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神縁  作者: 朝霧ネル
13/31

揺らぐ日常、囁く闇


――帰りの車、その道中、誰も口を開かなかった。


家に着くと、叔母さんは玄関で小さく息を吐き、ふらりと壁に手をつく。

「……ちょっと……休むね……ごめんね」

そう言って、ゆっくりと部屋へ消えていった。


こはくは、その背中を見送りながら、申し訳なさそうに小さくうなずく。


「うむ…」


残されたリビングには、僕とこはく、二人きり。

ソファに腰を下ろしても、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

さっきまでの出来事が現実とは思えず、思考が空回りしている。


「……大丈夫か?」


こはくの声が、そっと僕の耳に届いた。

その金色の瞳は、心底心配そうに揺れている。


「うん……ただ少し、驚いただけだよ…」

無理やり笑みを作って返すと、こはくは僕の横に腰を下ろす。


ふわりと白い尾が揺れ、僕の膝にその影がかかる。

そして、震える僕の手の上に、こはくのあたたかな手が重なった。


ふと、僕はこはくの顔を見た。

金色の瞳が、変わらず僕を見つめている。

けれど、その視線を正面から受け止めきれず、僕は視線を落とした。


「……あれは、なんだったの?」


問いかけると、こはくはほんの一瞬だけまぶたを伏せ、ゆっくりと口を開いた。


「あれは……朽神じゃ。本来なら、負の感情が暴走せぬよう、封神蔵と呼ばれる場所で丁重に封印されておる。皆、苦しみや後悔を抱えた者たちじゃ」


淡々とした説明の中に、微かな怒りの色がにじむ。


「じゃが……おそらく、何者かが、その封印を解き、暴走させておる。……許せないのじゃ」


僕の手の上に置かれたこはくの手に、じんわりと力がこもる。

そのぬくもりは温かいのに、指先にわずかな震えがあった。


「……ただ、わからぬことがある」

そう言って、こはくは僕の手を見下ろす。


「なぜ朽神は人間界におる……? 五神獣は、何をしておる……。こんな簡単に侵入を許すとは……」


最後の言葉は、小さく吐き出すように呟かれた。


「五神獣……?」



僕は顔を上げ、こはくを見つめる。



「こはく以外にも、いるの?」


こはくは、僕の問いに首をかしげた。



「ん? 人間の間では、なじみのものではないのか?」


その反応に、僕は思わず目を瞬かせる。


「え、なじみ?こはくしか、知らないよ」


こはくはさらに不思議そうに眉を寄せ、少し間を置いてから口を開く。


「聞いたことないのか?東西南北で五神が守っておるじゃろ。……東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武、それぞれの方角と領域を司り、均衡を保っておるのじゃ」


「その中心に立つのが麒麟じゃ。五神を束ね、全体の統率を担っておる存在」


僕は、こはくの言葉に


「……あ! 聞いたことある!」


勢いよく声を上げると、こはくが金色の瞳を瞬かせてこちらを見た。


「でも、あれって……ただの伝説っていうか、信仰とかのたぐいだと思ってて、学校の授業とかでも、昔話のひとつとしてしか聞いたことないし……」


こはくはふっと表情を和らげる。


「……やっと普段の智也に戻ったのじゃ」

微笑むその顔に、わずかな安堵の色がにじんでいた。


「あ、うん……ごめん」

僕も同じように微笑み返す。


ふと、さっきの会話が頭をよぎり、僕は問いかけた。


「そういえば、その五神獣だけど……その神獣たちが機能してないってこと?」


こはくは笑みを引っ込め、真剣な色を瞳に宿す。

「うむ……わからぬが、何かしらあったのは確かなのじゃ。侵入を許せば、五神獣が黙っておるはずがない」


その言葉の後、二人の間に短い沈黙が落ちた。

しんとした空気の中、こはくが突然、はっとしたように顔を上げる。

同時に、白い耳がぴんと立ち、九本の尾がふわりと持ち上がった。


「……今、気づいたのじゃが……」


こはくは僕を見ず、宙を見つめたまま小さく呟く。


「なぜ、わらわはここにおる……!? わらわは異端じゃぞ!」


その声色には、驚きと困惑が入り混じっていた。


「五神獣の結界を、わらわがかいくぐってきた……? そんなはずは……」


金色の瞳が大きく見開かれ、尾の毛並みがざわりと逆立つ。

こはくは自分の胸に手を当て、信じられないといった表情を浮かべていた。


次の瞬間、その瞳が僕をとらえる。

「――やはり、なにかおかしいのじゃ! 智也!」


驚きと焦りの混ざった声で叫び、こはくは勢いよく僕に詰め寄ってくる。


その真剣な表情に――僕は、こらえきれず腹を抱えて笑ってしまった。


「……っははははっ!」


「な、なぜ笑うのじゃ! これは深刻な事態なのじゃぞ!」


目を丸くするこはくに、笑いはさらにこみ上げる。


「うん……わかってるけど……そんな表情、初めてで……ははははっ」


涙がにじむほど笑いが止まらない。


「ば、ばかもの! 智也のばかもの!」

こはくはむすっとして、両腕で僕の腹をとんとんと軽く叩く。


二人がそんなやりとりをしていると――


「……あら、お邪魔だったかしら?」


軽くからかうような声とともに、叔母さんがリビングに顔を出した。


「ち、ちがうよ!そんなんじゃないってば」


慌てて起き上がった僕は、思わず顔が熱くなるのを感じる。


こはくは、ソファの上で女の子座りをしながら、きょとんと叔母さんを見上げていた。


「叔母さん、体調は大丈夫なの?」


僕が尋ねると、こはくも小さくうなずきながら、


「先程は……すまなかったのじゃ」


と申し訳なさそうに謝った。


叔母さんは首を横に振った。


「ううん! 少しびっくりしちゃっただけ。こはくちゃんが謝ることじゃないわ」


そして柔らかな笑みを浮かべる。


「むしろお礼を言わせて。守ってくれて、ありがと、こはくちゃん」


その声に、こはくはわずかに目を丸くし、照れくさそうに小さくうなずいた。


叔母さんは二人の前まで来ると、少し声を落とした。

「盗み聞きしたわけじゃないけど……さっきの話、聞いちゃって」


そう言って、叔母さんは仏壇へ向かい、小さな木箱を手に取って戻ってくる。


「これ……お姉ちゃんとお兄さんが、大切に保管してたみたいなの」


テーブルの上に木箱を置き、そっと蓋を開ける。

中には、繊細な装飾が施された札が静かに収められていた。


「お母さんとお父さんが……」


思わず僕は息をのむ。幼い頃から見たことのない品に、驚きと戸惑いが入り混じる。


「これは……さっきの話の、東の青龍……だよね?こはくちゃん…」


こはくは札を指先で軽く持ち上げながら、顎に手を当ててつぶやいた。


「これが青龍じゃ、簡単な結界が施されてるようじゃが、効力が弱まってるみたいじゃな」


叔母さんが真剣な表情になる。


「効力……その、効力?が弱まり始めたのは……どのくらい前か、わかる?」


こはくは一瞬考え、ふっと顔を上げた。


「最近のようじゃ……うーん、智也とわらわが出会った時くらいじゃ」


僕の胸が、ずきりと痛んだ。


――あの日。


母さんと父さんが、もう帰ってこなかった日。


思わず札に目を落とすと、冷たい金属の縁が光を反射して揺れていた。

手のひらの奥で、脈がやけに早く打っているのを感じた。


「お姉ちゃんとお兄さんの死は、何か関係してるの…?」


険しい表情で、叔母さんが低くつぶやく。


「私ね……何度かここに来たとき、毎回、この木箱に向かって何かを祈ってるお姉ちゃんとお兄さんを見かけたの」


叔母さんの声は静かだったが、その奥に確かな記憶の重みがあった。


「最初は、変な宗教にでも入ってたら止めなきゃって思ってた。でも……祈りの内容は、いつも同じだったの。

“智也をお守りください”――それだけ。本当に智也くんを大切に思っているんだなってわかって……それ以上は詮索しなかったのよ」


叔母さんは木箱をそっと見つめ、唇を結ぶ。


「でも……あの日から、その祈りはなくなった。そして、こはくちゃんが言うように効力が弱まっているとすれば……何かが意図的に、二人を狙ったってことも考えられるってことよね?」


「……うむ。じゃがそれは考えづらい。狙う動機がないのじゃ。智也の母上、父上を殺して、神に利益などない」


その言葉に、僕は胸の奥がちくりと痛んだ。


「……」


何も言わなかったが、表情に出たのか、こはくがはっとして僕を見た。


「す、すまぬ……失礼なことを言ったのじゃ」


「大丈夫」


短くそう返すと、こはくは少し安堵したように息をつき、話を続けた。


「それに……何らかの侵入があれば、女神様より加護を受けておる五神獣が黙っておらぬはずなのじゃ」


「そう……よね……こはくちゃんと会ってから、いろんなことがあったから、つい考えすぎちゃったみたい」


叔母さんが小さくうなずき、僕の顔を見て申し訳なさそうに言った。


「智也くん、思い出させちゃってごめんね」


「……」


こはくは僕をじっと見つめ、静かに口を開いた。


「じゃが……もし、智也が青龍となんらかの関係があるのなら、話は別じゃ……」


「……え? 僕が、青龍と……?」


思わず息をのみ、言葉が途切れた。


「……うむ。もし智也が青龍と何らかの関係があるのなら、それをよく思わない神が、何らかの力を行使した可能性は出てくるのじゃ」


「青龍って、嫌われてるの?」


思わず問い返す。


こはくは小さく首を横に振った。


「その逆じゃ。昔、母上に聞いたことがあるのじゃ。青龍は人間界を他の四神獣とともに守り続け、信仰され、一番人間を愛し続けた神獣……それが青龍じゃ」


その声はどこか懐かしさを帯びていた。


「他の四神にも慕われ、頼りになると母上は言っておった。母上と青龍は、なぜかわからぬが仲が良かったのじゃ。よく遊びに来ておったからな、あまり覚えとらんが…」


「青龍って……そんなにすごい神獣なんだ……」


思わず、つぶやくように言葉がこぼれる。


「初めて知ったわ」


叔母さんが、興味深そうにこはくを見た。


「でも……青龍を嫌う神っているの? 聞いた感じ、みんなに好かれそうだけど」


こはくの表情が一瞬だけ険しくなる。


「……一人、いる……いや…いたのじゃ。今は女神様によって封印されておる……」


「封印…なにかしたの…?」


僕はすぐに聞き返した。


「うむ……この人間界を、支配するつもりじゃったらしい。母上が言っておったことだから、本当かはわからぬが……」


「し、支配!?」僕とおばさんは同時に声を上げた。


「でも……なんで人間界を?神にとっては、ちっぽけでしょ?」



僕は思わず問いかける。


「人間界は、他の世界と違い……感情で溢れておる。智也や叔母様のような優しい感情もそうじゃが……負の感情もまた、多いのじゃ」


「苦しい……悲しい……怒りや恨み……」


こはくはそこで一度言葉を切り、ゆっくりと続けた。


「その負の感情を、己の糧とし、悪用しようとしていたのが――そやつじゃ…」


金色の瞳がわずかに細まり、声色に冷たい響きが混じる。


「人の心の闇を煽り、争いや絶望を生み、その感情を吸い上げては力に変えていく、それが狙いだったのじゃろ」


空気がひやりとする。


「人間界を守る五神の中でも力があり、核となる青龍は、あやつにとっては邪魔そのもの、最も危険な標的として狙われた、そんなところじゃ」


言葉が落ち着くと、部屋の中に少しだけ沈黙が流れた。


 僕は、その間をぬうように口を開く。


「……青龍は、今はどこにいるの?」


 こはくは視線をわずかに伏せ、記憶をたどるようにゆっくりと話した。


「母上と離れ離れになる前に、突然姿を消したのじゃ。どこにいるかもわからぬ……じゃが、青龍は…とても優しかったのじゃ」


 その口調ににじむ温かさに、僕は自然と微笑んだ。


「そうなんだ……」


 そして、気になっていたことを続けて尋ねる。


「その……封印された神はもう、危険はないんだよね?」


 こはくは、ふっと口元を緩めてうなずいた。


「うむ、女神様の監視下にあるからのう。きっと大丈夫じゃ」


 その答えを聞き、僕と叔母さんは、思わず顔を見合わせ、小さく息を吐いた。


僕は唾をのみ込み、恐る恐る口を開く。


「……また、その…朽神が現れる可能性はあるの?」


「ない……とは言いきれぬ。現に今日、遭遇したからのう……」


「あの時、正直……砂埃だらけで、なにがあったのか、こはくちゃんがなにをしたのか、全然わからなかったわ…」


「でも、あの身のこなし、最後の一撃…やっぱこはくはすごいんだなって…思ったよ」


「……身のこなし? 一撃?」


叔母さんが眉をひそめる。


「ん? ほら、こはくが朽神と戦っていたときだけど…」


叔母さんは「???」という顔で固まる。


「……智也、おぬし、やはり変じゃぞ?全部見えておったのか?」


こはくがジロリと僕を見る。


「人間の動体視力で、わらわや朽神の速さは視認できぬはずじゃ」


「え…でも最後、低姿勢になって…こうっ!」

僕は身振りでパンチを真似てみせる。

「パンチしてたでしょ?」


「智也…やはりおぬし、ただの人間でないのでは…?」


「いやいや…ただの高校生だよ!」


「やめてよこはくちゃん…そういう怖いこと言うの…」


と苦笑しつつも、どこか落ち着かない。


こはくはまだ疑いの目を向けたまま


「まぁいい…いずれわかることじゃろ」


その言葉と同時に、窓の外で風が強く吹きつけ、カーテンが揺れる。



一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一



「ねぇ〜つまんない〜、白蓮、早く人間で遊びたい。早く行こうよ〜」


「噛音、もう少し待ってね。獣共が張ってる結界がもうすぐ崩れる。それからなら、好きにしていいよ」


「結界…?でも、一匹欠けてるんだよね?そんなの脆いじゃ~ん。私がぜーんぶ壊してあげる」


白蓮は笑顔のまま


「噛音、それは無理だよ。獣といっても、女神に加護を与えられた存在。皆で力を合わせてもひびすらはいらないよ」


「ふ〜ん、あの女、死んだくせにめんどくさいね…」


と肩をすくめ、すぐに顔を輝かせる。


「じゃあさじゃあさ!朽神を送ろうよ!封印解いたんだし!」


「えー?一回送ったでしょ?すぐやられちゃったみたいだけど…ほんと使えない……ゴミ共…だよね」


白蓮は不敵な笑みを崩さず言う。


楽は嬉しそうに跳ね


「もっともっと送って、結界がなくなるまで消耗させて…それで疲れ切ったところを…痛めつけて!嬲り殺そうよ!」


鈴をチリチリ鳴らす。


楽は跳ねるのをぴたりとやめ、白蓮の顔を覗き込む。


「でもさぁ……なんで朽神って人間界に行けるの? 気持ち悪いから?」


小首をかしげながらそう言うと、また嬉しそうにぴょん、と跳ね出した。


白蓮は小さく笑い

「なにそれ……ははっ、噛音はほんと面白いね」と軽く肩を揺らす。

そして、そのまま淡々と説明を始めた。


「あいつらの結界は、私たちみたいに生命力を持つ存在を拒む仕組みになってるんだよ。死霊や怨念みたいな性質を持つ朽神には効かない。

朽神が暴れるなんて誰も想定してなかったからね……それ用には作られてないんだよ。

ま、今となっては道具として使えるから……いいんだけど」


言いながら、白蓮はゆっくりと首をかしげた。


白蓮は、ゆっくりと口角を上げ

「じゃあ……ちょっと…乱暴な朽神を、数体……送ってみようか」

その瞳は、獲物を前にした猛獣のように細まり、妖しく光る。


その表情を見た楽は、ぱっと目を輝かせ、「わーい!わーい!」と跳ね回る。

甲高い声があたりに響き、空気がさらにざらついていく。






――封神蔵。



厚い鉄格子の奥で、数体の巨大な影がうごめく。



「……殺す……殺す……」



低く、地を這うような唸り声が幾重にも重なり、


巨体が牢を激しく叩く轟音が、闇の中で反響し続けた。



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