夏色の笑顔と、こぼれた言葉
浜辺で、村上はひとり太陽に向かって両手を広げた。
「聞こえるか太陽よ! 俺は今――青春という名の海へ飛び込む準備ができてるぅぅ!!」
誰にも届かない独白が炸裂する。
僕はため息まじりにつぶやいた。
(……翔のこの語り癖、ほんと治らないな)
すると背後から軽い足音。
「おまたせ~!」
振り向くと――泉、こはく、葉山が水着姿で並んで立っていた。
泉は ミントグリーンのレイヤードビキニ。
葉山は 淡いラベンダー色のフレアビキニ。
こはくは 白地に金の細いラインが入ったホルターネックビキニ。
一気に風の温度が上がった気がした。
村上は口を半開きのまま固まり、
「……お、おぉ……」
と変な声を漏らす。
僕も無意識に息を飲んだ。
泉は頬を赤くしながら腕で胸元を隠し、
「ちょ、ちょっと……そんなジロジロ見ないでよっ!」
葉山も顔を真っ赤にして指先でもじもじと髪をいじり、
「なんか…恥ずかしいね…」
こはくは耳をぴくぴくさせながら尻尾を丸め、
「布面積が少なすぎるのじゃ!恥ずかしいのじゃ…」
三人が頬を染めてうつむく姿に、男子二名はただただ固まった。
妙な沈黙が流れた、その瞬間。
村上が勢いよく腕を上げて叫ぶ。
「よーし!! とりあえず海いくかーー!!!」
その一声に空気が一気に弾け、三人の照れた表情も笑いへ変わっていった。
「智也くーん!! ちょっと手伝ってー!!」
ロッジのほうから叔母さんの声が響いた。
「あっ、は~い!」
僕はと手を上げ、振り返ってみんなに声をかける。
「ごめん、ちょっと呼ばれた。先に行ってて!」
「了解!!」
村上は返事より先に砂浜へダッシュしていく。
「ちょ、翔! はやっ!」
泉は呆れつつ、こはくと葉山の手を掴む。
「ほら、私たちも、行こ行こっ!」「う、うん」「うむっ…」
三人の足跡が砂浜にリズムよく刻まれていく。
海辺に着くと、泉と葉山はそのまま勢いよく水の中へ足を踏み入れた。
「きゃーっ、冷たっ! でも気持ちいいー!」
「ほんと……気持ちいい……!」
一方こはくは、海の手前でぴたりと止まっていた。
波が寄せては返すたび、こはくの白い足先のすぐそばまで水が触れそうになる。
「こはくちゃん、どうしたのー?」
水の中から泉が手を振る。
「怖い……?」
葉山が優しく声をかける。
こはくは唇を小さく結び、じっと海を見ていた。
僕は、ゆっくりとこはくの後ろに歩み寄り、呟いた。
「ゆっくりでいいから、まずは足だけ入れてみな? 冷たくて気持ちいいよ」
こはくは迷いながらも、そっと足先を水へ――
ひんやりとした感触に、黄金の瞳がぱっと見開く。
「……っ! 冷たいのじゃ…」
波が少し強めに寄せてきて、こはくは思わず肩をすくめたが、そのあとゆっくりと一歩、また一歩と水の中へ踏み出した。
「こはくちゃん、来たー!」
「ゆっくりでいいからね」
泉と葉山が笑顔で迎える。
こはくも、照れたように小さく笑って応えた。
その光景に、僕は思わず目を細める。
(……入れて、よかった)
潮風に髪を揺らしながら、僕は叔母さんのほうへとゆっくり歩いていった。
ロッジ裏のスペースには、BBQ用のテーブルやコンロが並べられ、海風に乗って木の香りがふわりと流れていた。
炭袋、鉄板、クーラーボックス。
叔母さんが必要だと言った重いものをひと通り運び終える頃には、背中に汗がにじんでいた。
でもこれさえ済めば、叔母さんが後は仕上げてくれるらしい。
「あとは私がやるから、智也くんはみんなと遊んできていいわよ~!ありがとね!」
叔母さんは笑顔で言う。
「澪ちゃんもよ~! 初めての海なんでしょ? しっかり堪能してらっしゃい!」
「……はい。行ってきます」
澪白は軽く頭を下げ、僕のほうへ向き直る。
「では、行きましょうか」
「はい」
二人で浜辺へ向かうと、潮騒と笑い声が近づいてくる。
村上と泉、そしてこはくが海でバシャバシャと水をかけ合っていた。
「沙月ーっ! くらえーっ!!」
「やめろバカ翔ーっ!! 冷たいってば!!」
「ぬおお!! まとめて沈めてくれるわぁ!!」
三人はもう完全に夏そのものだった。
対照的に、少し離れた浜辺では、葉山がタオルを敷いて静かに座っていた。
僕はこはくの姿を見て、思わず笑う。
「……こはく、慣れるの早いなぁ」
二人は葉山の座る場所に歩み寄った。
「葉山さん、休憩中?」
僕が声をかけると、葉山は顔を上げて微笑んだ。
「うん。遊ぶのも好きなんだけど…… こうやって海を眺めてる時間も、落ち着くから好きなんだ」
その柔らかい笑顔に、海風が優しく吹き抜ける。
横で澪白も静かに海へ目を向けた。
「……海というのは、未知だね。 恐ろしさもあるのに……とても綺麗」
白く長い髪を指先でかき上げる動きは、絵のように滑らかだった。
その一瞬に――僕も葉山も、息を呑んだように固まる。
(……おぉ……)
(……きれい……)
二人とも言葉に出さないまま見惚れていた。
そんな視線に気づいたのか、澪白は小さくつぶやいた。
「……もう少し近くで見てくる」
そう言って、肩に羽織っていた上着をさらりと脱ぐ。
現れたのは、雪のように白いクリスクロスビキニ。
凪いだ海風に髪が揺れ、光を反射する水際へと向かっていく後ろ姿は、幻想的なほど美しかった。
「「……おぉ……」」
僕と葉山の声が、ほぼ同時に漏れた。
澪白は気づいていないのか、静かに波打ち際へ歩いていく――。
僕はそっと葉山の隣に腰を下ろした。
「……智也くん、海入らないの?」
葉山が小さく、でもどこか期待するように問う。
「どちらかというと……入るより“見る”ほうが僕も好きなんだ」
「そっか……」
葉山はうつむいて、小さく笑った。砂浜に伸ばした足を、恥ずかしそうにもじもじと動かす。
間を置いて、風が二人の間を通り抜けた頃――葉山がふっと息を吸い、話し始めた。
「ねぇ、智也くん」
「ん?」
「……旅行、誘ってくれてありがとう」
その声は、波よりも小さかった。
「来てくれて嬉しいよ。こうやって友達とどこかに来るの……実は初めてで」
「……そうなんだ」
葉山はうなずき、でもすぐに視線を落とした。海風で少し湿った髪が頬にかかる。
そして――ぽつり、ぽつりと言葉を落としていく。
「私ね……“友達”って呼べる人、ずっといなかったんだ」
僕は目を瞬いた。
「せっかく話しかけてくれる子がいても……うまく返せなくて。
気の利いたことも言えないし、何を話せばいいのかもわからなくて」
葉山の指先が、握った砂をそっとこぼす。
「気づいたらね、みんな離れていっちゃって。“なんか暗いよね”とか……“話しててもつまらない子”だって。直接言われたわけじゃないけど、態度でわかるから…」
波の音が、静かにその言葉をさらっていく。
「誰も悪くないのに……どうしたら仲良くできるのか、わからなかった。何を間違えてるのかも、ずっとわからなくて……」
海を見つめる横顔は、少し寂しげで、それでもどこか強さが混じっていた。
「だからね、今回の旅行……本当は怖かったんだ。また“浮いちゃう”んじゃないかって」
葉山は小さく微笑んだ。
「それでも来てみようって思えたのは―― 智也くん、村上くん、沙月ちゃん、こはくちゃんとなら、仲良くなりたいって思えたからなんだ…」
葉山の言葉を静かに受け止めながら、僕はしばらく海を眺め――そして、ゆっくり口を開いた。
「……そうなんだ」
風が髪を揺らし、言葉を後押しするようだった。
「学校の先生から少し聞いたと思うけど、 僕の父さんと母さん……高校に入る前に、交通事故で亡くなったんだ」
葉山の表情が揺れる。
「その時はもう……全部真っ暗でさ。生きていく気力なんて、ほんとにどこにもなかった」
僕は少し笑って、それでもどこか寂さを残して続けた。
「でも……翔と泉さんは、普通に接してくれたんだ。気を遣いすぎるんじゃなくて、普通に。」
その“普通”が、どれほど救いだったのか。葉山にも自然と伝わった。
「こはくも……自分だって辛い経験をしてるのに、僕に寄り添ってくれた。あの子の優しさは、不器用だけど……すごくあったかくて」
僕は波の方を見つめ、言葉を結ぶ。
「だから……大切にしたいんだ。みんなのことを。もちろん葉山さんも、守っていきたいって、心から思ってる」
葉山の瞳が揺れた。
「……そんなことがあったなんて。辛いこと思い出させちゃって……ごめんね」
「ううん」
僕は優しく笑った。
「今はみんながいるし……葉山さんだって、ここにいる。だから、大丈夫だよ」
少し沈黙があって――葉山は勇気を出して聞いた。
「智也くん……こはくちゃんと、一緒に暮らしてるんだよね?あっ、ごめん、嫌なこと聞いちゃったよね……!」
焦る葉山に、僕は苦笑した。
「いやいや、もうバレてるし。大丈夫だよ」
そして、肩をすくめて続けた。
「こはくと澪白さんは……遠いところに住む親戚で、今は仮にうちに滞在してるって感じかな」
その説明のあと、自然と笑みがこぼれる。
「こはくは毎日家の中を走り回るかと思えば、突拍子もないことばっかり言ってくるし、澪白さんは見た目すごく綺麗なのに、なんていうか……天然で、どこか抜けてるって言うか」
その表情には、あきらかに“家族を語る人の優しさ”があった。
「騒がしいけど……それが今の、僕の日常で。気づけば……すごく幸せだな、って思うんだ」
葉山は、僕の横顔をそっと見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「……智也くんは、こはくちゃんが大好きなんだね」
風に紛れるような小さな声だったが、僕には確かに届いた。
「えっ、ち、違っ……いや、違くはないんだけど、そういう意味じゃなくて、その……」
しどろもどろになりながら言葉を探していると──
背後から、低く冷たい声が落ちる。
「……ふーん、“天然で抜けてる”ね」
「走り回って、突拍子のないことを言う……とな」
ゾワッと背筋が凍りつく。振り向けば、そこには “満面の笑みの皮をかぶった鬼” が二人。
澪白がゆっくりと目を細め、こはくも同じ目つきでじりじりと迫ってきている。
「お、落ち着いて!? ち、違うんです澪白さん! あれは、その、いい意味でっていうか……!」
「ほう。いい意味で、ね?」
「智也は、わらわをそのように見ておるのか……?」
二人の声が低い。やばい。
その瞬間──
「お、おふたりとも!? ちょ、力強い! 引っ張る引っ張る引っぱ──」
ドボォォォン!!!!
僕は、海へ豪快に投げ込まれる。
完全に確信犯のフォームだった。
「ちょっ……えっ、智也くん何したの!?」
泉が慌てて駆け寄る。
「澪白さんに投げられるとか……いいなぁ……」
村上は遠い目でポツリ。
「いや何言ってんの翔…?」
泉は全力で引いていた。
波間から顔を出した僕は、思わず叫ぶ。
「いい意味なのにーーー!!?」
こはくと澪白はそろって腕を組む。
「わらわは子供ではない!」
「私は抜けてない」
完全に怒ってる。
浜辺は笑い声と水しぶきで、まるで夏そのものみたいに輝いていた。
みんながはしゃぐ中、葉山は浜辺で、濡れた髪を耳にかけながら、そっと視線を落とす。
その口から、誰にも聞こえないほど小さい声がこぼれた。
「……やっぱり、智也くんにとっての私は……ただの友達…」
(遠くで、こはくちゃんが笑っている。智也くんは、その笑顔を見るたびに自然と表情がほころんで―― あの柔らかい目は、こちらに向けられたことが一度もない。)
「あの顔……あんな風に笑うんだ……」
胸の奥がぎゅっと縮まる。波の音が、心の中のざわめきを静かにかき消していく。
「私じゃ……引き出せないんだよね、あんな顔」
言葉は砂に落ちるように淡く消えた。
こはくちゃんは綺麗で、まっすぐで、特別で―― 自分にはないものばかり持っている。
「……勝てないよ、あの子には、こんな自分、大嫌い…」
唇を噛みしめ、ほんの一瞬だけ笑うような顔をしたあと、葉山は膝を抱え、潮風にそっと目を閉じた。
「好きになんて……ならなきゃよかったな」
けれど、波はそんな言葉さえ飲み込み、 何もなかったようにまた寄せては返していくのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




