青春と試練
『神縁 ー しんえん』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
朝の通学路。
制服姿の生徒たちがちらほらと道を行き交い、校門の方へと足を向けている。
僕とこはくも並んで歩いていた。僕がふいに横目を向け、少し迷いながら口を開く。
「昨日のこと、もう平気?」
こはくはきょとんと首を傾げる。
「うむ、大丈夫じゃ」
僕は視線を逸らす。
「そっか…」
しばし沈黙が落ちる。だが、今度はこはくの方が真剣な眼差しを向けてきた。
「むしろ、智也こそ大丈夫なのか? あんな現実を見せられて」
僕はほんの少し間を置いてから、前を見据えて答える。
「正直、今でも信じられない。だけど……受け止めるしかないよね」
こはくは歩調を緩め、後ろで両手を組みながら小さくつぶやく。
「そうか……」
再び沈黙。だがやがて思い出したように顔を上げる。
「そういえば、昨日、体に異変があったのか?」
僕は自分の手を見つめ、ゆっくりとうなずいた。
「うん。こはくが朽神に吹き飛ばされたとき、胸の奥から沸き上がるような感情があって……。体が急に軽くなって、息もしやすくなって……体がすごく熱くなったんだ。あんなの、初めてで」
こはくは言葉を飲み込み、しばし僕の横顔を見つめる。そしてほんの少し、声を落として口にした。
「そうか……心配、してくれたのか?」
僕は立ち止まり、真剣な眼差しでこはくを見つめる。
「当たり前だよ。すごく……心配した」
その言葉に、こはくは思わず視線を逸らす。
頬がわずかに赤く染まり、耳の先も揺れる。
「ありがとな…」
少し気まずい空気をまとったまま歩いていると背後から、突然、勢いよく声が飛んできた。
「おーい!お二人さ~ん!」
振り返る間もなく、ガシッと肩を組まれる。
「うわっ……って…翔か…」
「おい、なんだその言い草は」
そこへ、こはくの横からひょこっと顔をのぞかせる影があった。
「こはくちゃん、智也くん!おはよ!」
泉が元気に手を振ってくる。
「おはよう」
「おはよう~」
二人が返すと、
「おはよ!しっかし朝から仲いいねぇ~お二人さんは!」
冷やかすように言った村上に、こはくはきょとんとした顔で、首を傾げながら即答した。
「ん?そうじゃが?悪いことなのか?」
一瞬の沈黙。
「おお……マジか……全肯定女子……!いや、天然なのか?どっちなんだ……?」
村上がつぶやく。
「変な意味じゃないから!」
僕は慌てて手を振る。
「智也くん、図星…?」
泉は苦笑しながらさらりと返す。
「ち、違うって!」
耳まで赤くなる僕を横目に、こはくは首をかしげたまま。
「はぁ~、見てるこっちが楽しいわ」
と村上はニヤけた。
昼休みが終わり、ざわめく教室。
女性の担任が教壇に立ち、手を叩いて声を張り上げた。
「はい、静かにー! 来週は球技祭があります。そのメンバーを今から決めますよ!」
その一言に、クラス中が一気に色めき立った。
「やった!」「めんどくさー」「応援だけでいい!」
など、あちこちから声が飛ぶ。
僕は苦笑しながら前の黒板を見つめる。こういう行事ごとは嫌いじゃない。
でも、こはくはどうするんだろう……とちらりと隣を見ると、金色の瞳はきらきら輝いていた。
「きゅうぎ……? それは何じゃ!?」
小声で尋ねるこはくに、泉が少し考え込みながら答える。
「球技っていうのはね、ボールを使ったスポーツのこと。バスケとか、バレーとか……」
「……?」
首を傾げるこはく。
困ったように笑った泉は、少し言葉を選んで続ける。
「うーん……まあ、言ってしまえば“一種の戦い”かな?」
「なんと! 戦いか!」
こはくは机から思わず身を乗り出し、瞳を一層輝かせた。
すると村上が得意げに腕を組み、どこか芝居がかった声で語り出した。
「そう、球技祭とは――己の青春をかけた、血と汗と涙の激闘の祭典! すなわち――真剣勝負ッ!」
「おお……!」
さらに期待を高めるこはく。
「いやいやいや、そんな大げさじゃないから!」
泉が慌ててツッコミを入れる。
「ただのスポーツ大会だからね!?」
僕は額に手を当てて深いため息をついた。
「まったく…」
「じゃあ、男子はバスケ・サッカー、女子はバレー・テニスのどれかに分かれてください!」
すぐに立ち上がったのは村上だ。
「俺はバスケ!決まり!誰がなんと言おうとバスケ一択!」
「今日も元気ですね村上君は!バスケ枠あと四人ですよ~」
「智也!お前もバスケな!」
「えっ、僕? いや、別にいいけど……」
「よっしゃ決まり!俺と智也の黄金コンビで無双だ!」
「黄金でもなんでもないけどな」
「私はバレーがいいな!」
「俺、絶対サッカー!」
活気づく教室の中、泉がすぐに元気よく手を挙げる。
「私、女子バレー!――ね、こはくちゃんも一緒にやろうよ!」
突然の誘いに、こはくはきょとんと目を丸くしたが、すぐに胸を張って言い返した。
「よくわからんが……やってやるのじゃ!」
勢いよく立ち上がると、教室の空気がぱっと明るくなる。
「おお~!意外とやる気満々!」
「泉さんとこはくちゃんとか、最強コンビだろ!」
「これ女子バレー、優勝まちがいなしじゃね?」
あちこちから感嘆や歓声が飛び交った。
泉はにっこりと笑い、こはくの手をぎゅっと握る。
「一緒に頑張ろうね!」
「う、うむ!任せておけ!」
あちこちから感嘆や歓声が飛び交い、自然と泉とこはくに注目が集まる。
そんな空気を切り裂くように、後ろから村上が声を張り上げた。
「おいおい!女子ばっか注目すんなよ!俺ら男子バスケも優勝すっからな!なぁ智也!」
肩をぐいっと叩きながら、村上はにやりと笑う。
そして、泉に向かって指を突きつけた。
「特にお前だ、ぃじゅ……沙月! バレーがどうとか言ってるけど、優勝するのは俺らだ! 負けねーぞ!」
「っ……!」
いきなり名前で呼ばれて、一瞬泉の頬が赤くなる。
だがすぐに立ち上がり、腕を組んで睨み返した。
「の、望むところよ! しぃ……翔!――じゃあこうしない?どっちかが優勝できなかったら……一年間、毎日ジュースを奢る! 文句ないよねぇ!?」
「はぁ!? 言ったな! 上等だ!」
二人の間にバチバチと火花が散る。
「「おお~~!」」
クラス中が大笑いに包まれる中――泉と村上は、同時に真っ赤になって視線をそらした。
こはくは横で、その熱気に尻尾をぶんぶん揺らして楽しそうにしている。
一方僕は机に肘をつきながら、心の中でため息をついた。
(相手は他のクラスなんですけど……)
他の生徒たちも次々に声を上げ始める。
「俺はバスケだな!」
「サッカーやろうぜ!」
「私、テニス部だったしテニス頑張ろうかな。――ね、一緒にペア組もう!」
々と希望が飛び出し、黒板に埋まっていく名前。
バスケ、バレー、サッカー、テニス……枠が一つずつ決まるたびに、教室は拍手や笑い声で満ちていった。
「じゃあ――」
担任がチョークを置き、黒板を叩いて言う。
「このメンバーで決定します! この球技祭は私にとってもみんなにとっても初めて。せっかくだから――B組で優勝しましょう!」
明るく響く声に、クラス全体の空気が一気に高まった。
「「「おおーーーーっ!!!」」」
机を叩く者、拳を突き上げる者、笑顔で隣とハイタッチする者――みんなが一つになったような熱気に包まれる。こはくは、きらきらと瞳を輝かせながら尻尾まで揺らしている。
――そんな姿に、僕は思わず微笑んだ。
放課後、チャイムが鳴った瞬間、ガタッと音を立てて椅子を蹴るように村上が立ち上がった。
「よし!全体練習の前に抜け駆け練習しようぜ!」
「ほんと元気だね、翔は」
僕は苦笑する。
「当然だろ!ここから俺の青春が始まるんだ!」
泉は思わず吹き出して肩をすくめた。
「はいはい。じゃあ私たちもやろっか! こはくちゃん!」
「うむ!」
こはくは即答し、耳と尻尾をぴんと立てた。
――こうして4人は並んで体育館へと向かう。
夕方の光が窓から差し込み、広々とした空間は部活もなく、しんと静まり返っていた。
「今日はどの部活も使ってないみたいだな。貸し切りだぜ!」
村上が腕をぶんと回し、得意げに笑う。
その静寂を破るように、バスケットボールが床を弾む低い音と、バレーボールの軽やかな音が交錯し始めた。
村上と僕はバスケットボールを手に取り、さっそくシュート練習を始める。
「智也!パス!」
「はいよ!」
ドンッと弾む音、ふわりと飛ぶボール。
ネットが大きく揺れる。
「へっへー、決まった!」
村上は汗をぬぐいながらドヤ顔。
僕もシュートを試みる。
だが――ボールが、妙に軽く感じる。
(……なんだ、この感覚)
一瞬だけ胸にざわりとした違和感を覚えるが、すぐに息を整え直し、黙ってリングを見上げ、こはくと泉のほうに目を向ける。
こはくは泉と並び、バレーボールの練習に挑んでいた。
「こはくちゃん、まずはトスからね!」
泉が両手の形を作り、そっと上へボールを放る。
「こうやって、力を入れすぎないように――」
「うむ、任せよ!」
こはくは勢いよく受け止め、ぎこちない動きで上に弾き返す。
ポンッ――軽やかな音が響いた。
「すごいじゃん! 初めてなのにちゃんとできてる!」
泉がぱっと笑顔になる。
「ふふん、当然じゃ!」
誇らしげに胸を張るこはく。耳と尻尾までぴんと立ち、夕陽を浴びてきらめいていた。
やがて練習も終わり、四人は並んで校門を抜けた。暮れゆく空の色がにじみ、影が長く伸びる。
「じゃあまた明日!」
村上と泉は軽やかに手を振り、それぞれの道へと分かれていった。
僕とこはく。
二人きりの帰り道に、夕暮れの風が頬を撫でる。
「……大丈夫? 疲れてない?」
ちらりとこはくの横顔をうかがう。
「平気じゃ。バレー……楽しかったのじゃ!」
こはくは頬を少し赤らめ、耳と尻尾を揺らしながら、素直な笑顔を浮かべる。
そして、ふと視線を前に戻し、少し柔らかな声で続けた。
「わらわは、ああして皆で騒いだり、笑ったりすることがなかったから……今がとても、楽しいのじゃ」
その顔は、まるで夕陽に溶けるようにやさしい微笑みだった。
僕はその表情に胸がじんわり温かくなり、言葉を選びながら口を開いた。
「……そうなんだ。じゃあさ、忘れられないような、たくさんの楽しい思い出を作っていこうよ」
こはくが不思議そうに僕を見上げる。
慌てて、僕は手を振った。
「あ、もちろん翔とか泉とか、みんなでの思い出だよ!」
照れ隠しのように笑う。
こはくは一瞬きょとんとした後、ゆっくり前を向きなおし、夕風に髪をなびかせた。
「……そうじゃな」
――やがて家の前にたどり着くと、そこにひとつの影が待っていた。
白い髪が夕風に揺れ、紫水晶の瞳が静かに二人を迎える。
「……おかえりなさい、こはく、智也」
「姉上?」
「澪白さん……?」
神秘的な声に、こはくが立ち止まる。澪白は小さく頷き、淡々と告げた。
「帰って早々悪いのだけど、皆が揃うには、まだ時間がかかる。――智也。今日から少しずつでも、眠る力を引き出しておく必要がある」
その言葉に、こはくは息を呑み、僕は拳を握る。
「昨日言っていた……特訓、ですか?」
「うん。負担をかけるけど……智也の力が必要。どうか、協力してほしい…」
僕は真剣な眼差しでうなずいた。
「わかりました」
夕暮れの静寂を切り裂くように、これから始まる「特訓」の気配が漂い始めていた――。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。




