微睡の向こう
『神縁 ー しんえん』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
少しすると、店内の奥から数名の警備員が駆け寄ってきた。
「君たち、大丈夫か!」
「この男を――!」 声が飛び交い、警備員が男を押さえつける。
地面に伏せられた男の口から、うめき声が漏れた。
こはくは静かにその場を離れ、僕の方へと歩み寄る。
僕の腕の中には、さっきまで包丁を向けられていた女性がいた。
彼女の肩は小刻みに震えている。
「けがはないか?」
こはくが柔らかい声で尋ねる。
「はい……ありがとうございます」
女性はぼんやりとこはくを見上げ、かすれた声で答えた。
僕は、駆け寄ってきた警備員にその女性をそっと託す。
「この人、お願いします」
そう言って手を離した瞬間、緊張の糸がぷつりと切れた気がした。
こはくは僕の前にしゃがみ込み、心配そうにのぞき込む。
「智也、大丈夫か?」
安堵の息がこはくの口からこぼれる。
そのあと、警察が到着し、僕とこはくは警備員に案内されて事情を話した。
誰が何を見て、どう動いたのか――答えるたび、 さっきまでの出来事がまだ夢のように遠く感じられた。
聴取を終えるころには、さっきまでの喧騒が嘘のように消えていた。
人の波も音も遠のき、モールはまるで“いつもの日常”を装っていた。
こはくと並んで歩きながら、 泉たちの姿を見つける。
「待たせたのじゃ」
こはくが穏やかに声をかけると、泉は少し怒ったような、でもどこか安堵した顔をして、何も言わずに、モールの外へと歩いていった。
「……?」
こはくが小さく首を傾げる。
村上が泉のあとを追いながら、僕の前で足を止めた。
その手が、僕の肩に置かれる。
「あとで沙月と葉山さんにちゃんと謝れよ」
真剣な声。
「……沙月のやつ、2人が心配で泣きそうになってたんだぞ。お前らが傷ついて、悲しむやつがいるってこと、忘れるなよ」
「まぁ〜俺は智也ならやれると思ってたけどな。でも、、もう無茶すんなよ?」
ふっと表情を緩め笑う。僕は小さくうなずいた。
胸の奥に残るざらついた感覚が、ゆっくりと沈んでいく。
こはくが僕の隣に寄ってきて、
「沙月は気分が悪いのか?」
と素直に尋ねる。
「さぁ〜ね、直接聞いてみな、こはくちゃん」
村上が振り返らずに言い残して、泉のあとを追った。
こはくは「ふむ……」と首をかしげる。
「こはく、みんなに謝ろ」
「なぜじゃ?」 こはくが本気で不思議そうに問い返した、そのとき。
「こはくちゃん」
背後から葉山が歩いてきた。
「私も含めて、みんな心配したんだよ?特に沙月ちゃんは……だから、謝ろ?ちゃんと」
こはくはしばし考え、静かにうなずいた。
「そうか……心配かけたのじゃな。夏海も、心配かけてすまなかったのじゃ」
「私は大丈夫だから!」
葉山は笑ってこはくの背を軽く押す。
「ほら、謝ってきな?」
「う、うむ……」
こはくは押されるように歩き出し、村上と泉の後を追った。
葉山の前に僕が立ち止まり、頭を下げる。
「葉山さん、心配かけて、ごめんなさい」
「ううん、それより怪我はない?智也くんとこはくちゃんが無事なら、それでいいよ」
「……うん」
「よし、私たちも行こっか」
葉山が少し微笑んで言う。
僕は頷き、こはくたちのあとを追った。
その後ろで、葉山の足音が静かに響いていた。
モールの外へと歩みを進めながら、僕は心の中でつぶやく。
――少しずつ、力の使い方がわかってきた気がする。
澪白さんに言われた通り、“意識を研ぎ澄ます”感覚。
さっき、あの瞬間……確かに、体が勝手に動いた。
でも、それは怖くなかった。むしろ、自然だった。
そのとき、背後から小さな声が聞こえた。
「……え、なに?」
葉山がきょろきょろと辺りを見回している。
「葉山さん、どうした?」
僕は振り返り声をかける。
「あ、いや……今、女性の声が聞こえた気がして……気のせいかな?」
葉山は首をかしげながら、少し不安そうに笑った。
僕もあたりを見渡し、耳を澄ます。
しかし、聞こえるのは人々のざわめきとアナウンスだけだった。
「ごめん、なんも聞こえないよ」
その瞬間――。
「きゃあっ!」
葉山が突然、片耳を押さえて驚きの声を上げた。
「葉山さん!?」
僕は慌てて駆け寄る。
「い、今……耳元で……声が……」震える声。
僕は葉山の肩に手を添え、周囲を見回す。
だが、行き交う人々は何も気づかず、ただ日常を過ごしているだけだった。
――そのとき、視界の端を何かがよぎった。
(黒い……花びら?)
一枚の黒い花びらが、ふわりと宙を舞い、僕の足元に落ちた。
二回を見上げると、モールの二階、ガラス越しの通路に――
黒いドレスの女が、こちらをじっと見下ろしていた。
艶やかな黒髪に紫がかった毛先、黒いドレス、血の気のない肌。
この場所には不釣り合いなほど、冷たい気配。
けれど、そのすぐ横を通る人々は、まるでその女性の存在に気づいていない。
(なんだ……あれ……?)
息をのむ僕の耳に、葉山の声がかすかに届いた。
「ごめんね、急に……はやく行こ?」
「……うん」
葉山の方を見て、頷く。
もう一度、二階に視線を戻す。――だが、そこには誰もいなかった。
黒い花びらだけが、床を転がり、静かに消えていった。
外に出ると、夕暮れの風がモールの熱気をさらっていった。
こはくは泉の前で、両手をそっと合わせて頭を下げていた。
「沙月、先ほどはすまなかったのじゃ」
泉は腕を組んでぷいと顔をそむける。
「……ふん、知らない!」
頬をふくらませたその表情は、怒っているというより――心配の裏返しのようだった。
すぐ横で、村上が苦笑しながら言う。
「ま~ま~、許してやれよ~。こはくちゃんも悪気あったわけじゃ――」
「翔は黙ってて!」
泉がびしっと指を突きつける。村上は肩をすくめて一歩下がった。
泉は深呼吸し、こはくの方へ向き直る。
「……こはくちゃん」
その声は震えていた。
「さっきのこと、あれは本当に立派なこと。助けられた人がいて、すごいと思った。でもね――もし、こはくちゃんが傷ついてたら?もし、もうこうして会えなかったら?そんなこと考えたら、怖くてたまらなかったの」
泉の目に、涙がにじむ。
「だから……お願い。自分のことも大事にして。――大切な友達を、失いたくない」
震える手でこはくの手を握る。
こはくはその手を包み込み、優しく頷いた。
「うむ。ちゃんと考えるのじゃ…」
その温かいやり取りを見て、僕と葉山もそっと近づく。
「泉さん……僕からも、ごめん」
泉はぴしっと僕を指差した。
「智也くんも! 危ないこと、しないで!ほんとに、心臓止まるかと思ったんだから!」
「……うん。ごめん」
謝る僕の横で、こはくがにやりと笑う。
そして泉に抱きつき、頬をすりすりと押しつける。
「もう怒るのやめるのじゃ、沙月~」
「な、なにこはくちゃん!? わ、わかったから! もう怒んないからあああ!もぉ~くすぐったいってばぁ!」
緊張に包まれていた空気がようやく解けた。
「はい~無事仲直り~!」
パンッ、と軽い音が響いた。
村上が手を叩き、いつもの明るい笑顔で言う。
「じゃー、帰るべ!」
泉も笑って頷く。
「そうだね!今日は色々あったし、帰ってゆっくり休もう!」
そう言いながら泉はふと葉山を見る。
「夏海……気分悪い?大丈夫?」
泉が心配そうに声をかける。
僕も少し不安になって、葉山の顔を覗き込んだ。
葉山は一瞬、何かを考えるように視線を落としたあと、すぐに笑顔をつくった。
「ううん、大丈夫! 本当に。……帰ろっか!」
◇
帰りの電車の中では、誰もが少しだけ疲れた表情を浮かべていた。
村上は端の席でもたれかかるように眠り、その隣では、泉とこはくが肩を寄せ合って静かに目を閉じている。
こはくの白い髪が泉の肩にふわりとかかり、時折、列車の揺れに合わせて尾が小さく動いた。
まるで、長い一日を労うように。
起きているのは、僕と葉山だけだった。
窓の外では、街の明かりが流れるように遠ざかっていく。
カタン、カタン……と一定のリズムを刻む音が、心を落ち着かせる。
列車の揺れは穏やかで、車内の照明が少しだけ柔らかく揺れていた。
静けさの中、僕は隣の葉山に声をかける。
「もう、耳鳴りとかはしない?」
葉山は一瞬だけ驚いたように僕を見て、それから小さく微笑んだ。
「うん、大丈夫。きっと気のせいだったんだと思う」
その笑顔の裏に、わずかな疲れが見えた気がした。
僕は――モールで見た“あの黒いドレスの女性”のことを話そうか迷った。
けれど、これ以上怖がらせるのは違うと思い、言葉を飲み込む。
「そっか……あんなことがあったあとだから、気が動転してたのかも」
ごまかすように笑うと、葉山も頷いた。
「きっとそうだよね。……それよりさ、智也くんって、なんかスポーツとかやってたの?」
「え?」
不意の質問に思わず聞き返す。
「だって今日、すごく速かったよ。あんな動き、普通じゃできない。……球技祭の時も、誰より高く跳んでたし」
「……あ、いや、なんもやってないよ。ただ、たまたま体が動いただけ」
僕は苦笑いしながら視線をそらす。
葉山は軽く首をかしげて、ふっと笑った。
「たまたまで、あんなことできないでしょ?」
その笑みは柔らかくて、どこか切なげだった。
僕は少し気恥ずかしくなって話題を変える。
「そういえば……あの試合、見てたの?」
葉山は少し下を向いて、小さな声で答えた。
「うん……こっちの試合、思ったより早く終わっちゃって。だから、見に行けたんだ」
顔を上げた葉山の笑顔は、どこか懐かしそうだった。
「そうなんだ」
僕は前の窓の外へと目を向ける。夜の街が遠ざかっていく。
「見れて、よかったな…」
葉山が小さく呟く。
「ん? なんか言った?」
僕が隣を見ると、葉山は少し慌てたように笑った。
「ううん! なんもない」
葉山は視線を逸らして、僕の奥に目をやる。
そこでは、泉がこはくの肩に頭を預けて眠り、村上は軽い寝息を立てていた。
「……みんな、ぐっすりだね」
葉山が小さく呟く。
僕も同じ方を見て、少しだけ微笑む。
「うん。……今日は、色々あったしね」
僕は、こはくの寝顔を見つめながら、ふと思う。
――こうしてこはくが眠るのを見るのは、あの日以来だ。
初めてこの家に来て、泣き疲れて眠ってしまった夜。
あのときも、今と同じように静かで、柔らかな表情をしていた。
(……綺麗だな)
声には出さず、心の中でそう呟く。そしてほんの少しだけ微笑んだ。
電車の窓の外には、遠ざかる街の灯り。
それがまるで、過ぎ去った日々を優しく包み込むように揺れていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




