夏の風と黒い花弁
車はゆっくりと海へ向かう高速道路を走っていた。
窓の外では、夏の青空が遠くまで広がっている。
運転席では叔母さんがノリノリで鼻歌。
後部座席には、泉・葉山・こはく、その後ろ席に僕と村上がギュッと詰まって、ちょっと遠足気分だった。
「えっと……じゃあ、その……俺からいかせてもらいます!」
村上が軽く咳払いして、前の席の叔母さんと澪白に向き口を開く。
「村上翔です!智也と同じクラスで、智也の最初の友達です!」
親指を立て、満面の笑み。
「は〜い!翔くんね!よろしくねー!!元気だね〜!」
バックミラー越しに、満点の太陽みたいな笑みを返す。
「あぁ…推せる……」
小声で村上が呟く。
「泉沙月です。智也くんと同じクラスで……このバ…、村上とは幼馴染です!よろしくお願いします!」
しっかりした自己紹介に、叔母さんはまた満面の笑み。
「沙月ちゃんね!名前かわいい〜!よろしくね!」
「ありがとうございます」泉は目を細めて丁寧に返す。
続いて葉山が胸の前で手をそろえ、小さめの声で。
「あの……葉山夏海って言います。今日はお忙しいのにありがとうございます……よろしくお願いします」
「夏海ちゃん!今の季節にピッタリな名前ね!」
叔母さんがぱぁっと声を上げた。
「あ、ありがとうございます……
葉山は耳まで赤くし、小さく笑う。
そのとき、澪白が涼しい声で葉山を見た。
「あなたが……葉山さん?」
「え、あ……はい……?」
突然名指しされ、葉山は不安そうに瞬きを繰り返す。
「……?」
こはくも小さく首をかしげる。
澪白はほんの一瞬だけ、探るような目をしてから――
「いえ。智也が、よく話すから…」
「ちょ、待って待って!?言ってないですって!!」
僕は顔を真っ赤にして慌て出す。
「お前ってやつは……」
冷たい目で僕を見る。
「智也くん……そうなんだ……?」
泉は疑い半分、苦笑い半分。
「ち、違うって!!ほんとに!!」
僕は必死。
「え、えっと……」
葉山は視線の置き場を失い、頬が少し熱くなる。
その騒ぎの中、村上がふと思い出したように口を開いた。
「そういやさっき、こはくちゃん……“姉上”って言ってたけど、お姉さんなの?」
こはくが勢いよく顔を上げる。
「うむ、姉上じゃ!」すると澪白は、淡々とした声で言った。
「……違います。こはくが勝手にそう言っているだけで、血の繋がりはないです」
「勝手にだったんかい!!」村上が盛大にずっこける。
「でも姉上は姉上じゃぞ?繋がりなどどうでもよいのじゃ、姉上と慕えば、それは姉上なのじゃ」
こはくはきょとんとしながら真顔言う。
村上は、一瞬ぽかんとしてから、
「……こはくちゃんってさ、たまに、めっちゃいいこと言うよな……」
と、感心したようにつぶやいた。
「ん?そうか?翔はいつもおかしなことを言うのじゃ」こはくが素で返す。
「ちょっ……!?」
「こはくちゃん、翔はいつもおかしいから、大丈夫」
泉が冷静に突き刺す。
「おい沙月!!言い過ぎだろそれは!大丈夫ってなんだよ!魔法の言葉すぎ!」
村上が声を上げた瞬間、
「……ふふっ」
葉山が小さく笑い出し、それにつられて車内の空気が一気に明るくなる。
叔母さんも振り返りながら、
「も〜う、ふたりとも車内でコントしないで〜!」と手をひらひらさせた。
僕もつい笑ってしまいながら、ふと前方のサイドミラーに映る澪白の横顔を見る。
――澪白さん、嬉しそうだ。
表情は薄いのに、どこか柔らかい微笑が浮かんでいるように見えた。
(……こはくに“姉上”って呼ばれるの、嬉しいんだな)
(ほんと、素直じゃないっていうか……)
僕は心の中でそう呟き、小さく笑った。
そして僕は葉山のほうに向き
「そういえば……あのときから、耳鳴りとか、なにか聞こえたりしてない?」
葉山は少し驚いたように瞬きし、それから首を振った。
「う、うん。大丈夫だよ。心配してくれて……ありがと」
僕は優しく微笑み、
「何かあったら、すぐ教えてね。無理しないで」と静かに言った。
葉山は視線を落とし、ほのかに頬を染めながら、
「……うん。ありがとう、智也くん」
と小さく返す。車は海へ向け、まっすぐ走っていく。
冗談とツッコミが飛び交う賑やかな車内。
けれど、ふと窓の外の景色が変わり始め、街並みが途切れる。
潮の香りがわずかに鼻をかすめ——
次の瞬間、視界いっぱいに青が広がった。
「うおおおおおっ!! 海ィィィ!!!」
助手席で窓に張りつき、子どもみたいに叫ぶ。
「ほんとだ……! すごく綺麗!!」
泉も思わず身を乗り出し、瞳を輝かせる。
「む!? あれが“海”と呼ばれるものかっ!?」
こはくは窓ガラスに顔をくっつけん勢いで、目をきらきらさせている。
「……綺麗」
控えめな声が聞こえる。
葉山はそっと窓に手を添え、風景を見つめていた。
潮風が入りこみ、車内の空気まで夏の匂いに変わった。
僕もつられて、ふっと笑ってしまう。
「いいね~みんなテンションあげてこ~!」
運転席の叔母さんが楽しそうに笑みを浮かべる。
「はーい! もうすぐロッジつくわよー! 皆、楽しむ準備できてる~?」
「できてまーす!」
「ばっちこーい!」
「……うむ!!」
「はい…!」
叔母さんは満足げに笑った。
やがて車が広い駐車場に止まり、みんなが外へ飛び出す。
「わ……ほんとに海、目の前だ……!」
泉が思わず声を漏らし、砂浜と水平線を見つめて目を丸くする。
「うわっ、近っ! やっべぇテンション上がる!!」
村上も後に続いてはしゃぎ出す。
「風、きもち~」「妙な匂いがするのじゃ」
葉山とこはくも思い思いに海を感じていた。
ロッジは木造の三階建てで、どこか懐かしい香りが漂っている。
澪白はトランクを開け、叔母さんと並んで荷物を取り出していた。
「澪ちゃんも海は初めてなの?」
叔母さんが明るく声をかける。
「……見たのは、初めてです」
淡々としながらも、どこか言葉に柔らかさがある。
「そっかそっか! じゃあ澪ちゃんも思いきり楽しむのよ~!」
叔母さんの声は波みたいに弾んでいた。
「……はい」
澪白は小さく頷いた。
するとそこへ、村上・泉・葉山が駆け寄ってくる。
「荷物、運びまっせ~!」
「手伝います!」
「お持ちします」
三人が一気に手を伸ばし、叔母さんが慌てて笑う。
「あらあら、ありがと~! じゃあ、この荷物は玄関へお願い!」
「了解!」
村上と泉が張り切ってロッジの中へ入っていく。
中へ足を踏み入れると同時に――。
「うおっ、木の匂いすげぇ! ロッジって感じじゃん!!」
村上が一気にテンションMAXになる。
「ほんとだ……おしゃれ……!」
泉も目をキラキラさせて部屋を見回す。
葉山はというと、壁や家具にそっと触れながら、物珍しそうに歩いていた。
「この辺の荷物はここね~」
叔母さんが指示を出し、村上・泉・葉山がそれぞれ動き回る。
僕もトランクをロッジの隅へ置き、ふっと息をついた。
海の匂いと、ロッジの木の香り。
それが混ざりあって、不思議と落ち着く。
(……あれ? こはくは?)
周りを見回しても、さっきまで賑やかだった白い髪は見当たらない。
荷物を置いたまま外に出ると――
潮風に髪を揺らしながら、こはくがひとりで海を見つめていた。
その横顔は、風にとけるように静かで、胸の奥がすこしだけ熱くなる。
潮風が肌を撫で、波の音がゆっくりと寄せて返す。
こはくの横に歩み寄ると、僕は静かに声をかけた。
「海……初めてなんだよね。どう?」
こはくは海から目を離さず、ほんの少し口を開く。
「……とても、きれいなのじゃ。 おそろしく大きいのじゃ……」
その声は驚きと、どこか寂しさを含んでいた。
「だよね。海、いいよね……」
僕は隣を見た。
日差しに照らされた白い髪は金色に近い光を帯び、褐色の肌は夏の空気に溶けこむように美しく映える。小柄な体が海風に揺らぎ、まるで――
“この場所の一部だった”かのように。
見とれていた僕の意識を、こはくの静かな声がさらう。
「……母上にも、見せたかったのじゃ」
こはくの言葉は波の音に混ざり、胸にすっと落ちた。
僕は少しだけ息を吸い、こはくを見つめる。
「――会えたとき、見せてあげればいいよ。こはくが見た景色も、感じた風も、全部。きっと……誰より喜んでくれると思う」
こはくはゆっくりとまばたきをして、僕の方を向く。
金の瞳が、波のように揺れながら嬉しそうにきらめいた。
さっきまでの無邪気な表情とは違う、どこか柔らかい―― 見たことのない、優しい笑みだった。
「……智也。 この景色、わらわは 智也と会えたから 見れたのじゃ。 ……ありがとう」
不意に胸が熱くなる。 波の音よりも、こはくの声が近くに感じた。
僕は思わず目をそらし、海の方を向きながら答える。
「……僕も、こはくと出会えなかったら、どうなってたかわからない…。こちらこそ、支えてくれて、ありがとう…」
その言葉を受けたこはくは、耳の先がほんのり赤く染まり、 そわそわと尾を揺らした。
「……そ、そうか…」
こはくと僕が並んで海を眺めている頃、ロッジの扉が静かに開いた。
中から出てきたのは叔母さんと澪白。
叔母さんはふたりの背中を見つめて「ふふっ」と小さく笑う。
「いいわねぇ、あの子たち」
隣の澪白もまた、こはくを見つめていた。
その瞳は普段よりわずかに柔らかく、穏やかな光を帯びている。
「澪ちゃんって……なんだか、お姉さんっていうより……こはくちゃんの“お母さん”みたいね」
叔母が冗談めかして言うと、澪白は一瞬だけ肩を揺らし、静かに首を横に振った。
「……いえ。私には、そんな資格はありません。私は白華のようにはなれない…でも……こはくが笑ってくれるなら……私はそれだけで……嬉しいのです」
澪白の声は淡く、しかしどこか切実だった。
叔母さんは優しい笑みを浮かべ、再び海辺のふたりへと視線を向けた。
その時―― ロッジの扉が勢いよく開き、村上が飛び出してきた。
「智也ーーー! こはくちゃーーん!! こんなとこにいたのかよー!」
泉が慌てて追いかける。
「翔! あぁ…雰囲気台無しじゃない…」
葉山も続いたが、二人の近い距離を目にした瞬間、ほんの一瞬、その表情に寂しさの影が落ちた。しかしすぐに笑みを作り、歩幅を合わせて駆け寄る。
澪白はその微かな変化を見逃さず、その瞳に警戒とも哀れみともつかない光を宿した。
澪白が駆け寄る葉山の後ろ姿を見ていると、少し離れたところで声がした。
「澪ちゃん、見て。あれ……薔薇…? この時期に咲くのも珍しいし……黒い薔薇なんて……」
澪白は歩み寄り、叔母さんの視線に目を向ける。
そこにはぽつんと、闇色の薔薇が咲いていた。
風に揺れるたびに光を吸い込み、 周囲の景色さえ沈ませるような深い黒。
その存在は、まるで“何かの気配”を示すかのように異質だった。
「……黒い薔薇、ですか」
澪白が落とした声は、波音に紛れるほど静かだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
諸事情で更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。




