春、花が咲く頃に
『神縁』
大切なものを失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から現れた神獣の少女・こはく。ひとつの出会いが、ふたりの運命を静かに動かし始める。
心を通わせながら過ごす穏やかな日常、その裏では、世界を喰らう闇が目を覚まそうとしていた――。
過去の傷、隠された力、交わる縁。青春と戦いが交錯する中で、ふたりは“生きる意味”を探していく。
人と神獣の垣根を越えて描かれる、優しくも切ない異世界ファンタジー。
春の朝は、少し冷たい。けれど、制服の新しい生地は、なんだか背筋をしゃんとさせてくれる。
鏡の前でネクタイを結ぶ手がもたついて、ため息をついたそのとき、背中から母の声が届いた。
「もう、また斜めになってる。貸してみなさいって」
「いいよ、もうちょっとでできるから」
「だーめ。入学式はびしっときめるのよ!」
「ただの入学式だって……もう子供じゃないんだから」
ぶつぶつ言いながらも、母の手はやさしかった。香水の匂いが、ほんのり甘くて、どこか安心する。
「おっ、決まってきたな」
リビングから顔を出した父が、スマホのカメラを構える。
「はいチーズ」
「やめてって、そういうの、恥ずかしいから」
「いいだろ? 記念なんだから」
「わかってるけど、もう……はしゃぎすぎだよ」
父と母が顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
ひと段落すると、父がソファに座りながら言った。
「明日、入学祝いのディナー、予約しておいたからさ」
「え、ほんと?」
「うん。お父さんとお母さんは仕事早く切り上げてそのまま向かうから、学校終わったら、17時にこのお店な」
そう言ってスマホの画面を僕に見せる。
そこには、洒落たレストランの地図が表示されていた。
母が「着替えちゃだめよ!制服のままくるのよ!」と嬉しそうに言い、僕は少し照れながらも頷いた。
その何気ないやりとり。
この空気。この笑い声。
全部が、「幸せ」と思える時間だった。
* * *
高校の校門は、どこかまだ新築の匂いが残っていて。
ピカピカの制服姿が並ぶ中、僕はやっとのことで自分のクラスを見つけた。
「1年B組……っと、ここか」
教室に入ると、少しガヤガヤしていて、でもどこか浮ついた空気が心地よかった。
指定された窓際の席につき、ふぅと深く息をついたとき。
「よう、君もB組?」
隣に座った男子が気さくに声をかけてきた。
少し癖っ毛のある茶髪で、朗らかな印象のやつだった。
「うん。一ノ瀬、智也。一ノ瀬でいいよ」
「俺、村上翔。よろしくな!」
──なんとなく、気の合いそうな空気だった。
教科書がどっさりと配られ、年間スケジュールもざっくり共有された。
次は身体測定、そのあとは部活動紹介。思ったよりもあっという間に時間は過ぎていった。
「なあ、一ノ瀬。どっか部活入るつもり?」
「んー、どうだろ。何か見てから決めるかも」
「そっか! よし、じゃあ今度見学一緒に行こうぜ」
知らない人ばかりの新しい場所で、ちょっと不安だったけど
正直…想像したよりも楽しかった
* * *
下校の時間、村上とは校門で別れた。
「また明日な!」と手を振ってくれて、僕も小さく返した。
家までの道は、いつもと変わらなかった。
ただ、今日は少しだけ特別だった。
入学祝いのディナーを、両親が予約してくれていたからだ。
時間は、17時。店の名前と場所は、父に聞いていた。
僕の心は、ほんの少し浮き立っていた。
これから始まる新しい生活に、不安と期待が入り混じっていたけれど──
今はただ、家族と過ごす穏やかな夜を、楽しみにしていた。
でも。
指定されたお店が近づくにつれて──違和感が生まれた。
通りの先、人だかり。パトカー。救急車。
騒然とした空気が、道路をふさいでいた。
(……何があったんだ?)
胸がざわつく。
人だかりをかき分けて前に進んだとき、視界に飛び込んできたのは──
見覚えのある車。
父の車だった。
信じられない光景だった。
車は、ぐしゃりと潰れていた。前方部分は原形を留めておらず、煙を上げていた。
「……うそだ」
声が、かすれて出なかった。
次の瞬間、担架に乗せられて運ばれていく二人の姿が見えた。
血のついたシャツ。酸素マスク。何人もの救急隊員に囲まれている。
「──っ、お父さんっ!! お母さんっ!!」
僕は叫んでいた。何度も、何度も。
駆け寄ろうとした腕を、誰かに強く掴まれた。
「危ないから下がって!」
警官の声。混乱する視界。震える足。
「僕のっ、僕の父さんと母さんなんだっ!! たすけてっ!!」
救急隊員が腕を引き、担架と一緒に救急車へと乗せてくれた。
僕は泣きじゃくりながら、その手を握りしめたまま──
サイレンの音とともに、病院へと向かった…
……あの日、笑っていたふたりを。 もう二度と――見ることはできなくなった。
毎週水曜日&日曜日更新予定(第一章・全48話想定)
※諸事情により日曜日のみの更新の可能性もございます。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。