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神縁  作者: 朝霧ネル
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狼煙

葉山夏海の背後―― 月明かりの届かぬ影から、女が、にじむように現れた。


 黒いドレス。 風もないのに揺れる裾。 そして、静かに浮かぶ微笑。


 その瞬間、空気が変わった。


 ――冷たい。 いや、冷たいというより、重い。


 僕は無意識に一歩、身を引いていた。


(……なんだ……あの人……)


 喉の奥がひりつく。 

ただ立っているだけなのに、胸の奥を直接掴まれるような圧があった。


 隣に立つこはくの様子が、いつもと違う。


 拳を握る指先が、かすかに震えている。


 こはくが一歩前に出た。 


 月明かりの下、その白い尾が警戒するように揺れる。


「……何者じゃ」


 低く、鋭い問い。


 女は、くすりと笑った。


「私は夜白やしろ。そんなに睨まないで、こはくちゃん」


 不敵な微笑み。 まるで、昔から知っている相手に向けるような声色だった。


 こはくの目が細くなる。


「……なぜ、わらわの名を知っておる」


 夜白は答えず、そっと葉山の背後へと手を伸ばす。 そして、慈しむように夏海の頭を撫でた。


「この子から、全部聞いてるわ」


 夜白は優しく囁く。


「……ね、夏海さん」


 葉山は答えない。 虚ろな瞳のまま、ただ立ち尽くしている。


 夜白はふと顔を上げ、周囲を見渡した。


「……ふーん」


 視線を別の方向へ向け、少しだけ残念そうに肩をすくめる。


「あっちだったのね、二択を外すなんて…」


「何を言っておる…夏海から、離れろ…」


 こはくが静かに言う。


 夜白は肩を竦め、悪びれた様子もなく言った。


「この子の方から来たのよ? 私は、何も悪くない…」


 こはくは歯を噛みしめる。


「……目的は、なんじゃ」


 夜白はゆっくりと視線を巡らせる。


「目的……」


 巡らせたその目が、智也を捉える。


 静かに、しかしはっきりと。


「もう……あなたたちで、いいわ」


 僕の体が、強張った。


(……なんだ、この感じ……)


 今までに感じたことのない圧。 恐怖なのに、足が動かない。


 夜白は一歩、近づく。


「あなたが……智也くん?」


 不敵な笑み。


「な……なんで……」


 震える声が、やっと喉から零れた。


「だって――」


 夜白は楽しそうに目を細める。


「あの方が、探しているもの……ふふ」


「…あの…方…」


 その瞬間、こはくが僕の前に立った。


「智也、耳を貸すな…」


 振り返らず、強く言い切る。


「皆を連れて逃げるのじゃ。 わらわが……なんとかする」


 夜白は、その言葉を聞くと―― 声を殺して笑った。


「ふふ……」


 そして、はっきりと告げる。


「未熟者ふたりで、なにができるの?」


 夜白は、葉山の背中にそっと手を添え、軽く押す。


「それに、あなたの相手は――この子よ」


 葉山の体が、ゆっくりと前に出る。


 夜白は最後に、僕を見る。


「智也くん」


 甘く、残酷な声。


「私と、遊びましょう」


―次の瞬間


こはくの姿が、一瞬で消えた。


 踏み込み。 距離を潰し、夜白の側面へ――


 拳が振り抜かれる、その直前。


「――っ!」


 鋭い風切り音。


 横合いから、回し蹴りが飛び込んだ。


 葉山だった。


 こはくは反射的に両腕を交差させる。 だが、衝撃は殺しきれない。


「ぐっ……!」


 鈍い音とともに、こはくの身体が後退する。


「こはくっ!!」


 智也の叫びが夜に裂けた。


 夜白は、その光景を見て小さく息をつく。


「……ああ、もう。驚かせないで」


 胸に手を当て、くすりと笑う。


「まだ夜は長いんだから。 そんなに焦らないで」


 夜白は葉山のもとへ歩み寄り、 まるで褒めるように、その肩をぽん、と叩いた。


「いい子ね」


 耳元で囁く。


「あの子がいなくなれば―― あなたは“選ばれる側”になれる」


 夜白の声は甘く、毒を含んでいた。


「ほら。楽しみなさい」


 そして、夜白はゆっくりと向きを変え、僕へと歩み寄る。


 一歩。 また一歩。


 僕は後ずさろうとして、足が動かないことに気づいた。


「……智也くん」


 夜白は、まるで哀れむように目を細める。


「あなたって……ひどい人ね」


「……え?」


「無自覚で、優しくて。 勘違いされるような言葉ばかり口にして」


「一人の女の子を、 少しずつ、少しずつ傷つけて――」


 くすり、と笑う。


「それでも、悪気はないんでしょう?」


 僕の喉が鳴った。


「……な、何を……」


「あの子はね」


 夜白はちらりと葉山を見る。


「あなたに “選ばれたかった” けど、あなたは、無碍にした…」


「それに……」


 夜白の表情が、ふっと冷たく変わる。


「あなたは―― 五神の一人でしょう?禍津様を裏切ったふととき者の子、違う?」


 空気が、凍りつく。


「本当は、完璧な状態のあなたと遊びたかったわ」


 夜白は残念そうに肩をすくめる。


「でも……まだ“未完成”。 戦い方も、力の使い方も、何も知らない」


 その瞬間―― 夜白の姿が、掻き消えた。


「――っ!?」


 次の瞬間、僕の視界が跳ね上がる。


 首に、冷たい指が食い込んだ。


「がっ……!」


 夜白は片手で、軽々と僕の身体を持ち上げていた。 足先が地面から離れ、空中で無様に揺れる。


 喉が締めつけられ、息ができない。 肺が、焼けるように痛む。


 僕は必死に夜白の手首を掴み、引き剥がそうと暴れた。


「……っ、は……!」


 爪が食い込み、腕に力を込める。 だが、びくともしない。


 夜白はその様子を見下ろし、楽しそうに口角を上げた。


「いいわね、その顔」


 くすり、と笑う。


「苦しい?」


 視界が、じわじわと滲む。 耳鳴りがして、音が遠のいていく。


 夜白は、耳元に顔を近づけた。


「安心して。まだ殺さないわ」


 囁きは、甘く、残酷だった。


「あなたの前で―― あの狐ちゃんとお友達が、壊れていく姿を見せてあげる」


 その言葉に、身体がびくりと跳ねる。 胸の奥で、何かがはじけた。


「……っ」


 掴まれたままの手に、異様なほどの力が込もる。


 震える声。 それでも、はっきりと。


「……二人に……手を出したら……」


 喉を締めつけられながら、僕は睨み返した。


「……許さない……」


 夜白の動きが、ぴたりと止まる。


 その目が、鋭く細められた。


「――脆弱者が」


 声が、低く落ちる。


「かっこつけるな」


 夜白の指が、さらに喉へ食い込む。


「……虫唾が走る」


 ぐ、と力が増し、


 意識が、遠のきはじめる。


――その瞬間。


 がしゃり、と重い音が夜気を裂いた。


 夜白の背後から、無数の鎖が空間を突き破るように現れ、四肢と胴へと絡みついた。


「……っ?」


 夜白の動きが、強制的に止まる。 掴まれていた僕の身体が、地面へと落ちた。


 夜白は横目で後ろを見やる。


 そこには―― 同じ鎖に縛られ、もがく葉山の姿があった。


「……なるほど」


 夜白は小さく息を吐く。


「めんどくさいわね……ほんとに」


 その言葉が終わるより早く。


 夜白のすぐ横、空間が歪み、 こはくが現れる。


 両足で大地を踏みしめ、身体をひねり―― 拳を力強く握る。


「破衝尾」


 衝撃が、直撃した。


 こはくの一撃が、夜白の脇腹へと深く叩き込まれる。


 ――ドンッ!!


 低く、重い音。


 夜白の身体は、鎖ごと吹き飛ばされ、夜の闇へと弾かれていった。


 砂が舞い、空気が揺れる。


 戦場の空気が、一瞬だけ―― 静止した。



**********



 ロッジから離れた、小高い場所。


 澪白と叔母さんは、夜空を見上げながら、並んで腰を下ろしていた。 叔母さんの手には、少しだけ減った缶ビール。


「……綺麗ね、星」


 ぽつりと、叔母さんが言う。


 澪白も、同じ空を見上げた。


「はい……とても、綺麗です」


 星々は、何事もなかったかのように瞬いている。


 叔母さんは、少し照れたように笑って続けた。


「私ね……智也くんに、いい友達ができて、すごく嬉しいの」


 風が、穏やかに吹く。


「こはくちゃんと、澪ちゃんが来てからね、 智也くん……前より、よく笑うようになったのよ」


 夜空に向かって、言葉を重ねる。


「今はね……みんなで一緒にいる、この時間が…… 私の幸せなの」


 澪白は、静かに首を振った。


「……私は、何もしていません」


 視線を星へ向けたまま、穏やかに。


「叔母様こそ……とても、すごい方です」


 叔母さんは、きょとんとしたあと、吹き出す。


「な〜に〜? そんなに褒めちゃって〜」


 澪白は、少しだけ言葉を探すように、間を置いた。


 そして、ゆっくりと語り出す。


「……私が見てきた人間は、 力を恐れ、違いを恐れ、遠ざける者ばかりでした」


 星の光が、澪白の白い髪を淡く照らす。


「けれど、叔母様は…… 何も知らなくても、何も疑わず、 ただ“守ろう”としてくれる」


 その声は、静かで、でも確かに温かかった。


「それは……簡単なようで、とても難しいことです」


 澪白は、ほんの少しだけ微笑む。


「だから…… 私は、そんな叔母様のそばにいられることを…… 誇りに思います」


 叔母さんは、一瞬言葉を失い―― 次の瞬間、照れたように缶を振った。


「もう……澪ちゃんってば……反則よ、それ」


 星空の下、二人の影が静かに並ぶ。


澪白が星空を見上げていた、そのとき。


 ひらり―― 黒い薔薇の花びらが、一枚、視界を横切った。


「……?」


 澪白の視線が、自然とそれを追う。 夜風に流される花びらは、ありえない方向から舞い落ちてきていた。


 澪白は、静かに周囲を見回す。


 ――おかしい。


 そのとき、隣の叔母さんが首をかしげる。


「どうしたの? 澪ちゃん」


 澪白は、表情を引き締めた。


「……何か、変です。……静かすぎます」


「静か?」


「はい。さっきまで聞こえていた虫の声が……消えています」


 叔母さんは、少し耳を澄ませる。


「ん〜……言われてみれば……?」


 そう言いかけた、その瞬間。


 ドン……ッ


 ロッジの方角から、鈍く、重い音が響いた。


「……え? なに、今の!?」


 叔母さんが振り返るより早く、澪白は一歩踏み出す。


「……戻りましょう。今すぐに」


 二人は同時にロッジへと走り出した。



**********



 一方、


 夜白を吹き飛ばした直後、こはくは膝をつく僕のそばに駆け寄っていた。


「智也、大丈夫か!?」


 咳き込みながらも、なんとか顔を上げる。


「……う、うん……」


 だが。


「ふふ……」


 砂を踏む音とともに、 夜白が、何事もなかったかのように歩いてくる。


 口元には、愉しげな笑み。


「痛いじゃない…ちょこまかと……めんどくさい子ね」


 夜白は視線をずらし、葉山へ向ける。


「夏海さん。いい加減、振り解きなさい」


 次の瞬間。


 ガシャッ!!


 葉山の身体を縛っていた鎖が、力任せに引きちぎられた。


 夜白は、ふっと別の方向を見る。


「……あら。バレちゃったみたいね」


 そして、誰かに語りかけるように、静かに言った。


「――もう、いいでしょうか?」


「……?」


 こはくが一歩前に出る。


「何を言っておる」


 夜白は、くすりと笑った。


「……わかりました」


 その瞬間。


 夜白は、地面に手をついた。


「さぁ…始めましょう…」


「――っ!!」


 こはくは即座に距離を詰め、 夜白の胴へ、全力の拳を叩き込む。


 ――ドンッ!!


 だが。


 夜白の身体は、ガラス細工のように砕け散った。


「……っ!?」


 こはくが一瞬、戸惑う。


 その背後から――


「残念ね…すぐに、直接会いにいくわ…ふふ」


 夜白の声が、あらゆる方向から響いた。


 次の瞬間。


 赤黒い光が、各所から一斉に立ち上る。


「……!」


 僕とこはくは、反射的に空を見上げた。


 そこには―― 粉々に砕け散る結界。


 光の破片が、夜空を裂き、降り注ぐ。


「……結界が……」


 こはくの声が、震える。



**********



 ロッジへ向かっていた澪白と叔母さんは、同時に立ち止まった。


「……っ!」「何が起こってるの澪ちゃん!」


 夜空を染める、赤黒い光。


 降り注ぐ、結界の残骸。


 澪白の表情が、一気に凍りつく。


「……破られた……」


 その言葉が終わるより早く。


 ずるり、ずるり、と


 闇の中から、無数の影が湧き上がる。


 人の形をした、歪な存在――


「……朽神……封神蔵まで繋いだか…!」


 澪白が前に出る。






――神界。


 闇が、脈を打つ。


 それは空でも地でもなく、 神意そのものが形を持った空間だった。


 その中心で―― 禍津まがつは、静かに目を開く。


 重く、深い瞳。 そこに感情はなく、ただ“終わり”だけが宿っていた。


 その前に、五つの影。


 白衣を纏い、口元にうすら笑いを浮かべる男――白蓮。


 その隣、腕をだらりと垂らしたまま、一言も発さない女――飢魔。


 そして、跳ねるように一歩前へ出て、くるりと回る――噛音。 楽しそうに笑い、手を叩く。


 瘴気を纏い、口角を吊り上げる存在――瘴牙。


 最後に。 少し離れた場所で、ゆっくりと瞬きをする女――夜白。


 まるで眠りから覚めたばかりのように、 だがその瞳の奥には、すでに“選別”が終わった色があった。


 しばしの沈黙。


 そして―― 禍津は一言


「……成すことを為せ……」


 それだけだった。


 次の瞬間、神界の光景がひび割れ、 闇と瘴気が渦を巻いて落下していく。


 白蓮は静かに笑い、 

 噛音は歓声を上げ、はしゃぐ 

 瘴牙は舌なめずりをし、 

 飢魔は影の中で息を潜め、 

 夜白は、最後に一度だけ、今から向かう人間界を見つめた。


「あそびましょ、智也くん…」



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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