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神縁  作者: 朝霧ネル
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朽神

『神縁 ー しんえん』


大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。


心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。


過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。


人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。

 僕は深く息をつき、二人の方へ顔を向けた。

「……僕、先に寝るね」


 叔母さんは小さく頷き、微笑む。

「うん……おやすみ、智也くん」


 その隣で、叔母さんに頭を撫でられている澪白は、無表情のまま。

 それでも頬を伝う涙だけが止まらず、静かに光を反射していた。

 僕と目が合うと、澪白は声を出さずにこくりと頷く。胸の奥が締め付けられる。

けれど言葉を選べず、僕はそっと背を向け、自分の部屋へ歩き出した。


 自分の部屋へ向かう途中、ふと足が止まる。

 視線の先――こはくの部屋の扉。


(……大丈夫かな)


迷った末に、拳を軽く握り、こん、と二度ノックする。


「……こはく?」

返事はない。

 静かな沈黙だけが返ってくる。


(……今はそっとしておこう。明日、話そう)


 そう思い直して扉から離れかけた瞬間――かちゃり、と小さな音がして扉がわずかに開いた。

 次の瞬間、ぐいっと腕を掴まれ、勢いよく部屋の中に引き込まれる。


「うわっ……!」


 背後で扉がばたんと閉じ、薄暗い部屋に閉じ込められた。

 目の前には、揺れる金の瞳。こはくが僕の腕をぎゅっと掴み、震える声で呟く。


「……智也。わらわは、智也と……昔会っておったのじゃな…」

「……なぜ、思い出せんかったのだろうな」

 布団の端に腰を下ろしたこはくは、小さく震える声でつぶやいた。


「最初におぬしの名を聞いた時、違和感があったのじゃ……」


 僕は少しだけ笑みを浮かべ、肩をすくめる。

「しょうがないよ。僕だって全く覚えてなかったし。お互い、あの頃は幼すぎたんだよ」


 ふと視線を落とすと、こはくの手元に小さな折り紙のお守りが握られているのが目に入った。


「それ……大切なもの?」


 問いかけに、こはくははっとして視線を落としたまま答える。

「わらわが幼い時、母上に作った……お守りじゃ……」


 その声は徐々に震え、白い指に包まれた折り紙がきしむほど強く握られる。

 ぽたり、と涙が床に落ちた。


「こんなもの……ずっと、持っててくれてたんじゃな……」

か細い声が途切れ、嗚咽混じりに震える肩。


「でも……母上は……もう……」

言葉が途切れ、こはくの肩が小刻みに震える。

床に落ちる涙のしずくが、月明かりに淡く光った。

僕はそっと、その手に包まれた折り紙のお守りへ、自分の手を重ねた。


「……大丈夫」


震える声で、けれど確かに届くように。


「きっと…大丈夫だから……」


 その言葉が最後の綱を切ったかのように、こはくの瞳から涙が溢れ出す。


「っ……ひぐっ……ぅう……っ」


声を抑えようと唇を噛むが、止まらない。握りしめたお守りはぐしゃりと潰れそうなほど強く、

その上に重ねられた僕の手に、熱い滴が次々と落ちていった。

ぐしゃりとお守りを握りしめたまま、僕の胸に身を寄せる。

やがて、震える肩を寄せて、おでこをそっと僕の胸に押し当ててきた。


「……っ……うう………」


押し殺した声が、布越しに震えとなって伝わってくる。

僕はその頭をそっと撫でながら、ただ「大丈夫だよ」と繰り返すしかなかった。


 しばらく泣きじゃくったあと、こはくはひくひくと鼻をすすりながら、かすれた声で言った。


「……と、智也……ティッシュを……とってくれんか……」


「うん、はい」


僕は箱を差し出す。こはくは勢いよく鼻をかんで、ふうっと息を吐いた。


「……たくさん泣いたのじゃ。すこし……すっきりしたのじゃ」

少し赤くなった目元のまま、それでもいつもの調子を取り戻したように言うこはくに、僕もつい笑ってしまった。


「笑いすぎなのじゃっ!」

ぷくっと頬をふくらませながら、こはくは小さな拳で僕の腹をぽすぽすと何度も叩いた。


「い、痛いって!……あははっ!」

笑いながら身をよじる僕。だけどその胸の内には、自然と安堵が広がっていた。


「でも……いつものこはくに戻ってくれて、よかった…」

そう言って僕は、満面の笑みを浮かべた。


 こはくは、その笑顔に照れたように横を向き、白い耳の先がほんのり赤く染まっていた――。

すると、裾を軽く引かれた。


 少し間を置き、照れ隠しのようにそっぽを向きながら――。


「ありがとな、智也…」


 驚きが胸をよぎる。だがすぐに、自然と口元がほころんだ。


「うん。……じゃあ寝るね、明日も学校だから、こはくもちゃんと寝るんだよ、おやすみ」


 こはくは頷き、布団に潜り込む。


 僕は部屋を出て、廊下でふうと一息。

心の奥が温かくなるのを感じながら、二人が気になり、リビングを覗きに行った。


 ――そして、目に飛び込んできた光景に固まった。


「うわあああん、澪ちゃーん!かわいいーっ!」


 叔母さんが絶叫しながら澪白を抱きしめている。

しかも膝の上に強制的に座らされ、ぎゅうぎゅうに抱きしめられていた。


「離して…ください…」無表情のまま、澪白は冷たく言い放つ。


「無表情で涙流すとことか!もう放っとけない!母性が爆発寸前!いやもう爆発中~」

叔母さんはさらに力を込める。


「……」


 呆然と立ち尽くす僕。

「さっきまでシリアスな感じだったじゃん…感動的だったじゃん…」


 叔母さんがようやくこちらに気づき、振り返った。

「智也くん!まだ寝てなかったの?見て!天使降臨よ!」


「……もう寝る」


力なく宣言して背を向ける。


 背後ではまだ、叔母さんの歓声と澪白の無表情な抗議が響き続けていた――。




 智也は部屋に戻り、布団へ身を沈めた。

胸の奥にはまだ余韻が渦巻いていたけれど、今日はあまりにもいろんなことがありすぎた。

その疲労がどっと押し寄せ、まぶたは重く閉じていった――。




 ――そして朝。




 まぶたをこすりながら階段を降りていく途中、廊下の先に二人の姿を見つけた。

こはくと澪白。思わず僕は足を止め、壁の影からそっと様子をうかがった。


「……昨日のこと。ずっと黙ってて、ごめんね、こはく」

澪白の声は、どこか弱々しく震えていた。


 こはくは俯いたまま、しばし沈黙する。澪白も視線を落とし、言葉を失う。

やがて、こはくがゆっくり顔を上げた。


「大丈夫じゃ。姉上は悪くない……それに」

にこっと、無理のない笑顔を浮かべる。

「母上はきっと生きておる。必ず会って、これを返すのじゃ」


 そう言って、折り紙のお守りをそっと手のひらにのせて見せた。


 澪白は、その小さな強さに驚いたように瞬きをし、ふっと口元を緩める。

「そうね……強くなったね……こはく…」


 こはくは続けて、少し悪戯っぽく澪白を見上げた。


「それより姉上……」


「ん?」


「姉上、まえにわらわの夢に出てこんかったか?」


 澪白はしばらく考え込み、やがて懐から何かを取り出した。


「……これ」


「なんじゃそれは?」


「私特製、こはく人形。じゃじゃーん。これ抱いて寝てるから、思いが届いたのかも…」


 こはくの顔から一気に感情が抜け落ちる。

耳と尻尾すらピタリと止まり、見事な無表情。思わず、隠れていた僕も堪えきれなくなった。


(……なんだそれ)


苦笑しながら廊下へ出ていき、二人に声をかける。


「こはく、澪白さん。おはよー」


「おはようなのじゃ!遅いのじゃ智也!」


「おはよ…」


二人が挨拶を返したかと思うと、


「おはよーっ!」


元気いっぱいの声とともに、叔母さんがリビングから顔を出した。


 テーブルには温かい朝食が並び、僕とこはく、澪白は席につく。

「いただきます」と声を合わせたはずなのに、すぐに事件は起きた。


「こら、こはく、それ僕のおかず!」


「ふふん、早い者勝ちじゃ!」


 こはくが器用に箸を伸ばして、僕の皿から焼き鮭を奪い取る。


「返せー!」


「いやじゃー!」


 小競り合いに耳と尻尾までぴょこぴょこ揺れて、リビングは騒がしくなる。


「もう……」

呆れたように口を挟む僕に、叔母さんはニコニコしながらその様子を眺めていた。

一方、澪白は最初こそ無表情で見ていたが、やがてふっと小さく笑みを浮かべる。


 食後、僕とこはくは学校へ向かう支度をし、玄関で靴を履きながらまた小さくはしゃいでいた。

「こはく遅れるよ!行ってきます!」

「智也が起きるの遅かったのが悪いのじゃ!行ってくるのじゃ~!」


 二人で笑い合いながら走り出す。

「いってらっしゃい!」

「気を付けてね…」


その背中を、叔母さんと澪白が並んで見送った。


 見送った後、リビングに戻った澪白は、ふと仏壇に目を留めた。

その前で静かに座り込み、手を合わせる。


「……」


 そこへ叔母さんも歩み寄り、柔らかい笑みを浮かべて腰を下ろした。


「澪ちゃん、ありがとね」


「はい…」


 澪白は、仏壇の写真に視線を落とした。


「二人とも……笑顔が、素敵ですね」


「……うん。本当にね。」叔母さんの目尻に涙がにじむ。


 叔母さんは仏壇に飾られた写真を見つめ、かすかに笑みを浮かべる。


「すごく仲のいい家族だったの。たまに顔を出すと、みんなでゲームして笑いあったり、テレビでスポーツ観戦して盛り上がったりしてね。いつも笑顔で迎えてくれて……ほんと、理想の家族そのものだった…」


 澪白はその言葉に写真へ目を向け、柔らかく微笑んだ。


「この笑顔を見れば……想像できます」


 しかし、叔母さんは次第に視線を落とし、声を震わせる。

「なのに……智也くんを一人にして、私のこともおいて……なにしてんのよ……」


 澪白が声をかけようとしたとき、叔母さんは絞り出すように言葉を重ねた。

「私ね……二人が事故で亡くなったなんて、信じられないの」


「事故……?」

澪白が問い返すと、叔母さんは小さくうなずく。


「……交通事故。トラックとの衝突だったの。でもね、警察の方から聞いた話が、どうにも妙なのよ」

叔母さんは苦しげに息を吐く。


「現場は見晴らしのいい直線道路。横断歩道なんて近くにひとつもないの。もし人が道に立っていれば、すぐにわかるはずでしょ? でも、アルコールも検知されなかった。ドライブレコーダーからも、居眠りの形跡なんてなかったみたいなの…」


 叔母さんは手を握りしめ、低く続ける。

「でも、運転手さんは、一貫して言い張るみたい。“突然、黒い人みたいなものが現れて、それを避けようとした”って……」


 言葉が途切れ、重い沈黙が落ちる。


 澪白は仏壇の写真に目を戻し、ぽつりとつぶやいた。

「……黒い……人……」


「朽…神…」

叔母さんは少し震えた声でつぶやく。


そして思い出したように澪白は叔母さんへ視線を向ける。

「そういえば昨日……“また朽神が出たの?”とおっしゃっていましたね。以前にも、目にされたことが…?」


 叔母さんは小さく頷いた。


「うん……こはくちゃんの制服を採寸しに行ったときにね。突然あの黒いのが出てきて……こはくちゃんが守ってくれたけど、本当に怖かった……」


少し間を置き、絞り出すように続ける。


「ねえ澪ちゃん……朽神って、いったい何なの? こはくちゃんが説明はしてくれたけど、正直まだよくわからなくて……」


 澪白はゆっくりと叔母さんの方へ身体を向き、真っ直ぐに目を合わせた。

「……少し長くなりますが、よろしいですか?」


 叔母さんは不安げに、しかし強く頷く。


 澪白は目を細め、静かに言った。


「では――朽神について、お話ししましょう」


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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