青空の下で
『神縁 ー しんえん』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
それからの日々は、静かに、けれど確かに過ぎていった。
教室には期末テストを前にした緊張が漂い、放課後の廊下には参考書を抱えた生徒たちの姿が絶えなかった。
季節は、梅雨が明けかけた頃。
窓の外では、夏の気配がゆっくりと忍び寄っていた。テスト前日の夜。
僕は自室の机に向かい、静かに問題集を解いていた。
ページをめくる音と、時計の針の音だけが響く。
――トントン。
控えめなノック音に、僕は顔を上げた。
「どうぞ」
そっと扉が開き、こはくが顔をのぞかせた。
「智也……ここ、わからぬのじゃが……教えてくれぬか?」
教科書を胸に抱え、もじもじと立ち尽くしている。
「いいよ。どこ?」
こはくは小さくうなずいて隣にきた。
「ここなのじゃ」
そう言って教科書を開く。
そのとき――ふと肩が触れた。
「あ、ごめん」
僕は反射的に身を引いた。
僕は、指で式を指し示す。
「ここはね、符号を整理して……ここを移項するんだよ」
「……なるほど、そういうことか」
「うん、あとは自分で解けると思うよ」
こはくは軽くうなずき、教科書を閉じた。
「邪魔をしてすまぬ。助かったのじゃ」
少しだけ元気のない声を残し、部屋を出ていく。
***
月明かりの差し込む部屋。
こはくはベッドに腰かけ、枕を抱きしめていた。
頭の中に、あの瞬間が繰り返される。
肩が触れたときの、あたたかさ。
そして、すぐに離れた智也の反応。
――葉山と肩が触れたときは、あんな顔をしていなかった。
なぜ、わらわのときだけ……。
「わらわは、邪魔な存在なのか……?」
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
そのとき、ふと泉の言葉がよみがえった。
――「違うよ。好きってね、誰かを大切に思うほど、他の人とは一緒にいられなくなるんだよ」。
こはくは、枕をぎゅっと抱きしめた。
“好き”という言葉の意味を、今になって理解しかけている自分に気づき、胸が苦しくなった。
それでも、心の奥でその痛みを抱きしめたまま、
こはくは静かにまぶたを閉じた。
***
翌朝、教室には緊張とざわめきが満ちていた。
「はぁ〜……テストなんか滅べばいいのに……」
村上が机に突っ伏して呻く。
「ほら、もうやるしかないって!」
泉が明るく励ます。
「うむ!」
こはくも隣で頷く。
一方で、僕と葉山は最後の確認をしていた。
「昨日の問題、ここ出そうだよね?」
「うん、確かに」
その瞬間、教室の扉がガラリと開いた。
「はい、みんな席についてー。答案用紙配ります。」
担任の声が響く。ざわめいていた教室の空気が一気に静まった。
生徒たちが慌てて席に戻り、机の上を整える。
こはくも姿勢を正し、鉛筆を握りしめた。
「――それでは、始め!」鉛筆の音が静かに響く。
ページをめくる音、唸る声、焦る村上。
“国語、数学、社会”――そして翌日は“理科、英語”。
二日間の戦いが終わるころ、教室の空気はぐったりとした安堵に包まれていた。
そして数日後。
廊下の掲示板の前には、生徒たちが群がっていた。
「え、一位…」
僕は目を丸くする。
「わ、私二位……」
葉山が驚きの声を漏らした。
「ん~まずまずかな!」
泉が声を上げ、こはくも自分の名前を探して首をかしげた。
「……智也、これはどうやって見るのじゃ?」
「えっとね、ここ。これが順位。こはくは、ここにいるよ」
僕が指で示すと、こはくの目がぱっと輝いた。
「おぉ……真ん中より上なのじゃ!」
こはくは耳をぴんと立て、尻尾をぶんぶん揺らした。
「うん。よくがんばったね。あんな短期間でこの順位はすごいよ」
「そうなのか…?智也は……いちばん上なのじゃな」
「たまたまだよ」
「さすが智也なのじゃ」
こはくが純粋な瞳で見上げ、僕は少し照れたように笑った。
その横で、村上が掲示板を指さして叫ぶ。
「おっしゃぁぁ!! 赤点回避ぃぃ!!!」
「翔のテンションが一番高いのじゃ……」
こはくが苦笑し、泉が笑いながら肩を叩く。
「よかったじゃん! 補修なしで夏休み突入だね!」
「うおおお、俺の夏がきたぁぁぁ!!!」
村上の声が廊下に響き渡り、周囲からクスクスと笑いが起こる。
昼休み。
廊下を歩く五人の中で、ひときわテンションが高い男がいた。
「ふはははっ! 赤点回避という名の奇跡を手にした俺に、もはや恐れるものなどないッ!」
村上が胸を張り、腕を掲げながら叫ぶ。
「皆の者、今日の昼飯は——久々に太陽の下、風を感じながら食すっ!!屋上で青春をかみしめようぞ…!」
「久しぶりに来たな、翔のこの感じ…」
僕がため息をつく。
「えっ、村上くん…?」
初めて見る村上のハイテンションに、葉山がぽかんと口を開ける。
泉が肩をすくめる。
「あー葉山さんは初めてだもんね、いつもこんな感じなのこいつは、今日はいつもに増してやばいけど…」
「沙月くん!なんだねその言い草は! 俺は“情熱”で動く男なのだよ!」
「はいはい、情熱で赤点回避した男ね」
そんな中、こはくがきょとんとした顔で手を挙げた。
「燃え滾る情熱、それが翔じゃ!」
「おぉ! わかってるじゃねぇか、こはくちゃん!」
村上が満面の笑みで親指を立てる。
「え~こはくちゃん乗っちゃうの!?そっち側にいかないでよ~」
泉がすかさずツッコミを入れると、葉山が思わず吹き出した。
「ふふっ……なんか、面白いね」
その笑顔に、僕もつられて苦笑する。夏の陽射しが白く反射する屋上。
吹き抜ける風が、汗ばんだ肌をやさしくなでていく。
久しぶりの“屋上ランチ”に、みんなの顔がどこか明るい。
「うまっ!!」
村上がコンビニ弁当を豪快にかき込みながら叫ぶ。
「うるさい! せめて飲み込んでから喋りなさい!」
泉がすかさずツッコミを入れると、こはくがくすっと笑った。
パンを両手でもぐもぐ食べながら、こはくがふと空を見上げる。
「この風、好きじゃ。」
「そうだね、夏って感じがする」
僕も同じ方向に目を向ける。
その言葉に、こはくは目を細めて小さくうなずいた。
「夏休み、みんなでどっか行きたいね」
泉が何気なく言うと、村上がすぐさま食いついた。
「海! 海だろ! 焼きそば! スイカ! ビーチボール!」
箸を振り回す村上に、泉が呆れ顔をする。
「単語並べただけじゃん……」
「海か……見てみたいのじゃ!」
こはくの瞳がぱっと輝く。
「おっ、こはくちゃんは海デビューか!?」
村上がニヤリと笑う。
「海ってのはな、果てしなく広がる青の楽園だ! 水平線まで続く自由のステージ! 照りつける太陽、きらめく波、そして焼きそば!」
「焼きそば……?」
こはくが首をかしげ、周りが笑いに包まれる。
「焼きそばは関係ないけど…でもいいじゃん、それ!」
泉が嬉しそうに言った。
「せっかくだし、みんなで泊まりで行こうよ! ロッジとか借りてさ!」
「おお、それ最高じゃん!」
村上がすぐに乗っかる。
「夜は花火して、朝は海辺でモーニングコーヒーとか? 青春が止まらねぇ〜!」
「はいはい、落ち着いて!」
泉が軽くツッコミを入れつつも、どこか楽しそうだった。
「でも……泊まりって、保護者なしじゃ無理なんじゃない?未成年だし…」
僕が冷静に言うと、村上が「うっ」と詰まる。
「俺の母ちゃんは、海とか嫌いだしな…来てくれる想像がつかん…」
「私のとこも無理そう。うちの親、心配性だし…」
泉も苦笑する。
少し沈黙が流れる。
「じゃあさ、僕……叔母さんに聞いてみるよ。もしかしたら、なんとかなるかもしれない」
「マジで!? 智也んちの叔母さん、神!」
村上が両手を合わせて拝むポーズを取る。
「叔母様なら来てくれるじゃろ! そういうの、好きそうなのじゃ!」
こはくが無邪気に言った瞬間——
「え?」
村上、泉、葉山の三人が、そろって固まる。
「……やば」
智也は焦って、こはくの口に人差し指を当てた。
「こはく、それ以上は!」
その近さに、こはくの顔が一気に赤くなる。
「な、なにをするのじゃ……!」
その空気を割るように、村上が真顔で首をかしげる。
「てか、こはくちゃんなんで智也の叔母さんのこと知ってんだ? 前も弁当同じだったよな? え、これ偶然? いや、もしかして……?」
泉が慌ててフォローを入れる。
「それは親戚なんだから、付き合いもあるでしょ! 余計な詮索しないの!」
しかし村上は真剣な顔のまま、
「……え、疑問に思ったことを聞いてはいけない……? 沙月氏、それは人としてどうなんだ……?」
「いいから黙ってなさいよ、この!」
「い、痛いでござるぅ!」
二人がわちゃわちゃし始め、こはくがきょとんと見つめる。
その横で、葉山が小さくつぶやいた。
「……仲いいんだね、二人は」
僕は苦笑しながら頭をかく。
「はは……親戚だからね」
少し落ち着いたところで、村上が急に真顔に戻る。
「じゃあもし、智也の叔母さんがOKしてくれたら……その日で夏を満喫できるってわけだ!それに沙月とこはくちゃん、葉山さんの水着姿も見れるしな。いや〜青春だねぇ〜!」
「は、はぁ!? 見せないしっ!」
泉が顔を真っ赤にする。
「え、私も?」
葉山が小さく首をかしげる。
「え、葉山さん行けないの?」
泉が少し困ったように尋ねた。
「葉山さんも来てくれる前提で話してたんだけど……」
村上が両手を広げて言う。
「えー! 葉山さんもこのグループの一期生だろ!?そんな悲しいこと言わないでくれよ〜!」
僕も笑顔で言葉を添える。
「一緒に行こうよ、葉山さん」
こはくもうんうんと頷いた。
その言葉に、葉山は一瞬まばたきをして――そして、静かにうつむいた。
頬に、ぽつりと涙が落ちる。
「えっ、ちょ、ちょっと葉山さん!? どうしたの!?」
泉が慌てて身を乗り出す。
「ちょ…!?」
僕も焦ってオロオロする。
村上はというと、すぐさま両手を上げて叫んだ。
「お、俺は何もしていないっ! 完全に無実だっ!!」
その表情があまりに真剣で、逆に場の空気が少し和む。
少し間を置いて、葉山は小さく首を振り、目に涙を浮かべながら、震える声で言った。
「違うの……私、こんなふうに遊びに行く友達ができたこと、なくて……だから、うれしくて……」
泉がそっと肩に手を置く。
「葉山さんに何があったかはわからないけどさ、私たちは葉山さんを大切な友達だと思ってる。だからさ、高校生活、思い出たくさん作ってこ!でしょ!?翔!」
「お、おう!! 大船に乗ったつもりでいてくれ!」
村上が顔を引きつらせながら答える。
「使い方間違ってんのよ!」
泉は村上の耳を引っ張る。
「だから、い、痛いでござるぅぅ!!」
泉に耳を引っ張られ、再び笑いがこぼれる。
僕も優しく笑い、こはくも静かに頷く。
葉山は涙をぬぐいながら、にっこりと笑った。
「うん……ありがとう、みんな」
その瞬間、屋上に吹く風が少しやわらぎ、真夏の陽射しが雲に隠れた。
まるで、照りつける季節の中に、一瞬の優しい影が落ちたようだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




