こはく、疾走!
『神縁 ー しんえん』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
女子更衣室。
こはくは体育の授業に向けて、制服から体操服に着替えていると、隣で髪を結っていた泉が思わず感嘆の声をあげた。
「こはくちゃん……ほんとスタイルいいね。脚長いし、腰のラインも綺麗だし。ずるいなぁ~」
こはくはきょとんとしたあと、
「そんなことはない、わらわは体が小さいからの。沙月のそれがうらやましいのじゃ!」
そう言って、こはくは無邪気に泉の胸元を指さした。
「ちょっ……!?」
指先を向けられた泉は一瞬で顔を赤くし、慌てて両腕で胸を隠す。
「な、なに言ってんのよ、やめてってば!」
こはくは首を傾げながら、悪気なく
「ん?よい形をしておると思うのじゃが……」と追撃。
「~~っ!!」
泉はさらに真っ赤になって言葉を詰まらせ、周りの女子からは「わかる!沙月ちゃん羨ましいよね~」とからかい混じりの笑い声が上がった。
こはくは少し考えたあと、ぽんと手を打った。
「ふむ、それはいいとしてだな。沙月は、翔のことが大好きなのじゃな!」
「へっ!? な、ななな、なにいきなり言ってんの!」
泉の顔が一瞬で真っ赤に染まる。慌てて手を振り回し、声も裏返った。
「ち、ちがっ……!そんなんじゃないってば!」
その様子を見ていた周りの女子たちが
「え、え、そうなの!?」
「え、村上くんと!?」
「いつも一緒にいるもんね」とざわざわし始める。
「ちょ、ちょっとこはくちゃん!変なこと言わないで!ほんとに違うから!」
「そうなのか? わらわは、ただ見ておってそう思っただけなのじゃが……」
まるで悪気のない純粋な子供のような笑顔。余計に泉は返す言葉を失い、真っ赤なまま。
なんとか場を立て直そうと泉は深呼吸し、話題を変える。
「……こ、こはくちゃんだって、智也くんと仲いいじゃん。まぁ、関係は聞かないけどさ」
すると、こはくは迷いもなく笑顔を咲かせ、胸を張って言い放った。
「もちろんじゃ! 智也が大好きじゃ!」
「……っ!?」
一瞬で更衣室の空気が沸騰した。
「ええーー!!」
「ちょ、それ本気?」
「キャーッ!」
女子たちから一斉に拍手と歓声が起こる。
「馴れ初めは!?」「いいじゃんいいじゃん!」など、熱のこもった声も混じる。
泉は完全に追い打ちを食らった形で、顔を真っ赤にしてこはくの肩を揺さぶる。
「ちょ、ちょっと!こはくちゃん?何言ってんの!?」
「…? 事実を述べただけなのじゃが……」
「そういう言い方誤解を生むからだめ~!!!」
わたわたと慌てる泉に、こはくは首を傾げて「むむ?」と返すだけ。その天然さに、更衣室は笑いと黄色い声で包まれた。
やがて女子たちはわいわい騒ぎながら更衣室を出ていき、こはくも泉と並んでグラウンドへ向かう。
グラウンドでは既に男子たちが準備運動を始めており、僕も列に加わっていた。
体操服姿のこはくが現れた瞬間、男子たちの目が一斉に吸い寄せられる。
「やっべ……ジャージでも美人って……」
「あれ反則じゃない?」
「なんでここにきたんだろ…?」
ざわざわと声が上がる中、村上はすかさず僕の脇腹を肘で突く。
「おい智也。やっばいな、こはくちゃん……。智也、横にいると釣り合ってねえぞ?」
「な、なんだよ……!」
顔を赤らめて抗議する僕だったが、目はついついこはくに吸い寄せられてしまう。
その視線に気づいたのか、こはくがにこっと笑って小さく手を振る。
「……っ!」
僕の心臓が大きく跳ねた。
そんな二人を見ていた村上がにやりと笑う。
「ふふふ、今日のネタは女神に見惚れる智也…これでいこう」
「あ~もう、翔!うるさいな~!」
「なんでそんなひどいこと言うの、智也ちゃん!」
「母親か!」
いつものノリで笑い合っていると、そこへ泉とこはくがやってきた。
僕はこはくの姿を直視できず、思わずそっぽを向いて小さくつぶやく。
「似合…ってるね…」
こはくはぱっと顔を明るくして、嬉しそうに返す。
「智也もかっこいいぞ!」
――一瞬、空気が止まったような沈黙。
そのやりとりを見ていた村上が、にやりと口角を上げる。
「ふふふ…ところで智也さんや、具体的にどこがどう似合ってるんでしょうかねぇ~?ぜひとも詳細をお伺いしたい!!」
「な、なんだよ急に!」と戸惑う僕。
戸惑う僕を見て、泉が村上の頭にツッコミを入れようと手を振り上げ――ぴたりと止まる。
ほんの一瞬、何かを思い出したかのように…
こはくが首をかしげる。
「ん? どうしたのじゃ?」
泉は一拍おいて、顔を赤らめながら答える。
「べ、別に……なんもない! ほら、こはくちゃん、準備運動しよ!」
そう言ってこはくの手を取ると、少し強引に引っ張ってその場を離れていった。
準備運動が終わり、いよいよ短距離走が始まった。
最初に走るのは村上と泉。二人はバランスのいいフォームで飛び出し、好タイムをたたき出す。
「へっへー! どうだ智也! 俺、速いだろ!」
「ん~もう少し縮められたのに~悔しい~」
「翔も沙月もすごいね!」
僕は素直に声をかけるが、自分の番ではそこそこのタイム。
村上と泉には及ばなかったが、僕は「まぁこんなもんでしょ」と案外楽観的に構えていた。
そして、最後にこはくの番。
「位置について……よーい!」
パンッとピストルの音が鳴った瞬間、こはくの足元で地面がほんのりへこむ。
「……っ!」
周囲の生徒が、こはくに注目する。
その次の瞬間、
「ぬおおおおおお!!!」
謎の雄叫びとともに、とんでもないスピードで駆け抜けた。
砂ぼこりだけを残し、あっという間にゴールへ。
静まり返ったグラウンド。
「これは…夢…?」
「お、おい……あれ、人間の速さか?」
「チーターでも見てるみたいなんだけど……」
ぽつりぽつりと驚愕の声が漏れ、やがてざわめきに変わっていく。
僕は頭を抱えた。
(こはく…目立つなの意味……やっぱり、わかってないな……)
内心でため息をつきながらも、その走りっぷりに楽しそうな表情を浮かべるこはくを見て、どこか微笑ましさを感じずにはいられなかった。
こはくはるんるんとした足取りで、僕と村上、泉のところへ駆け寄ってくる。僕は(どうフォローしたらいいんだ…?)と頭を抱えそうになっていた。
ところが、先に吹き出したのは村上と泉だった。
「はっ、ははは! めっちゃ速ぇじゃん! 新幹線かよ!」
「うける~! ほんと、こはくちゃん、風だけ残して走り去ってったよ!」
二人が腹を抱えて笑い出した瞬間、まわりで見ていたクラスメイトたちもつられて笑い声をあげる。気まずい空気が一気に笑いに変わっていく。
その光景を見て、胸のつかえがすっと軽くなった。やっぱり村上と泉、この二人の存在はでかい。僕までおかしくなって、思わず笑い声をこぼしてしまった。
ぽかんとした顔で周囲を見回すこはく。
「な、なぜ笑っておるのじゃ……?」
小首をかしげる彼女を見て、また一段と笑いが大きく広がっていった。
すべての授業が終わり、教室のざわめきが下校モードに切り替わる。鞄を肩にかけながら、僕は隣の席に座るこはくへと声をかけた。
「じゃあ、帰ろっか」
こはくはぱちりと瞬きをし、ふと口元に笑みを浮かべる。
「なあ、智也。あの花畑……行かぬか?」
一瞬驚いてから、僕も笑ってうなずいた。
「少し遠いけど、いいね、行こうか」
「うむ!」
満面の笑顔で頷くこはくに、なんだか心が和む。
校門の前で、村上と泉に手を振って別れる。ふたりが去ったあと、僕とこはくは並んで歩き出した。少し距離を空けながらも、不思議と同じリズムで歩幅が合っている。
夕焼けに染まる道を並んで歩きながら、僕は口を開いた。
「今日はどうだった? 初めての学校」
こはくは振り返り、夕日に照らされた横顔にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「うむ! とても楽しかったのじゃ! みな優しくしてくれたし、沙月や翔とも仲良くなれた。……ふふ、智也のおかげじゃな」
「僕は何もしてないよ、こはくが、みんなを惹きつけたんだよ」
しばらく夕日に照らされながら歩いていると、僕は立ち止まった。
「あれ? この辺だった気がするんだけどな……」
辺りを見回す僕の横で、こはくはくすっと前に進む。
「ふふ、智也、こっちじゃ!」
まるで前から知っていたかのように、慣れた足取りで先を行くこはく。その背を追いかけるように俺もついていくと、やがて開けた場所に出た。
そこには、一本の大きな桜の木が立ち、その周囲を花々が埋め尽くしていた。
花畑に足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んだ。
……やっぱり、きれいな場所だ。
一面に広がる草花は陽の光を浴び、桜の大木は堂々とした姿で立っている。けれど僕は、そこで違和感を覚えた。
「え……」
見上げた枝には、あの時とまったく変わらない“満開”の桜が咲き誇っていた。春から時間が経ったはずなのに、散るどころか、むしろ咲き誇っている。
季節を裏切るその光景に、ぞくりと背筋を冷たいものが走る。
「おかしいな……」と思いつつも、こはくと一緒に桜の根元まで歩み寄った。
二人で桜を見上げていると、ふと僕の視界に“黒い染み”が映った。
「……あれ?」
幹の一部に、不自然な影のようなものが広がっている。近づいて指さすと、こはくが眉をひそめる。
「これ、なんだろ……」
俺が問いかける間もなく、こはくは一歩前へ進み、迷いなくその染みに手のひらを当てた。
次の瞬間――こはくの表情が一変する。
笑みは消え、目は鋭く細められ、口元はきゅっと固く結ばれた。
「智也…わらわから離れるな」
その低い声音に、胸が強くざわつく。
「えっ……? こはく、どうしたの……」
戸惑う僕の耳に、不意に背後から聞こえてきた。
「ころす……」
ぞわり、と空気が凍る。
反射的に振り返った僕の目に飛び込んできたのは――黒い影。
三つの影が、花畑の入口に立っていた。
その存在感は、夕焼けすら押しのけるような冷たさをまとっていた……。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




