初登校
『神縁 ー しんえん』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
朝の光が差し込む台所で、僕はパンをかじりながらちらちらと階段を見上げていた。
「遅いな…ちゃんと制服、着れてるかな……」
「心配いらないわよ」
叔母さんがにやにや笑いながら弁当箱に卵焼きを詰めている。
「こはくちゃん、ほんと物覚えいいんだから。昨日の夜一度教えただけで、ちゃんと着れてたわよ~、ネクタイの結び方もバッチリ!」
「え、いつ?僕が寝た後…?」
「そ!一人でもできるようにって、頑張ってたわよ」
「そーなんだ…」
落ち着かない僕を見て、叔母さんはにたりと口角を上げた。
「ちょっと智也くん様子見てきてくれな~い?あ、でも丁度着替え中だったりして、きゃー!智也くんのエッチ~!」
(こはくと会って、確実に叔母さんは壊れてきてる……)
「はいはい…」
「あ~反抗期!つまんないの~」
「つまるつまらないじゃない!」
言い合っていると、階段から軽い足音が響いた。
振り向いた瞬間、息が詰まる。
そこに立っていたのは、真新しい制服に身を包んだこはくだった。黒いニット、白いシャツに黄色のネクタイ、スカートの裾が揺れている。採寸のときには、ワイシャツ姿しか見ていない、黒いニット姿は初めて見るが、すごく可愛く見えた。
「智也!」
こはくが胸を張り、ぱっと笑顔を見せる。
「どうじゃ! 似合っておるか!」
「あ、うん……いいんじゃない」
思わず小声になってしまった。
「ん?聞こえんのじゃ」
するりと距離を詰められ、黄金の瞳がのぞき込んでくる。
顔が熱くなり、思わず視線を逸らす。
「……似合ってるよ」
こはくはぱっと笑顔を弾けさせた。
「ふふっ、智也も、似合っておるぞっ!」
「なっ……!」
逆に褒め返されて、耳まで真っ赤になる僕を見て、叔母さんが爆笑する。
「いってらっしゃい、二人とも!智也くん!こはくちゃんは頼んだよ!こはくちゃん、学校楽しんでこ~い!」
玄関先で手を振る叔母さんに見送られ、僕とこはくは並んで家を出た。
通学路を歩いていると、こはくは足を止めては目を輝かせる。
道端の小さな花を見て「綺麗なのじゃ」と笑い、
電線にとまる鳥を指差しては「あやつは八咫烏かもしれぬ」と首を傾げる。さらには、道端にうずくまっていた猫を見つけてしゃがみ込み、しっぽを揺らして猫とじゃれ合い始めた。
「こはく、遅刻するよ」
「むぅ、まだ遊んでおるのに」
しぶしぶ立ち上がる姿に思わず苦笑してしまう。
校門が近づくにつれて人通りも増え、周囲の視線が集まってきた。
「あれ誰? 先輩?」
「いや一年じゃない?」
「やば、めっちゃかわいい……」
「隣の男子、もしかして彼氏?」
その言葉に、僕はぎくりとした。慌ててこはくとの距離を少し取る。
「……智也、なぜ離れて歩くのじゃ?」
首を傾げて見上げてくる瞳に、返答に困る。
「いや……色々あるんだよ。ほら!気にしないで前向いて歩いて」
苦笑しながら言うと、こはくはふいに僕の手を握った。
真剣な顔で、まっすぐに言い放つ。
「智也は、わらわの隣におれ」
一瞬、時間が止まったように感じた。繋がれた手の温もりと、その言葉が胸を突き刺す。心臓が跳ね、息が詰まる。
「……っ」
声にならない声を飲み込む間に、こはくはふっと笑みを浮かべ、そのまま駆け出していった。
驚きで手を引かれる僕は、こはくの手の温もりに胸が熱くなり、どうしようもなく笑みがこぼれてしまう。
(反則だよ、それは……)
校門を抜けると、こはくは当然のように僕の手を引いたまま歩いていた。
「こはく、よく道覚えてたね」
僕が思わず口にすると、こはくは胸を張り、誇らしげに言った。
「ふふん、わらわは一度見聞きしたものは忘れぬのじゃ」
その自信満々な声に、思わず笑みが漏れる。
だが、教室棟に近づくにつれてざわめきは一層大きくなっていった。
「ねえ、あの子見た?」
「転校生かな」
「うわ……かわいい。モデルかよ……」
生徒たちの視線が一斉に集まり、僕の背中にじっとり汗がにじむ。
居心地の悪さに耐えながら、なんとか職員室へこはくを連れていく。
「それじゃ、またあとでね」
そう声をかけると、こはくは少し不満げに眉を寄せたが、すぐに笑みを浮かべて頷いた。
「うむ!」
軽く手を振るこはくを残し、自分の教室へ向かう。扉を開けると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「でさー、最後、やばくなかった?今期、神アニメ、決定です」
「わかる! あの伏線はやばかったよね!」
村上と泉が、昨日のアニメの話題で盛り上がっていた。
「……おはよ」
声をかけると、二人が同時に振り返る。
「おっ、やっと来たな! おはよー智也!」
村上がにかっと笑い、泉はふんわりと手を振った。
「智也くん、おはよー!」
いつも通りの二人に、僕は少しほっとした。先程の緊張が、少しずつ解けていく。
やがてチャイムが鳴り、担任が教室へ入ってきた。
「今日は新しいクラスメイトを紹介します、仮入学にはなりますが、皆仲良くしてあげてください」
その一言で、教室が一気にざわつく。期待と好奇心が入り混じった視線が扉へと集まった。
ガラリと扉が開き、こはくが入ってくる。制服姿の彼女は、背筋を伸ばし、堂々と教壇の前に立った。
「名はこはく、よろしく頼むのじゃ」
凛とした声が響き渡り、教室中が一瞬、息を呑む。ざわめきが止み、逆に張り詰めた空気になる。
堂々としすぎていて、むしろ周囲が圧倒されているのだ。僕は思わず笑ってしまいそうになった。普段通りすぎて、逆に浮いてる……。
こはくが堂々と自己紹介を終えると、教室のあちこちからひそひそ声が聞こえてきた。
「……やっぱあの子だ!」
「さっき校門で見たかわいい子じゃん!」
「マジでレベル高すぎ……」
「え、語尾“じゃ”って言った? 語尾系女子?」
「でもかわいいからアリだわ……」
「おったまげたわ……褐色美人ときましたか……」
村上が小声でつぶやくと、すかさず泉が突っ込む。
「ほんっとかわいい…。てか翔、鼻の下伸びすぎ!」
ぷにっと彼の頬をつまむ泉。
「痛い痛い! やめてください泉さん!暴力反対…」
ざわめきが収まらないまま担任が口を開く。
「じゃあ、こはくさんは――」
その時、こはくがきょろきょろと辺りを見回した。
(……ん? なんだ?)
と思った瞬間、ぱっと僕と視線が合い、満面の笑みで手を振ってきた。
「智也~!」
教室が凍りついた。全視線が一斉に僕に突き刺さる。
「わらわは智也の隣がいいのじゃ!」
……はい、人生終了のお知らせ。
僕は天国にいる母と父に心の中で祈った。
(お母さん、お父さん……僕の学校生活、ここにて終了です。まぁ…忠告してなかった僕が悪いけど…)
静まり返った空気を誤魔化すように、担任が咳払いをひとつ。
「え、えっと……みんな一個前に詰めて、村上くん、泉さんの隣に座ってもらえるかな?」
「え? あ、はいっ!ってなんで!? 智也の隣がいい~!」
駄々をこねる村上に困った表情を見せながらも、担任は続ける。
「村上くん、みんなごめんね、それでは、こはくさんは一ノ瀬くんの隣に」
そう言われて、こはくは静かに僕の隣まで歩いてくる。そして腰を下ろすと、ふっと僕の方へ笑顔を向けてきた。
――その自然すぎる微笑みに、胸がドキリと鳴る。
その間に、渋々前に移動した村上が、勢いよく振り向いた。
「それがしは、村上翔と申す! 以後お見知りおきを!」
突然の時代劇口調に教室がざわっとする。
こはくはきょとんとした顔を見せた後、口角を上げて応じた。
「わらわは、こはくじゃ。よろしく頼む、翔といったな、おぬしは変なしゃべり方をするやつじゃな!」
くすっと笑うこはくの笑顔に、村上は完全に撃沈した。
「……天使、降臨……」
小声で呟き、魂が抜けたように自分の席へ沈む村上。
その後頭部を、泉ががしっと鷲掴みにした。
「私は泉沙月! ごめんね、こはくちゃん。こいつ、こういうやつなの」
ぐいぐい力を込める泉の手。
「ひ、ひどい……痛いよ……つらいよ……」
村上の情けない声に、教室中が爆笑に包まれる。
張り詰めていた空気は一気にほぐれ、あたたかい笑いが広がっていった。
最初の授業――国語。
先生が黒板に漢字を書きながら言った。
「はい、じゃあ“友情”を使った例文を考えてみましょう」
数人がノートにペンを走らせる中、こはくは真剣な顔で手を挙げた。
「“友情とは、戦場において共に背中を預け合うことじゃ”」
……教室が一瞬、しんと静まり返る。
「いや、スケールでかっ!」
村上が突っ込み、笑いが広がった。
こはくは首を傾げる。
「おかしいかの? わらわの世界では、そうじゃが……」
そんな素直な反応がまたおもしろくて、僕は笑いをこらえるのに必死だった。
数学の時間。先生が黒板に簡単な方程式を書いた。
「はい、この問題を解いてみましょう」
クラスにペンの音が響く中、こはくは眉を寄せて首をひねった。
「むむ……この“x”という者は、どこに隠れておるのじゃ?」
その小声に、僕は横目で苦笑しながらノートをそっと指さす。
「ここの数字を移動させて……で、両方同じように計算するんだ」
「ふむ……なるほど! そういうことか! 智也は教えるのも上手なのじゃな」
こはくがぱっと顔を輝かせて言う。
そのやり取りを聞いていた村上が、得意げに振り向く。
「そりゃそうだろ、こはくちゃん。なんてったって智也は首席だからな」
「しゅせき……?」
こはくがきょとんと首を傾げる。
村上はすかさず机の上で手を組み、どや顔で言い放った。
「うん、そうだな。一言でいえば――“神”って意味さ」
次の瞬間、こはくの瞳がきらきらと輝いた。
「な、なんと! やはり智也は人間ではなかったか! 本物の神であったとは!」
「翔…頼むから前を向いてくれ…」
「前…俺は常に、前だけを見ているぜ智也…」
村上は「決まった」とばかりに顎を上げていると――
ばしん、と泉の手刀が村上の頭に炸裂した。
「授業に集中する!」
「痛て…集中するでござる…」
村上はゆっくりと前を向きなおした。
昼休み、テンプレのように村上が決め顔で言い放つ
「昼飯はお空の下、本日は、こはくちゃんも添えて…」
僕と泉は呆れ顔をし、屋上へと向かった。
何も知らないこはくは楽しそうにしていた。
僕とこはくは村上と泉と一緒に屋上床に腰を下ろした。四人で弁当を広げると、村上が箸を止めて眉をひそめる。
「……なあ智也。こはくちゃんのお弁当とめっちゃ似てね?」
言われてみると、僕の弁当とこはくの弁当は、卵焼き、ウィンナー、ミニトマト、白ご飯にふりかけ……とまるでコピーしたみたいに並んでいる。
「あ、ほんとだ。具も配置までそっくりだね」
泉も首をかしげる。
こはくは特に気にした様子もなく、堂々と言った。
「それはそうじゃ。智也の叔母様に――」
「つ、次!!! 体育だっけ!? 短距離走だったよね!!!」
僕は思わず大声を張り上げ、空を仰ぐ。周りのカラスが一羽、びっくりして飛び立った。
村上が怪訝そうに首を傾げる。
「……いやそうだけど……で、なんで弁当そんな似てんの?」
「そうじゃな、実は――」
「ぐああああああ!!! 今日の体育は絶対きついよね!!! 日差しやばいし!!!」
泉が呆れ顔で、
「智也くん、落ち着いて? 体育そんなに嫌?」
村上はさらに食い下がる。
「それより弁当の謎は解けてないんだって。な、こはくちゃん?」
「うむ!実はわらわは智也と――」
「ぴぎゃあああああ!!! バ、バレーボールやりたいな!?でもでも、やったことないからできないかもしれないな〜!!!」
机をひっくり返す勢いで立ち上がる僕に、こはくも村上もぽかん。
しばらく沈黙が流れたあと、泉が吹き出した。
「ぷっ……なにそれ、智也くん必死すぎ! 変なの!」
笑いを堪えきれなくなった村上も
「うっははは!智也そんなキャラだったのかよ!早く言ってくれよな」と腹を抱える。
ひとしきり笑い声が屋上に響いたあと、異変に気付いたのか村上が言った。
「まぁ~気になるけど、もういいよ智也、こはくちゃんもごめんな~」
空を見上げながら、少し照れくさそうに続ける。
「余計な詮索はしないよ、な!沙月」
泉も頷いて、優しく笑った。
「うん、もう智也くんわかりやすいんだから、ふふっ、でも!たまにこはくちゃん借りるからね!」
おどけてウインクすると、
「借りる?わらわは物ではないぞ?」
とこはくがむすっとして、また笑いがこぼれた。
(おそらく、違った方向に勘違いしてるな二人とも…でも、いい友達を持ったな…)
風が弁当の匂いをさらっていく中、僕は二人の顔を見ながら胸の奥がじんわり熱くなった。
自然と笑みが浮かび、僕は小さく「ありがとう」と呟いた。
昼休みも終わりに近づき、僕達は弁当箱を片付けて教室に戻ろうと立ち上がった。
僕はふと、こはくの袖をそっと引いた。
「こはく、ちょっと」
廊下の端、人のいない物陰に二人で立つ。こはくは不思議そうに首を傾げた。
「なんじゃ? 智也」
「僕たちは親戚ってことにしておこう、一緒に住んでることも、秘密ね」
「智也とわらわの秘密…うむ!わかったのじゃ!」
なぜか嬉しそうにこはくは目を瞬かせる。
「じゃ、次は体育だし! 体操服に着替えて外だよ。ちゃんと持ってきたよね?」
「ちゃんと持ってきたのじゃ!」
「あと、力は極力抑えて、目立たないようにね」
「うむ!」
「よーし、先に行ってるね!」
手をひらひら振りながら僕は更衣室へ駆け出す。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




