夢か現実か
『神縁』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
葬式場では、叔母さんが親族への挨拶、列席者たちへの対応に追われていた。ふと辺りを見渡す。
(……あれ、智也くんは?……)
会場内のどこにもその姿は見えなかった。 受付にも、控室にもいない。
挨拶を済ませたあと、叔母さんは式場の人に智也を見なかったかと尋ねて回った。 誰も、はっきりとした返事をくれなかった。
外に出て、駐車場のほうまで足を伸ばす。 だが、そこにも、智也の姿はなかった。
「智也くん……どこ行っちゃったの……?」
呼びかけながら、式場の周囲を歩き回る。 スマホに電話をかけても、応答はなかった。 (遠くへは行ってないはず……)叔母さんは式場を飛びだした。
その頃、僕は花びらが舞う桜の木の下で、こはくさんと並んで座っていた。 いまだに現実離れしていて、不思議な存在だった。
「……本当に、見えておるのか?」
こはくさんが、ふいに問いかけた。 その真っ直ぐな金色の瞳に見つめられて、僕は少し戸惑いながらも、うなずく。
「……はい。ちゃんと、見えてます。耳も、尻尾も……」
その瞬間、自分の言葉にハッとした。 (……あれ? これって、もしかして……見えちゃいけないものなのか?)
「……え、でも、あの……見えたらまずいやつですか?見たら呪われる、みたいな…」
思わず言葉が早口になる。 僕は、幽霊とか妖怪とかそういう類の存在だったらどうしようと、内心で焦り始めていた。
「もしかして……僕、なんか踏み入れてはいけない世界とかに……」
額にじんわり汗がにじむ。 声もどこか震えていた。
すると──
「ぷっ……くくっ……」
横から、小さな笑い声が聞こえた。
驚いてこはくさんを見ると、口元に手を添えながら、肩を震わせている。
「お、おぬし……なにをそんなに慌てておるのじゃ。ほんとおかしなやつじゃのう」
笑いを堪えながら、尻尾をくるりと抱きかかえるようにして、楽しそうに笑っている。
「いや、だって……普通、耳とか尻尾とか生えてないじゃないですか……!」
僕はまだ困惑が抜けきらず、眉を寄せる。
「ふふ……安心するのじゃ。見えたからといって、祟ったりせぬ」
こはくさんは最後にもう一度、くすっと笑ってから、桜の木の上の空を見上げた。
「……智也と言ったな?」
「え?」
「おぬしの名じゃ。智也と呼んでもよいか?わらわも、こはくでよいぞ」
「……はい。もちろんです。」
少し照れながらうなずくと、こはくも満足そうに目を細めた。
「ふむ……では、智也……」名前を口にしたこはくは、ふっと微笑んだあと、いたずらっぽく目を細めた。
「最後に、言い残すことはないか?」
「……へ?」
唐突な言葉に、僕は一瞬で表情をこわばらせる。
「さ…“最後”ってなんですか!?」
焦る僕を見て、こはくはお腹を押さえるようにして、肩を揺らした。
「くくっ……冗談じゃ。冗談」
「も、もう……冗談に聞こえないよ……」そう言った瞬間、自分の口から自然と出た言葉に、僕は口を手のひらで覆う。
(……あれ? 今、タメ口で……?)
ついさっきまで敬語で話していたのに、気づけばそんな丁寧さは消えていた。
(……なんだろう。なんか……父さんと母さんと話してたときの、あの感じに……少し、似てる)
自然と、肩の力が抜けていた。こはくの前では、気づかないうちに“素の自分”でいられていたのかもしれない。
「あ、ごめんなさい……」
慌てて訂正しようとした僕に、こはくはふっと笑った。
「よい。堅苦しくせず、普通に話せ」
そう言って、こはくは僕の服に目をやった。黒くて地味な装い。ふと、眉をひそめる。
「しかし……その装いはなんじゃ?」
僕は、一瞬言葉に詰まり、視線を落とした。
「……ああ、これ……制服です。今日……両親の、葬式だったんです」
こはくの目が、わずかに揺れた。
「昨日……事故で、亡くなって……。今日はその、見送りの日で」
口に出すたび、胸の奥がまた熱くなる。
「ふたりとも……明るくて、いつも笑ってて……。しょうもない冗談ばっかり言って……僕のこと、からかってきたりして……」
思い出す声、笑い方、家のにおい、全部が胸の奥で暴れ出す。
「……でも、そういうのが……すごく……すごく楽しかったんです……」
気づけば、頬をつたって、涙がぽろぽろと落ちていた。
言葉はもう、声にならなかった。こはくは、黙ったまま、何も言わなかった。
どれくらい泣いていただろう。 時間の感覚は、とっくに曖昧になっていた。 でもその間も──こはくは何も言わず、そばにいてくれた。
少しずつ呼吸が落ち着いてくる。 ふと横を見ると、こはくの白い尻尾が、風に揺れてふわりふわりと揺れていた。
(……気持ちよさそう……)
そんなふうに思った次の瞬間、ふっと、頭がぐらついた。
疲れていた。心も、体も、限界だった。 夢なのか現実なのか、もう境目なんてどうでもよくて──
気づけば、僕の体はそっと、こはくの尻尾に倒れ込んでいた。
「……っ!?」
こはくが、小さく息をのむ。 でも──声は出さなかった。 驚きながらも、僕の顔をのぞき込む。
そして、僕の寝顔を見たこはくは、そっと目を細めた。
──限界だったのじゃな。
どこか遠くで、そんな声が聞こえた気がした。 まぶたの隙間から、こはくの微笑む顔が、ぼんやりと見える。
──ゆっくり眠るのじゃ。
その言葉が、深く深く染み込んでいく。
僕は、静かに、深い眠りへと落ちていった。
一方その頃。叔母さんは、息を切らしながら坂道を走っていた。何度も電話をかけながら、街の小道をひとつずつ確認していく。 けれど、どこを探しても、返事はなく──ただ、不安だけが膨らんでいった。
そうして、気づけば一本の細い裏道へと迷い込んでいた。
踏みならされた土の道を抜けると── 視界がふわっと開ける。
広がっていたのは、一面の花畑と大きな桜の木その真ん中に、誰かが倒れている……
「智也くん……!」
その姿を見つけた瞬間、胸がいっぱいになりながら、駆け出した。
「智也くん! 大丈夫!? ねぇ、しっかりして!」
駆け寄った叔母さんは、地面に倒れている智也の体をそっと揺らした。
その顔に手を添えた瞬間──
「……熱い……!」
額は汗に濡れ、頬も火照っている。
「……すごい熱……!」
心配と動揺で、声が震えた。
どれだけの時間、ここに倒れていたのだろう。 葬式の場から姿を消して、ずっとひとりで……。
叔母さんは、すぐにポケットからスマホを取り出し、震える手で連絡を取ろうとする。
それでも、不安が込み上げ、涙があふれそうになって──
「誰か……誰か、助けて……!」
花びらが風に舞う中で、静かな叫びが響いた。
毎週水曜日/日曜日更新予定(第一章・全48話)
※諸事情により日曜日のみの更新の可能性もございます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。