二人の片隅
「え…………あの、覚えていないんじゃ」
「すみません、嘘をついてみました」
何故。
冬弥の脳内がその2文字で埋め尽くされる。
「貴方が編入されてから3日、校内では無表情な顔しか見たことがなかったので」
嘘をついたら、どんな顔をするのだろうと思いまして。
そう悪びれる素振りもなく話す少女に、呆気にとられた。
「…………あ、俺…………寒崎冬弥と言います」
「はい、存じております。私は白樺舞雪と申します」
白樺、舞雪。
名前まで白いのかとぼんやり考える。
「昼食の時間をお邪魔してしまいましたね。私は行くので―――」
「ま、待って!」
本を片手に立った舞雪の手首を咄嗟に掴んだ。
「…………寒崎さん?」
(やばい、掴んだ、なんで)
どうしよう、どうしよう、振り払われないか、迷惑かも、ああもう、早く離さないと、じゃないと―――
「…………もしかして、ここにいて良いんですか?」
俯いていた顔をバッと上げる。
舞雪は優し気な温かみのある笑顔を浮かべて言った。
「ありがとうございます、寒崎さん」
〝ありがとうございます、寒崎さん〟
(…………お礼、言われた)
嬉しいとはまた別の、よくわからない感情が冬弥を包む。
(ぱちぱちと目の前が弾けるような、腹の底がぐるぐるするような…………って言語化するの下手か俺)
でも、本当にそんな感じだった。
そんな冬弥は今、屋上で舞雪の隣に座っている。
(…………何この状況…………)
ありがとうと微笑んだ舞雪は、元の位置に戻って座り、本を読み耽っている。
(…………何を読んで…………)
「!」
〝Earth〟
(…………地球…………)
〝Moon〟
(…………月)
〝Mars〟
(火星)
一瞬だけ目を見開いた冬弥は、すぐ下を見る。
冬弥と舞雪の間に重ねて置いてある本が、少しズレて表紙が見える。
〝Black hole (ブラックホール)〟
〝Rocket (ロケット)〟
すぐに勘付いた。
〝Zero Gravity (無重力)〟
ここまでヒントがあって、わからない訳がない。
〝Survival (サバイバル)〟
きっと、彼女を虜にしているものがある。
〝Sky(空)〟
それは―――
「…………〝Universe(宇宙)〟」
「!」
バッと身を乗り出した舞雪が、顔を輝かせた。
「寒崎くん…………寒崎くんも、宇宙に興味あるの?」
「…………えっ?」
〝寒崎くんも、宇宙に興味あるの?〟
(〝も〟ってことは、つまり…………)
「?」
「…………あぁえっと、そうじゃなくて」
慌てて弁明を口にする。
「色々…………本に、宇宙関連のことが書いてあったから。だからそうかなと思っただけで…………」
「…………そう、ですか」
(…………あ)
敬語に戻った。
戻ってしまった。
(やっぱり、ちょっと勿体なかったかも…………)
宇宙関連のこと、養父は何か言っていなかったか。
カンザキグループの企業の内容をざっと頭に思い浮かべる。
(飲食関係に服飾、銀行、製薬、車…………駄目だ、何も…………ん?)
そういえば、以前読んだ本にあった。
確か、ソ連の。
「…………ワレンチナ・テレシコワ」
「!」
(あ、また)
舞雪が顔を輝かせた。
「ご存知ですか?格好良いですよね、世界初の女性宇宙飛行士」
私も宇宙飛行士になりたいんです、宇宙が好きだから。
そう言った舞雪の顔は、無邪気でありつつも頼もしさが溢れていた。
「…………そっか」
(すごいな、この人)
冬弥のように、流れで人生が決まっている訳ではない。
ちゃんと興味があるものがあって、夢があって、それを叶えるために努力を積み重ねている。
そんな人なら、きっと夢だって叶えられるはず―――――
(…………あれ?)
「でも…………確か、白樺コーポレーションってある…………よな」
カンザキグループと同じくらいの財力を知名度を誇る、超有名企業。
一人娘を溺愛している社長の存在はそこそこ有名である。
「…………もしかして君、白樺コーポレーションの、」
「はい、そうです」
舞雪が寂しそうに笑った。
「私、兄弟とかいないので。私が白樺コーポレーションを継がなきゃいけないんです」
「!」
「いや、婿入りって形にするのかな。どちらにせよ、私は宇宙飛行士なんて言っていられる立場じゃないんです」
「…………そんな」
御曹司や社長令嬢という立場に生まれてしまったのだから、そういうことがあるのは仕方のないことである。
実際、跡継ぎという未来が確約されているため、夢を諦める人だって少なくはないはずだ。
「でも、私はお父さんとある約束をしました。もしそうなったら、私は宇宙飛行士って夢を追いかけても良いと…………」
だからそのために、頑張るんだ。
そう言った舞雪の横顔を見た冬弥は、ふと自分の人生と比べてしまった。
孤児院で育った冬弥。
跡継ぎとして育った舞雪。
夢もなく、孤児院に戻されないように勉強する冬弥。
夢のために、勉強を決して怠らない舞雪。
自分と舞雪とのギャップに、恥ずかしさと尊敬と羨望が入り混じるような気持ちを覚えた。
少し、嫉妬に似たような感情すらも持ってしまった。