波音の前触れ
『神縁 ー しんえん』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
その日は刻一刻と近づき、ついに旅行前日となった。
リビングには夏の夕暮れの光が差し込み、蝉の声が外から遠く聞こえている。
僕はテーブルに荷物を広げ、バックに着替えを詰めていた。
ふと視線がテレビに向き、眉が寄る。
ニュースのテロップが赤色で流れた。
『相次ぐ不可思議な事件──専門家も「異常なペース」と警鐘』
「……最近、変な事件、多すぎないか……?」
胸の奥に、小さな針のような違和感が刺さる。
けれど、それを振り払うように息を吐き、荷物にタオルを入れようとした、その瞬間。
「智也ああぁぁ!! 何を持っていけばよいのじゃぁ!!」
どたどたどたっ!!
階段からこはくが降りてきた。
頭にはTシャツが乗り、両手には服やらぬいぐるみやら、なぜかリモコンまで抱えている。
僕は思わず吹き出した。
「なにがどうなったら、その状態になるの……?」
「わからぬのじゃ!! 全部必要な気がしてきてしまった!!」
そこへキッチンから叔母さんがひょこっと顔を出した。
「まったく、こはくちゃんは~!かわいいからいいけど!
ほらほら、旅行の荷物は私と一緒に整理するの!任せときなさい!」
叔母さんは満面の笑みでこはくの背を押して連行していく。
「え、あ、うん……お願い」
僕は苦笑しながら二人を見送り、荷物に視線を戻したその時。
背後から静かに気配が寄る。
「……事件が気になるの?」
振り向くと、澪白がいつの間にか隣に立っていた。
「あ、はい。なんというか……最近、こういうニュース多い気がして。
禍津と……関係してるんですかね…」
澪白は返事をせず、テレビ画面を鋭い眼差しで見つめる。
その瞳は、ただのニュースを見ているものではなかった。
テレビから、アナウンサーの緊迫した声が流れる。
《臨時ニュース》
『東京都○○区○○で、今日正午ごろ、刃物を振り回し
通行人十数名に切りつける事件が発生しました。
犯人の男は駆けつけた警察官により射殺された模様です。
また、取り押さえの間に警察官2名が胸部と腹部を刺され重傷です。』
『現場の情報によれば、男は“ぶつぶつと意味不明な言葉をつぶやきながら”
“焦点の定まらない目つき”で周囲の人々に襲いかかったとのことです。
警視庁は精神状態の異常や薬物の可能性も視野に入れ……』
アナウンサーが一度息を吸い、次の原稿に切り替わる。
『また、同日午後三時ごろ――
神奈川県○○市の空きテナント内で、男性が死亡しているのが見つかりました。』
『警察によると、遺体は “不自然に身体がねじれた状態” で発見され、
専門家は “通常の事故では考えられない姿勢” と指摘しています。』
『現場には争った形跡がなく、
男性に外傷がほとんどないにもかかわらず、
“全身の骨が一部同一方向に圧迫されていた” との情報もあります。』
『警察は事件と事故の両面で捜査を進めるとともに、
周辺での不審者情報を呼びかけています。』
画面が次の話題に切り替わる直前、
僕はゆっくりと息を吐いた。
「……むごすぎる……。
人の力で……こんなこと、できるのか……?」
ぽつりと漏れた声は、リビングの静けさに吸い込まれていく。
隣の澪白は、眉ひとつ動かさずニュースを見つめたまま、
低い声で問いかけた。
「……智也。
以前、モールで暴れていた男を抑えたと言っていたけど。
――あのとき、何か“異変”はなかった?」
その言葉に、僕の心臓がわずかに跳ねた。
(……モールのこと……)
あの日のことは、帰宅後すぐに叔母さんと澪白に話していた。
“危険なことをした” と叔母さんに盛大に叱られ、
ずっと心配されたのを、僕は今でもよく覚えている。
それでも――あの時の男の狂気。
包丁を振り回していた瞳の焦点。
背後に見えた、黒い“何か”。
(やっぱり……異常だったんだろうか……)
僕は喉に何かが貼りついたような息苦しさを感じながら、
ゆっくりと澪白の方を向いた。
僕はしばらく迷ったあと、意を決したように口を開いた。
「……澪白さん。
あの時……黒い影みたいなものが見えました。
あの男の後ろに……ゆらゆら揺れる“影”のような……。
それに……瞳の焦点が、まったく合っていなかったんです」
澪白は小さく息をのみ、伏し目がちに表情を曇らせた。
「……そう。
他に――何か、気づいたことは?」
その問いに、僕は少しだけ黙り込んだ。
言うべきか迷ったのだ。
けれど、やがて静かに続ける。
「……気のせいだと思って、話してなかったんですけど……
あのあと、女性を見た気がして」
「――女性?」
「はい。
友達が“耳元で女の人の声がした”って驚いて……
それで、上を見たら……」
僕は、あの日の光景を思い返しながら言う。
「黒いドレスのようなものを着た女性が……二階の手すりの横に立ってて。
表情は……なんというか、少し悲しそうで。
こっちをじっと見ていました。
でも……次に見た時には、消えてて……
事件直後だったし……見間違いかもしれないですけど」
澪白は、すっと顔を上げる。
「その子……そのあと、何か“異変”は?」
「いえ、特には。
普通に連絡も取れてますし……
今回の旅行にも一緒に行く予定です」
澪白は、ほっとしたように息をつく。
だがその瞳は鋭さを増していた。
「……そう。
智也――その子から“目を離さないで”。
何かが起きているのは確か。
それが何かは、まだ私にもわからない。
こはくにも伝えておくから……お願いできる?」
僕は強くうなずいた。
「わかりました。……用心はします」
澪白は静かに微笑んだ。
ほんの少し、寂しそうな笑みだった。
「……それより、智也」
「はい?」
澪白の手がそっと僕の頭に触れた。
「以前より“隙”がなくなったね。
毎日欠かさず鍛錬して……偉いよ」
「え……そうですか?
ありがとうございます……」
不意に頭を撫でられ、僕は照れたように視線をそらす。
澪白はそっと手を下ろすと、胸の前で指先を重ね、
まっすぐ僕を見つめた。
「……背負わせちゃって、ごめんね。
でも、忘れないで。
何かあったら、私が必ずあなたを守る。
――それに、あなたには“蒼玄”がついている」
澪白は、僕の胸の上にそっと手を置いた。
「蒼玄は必ず、あなたを助けてくれる。
あいつは……そういうやつだから…」
その声には、遠い記憶を抱きしめるような温かさと、
微かな震えが混ざっていた。
階段の方から、どたどたと軽い足音が降りてきた。
「智也! 準備、できたのじゃ!!」
背後から来た叔母さんが、こはくの頭をぽんぽん叩く。
「ふぅ~こはくちゃんは一人にしたらやばいタイプね!」
「うむ、やばいタイプなのじゃ!」
こはくはどや顔で言う。
僕はその様子に、思わず肩を震わせて笑う。
「ははは…意味わかってるのかな…」
「叔母様、ありがとうございます」
澪白が静かにお辞儀をする。
「澪ちゃんは準備できた?」
「はい」
澪白は、小さな紙袋を胸元で丁寧に掲げた。
「ん?……それだけ?」
「はい。叔母様が買ってくださった水着です」
「う、うん……そう……」
叔母さんはひきつった笑みを浮かべる。
「澪ちゃん! 一緒に持ってく荷物、考えよっか!」
澪白の腕を掴み、ずるずると別室へ連れていった。
「叔母様、なぜですか……?」
「いいから! せめて替えの服とタオルぐらい必要でしょ!」
僕はその背中を見送りながら、心の中でそっとつぶやく。
(……なんというか……澪白さんとこはく、方向は違うのにそろって“どこか抜けてる”んだよな……)
「姉上は準備が下手じゃな!」
こはくは胸を張って、どや顔を続ける。
「あぁ……うん、まあ、そうだね」
僕は苦笑しながら返した。
準備を終えた夜は、不思議なほど早く過ぎていった。
あんな事件のニュースを見たはずなのに、
こはくや叔母さん、澪白の慌ただしさに巻き込まれると、
胸の奥のざわつきが少しだけ薄れていく。
——そして、翌朝。
蝉の声が、窓の外で勢いよく響いていた。
夏休みの空は、驚くほど青い。
「智也、はやく起きるのじゃー!」
階下からこはくの声。
僕は顔を洗い、荷物を肩にかけた。
(初めて皆と旅行に行く日だ——)
そんな期待と、ほんの少しの不安を胸に、家を出る。
家の前には叔母さんの車が停まっていた。
「おはよう、智也くん! さぁ、荷物積んじゃおう!」
叔母さんは朝から元気いっぱい。
「ここがわらわの特等席じゃ!」
こはくはすでに後部座席に座り、張りきっている。
澪白は日傘を差しながら静かに助手席へ歩む。
僕は苦笑しながら荷物をトランクに詰める。
そこへ、こはくが覗き込んできた。
「智也、わらわも手伝うぞ!」
「いや、こはくは座ってていいよ。」
「むぅ……つまらぬのじゃ」
そんなやりとりをしていると、叔母さんが手を叩いた。
「よし! みんな乗った!? 遅れると渋滞しちゃうよー!」
僕は車に乗り込み、シートベルトを締める。
エンジンがかかり、窓の外の景色がゆっくりと動き出した。
駅のロータリーに車が止まると、
すでに泉、村上、葉山が待っていて、大きく手を振ってきた。
「おーい!智也ー!こっち!」
村上はリュックを揺らしながら叫び、
泉はその横で手を振っている。
僕たちがドアを開けて降りると——
村上と泉と葉山は、降りてきた“こはく”を見て固まった。
「……はい?」
「……なんで、こはくちゃんが車から出てくるの?」
「……こ、こはくちゃん……?」
三人の視線が同時にこはくへ集中。
こはくは胸を張って、
「うむ!先に乗っておったのじゃ!」
と満面の笑み。
村上が僕に詰め寄る。
「おい智也!なんでこはくちゃんがもう乗ってんの!?」
泉も眉を吊り上げて、
「そうだよ!どういう状況!?」
(あ、あっ……! やばい…話してなかったんだ…!)
「詮索しないとは言ったけどな~言うことあるんじゃね~かぁ~?」
「うんうん!そうだよ智也くん!」
二人からの同時責めが炸裂。
そこへ——
車の助手席から澪白が静かに降りてきた。
長い髪が朝日を反射し、駅前の視線を一気にさらう。
「…………誰ぇ!?」
「めっちゃ綺麗な人出てきたんだけど!?」
「……っ」
さらに運転席から叔母さんも降りてくる。
「はーい、みんなはじめまして!智也の叔母です!」
明るい笑顔で手を振る。
村上・泉・葉山は一斉に頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!!」
「お世話になります!」
「よ、よろしく…お願いします……!」
叔母さんは嬉しそうに頷く。
「ふふっ。みんな可愛いわねぇ。
それで……こはくちゃんが先に乗ってたこと気になるのよね?」
泉と村上が食い気味に頷く。
叔母さんはあっさりと言った。
「そりゃそうよ。だって——
こはくちゃん、私たちと一緒に暮らしてるんだもの」
「「「…………は?」」」
三人の声がハモった。
村上は素で固まる。
泉は目を剥き、
葉山は手に持ってたバッグを落としそうになる。
「そうじゃ!智也と叔母様と姉上と、四人で暮らしておる!わらわはずっと言おうとしておったのに、智也がなぜか止めるから言えなかっただけなのじゃ!」
こはくは胸を張って、無邪気に宣言。
「こらこらこらこらこはく!!!」
遅い。
「はぁ!?どういうこと!?なんで私たちに言わないの!!?」
泉は僕の胸ぐらをつかむ勢いで近づく。
「説明しろ智也ぁ!!羨まし……じゃなくて!なんだそれ!!?」
村上も両肩を揺らしながら言う。
「い、いいの…?そんな……その……男女で……」
葉山は頬を赤くする。
「ち、違くて!!色々事情があるんだよ…!」
「もう皆、落ち着いて~。ほら、事情はあとで説明するから、いったん乗りなさい!」
叔母さんは笑いながら言う。
澪白も静かに一言。
「落ち着いてから話すのが良いと思います」
その“説得力ある美声”に、三人は何も言えなくなる。
「あとで絶対詳しく聞くからな……智也」
「わ…わかりました…」
「……」
「みんな驚きすぎじゃぞ??」
こはくはきょとんとしながら笑顔で首をかしげる。
僕は頭を抱えた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




