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神縁  作者: 朝霧ネル
39/40

朱の守護

夜白が、空に咲いた花火を見上げた、その瞬間だった。


遠く――海の方角から、間の抜けた声が夜に響く。


「やぁ〜!」


夜白が眉をひそめる。


「……?」


間を置かず、もう一度。


「まぁ〜やぁ〜!」


次の瞬間だった。


夜空を裂いて、火の玉が一直線に突っ込んでくる。


「――っ!?」


夜白が目を見開いた刹那、


「た〜ま〜やぁぁぁ!!!」


轟音とともに、爆炎が地を覆った。


「いや〜……派手にやりすぎたか?」


炎が渦を巻き、ゆっくりと消えていく。その中心から、ひとりの女が姿を現した。




「澪〜! どこにおるん~!……って、あれ?」


彼女は辺りをきょろきょろと見回しながら、声を張る。だが次の瞬間、ふと視線が低く落ちた。


――地面に倒れている、ひとりの少年。


「……ん?」


彼女は一歩、二歩と近づき、顔を覗き込む。まじまじと、遠慮なく観察するように目を細めた。


「ん〜……? なんやろ……どっかで会った気ぃすんねんけどなぁ……」


智也は突然現れた彼女に驚きつつ、痛みに顔を歪めながらも、かろうじて声を絞り出す。


「……あ、あなたは……?」


その問いに、彼女はにっと笑った。


「うちはな、**朱焔しゅえん**や」


そう名乗ってから、今度は親指で自分を指し、軽く胸を張る。


「ほな、次はおまえの番や。 おまえ、誰や?」


智也は一瞬言葉に詰まりながらも、息を整え、


「……智也、です……」


と答えた。


その名を聞いた瞬間――朱焔の表情が、わずかに変わった。


朱焔は、智也の顔をじっと見つめたまま、顎に手を当てて首を傾げる。


「ともや……ともや……」


一拍置いて、次の瞬間。


「――もしや! 蒼玄の子か!?」


ぱっと表情が弾けるように明るくなり、満面の笑みを浮かべる。


「やっぱりや! 目ぇ、そっくりやないか!」


智也は驚きつつも、胸の奥がざわつくのを感じながら、かすかに頷いた。


「……はい……そうです……」


そう答えた途端、戦いの反動が一気に押し寄せ、智也は咳き込む。


「こほっ……!」


朱焔は慌てて屈み込み、覗き込むように声をかけた。


「おいおい、大丈夫かいな! 無理すんなや!」


そして、少し照れくさそうに笑いながら続ける。


「久しぶりやなぁ〜! うちのこと覚えとらんやろ? こーんな、ちっこい頃やったもんな〜」


両手で小ささを表すようにして、けらけらと笑う。


「まぁ、しゃあないわ。 で、ほんまに大丈夫か?」


智也は息を整えながら、申し訳なさそうに首を振った。


「……だ、大丈夫です…… こほっ……すみません…… 本当に、全然覚えてなくて……」


「ええんやええんや!」


朱焔はあっけらかんと笑う。


「うちも正直、うる覚えやしな! 顔と気配で思い出しただけや!」




その瞬間――ゆらり、と気配が動いた。


吹き飛ばされていた夜白が、ゆっくりと立ち上がる。服についた埃を払うようにしながら、面倒くさそうに溜息をついた。


「……次から次へと…… ほんと、めんどくさいわね」


朱焔はその存在に気づき、ぎょっと目を見開く。


「……ん? まだ誰かおるんかいな!?」


夜白は、冷ややかな視線を朱焔に向ける。


「あなた…… 面白いこと言うのね」


その目が、鋭く細められた。


「――消えてくれない?」


次の瞬間。夜白の足元から、紫色の結晶が音を立てて隆起し、鋭い槍のように朱焔へと突き出してくる。


「朱焔さん!! それに触れちゃダメです!!」


智也が叫ぶ。


だが――朱焔は、にやりと口角を上げただけだった。


「忠告ありがとな、智也!」


その瞬間、朱焔を中心に――ごうっ!! と轟音を立てて炎が噴き上がった。


爆風のように広がる灼熱の炎。だが、不思議なことに――


智也は、熱さをまったく感じなかった。


それどころか、胸の奥がじんわりと温かくなり、心地よささえ覚える。


炎に呑まれた結晶は、悲鳴のような音を立てて砕け散り、跡形もなく消えていった。


朱焔は、燃え上がる炎の中で、楽しそうに肩を回す。


「悪いなぁ。 うちの炎は、選ぶんや」


夜白の方を見据え、低く笑った。


「善か悪か、をな」


朱焔は、砕け散った結晶の残滓を一瞥すると、口元に余裕の笑みを浮かべた。


「ほな―― ここからは朱焔様の出番やな」


軽口を叩きながら、一歩前に出た、その時。


「……ちっ」


夜白が小さく舌打ちをした。


次の瞬間――朱焔の背後から、震えた声が漏れる。


「……これ……は……」


朱焔は、きょとんとした顔で振り向いた。


「ん?」


そこに立っていたのは――澪白だった。


血の気を失った顔で、場の惨状を見つめている。


「……おっ」


朱焔の表情が、ぱっと明るくなる。


「澪~! そこにおったんかいな! おるんやったら、もっと早よ言うてーや〜!」


軽く手を振りながら言いかけた、その瞬間。


澪白は、朱焔の横を――一言も発さず、静かに通り過ぎた。


その背に、朱焔は一瞬で察する。


「……あ」


(あかん)


(これ、あかんやつや)


澪白の視線が、ゆっくりと動く。


まず――地面に倒れる智也。


次に――木を背に、血に濡れ、ぐったりと横たわるこはく。


そして最後に――夜白。


澪白の視線が、ぴたりと夜白を捉えた。


空気が、凍る。


「……お前が……」


低く、抑えた声。


「――やったのか」


その声には、怒鳴り声よりも恐ろしい、完全に冷え切った怒りが滲んでいた。


朱焔は、背筋がぞわっと震え、反射的に智也の背後に回り込む。


「ひぃっ……!」


智也にしがみつき、小声で必死に囁く。


「ちょ、ちょっと待ってや…… 澪、これ完全にブチギレとるやん……」


顔を引きつらせながら、智也に訴える。


「アカン…… この澪はアカン…… うちにも止められんやつや!!」


そして、半泣きのまま叫ぶ。


「智也! 生き残りたかったら、心の準備しときぃ!!」


澪白は、何も言わず、ただ夜白を見据えたまま、静かに一歩、踏み出した。


夜白は、肩についた埃を払うような仕草で、口元を歪めた。


「……今日のところは、ここまでにしておいてあげるわ」


その声音は、余裕に満ちている。


澪白は、その一瞬の隙を逃さなかった。


――踏み込み。


間合いは、ゼロ。


風を切る音すら置き去りにして、澪白の拳が夜白の懐へと突き出される。


「ふふ……」


次の瞬間、その身体は――黒い霧のようにほどけ、掻き消える。


拳は空を切り、代わりに、黒い薔薇の花びらが宙を舞った。


闇が静かに溶けていく中、残されたのは、声だけ。


『また、遊びましょ……』


その声も、次第に遠ざかり――完全に、消えた。


残された静寂の中。


遅れて、足音が響く。


「はぁ……はぁ……」


駆けつけてきた叔母さんが、膝に手をつき、息を整えながら顔を上げる。


「澪ちゃん……はや……」


言いかけて、言葉を失った。


倒れた木々。地面に残る抉れた痕。血の匂いと、焼け焦げた空気。


「……え……?」


視線が震える。


「なにが……起きたの……?」


そして――視界の端に、倒れている智也を見つけた。


「……っ!」


叔母さんは、弾かれたように駆け出す。


「智也くん!! 大丈夫!? しっかりして!!」


膝をつき、必死に呼びかける。


その智也に――がっしりと、何かがしがみついていた。


「……?」


叔母さんが顔を上げる。


そこにいたのは、見知らぬ人物。


「……あなたは……?」


小声で問うと、彼女も同じく声を潜めた。


朱焔しゅえんや」


周囲を警戒するように視線を巡らせ、ひそひそと続ける。


「それよりな…… 澪、完全にブチギレとる」


叔母さんの目を真っ直ぐ見て、真顔で言う。


「今はな、 姿勢低くして、刺激せん方がええ」


叔母さんは、はっとして周囲を見回す。


そして――少し離れた場所で、立ち尽くす澪白の姿を見つけた。


澪白は、血にまみれ、意識を失ったこはくを、大切そうに胸へ抱き寄せていた。


その背中は、静かで――だが、怒りと悲しみを、深く深く抱え込んでいる。


叔母さんは、智也の傍らにしゃがみ込み――その腕を見た瞬間、言葉を失った。


「……と、智也くん……その手……」


へし折れ、ありえない方向に曲がった腕。震える指先が、宙で止まる。


智也は、荒い息をつきながらも、無理に笑おうとした。


「……僕は、大丈夫…… それより……葉山さんたちを……見てあげて……」


「……っ」


叔母さんは、歯を食いしばり、立ち上がる。


視線を巡らせると――少し離れた場所に、力尽きたように眠る葉山。寄り添うように倒れている泉と村上の姿があった。


「……わかった……!」


叔母さんは、駆け出そうとする。


その背後で、朱焔が――智也の背中に半分隠れながら、小声で言った。


「みんな、こっちに連れてくるんや あとは――うちが、なんとかする」


その声は軽いが、芯は強い。


叔母さんは一瞬だけ振り返り、


「……うん! わかった!!」


そう言って、焦った足取りで葉山たちのもとへ向かった。


しばらくして。


叔母さんは、息を切らしながら戻ってくる。


まずは葉山。次に泉。最後に村上。


一人ずつ、必死に担ぎ、引きずり、支えながら。


「……はぁ……はぁ……よ、よし……」


全員を並べ終え、叔母さんはその場に座り込む。


朱焔が周囲を見渡し、うなずいた。


「……これで、全員やな」


そう言うと、朱焔は一歩前に出て、静かに――手をかざした。


次の瞬間。


ごうっ――!


朱焔を中心に、炎が一気に広がる。


地面を舐めるように、円を描くように、しかし、誰にも触れない。


叔母さんは思わず叫んだ。


「ちょ、ちょっと!! な、なにしてるの!? あつっ……――え……?」


身構えたが。


……熱くない。


服も、髪も、肌にすら、熱は伝わらない。


炎は、まるで――優しく包み込むように揺れていた。


朱焔は、炎の中で振り返り、にっと笑う。


「心配すんな これはな――守るための炎や」


炎は、静かに夜を照らし続けていた。


しばらくすると――朱焔の炎が、ゆっくりと揺らめきを弱めていった。


智也は、ふと自分の腕を見下ろす。


さきほどまで、ありえない角度に折れていたはずの腕が――何事もなかったかのように、元に戻っている。


「……え……?」


恐る恐る指を動かす。痛みは、ない。息も、いつの間にか深く吸えるようになっていた。


「……戻ってる……?」


驚いて顔を上げると、叔母さんも同じように自分の手を見つめていた。


「……あれ……? さっきまで、あんなに……」


肩を回し、足に力を入れてみる。息切れも、疲労も――消えている。


「……すご……」


その間にも、地面に横たわる葉山、村上、泉の身体から、淡い熱が引いていく。


打撲や裂傷が、まるで時間を巻き戻すように、静かに癒えていった。


朱焔は、炎をもう一度だけ大きく揺らすと、すっと手を下ろした。


「……よし」


そして、いつもの調子でにこっと笑う。


「これで大丈夫や!」


智也と叔母さんは、思わず顔を見合わせ――同時に、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます……!」


「ほんとに……ありがとうございます……!」


朱焔は照れくさそうに手を振る。


「ええってええって そんな改まらんでも」


だが、智也はすぐに表情を引き締め、振り返る。


視線の先――澪白の腕の中で、意識を失ったままのこはく。


「……朱焔さん……!」


智也は、まっすぐに言った。


「こはくを……お願いします……!」


その言葉に。


朱焔の表情が、すっと変わる。冗談も、軽さも消え――真剣な眼差しになる。


朱焔は小さくうなずき、澪白とこはくのもとへ歩み寄った。


澪白は、こはくを強く抱きしめたまま、動かない。


朱焔は、澪白の前で立ち止まり、低い声で尋ねる。


「……澪 その子が――白華の子か」


澪白の肩が、わずかに震える。


そして――ゆっくりと、はっきりとうなずいた。


朱焔の視線を受け、澪白はこはくを抱いたまま、顔を上げる。


そこには――誰も見たことのない、深い悲しみを湛えた表情があった。


朱焔は、その顔を見た瞬間、言葉を失いかけ――すぐに、ぎゅっと拳を握る。


そして、澪白をまっすぐに見据え、静かに、だが力強く言った。


「……うちに、まかしとき」


その声には、炎の神獣としての誇りと、守ると決めた覚悟が、確かに宿っていた。


朱焔は、こはくの前に立つと、そっと手をかざした。


次の瞬間――炎が、渦を巻くようにこはくの身体を包み込む。


熱はあるはずなのに、荒々しさはない。それは、焼き尽くす炎ではなく――抱き留めるような炎だった。


澪白は、思わず一歩踏み出し、息を詰めて見つめる。


「……」


しばらくして。


炎は、静かに、名残惜しそうに引いていった。


こはくの顔から、さきほどまで張りついていた苦悶と怒りが、すっと消える。強く結ばれていた眉がほどけ、小さな胸が、規則正しく上下しはじめた。


「……すぅ……」


穏やかで、気持ちよさそうな寝息。


朱焔はそれを確認すると、満足そうにうなずいた。


「これで大丈夫や」


その一言に、澪白の肩から力が抜ける。


澪白は、こはくを抱き寄せたまま、朱焔に向かって軽く頭を下げた。


「……朱焔 ありがとう……」


朱焔は、慌てたように手を振る。


「やめーや澪! そんなん、当然のことしただけやんか」


そう言いつつも、澪白の表情を見て、言葉を止める。


澪白は、もう一度だけ、静かに言った。


「……ほんとに ありがとう」


朱焔は一瞬、視線を逸らし――すぐに、真剣な顔つきに戻る。


「……さて」


空気が、少し引き締まる。


「とりあえずやけど、 明日には、みんな元気になる」


そう言ってから、澪白を見る。


「せやから 何があったんか、ちゃんと話してもらお」


澪白は、こはくの髪をそっと撫でながら、小さく、しかし確かにうなずいた。


「……ええ」


夜の静寂の中、炎の余熱だけが、かすかに残っていた。


――そのぬくもりが、これから訪れる“嵐”の前の、最後の安らぎのように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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