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神縁  作者: 朝霧ネル
30/31

微睡の向こう

『神縁 ー しんえん』


大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。


心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。


過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。


人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。

少しすると、店内の奥から数名の警備員が駆け寄ってきた。


 「君たち、大丈夫か!」


 「この男を――!」 声が飛び交い、警備員が男を押さえつける。 


地面に伏せられた男の口から、うめき声が漏れた。


 こはくは静かにその場を離れ、僕の方へと歩み寄る。 

僕の腕の中には、さっきまで包丁を向けられていた女性がいた。 

彼女の肩は小刻みに震えている。


 「けがはないか?」 

こはくが柔らかい声で尋ねる。


 「はい……ありがとうございます」 

女性はぼんやりとこはくを見上げ、かすれた声で答えた。


 僕は、駆け寄ってきた警備員にその女性をそっと託す。 

「この人、お願いします」 

そう言って手を離した瞬間、緊張の糸がぷつりと切れた気がした。


 こはくは僕の前にしゃがみ込み、心配そうにのぞき込む。 

「智也、大丈夫か?」 

安堵の息がこはくの口からこぼれる。

そのあと、警察が到着し、僕とこはくは警備員に案内されて事情を話した。 

誰が何を見て、どう動いたのか――答えるたび、 さっきまでの出来事がまだ夢のように遠く感じられた。


 聴取を終えるころには、さっきまでの喧騒が嘘のように消えていた。

人の波も音も遠のき、モールはまるで“いつもの日常”を装っていた。


 こはくと並んで歩きながら、 泉たちの姿を見つける。


 「待たせたのじゃ」 

こはくが穏やかに声をかけると、泉は少し怒ったような、でもどこか安堵した顔をして、何も言わずに、モールの外へと歩いていった。


 「……?」 

こはくが小さく首を傾げる。


 村上が泉のあとを追いながら、僕の前で足を止めた。 

その手が、僕の肩に置かれる。


 「あとで沙月と葉山さんにちゃんと謝れよ」 

真剣な声。 


 「……沙月のやつ、2人が心配で泣きそうになってたんだぞ。お前らが傷ついて、悲しむやつがいるってこと、忘れるなよ」 


 「まぁ〜俺は智也ならやれると思ってたけどな。でも、、もう無茶すんなよ?」

ふっと表情を緩め笑う。僕は小さくうなずいた。 


胸の奥に残るざらついた感覚が、ゆっくりと沈んでいく。


こはくが僕の隣に寄ってきて、 

 「沙月は気分が悪いのか?」

と素直に尋ねる。


 「さぁ〜ね、直接聞いてみな、こはくちゃん」 

村上が振り返らずに言い残して、泉のあとを追った。


 こはくは「ふむ……」と首をかしげる。 


 「こはく、みんなに謝ろ」


 「なぜじゃ?」 こはくが本気で不思議そうに問い返した、そのとき。


 「こはくちゃん」 

背後から葉山が歩いてきた。 


「私も含めて、みんな心配したんだよ?特に沙月ちゃんは……だから、謝ろ?ちゃんと」


 こはくはしばし考え、静かにうなずいた。 

「そうか……心配かけたのじゃな。夏海も、心配かけてすまなかったのじゃ」


 「私は大丈夫だから!」 

葉山は笑ってこはくの背を軽く押す。 


 「ほら、謝ってきな?」


 「う、うむ……」 

こはくは押されるように歩き出し、村上と泉の後を追った。


 葉山の前に僕が立ち止まり、頭を下げる。 

「葉山さん、心配かけて、ごめんなさい」


 「ううん、それより怪我はない?智也くんとこはくちゃんが無事なら、それでいいよ」


 「……うん」


 「よし、私たちも行こっか」

葉山が少し微笑んで言う。 

僕は頷き、こはくたちのあとを追った。 


その後ろで、葉山の足音が静かに響いていた。


 モールの外へと歩みを進めながら、僕は心の中でつぶやく。 

――少しずつ、力の使い方がわかってきた気がする。 

澪白さんに言われた通り、“意識を研ぎ澄ます”感覚。 

さっき、あの瞬間……確かに、体が勝手に動いた。 

でも、それは怖くなかった。むしろ、自然だった。


 そのとき、背後から小さな声が聞こえた。


 「……え、なに?」 

葉山がきょろきょろと辺りを見回している。


 「葉山さん、どうした?」

僕は振り返り声をかける。


 「あ、いや……今、女性の声が聞こえた気がして……気のせいかな?」 

葉山は首をかしげながら、少し不安そうに笑った。


 僕もあたりを見渡し、耳を澄ます。 

しかし、聞こえるのは人々のざわめきとアナウンスだけだった。


 「ごめん、なんも聞こえないよ」



 その瞬間――。



 「きゃあっ!」 

葉山が突然、片耳を押さえて驚きの声を上げた。


 「葉山さん!?」 

僕は慌てて駆け寄る。


 「い、今……耳元で……声が……」震える声。 

僕は葉山の肩に手を添え、周囲を見回す。 

だが、行き交う人々は何も気づかず、ただ日常を過ごしているだけだった。


 ――そのとき、視界の端を何かがよぎった。 


(黒い……花びら?)


 一枚の黒い花びらが、ふわりと宙を舞い、僕の足元に落ちた。 

二回を見上げると、モールの二階、ガラス越しの通路に―― 

黒いドレスの女が、こちらをじっと見下ろしていた。


 艶やかな黒髪に紫がかった毛先、黒いドレス、血の気のない肌。

この場所には不釣り合いなほど、冷たい気配。 

けれど、そのすぐ横を通る人々は、まるでその女性の存在に気づいていない。



 (なんだ……あれ……?) 



息をのむ僕の耳に、葉山の声がかすかに届いた。



 「ごめんね、急に……はやく行こ?」



 「……うん」 

葉山の方を見て、頷く。 

もう一度、二階に視線を戻す。――だが、そこには誰もいなかった。


 黒い花びらだけが、床を転がり、静かに消えていった。

外に出ると、夕暮れの風がモールの熱気をさらっていった。 

こはくは泉の前で、両手をそっと合わせて頭を下げていた。


 「沙月、先ほどはすまなかったのじゃ」


 泉は腕を組んでぷいと顔をそむける。 

 「……ふん、知らない!」 

頬をふくらませたその表情は、怒っているというより――心配の裏返しのようだった。


 すぐ横で、村上が苦笑しながら言う。 

 「ま~ま~、許してやれよ~。こはくちゃんも悪気あったわけじゃ――」


 「翔は黙ってて!」 

泉がびしっと指を突きつける。村上は肩をすくめて一歩下がった。


 泉は深呼吸し、こはくの方へ向き直る。 


「……こはくちゃん」


 その声は震えていた。 


「さっきのこと、あれは本当に立派なこと。助けられた人がいて、すごいと思った。でもね――もし、こはくちゃんが傷ついてたら?もし、もうこうして会えなかったら?そんなこと考えたら、怖くてたまらなかったの」


 泉の目に、涙がにじむ。 


「だから……お願い。自分のことも大事にして。――大切な友達を、失いたくない」


 震える手でこはくの手を握る。 

こはくはその手を包み込み、優しく頷いた。 


 「うむ。ちゃんと考えるのじゃ…」


 その温かいやり取りを見て、僕と葉山もそっと近づく。


 「泉さん……僕からも、ごめん」


 泉はぴしっと僕を指差した。 

 「智也くんも! 危ないこと、しないで!ほんとに、心臓止まるかと思ったんだから!」


 「……うん。ごめん」


 謝る僕の横で、こはくがにやりと笑う。 

そして泉に抱きつき、頬をすりすりと押しつける。


 「もう怒るのやめるのじゃ、沙月~」


 「な、なにこはくちゃん!? わ、わかったから! もう怒んないからあああ!もぉ~くすぐったいってばぁ!」


 緊張に包まれていた空気がようやく解けた。 


 「はい~無事仲直り~!」 

パンッ、と軽い音が響いた。 

村上が手を叩き、いつもの明るい笑顔で言う。 


 「じゃー、帰るべ!」


 泉も笑って頷く。 


 「そうだね!今日は色々あったし、帰ってゆっくり休もう!」


 そう言いながら泉はふと葉山を見る。


 「夏海……気分悪い?大丈夫?」 

泉が心配そうに声をかける。


 僕も少し不安になって、葉山の顔を覗き込んだ。


 葉山は一瞬、何かを考えるように視線を落としたあと、すぐに笑顔をつくった。 


「ううん、大丈夫! 本当に。……帰ろっか!」



 ◇



帰りの電車の中では、誰もが少しだけ疲れた表情を浮かべていた。 

村上は端の席でもたれかかるように眠り、その隣では、泉とこはくが肩を寄せ合って静かに目を閉じている。 

こはくの白い髪が泉の肩にふわりとかかり、時折、列車の揺れに合わせて尾が小さく動いた。 

まるで、長い一日を労うように。


 起きているのは、僕と葉山だけだった。 

窓の外では、街の明かりが流れるように遠ざかっていく。 

カタン、カタン……と一定のリズムを刻む音が、心を落ち着かせる。

列車の揺れは穏やかで、車内の照明が少しだけ柔らかく揺れていた。 

静けさの中、僕は隣の葉山に声をかける。


 「もう、耳鳴りとかはしない?」


 葉山は一瞬だけ驚いたように僕を見て、それから小さく微笑んだ。 


 「うん、大丈夫。きっと気のせいだったんだと思う」


 その笑顔の裏に、わずかな疲れが見えた気がした。


 僕は――モールで見た“あの黒いドレスの女性”のことを話そうか迷った。 

けれど、これ以上怖がらせるのは違うと思い、言葉を飲み込む。


 「そっか……あんなことがあったあとだから、気が動転してたのかも」 

ごまかすように笑うと、葉山も頷いた。


 「きっとそうだよね。……それよりさ、智也くんって、なんかスポーツとかやってたの?」 


 「え?」


 不意の質問に思わず聞き返す。


 「だって今日、すごく速かったよ。あんな動き、普通じゃできない。……球技祭の時も、誰より高く跳んでたし」


 「……あ、いや、なんもやってないよ。ただ、たまたま体が動いただけ」 

 僕は苦笑いしながら視線をそらす。


 葉山は軽く首をかしげて、ふっと笑った。 


 「たまたまで、あんなことできないでしょ?」


 その笑みは柔らかくて、どこか切なげだった。


 僕は少し気恥ずかしくなって話題を変える。 


 「そういえば……あの試合、見てたの?」


 葉山は少し下を向いて、小さな声で答えた。 


 「うん……こっちの試合、思ったより早く終わっちゃって。だから、見に行けたんだ」 

 顔を上げた葉山の笑顔は、どこか懐かしそうだった。


 「そうなんだ」 

僕は前の窓の外へと目を向ける。夜の街が遠ざかっていく。


 「見れて、よかったな…」 

葉山が小さく呟く。


 「ん? なんか言った?」 

僕が隣を見ると、葉山は少し慌てたように笑った。 


 「ううん! なんもない」


 葉山は視線を逸らして、僕の奥に目をやる。 

そこでは、泉がこはくの肩に頭を預けて眠り、村上は軽い寝息を立てていた。


 「……みんな、ぐっすりだね」 


 葉山が小さく呟く。


 僕も同じ方を見て、少しだけ微笑む。 


 「うん。……今日は、色々あったしね」


 僕は、こはくの寝顔を見つめながら、ふと思う。 

――こうしてこはくが眠るのを見るのは、あの日以来だ。


 初めてこの家に来て、泣き疲れて眠ってしまった夜。 

あのときも、今と同じように静かで、柔らかな表情をしていた。


 (……綺麗だな)


 声には出さず、心の中でそう呟く。そしてほんの少しだけ微笑んだ。


 電車の窓の外には、遠ざかる街の灯り。 

それがまるで、過ぎ去った日々を優しく包み込むように揺れていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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