手を、握っている。



 こはくは体を横向きにし、しばらくの間、智也の寝顔を見つめた。


 そして、普段は決してしない仕草で―― そっと、その髪に触れる。


 撫でるように、指先を滑らせる。



 ――無茶しおって……。



 責める言葉は、心の中にだけ落とした。


 そのとき。



「……こはく……」



 かすれた声が聞こえる。


 智也が、ゆっくりと目を開いた。


 眠たげに瞬きをしながら、こはくを見上げる。



「……おはようなのじゃ」



 こはくは、小さく微笑んだ。


 そして、静かに起き上がり、智也の前にかがむと―― そのまま、ぎゅっと抱きしめる。



「……守ってくれて、ありがとうなのじゃ」「……生きててくれて……ありがとう」



 智也の腕が、遅れて回ってくる。



「……こはくこそ。無事でよかった……」



 こはくは目を閉じた。


静かな空気が、まだ部屋に残っていた。


智也とこはくは近い距離のまま、互いの呼吸を感じていた――そのとき。


 バンッ!!


 勢いよく扉が開く。



「おはようさん!!」



 部屋の空気が、一瞬で吹き飛んだ。



「――――っ!?」



 こはくと智也は、反射的にぱっと離れる。


 こはくは顔を真っ赤にし、尻尾をばさっと揺らし、 智也も慌てて視線を逸らし、耳まで赤くなる。



「……っ、き、急になんじゃ……!!」

「……!」



 朱焔はその様子をじっと見て、首をかしげた。



「ん? なんやなんや、二人とも顔まっかっかやん」



 わざとらしく、にやりと笑う。



「朝から暑いんか? それとも……なんかあったんか?」



「な、なにもないのじゃ!!」「なにも……!!」



 朱焔は「ふーん」とだけ言うと、 何も追及せず、そのままこはくの前にしゃがみ込んだ。


 視線の高さを合わせ、にかっと笑う。



「なぁ」



 突然の距離感に、こはくは少し身を引く。



「……な、なんじゃ」



「うちのこと、覚えとるか?」



 こはくは一瞬考え、首を傾げた。



「……わからんのじゃ。誰なのじゃ?」



「やっぱりか〜!」



 朱焔は大きく肩をすくめ、けらけら笑った。



「うちは朱焔。 五神の一人や」



 そう言ってから、ふっと表情を緩める。


 そして、そっと―― こはくの頭に手を置いた。



「……ほんま、でかなったなぁ」



 優しく撫でながら、懐かしそうに目を細める。



「白華に、よう似とるわ……」



 その名前を聞いた瞬間、 こはくの表情が変わった。



「――母上を、知っておるのか!?」


 身を乗り出し、朱焔の服を掴む。



「母上はどこにおるのじゃ!? 今も、生きておるのか!?」


 必死な声。 揺れる尻尾。



「お、おいおい!」


 朱焔は慌てて両手を上げた。



「落ち着け落ち着け! 興奮しすぎや!」



「――!」



「こはく!」


 智也がすぐに声をかける。



「落ち着いて。まだ身体が…」


 こはくははっとして、息を整える。



こはくが深く息を吐き、ようやく落ち着いたのを見て、 朱焔はふっと笑みを消した。


 さっきまでの軽い調子は影を潜め、 珍しく、真剣な表情になる。



「……こはく」



 その声に、こはくが顔を上げる。


 朱焔は一瞬だけ視線を伏せ、 ゆっくりと言った。



「すまんな。 正直に言うと……うちも、白華が今どこにおるかは、わからん」



 その言葉に、 こはくの胸がきゅっと縮む。


 尻尾が力なく垂れ、 こはくも俯いた。



「……そう、か……」



 部屋に、短い沈黙が落ちる。


 けれど―― 次の瞬間。



「せやけどな」



 朱焔は、顔を上げた。


 そして、いつもの調子で、にっと笑う。



「白華はな、 とんでもなくしぶといやつや」


 こはくの頭に、ぽん、と手を置く。



「簡単にくたばるような女やない。 うちが保証したるわ」


 くしゃっと、少し乱暴に撫でる。



「せやから―― 大丈夫や」


 その笑顔は、どこか確信めいていて、 軽口なのに、不思議と心強かった。


 こはくはゆっくりと顔を上げ、 朱焔を見つめる。



「……ほんと、か?」



「ほんまや」


 朱焔は即答した。



「それに、白華は…」


 こはくの胸元を、指先で軽くつつく。



「大切な娘を置いてくようなやつやない…」 


こはくはどこか安心したように、ふっと、小さく笑った。



「……そう…じゃな」


 その笑みは、まだ不安を残しながらも、 確かに、希望を含んでいた。


 朱焔はそれを見て満足そうに頷く。



「よっしゃ! ほな今は、ちゃんと休め!」


 その言葉に、こはくは静かに頷いた。



智也は、そっとこはくの手を握った。


「……きっと、大丈夫だよ」


 力を込めすぎない、けれど確かな温度で。



 こはくはその手を見つめ、 しばらく、静かな沈黙が落ちる。



 ――そのとき。



「……はっ!」


 こはくが、弾かれたように顔を上げた。



「夏海……! 沙月は……翔は!?」


 息を詰めたまま、智也を見つめる。



 智也は、すぐに頷いた。



「大丈夫。みんな無事だよ」


 安心させるように、はっきりと。



「朱焔さんが……みんな助けてくれたんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、 こはくの肩から、すっと力が抜けた。



「……そう、か……」


 小さく息を吐き、 こはくはゆっくりと朱焔のほうへ向き直る。



「……ありがとう、なのじゃ……」


 ぺこり、と素直に頭を下げる。



 その姿を見た朱焔は――



「はぁ〜〜〜っ!!」


 両手で胸を押さえた。



「なんやこの子! かわいすぎやろ!!」


 次の瞬間、 ぎゅっとこはくを抱きしめる。



「ちょ…!! なんなのじゃ!? 離すのじゃ!!」


 こはくは慌ててじたばたするが、 朱焔はまったく離す気配がない。



「ええやんええやん〜! 命の恩人にこれくらいサービスしても〜!」


「意味がわからんのじゃ!!」


 必死に抵抗するこはくと、 満面の笑みで抱きしめ続ける朱焔。


 その様子を横で見ながら、 智也は思わず、苦笑いを浮かべた。




こんこん、と控えめなノックの音がした。


「入るわよ〜?」


 返事を待つより先に、扉が開く。


 顔をのぞかせたのは、叔母さんと澪白だった。


 こはくの姿を見つけた瞬間―― 叔母さんの表情が、ぱっと崩れる。


「こはくちゃん……!」


 次の瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられた。


「無事でよかった……ほんとに……心配かけないで…」


 震える声と、温かい腕。


 澪白もその後ろで、深く息を吐き、 ようやく肩の力を抜いたような表情を浮かべている。


 こはくは少し驚きながらも、 ゆっくりと、その背中に腕を回した。


「……心配、かけたのじゃ……」


 その様子を見ていた朱焔が、ぴくっと反応した。


「あっ! ちょっと待ちぃ!」


 ずいっと身を乗り出す。


「うちはあんなに嫌がられたのに! その抱きしめはアリなんか!?」


 こはくは、叔母さんにしがみついたまま、きっぱりと言った。


「叔母様はよいのじゃ!」


「なんやそれぇ!!」


 朱焔は悔しそうに自分の服の裾を噛みしめる。


「差別や! うちは傷ついたで!!」


 その騒ぎの中、 こはくと叔母さんが抱き合う姿の前に、澪白が静かにしゃがみ込んだ。


 そっと、 こはくの頭に手を置く。


「……守ってあげられなくて、ごめんなさい……こはく」


 いつもより低く、 どこか震えた声。


 こはくは、その手に気づき、顔を上げると、首を横に振った。


「……姉上は、なにも悪くないのじゃ、わらわが、悪いのじゃ…」


 まっすぐな瞳で、そう言う。


 その言葉に、澪白は一瞬、唇を噛みしめた。


 ――自分の不甲斐なさを、 否応なく突きつけられたように。


 けれど、その空気を切るように、 叔母さんが手を叩いた。


「それより!」


 明るい声で。


「みんなもう回復して、起きてるわよ。 下に集まってるから、行きましょ」


 智也はその言葉に頷き、立ち上がる。


 そして、こはくの前に立つと、 そっと手を差し出した。


「ほんと…!こはく、みんなのとこ行こ?」


「肩、貸すよ」


 こはくは一瞬きょとんとし、 それから、素直にその手を取った。


「……うむ」


 そうして、 智也、こはく、叔母さんは部屋を後にする。


 扉が閉まり、 部屋に残ったのは、朱焔と澪白だけだった。


 朱焔は、少し真剣な顔に戻り、澪白に声をかける。


「澪……」


 低く、落ち着いた声。


「一人で背負うな。 それ、悪い癖やで」


 澪白は、噛み締めていた唇を、ゆっくりと緩めた。


「……私は……無力だ……」


 その呟きは、 誰に言うでもなく、床に落ちる。


 朱焔は答えず、 窓際へ歩み寄り、外を眺めた。


 歪み始めた空気を、肌で感じながら。


「……何を言うとるんや」


「澪らしくないな〜」


 その背中は、 軽い口調とは裏腹に、 どこか張りつめていた。


 朱焔は、俯いたままの澪白の横へと歩み寄り、足を止めた。


 一瞬、言葉を選ぶように息を吸ってから、 そっと――澪白の肩に手を置く。


「……なぁ、澪」


 いつもの軽い調子ではない、落ち着いた声。


「今回はな、ただタイミングが悪かっただけや」


 澪白の肩が、わずかに揺れる。


「澪が悪かったわけでも、間違っとったわけでもない」


 朱焔は、少しだけ視線を落としながら続けた。


「それに……こはくは、もう子供やない」


 澪白は、はっとしたように顔を上げる。


「傷ついて、泣いて、それでも立ち上がって…… ちゃんと“選ぶ”ところまで来とる」


 朱焔は、穏やかな口調で、けれど確かな重みを込めて言った。


「守れんかったことばっかり数えるんやなくてな」


 肩に置いた手に、少し力を込める。


「これから先―― こはくや智也、皆が笑って過ごせるようにする」


「それが、今のお前の役目やないんか?」


 しばらくの沈黙。


 澪白は、唇を噛みしめたまま、 やがて――小さく、けれど確かに、頷いた。


「……」


 その一言に、朱焔は満足そうに息を吐く。


「よっしゃ」


 肩に置いていた手を、ぽん、ぽんと軽く叩いた。


「ほな、先に下行っとるで」


 少しだけ、いつもの明るさを取り戻した声で。


 そう言って、朱焔は振り返らずに部屋を出ていった。


 残された澪白は、しばらくその場に立ち尽くし―― やがて、胸の奥に溜まっていた息を、静かに吐き出した。


 そして、ゆっくりと顔を上げる。


 迷いの色は、もうそこにはなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ