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神縁  作者: 朝霧ネル
34/40

夜に咲く薔薇は、名前を呼ぶ

浜辺は、笑い声と水しぶきで満ちていた。

 沈みかけた夕日が海面を染め、村上のはしゃぐ声と、泉の笑い声が風に乗って届く。


 葉山は少し離れた場所で、膝を抱えながらその光景を眺めていた。

 みんなの穏やかな声。

 屈託のない笑顔。


 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


 それと同時に、別の感情が静かに顔を出す。




 ――私は。


 話しかけられれば、ちゃんと話した。

 相談されれば、真剣に聞いた。

 困っている人がいれば、放っておけなかった。


 それだけなのに。


『葉山さんって、いい人なんだけど……』

『一緒にいると、ちょっと疲れる』

『距離感、変じゃない?』


 直接言われたわけじゃない。

 けれど、偶然耳に入ったその言葉は、確かに自分に向けられていた。


(……ああ)


 気づいたときには、もう遅かった。


 笑顔はそのままに。

 一歩引いて。

 深く踏み込まないようにして。


 そうすれば、嫌われることはない。

 代わりに――特別にも、ならない。


(今は……違うって、思いたい)


 村上くんたちは、何も考えずに声をかけてくれる。

 沙月ちゃんは、いつも気にかけてくれる。

 こはくちゃんは、疑いもなく隣に立ってくれる。

 智也くんは……無理に踏み込まないのに、離れもしない。


 ここは、居場所だ。

 そう、信じたい。


 けれど。


(……本当は)


 いなくてもいい存在なんじゃないか。

 いても、いなくても、変わらないんじゃないか。


 波の音が、その不安を何度も打ち消しては、また運んでくる。


 そのときだった。




「――あなたは、私と似てる…」




 透き通るような、静かな声。


 葉山の肩が、びくりと跳ねる。


「……え?」


 振り返る。

 誰もいない。


 潮風が吹き抜けるだけで、そこには夕暮れの浜辺しかなかった。


(……気のせい、だよね)


 今日は暑かった。

 きっと疲れだ。

 だから――。


 そう思って視線を戻した、その足元に。


 黒い薔薇が、一輪。


 砂の上に落ちていた。


 風に揺れることもなく、

 波に濡れることもなく、

 まるで、最初からそこに在ったかのように。


 葉山は、息を止めた。


 胸の奥で、言葉にならない何かが、静かにざわめき始めていた。



 葉山は、足元に落ちていた黒い薔薇をそっと拾い上げた。

 指先に伝わる感触は、不思議なほど柔らかい。


「……綺麗……」


 そう呟いて、少しだけ微笑む。


「あなたも……独りぼっち、なの……?」


 問いかけるように薔薇を見つめた、そのとき。


「夏海ー!!」


 浜辺の方から、泉の元気な声が飛んできた。


「あっ……! いま行くねー!」


 葉山は慌てて薔薇を砂の上に戻し、手を振って応えた。

 胸の奥に残ったざわめきを、波音に紛らわせるように、駆け出す。


 その後は、ただ楽しい時間が流れていった。


 海に飛び込み、笑って、転んで、水を掛け合って。

 夕日が沈みきる頃、ロッジの方から叔母さんの声が響く。


「はーい! そろそろBBQ始めるわよー!」


「はーい!」

「やったー!」

「待ってました~お姉さん!」

「お腹すいたのじゃ!」

「…」


 思い思いの返事が返り、みんな浜辺からロッジへと戻っていく。


 すでに準備されたコンロからは、炭の匂いと香ばしい煙が立ちのぼっていた。


「お姉さん、ありがとうございやす!!」

「すごい!本格的ですね!」

「わぁ~!」

「肉がたくさんあるのじゃ!!」


「でしょ~! 今日はたくさん食べなさい!」

 そう言いながら、叔母さんは慣れた手つきで缶ビールをぷしゅっと開ける。


「じゃあ、乾杯いくわよー!」


 それぞれ、グラスや紙コップを掲げて、


「「かんぱーい!」」


 弾ける音と一緒に、夜が始まった。


 焼き台の前では、村上が張り切ってトングを握っている。

「肉は俺に任せてください! 焼きの翔と呼んでください!」


「はいはい、期待してるわよ~?」

 叔母さんに釘を刺されつつも、村上はご機嫌だ。


 焼けた肉を皿に乗せて、まずは叔母さんと澪白のもとへ運ぶ。

「どうぞ! 一番いいやつっす!」


「ありがとうございます」

 澪白は丁寧に受け取りつつ、村上を見る目はどこか淡々としている。


「……焼き加減は、もう少し落ち着いてもいいですね」


「ん、えっ、そこ!?」

 村上が肩を落とすと、周囲から笑いが起きた。


 一方その頃。


「ほら、こはくちゃん、あーん」

「ん、あー……」


 叔母さんに差し出された肉を、こはくが素直に口に運ぶ。

「……おいしいのじゃ!」


「でしょ~?」

 叔母さんが得意げに笑う。


 少し離れたところでは、葉山と泉が並んでマシュマロを焼いていた。


「うまそ~!いい匂いだね!」

「うん!甘い香り、早く焼けないかな」


 白く膨らんだマシュマロを見て、二人で小さく笑い合う。


 そのすぐそばでは、澪白の武蛇が、するりと僕の首元に巻きついていた。

「……っ!?」

「智也、懐かれてるね…」


 澪白がそう言うと、武蛇は満足そうに僕の肩に顎を乗せる。


「くすぐったいって……!」

 僕が苦笑すると、こはくが興味深そうに覗き込む。

「ふむ……わらわのもとにはこないのか?武蛇よ」


 村上がその様子を見て近づき、

「俺の首も空いてますよ!?」

 と身を乗り出すが、


「武蛇は人を選びます。」

澪白は即答。


「えぇ~澪白さん辛辣…」

再び笑いが起こった。


 炭がはぜる音。

 肉の焼ける匂い。

 笑い声と、潮風。


 浜辺は、夜になっても温かく、にぎやかだった。


 誰もが、この時間がずっと続くと――

 そのときは、疑いもしなかった。




炭火の勢いも落ち着き、浜辺にはゆるやかな夜の空気が流れ始めていた。


「さてと……」


 叔母さんが立ち上がり、手をパンと叩く。


「じゃあ、ここからは私と澪ちゃんは少し外すわね」

 そう言って、澪白の腕をがしっと掴む。


「えっ……?」

「いいからいいから。若い子は若い子同士で、青春を楽しみなさ~い!」


「ちょ、ちょっと……叔母様……」

 澪白は戸惑いながらも、されるがまま引っ張られていく。


 二人の背中を見送りながら、村上が目を丸くした。


「え……? まさか、そういう……?」

 一瞬考えて、

「……いや、ありだな」


「翔!!」

 泉が即座にツッコミを入れる。


「何考えてんの、変なこと言わない!」

「は~い……」


 村上はしょんぼりしつつも、すぐに顔を上げる。


「そーいやさ、智也よ」

 ニヤリとした笑みを浮かべて、

「こはくちゃんと澪白さんっていう美女と一緒に暮らしてるって、何事かな?」


 泉がすぐにフォローに入る。

「智也くん、言いたくなかったらいいんだからね。あの時は……正直、びっくりしちゃったけど」


「覚えてたんだ……」

 僕は苦笑いして、頭をかいた。


「こはくと澪白さんは、遠い親戚みたいなもので……今は仮で一緒に暮らしてるだけだよ、ね、こはく」


「しんせき…?うむ!それじゃ!もぐもぐ…」


「口にタレついてるよ、こはく」

僕はティッシュでこはくの口を拭う。


「へぇ~?でも親戚に、口にタレがついてるぜぇ…なんていうかね…」

 村上は疑いの目を向ける。

「美女に囲まれて、何もないなんてことは……」


「ほんとに何もないから、しかも似てないし」

 僕は即答した。


 そのやり取りの横で、葉山は少し視線を落としていた。

 焚き火の光が揺れて、その表情を淡く隠す。


「はいはい、もう、いいでしょ!」

 泉が空気を切り替えるように声を上げる。


「翔!」

「な、なに?」


「罰として、マシュマロ全員分焼いてきなさい!」


「はぁ~!?」

 村上は大げさに肩を落とす。

「何の罰だよ~……」


 ぶつぶつ言いながらも、結局トングを持って焼き始める。


 その様子を見て、葉山は小さく立ち上がった。


「……お手洗い、行ってくるね」


 そう言って、ロッジの方へと歩き出す。


「夏海……」

 泉は少し心配そうに、その背中を見送った。


 焚き火の音だけが、静かに鳴っていた。





ロッジへと続く小道を歩きながら、葉山は胸の奥を押さえた。


(楽しいはずなのに……なんで、こんなに苦しいんだろ)


 笑って、話して、同じ景色を見ている。

 それなのに、どこか自分だけが外側にいるような感覚が、消えなかった。


 用を足し、ロッジの扉を押し開ける。

 夜の空気がひやりと肌を撫でた、そのときだった。


「――こっち……」


 微かに、確かに。

 耳元ではなく、胸の内側に直接響くような声。


 葉山は足を止め、息を呑む。


「……また、だ……」


 昼間も、電車の中でも。

 気のせいだと何度も言い聞かせた、その感覚。


 視線を上げると、少し先に人影が立っていた。


 逆光で表情は見えない。

 けれど、なぜか――その姿から目が離せなかった。


「……澪白さん……?」


 そう呼びかけてから、すぐに違和感に気づく。

 あの人よりも、影が濃い。

 空気が、冷たい。


 それでも、足は自然と前に出ていた。


 導かれるように進んだ先にあったのは、

 人目につかない場所に佇む、小さな古い神社だった。


 崩れかけた鳥居。

 苔むした石段。


 そして――境内に、不自然に咲き誇る黒い薔薇。


「……神社……? それに……黒い、薔薇……」


 喉がひくりと鳴る。


 鳥居の奥、社の前に、女性が立っていた。


 月明かりを背にしたその姿は、はっきりと見えない。

 ただ、こちらを見ていることだけは分かる。


「……誰ですか……?」


 葉山は、声を震わせながら問いかける。


「あの声……あなたなんですか……?」


 一瞬の沈黙のあと、女性はゆっくりと口を開いた。


「――そうですね」


 低く、静かな声。


「葉山夏海さん」


 心臓が、大きく跳ねた。


「……っ、なんで……」


 葉山は一歩、後ずさる。


「なんで……私の名前を、知ってるんですか……?」


 闇の中で、女性がわずかに微笑んだ気配がした。


「声が、震えてるわね」


 やさしく、諭すように。


「大丈夫。怖がらなくていいのよ」


 その声は、不思議と落ち着いていた。


「私は夜白(やしろ)――あなたの味方」


「味方…すいません、友達が待ってるので…」


背を向けた葉山の足が、一歩、止まる。


「……友達……ね……」


 夜白の声は、柔らかく、静かだった。


「戻ったところで、あなたは“そこに居るだけ”でしょう?」


 葉山の指先が、きゅっと握られる。


「みんな優しい。あなたに笑いかけてくれる。

 でも――本当に必要とされているかどうかは、別」


「……っ」


「あなた、いつも一歩引いてる」

 夜白はゆっくりと鳥居の奥から姿を現す。


 黒いドレス、長い黒紫の髪。

 月明かりを吸い込むような色。

 その足元に、黒い薔薇が静かに揺れていた。


「誰かが楽しそうにしているのを見て、安心して」

「誰かが必要とされているのを見て、胸が痛くなる」


「……違……」


「違わないわ」


 夜白は微笑む。


「“私なんて”って、何度思った?」

「“いなくてもいい”って、何度、自分に言い聞かせた?」


 葉山の喉が鳴る。


「智也くんは優しい」

「こはくちゃんは無邪気」

「みんな、ちゃんと“居場所”がある」


「なんで…みんなの…名前を…」

葉山は震えた声で問う。


 夜白は一歩、近づく。


「でも、あなたは?」

「あなたの代わりは、いくらでもいる、でしょ?」


「……やめて……」


「やめないわ」

 夜白の声は、責めるでもなく、ただ淡々としていた。


「だって、それを一番思っているのは――あなた自身だもの」


 葉山の視線が、地面に落ちる。


「好きになったのに」

「気づいた時には、もう遅くて」

「笑顔を見るたびに、胸が苦しくなる」


 夜白は、そっと囁く。


「それ、全部“愛”じゃなくて、“孤独”よ」


 葉山の肩が、小さく震えた。


「……味方って……どういう意味ですか……」


 夜白は、少しだけ首を傾げる。


「あなたを、必要ない存在だなんて言わない人間が」

「ここにいる、ってこと」


 黒い薔薇の花弁が、風に揺れる。


「奪わなくていい」

「壊さなくていい」


「ただ――あなたが、あなたでいられる場所を」

「選び直すだけ」


 夜白の瞳が、静かに光った。


「ねえ、葉山夏海さん」

「“選ばれる側”になりたくはない?」


「選ばれる…側……」





浜辺では、火のはぜる音と笑い声がまだ続いていた。


「なぁ沙月、これさ、マシュマロ焼くっていうより炙りじゃね?」

「うるさいなぁ、黙って焼きなさいってば」


 どうでもいい言い合いを続ける二人を横目に、僕は視線を落とす。


 隣では、こはくが串に刺したマシュマロをくわえたまま、うとうとしていた。

 焚き火の橙色の光に照らされ、まぶたがゆっくりと落ちていく。


「……ふふ」


 思わず、笑みがこぼれる。


(ほんと、平和だな……)


 ――そこで、ふと気づいた。


「……あれ?」


 僕は顔を上げる。


「葉山さん、遅くない?」


 その言葉に、村上が首をかしげる。


「言われてみりゃ、たしかに。トイレ行くって言ってから、結構経つよな」


 泉も焚き火から顔を上げ、森の奥を見る。


「……うん。ちょっと遅いよね。私、見てくる」


 立ち上がった、その瞬間だった。


 暗がりの向こうから、影がひとつ、ふらふらと近づいてくる。


「……あ」


 泉が息を呑む。


 月明かりに照らされ、俯いたまま歩くその姿がはっきりする。


「……夏海?」


 泉が声を掛ける。


「心配したんだよ、大丈夫?」


 返事は、なかった。


 顔を伏せたまま、葉山は立ち尽くしている。


「……?」


 村上が立ち上がり、懐中電灯を手にする。


「葉山さん?ロッジのほう行ってたと思った、ほら、そっち暗いから、今ライト持ってくよ」


村上は葉山の前まで歩む。


 そのとき。


「……思ってないくせに」


 小さく、でもはっきりとした声。


 村上が眉をひそめる。


「……ん? どした?」


 葉山が、ゆっくりと顔を上げた。


 月明かりの下、その瞳は――

 人の色をしていなかった。


「……っ」


 村上が言葉を失った瞬間、


 ――ドンッ!!


 鈍い衝撃音とともに、村上の体が横薙ぎに吹き飛ばされる。


「翔…」


 泉の声が震える。


 村上はそのまま木に叩きつけられ、力なく崩れ落ちた。


「翔……! 翔!!」


 泉が駆け寄り、何度も名前を呼ぶが、反応はない。


 焚き火の音が、やけに大きく響く。


「……翔……?」


 僕は震える声で、月明かりに照らされる葉山を見る。


「なに、してるんだよ……葉山さん……!」


 その横に、静かにこはくが並んだ。


「……違う」


 声が、低い。


「あれは、夏海ではない」


「え……?」


 僕はこはくを見る。


「葉山さん、だろ……?」


 こはくは首を振る。


「外見は夏海じゃ。じゃが、中身はもう違う。

 弱った心に――何者かが、つけこんだ」


 僕の脳裏に、ショッピングモールでの光景がよぎる。


「……あのとき、みたいに……?」


「……うむ」


 その瞬間だった。


 葉山の背後、闇の中から――

 もう一つの影が、音もなく姿を現す。


「――みなさん、こんばんは」


 やさしく、上品な声。


 黒いドレスの女性が、月明かりの下で微笑んでいた。

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