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神縁  作者: 朝霧ネル
14/31

笑顔と涙の入学祝い

『神縁しんえん』


大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。


心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。


過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。


人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。


朝の光が差し込む。

まぶしさに目を細めながら、僕はゆっくりと上体を起こした。

昨夜の会話がまだ胸の奥に残っていて、頭の中が重たい。


 階下からは、包丁の小気味いい音と香ばしい匂いが漂ってくる。のそのそと布団から抜け出して階段を下りると、キッチンで叔母さんがエプロン姿のまま、やけに張り切った顔をしていた。


「おはよう、智也くん。こはくちゃんはまだ寝てる?」


「うん……多分」


 僕の曇った声に、叔母さんはぱっと表情を明るくした。


「今日はね、お祝い、しようと思って!」


「……お祝い?」


「そう、入学祝い!」


 軽い口調だけど、視線の奥にそっとした気遣いがにじんでいる。


「……あぁ、こはくの?」


「もちろんこはくちゃんも。でもね、智也くんだってまだちゃんとできてなかったでしょ?」


 叔母さんの言葉に胸の奥がずきんとする。

 本当なら、家族そろってお祝いしてもらえるはずだった。

笑い声に囲まれて、照れくさくて、でも嬉しくて──そんな時間を。


「だから……今日やろ?遅くなったけど、大切な入学祝いを…ね!」


「……うん。ありがとう」


 その声の明るさに、胸の重さが少し軽くなる。

 キッチンの隅には紙袋が山積みになっていて、中には飾りつけ用の紙花や風船がちらりと見えた。テーブルの端にはレシピのメモまで置かれている。どうやら昨夜から準備していたらしい。


(昨日の夜から準備してくれてたんだ…)

と僕が思っていると


「入学祝い……?」


 背後から寝ぼけた声がして振り向くと、こはくがしっぽを引きずりながら階段を降りてきていた。金色の瞳はまだ眠たげで、髪も少し乱れている。


「おはよう、こはくちゃん!」

「うん!仮だけど、学校の入学祝い!」


「う、うむ……?」


 まだ状況が飲み込めていない様子のこはくは、あくびを一つしてから洗面所に向かった。



 午前中は買い出しに出かけることになった。

 商店街は日曜日のせいか人通りが多く、あちこちから客寄せの声が響く。道端には八百屋の色鮮やかな野菜が並び、魚屋からは海の匂いが漂ってくる。


商店街に入るなり、こはくはきょろきょろと落ち着かない。

 道端の看板や飾りに目を奪われては、次々と声を上げる。


「智也、あれはなんじゃ?」

「え、ああ……あれは八百屋の特売の看板だよ、安く買えますよーってこと」

「とくばい……? 妙なる響きじゃな。安くするのに、わざわざ札を立てるのか」

「うん、みんなそれを見ると買いに来るんだよ」

「ふむ、戦の狼煙みたいなものじゃな!」

「……いや、ちょっと違うと思う」


 数歩進めば、また指を伸ばす。

「あれは? 香ばしい匂いがするが」

「パン屋さん。焼きたては最高だよ~」

「ほほう……では、今すぐ確かめねばなるまい!」

「待ってこはく、今は買い物が先!」


 今度は喫茶店の前で足を止める。

「智也、あの『カフェ』とやらは?」

「一息入れたいときに行く場所かな」

「おお! 今がその時じゃ!」

「いや、まだ歩き始めたばっかりだってば!」


 まるで観光客のように、数歩ごとに立ち止まるこはく。

 僕はため息をつきながらも、心のどこかで少し楽しいと思っていた。




スーパーの自動ドアが開いた瞬間、叔母さんの目がぎらりと光った。

「よし、今日は特売日……!智也くん、こはくちゃん!卵とネギ、それからしいたけと春菊と白菜、お願いね!お肉は私が取ってくる!!」


 そう言うなり、叔母さんはカートを置き去りにして、精肉コーナーへと突撃していった。人ごみの中へ消えていく背中は、もはや戦場へ駆ける戦士のそれだった。


「……すごい気迫じゃな」


「うん、あれはもう戦闘だね。じゃあ僕たちも行こうか」


 こはくはおそるおそる卵の棚の前に立ち、手に取ってみる。

「智也、これ……ひとつずつ殻に入っておる。まるで小さな宝玉じゃ」

「宝玉……まぁ、割ったら黄身が出てくるけどね。だから落とさないように気を付けてね」

「おお……壊すと呪いが解き放たれるような響きじゃな」

「呪いって…そうだね」


 次にネギをかごに入れる。

「これは長い草か?」

「草じゃなくて野菜。切って薬味にするんだ」

「なるほど、剣の鞘のように長いの」


 しいたけを手に取ると、こはくは顔を近づけてじっと観察した。

「裏側に……小さな襞が並んでおる。これは牙か?」

「牙じゃなくて、胞子を出すとこだよ」

「ほうし……。ふむ、まるで妖の封印をほどく鍵穴のようじゃな」

「イメージがいちいち怖いんだよな……」


 春菊をかごに入れると、今度は白菜に目を丸くする。

「これは大きいの!まるで丸めた鎧の胸当てのようじゃ」

「……比喩がいちいち戦っぽいな!」


 僕は苦笑しながら白菜をかごに放り込み、頼まれたものは全部そろった。

「じゃ、戻ろうか」

「うむ!」


 人でにぎわう通路を並んで歩きながら、ふと口をついて出た。

「……そういえば、明日から学校だけど、大丈夫?」

「だいじょうぶ、とは?」こはくが首をかしげる。


「えっと……勉強とか、あと知らない人もたくさんいて。いろいろ面倒っていうか、不安になることもあるんじゃないかなって」

 僕が言葉を探していると、こはくは特に考え込むでもなく、あっさりと口にした。


「智也がいるから、不安はないのじゃ」


 その横顔は、からかいでも虚勢でもなく、ただ事実を言っているだけのように見えた。


 ……なんで、そんな恥ずかしいことを普通に言えるんだよ。

 胸の奥が熱くなって、僕は思わず視線をそらした。


妙な空気間の中歩いていると…


叔母さんは両手いっぱいに肉のパックを抱えて戻ってきた。

頬にはうっすらと汗が光り、勝者の笑みを浮かべている。

「特売、勝ち取ってきたわよ!」

「おぉ!叔母様かっこいいのじゃ!」

「ほんとに戦争に勝った顔してるね」

「主婦の特売は戦場なのよ!」


両腕いっぱいに肉を抱えた叔母さんと合流し、スーパーを後にする。


歩いていると、こはくの足がぴたりと止まる。

「おお……なんじゃ、あれは!」


 視線の先には、香ばしい匂いを漂わせるたい焼きの屋台。鉄板の上で生地が焼け、甘い餡の香りが辺りに広がっている。


「お、お嬢ちゃん! 一個食べてくかい?」と店主が笑顔で声をかけると、こはくは目を輝かせて「うむ!」と即答した。


「はいはい、じゃあ三つください」

叔母さんが財布を取り出し、慣れた調子で注文する。


「お嬢ちゃんかわいいから、おまけでもうひとつ!」と店主が包みを差し出すと、こはくは両手で受け取りながら深々とうなずいた。

「おお! ありがとなのじゃ!」


 歩き出すと、こはくはさっそくたい焼きにかぶりつく。表情が一瞬でとろけ、幸せそうに頬をふくらませた。

「……熱っ、でも…甘いのじゃ……!」


 その横で、叔母さんが横目でちらり。

「ねぇ、こはくちゃん、一口ちょうだい~?」

「だ、だめなのじゃ! これはわらわの獲物なのじゃ!」


 たい焼きを抱きしめて逃げるように身をひねるこはくと、追いかけるようにからかう叔母さん。その姿に、僕は思わず小さく笑みをこぼした。


 

 昼過ぎに家に戻ると、叔母さんはすぐさまキッチンに立ち、僕とこはくに指示を飛ばしてきた。

「智也くんは風船ふくらませて! こはくちゃんは紙のお花作って!」


「おはな…? これはどうすればよいのじゃ?」

 お花紙を手に首をかしげるこはくの隣で、僕はぷくぷくと風船を膨らませる。ふっと手を離すと、風船が「ぴゅるるる」と音を立てて飛んでいき、床を転がった。


「わっ!」


 こはくは反射的にしっぽで器用に捕まえ、胸の前に掲げて勝ち誇る。

「ふふ、妙な遊びじゃの!」

 その様子に思わず吹き出してしまう。


 途中でこはくも風船づくりに参戦し、顔を真っ赤にして息を吹き込む。

「ふ、ふぬぅぅ……! ぜ、全然ふくらまぬぞ!」

「ははっ、もう僕やるよ! 貸して!」


 結局僕が膨らませ、こはくはリボンで結ぶ係に落ち着いた。

 気がつけば部屋は色とりどりの飾りでいっぱいになり、なんとなく胸の奥が温かくなった。


 その時、キッチンから「できたよー!」という叔母さんの声。

テーブルには大きな鍋がどんと置かれ、甘辛い香りがふわりと広がった。

「おお……これは!」

「すき焼きだよ」

 椅子に飛びつくように座ったこはくの顔が、子どもみたいに輝いていた。


 最初はおとなしく箸を動かしていたのに、やっぱり肉ばかり狙っている。

「こら、野菜も食べないと」僕は白菜を箸で持ち上げ、こはくの椀に入れる。

「むぅ……わらわは肉で戦う派なのじゃ!」

「戦いじゃなくて食事!」

「なら智也は草食獣じゃな!」

「誰がだ!この!」

 二人で軽口を叩き合うたびに、叔母さんの笑い声が響いた。


 ――が、その笑みは次の瞬間、静かに涙に変わっていた。

「えっ……叔母さん、どうしたの?」

「叔母様…?」


「……あ、ごめんね…こんな幸せな時間…私には無縁だと思ってたから」


 驚いて言葉を失う僕らに、叔母さんは少し照れくさそうに笑った。

「私ね、子どもができない体だから……だから余計に、こうして一緒に食卓を囲めるのが、すごく嬉しくて……。親みたいなこと言って、ごめんね」


 その瞬間、こはくは立ち上がり、そっと叔母さんの背後に回って抱きしめた。

「確かに…叔母様は実の親ではない。じゃが――母上と同じくらい、大好きなのじゃ…大切なのじゃ、だから、そんなこと言わないでほしいのじゃ…」


 僕も言葉を探しながら口を開いた。

「僕だって……叔母さんがいなければ、こうして笑ってる自分はいないよ。そばにいてくれて……ありがとう」


 叔母さんは一度口を開きかけ、けれど言葉にならずに泣きじゃくった。

 こはくはそっと耳元に顔を寄せて、柔らかくささやく。



「……この前のお返しじゃ」



 その声に、叔母さんの肩が小さく震え、部屋の空気は一層あたたかくなった。



 しばらく温かい時間が流れていた。


 ふいに、叔母さんが鼻をすすりながら「あ、そういえば……」と立ち上がった。


「え?なに?」

「なんじゃ?」

 僕とこはくが首をかしげる間に、叔母さんはぱちんと電気を消す。

暗くなった部屋に一瞬ざわめきが走る。


 次の瞬間、ふわりと小さな光が浮かんだ。ろうそくの火。


「……ケーキ?」


 叔母さんが両手で大事そうに抱えて現れたのは、真っ白な生クリームのケーキ。上には小さなプレートに「入学おめでとう!」の文字が書かれている。


「智也くん、こはくちゃん。入学おめでとう!」


 ろうそくの灯りを前に、僕とこはくは顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。

「ありがとう、叔母さん」

「なんじゃこれは!ありがとなのじゃ!」


 二人で火を吹き消すと、叔母さんは今度は小さな箱を二つ取り出した。

「それから……これ、プレゼント」


 箱を開けると、中には銀のシンプルなブレスレット。

桜の花がワンポイントで刻まれている。

「二人に似合うかなって思って……いやだったら、つけなくてもいいからね」


 少し照れくさそうに笑う叔母さん。


 僕とこはくは同時に声をあげた。

「つける!ありがとう、叔母さん」

「つけるのじゃ!ありがとなのじゃ、叔母様!」


 叔母さんは嬉しそうに目を細め、そして、にやりと笑った。

「でもね、それ……お揃いよ?」


 僕は顔が熱くなるのを感じ、思わず言葉を詰まらせた。

「なっ……!」


 けれど、こはくは無邪気にブレスレットを掲げて喜んでいる。

「おお、智也と同じじゃ! うれしいの!」


 僕が視線を逸らすと、叔母さんは追い打ちをかけるように笑った。

「付けるって言ったからね~、学校でもちゃんとつけるのよ~?」

「そ、そんなの……!」

「いいでしょ、だってお揃いなんだから」

「や、やめてって!」

 叔母さんと僕の言い合いの横で、こはくはキラキラと目を輝かせ、ブレスレットをくるくると眺めていた。


 


部屋には笑い声と温かな空気が広がる――。




 けれど、その優しい時間を、窓の外から静かに見つめる影があった。

 夜風に長い髪を揺らし、透き通るように澄んだ声で、小さく呟く。



  「見つけた…」






最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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