第四夜
こんな夢を見た。
殺し屋は九ミリ・オートマティックを抜いて、スライドを少し引いた。銃弾はきちんと薬室に装填されていた。
銃をベルトに差して、Tシャツで隠した。
ヤクザの客分になるのは初めてだからどれだけの危険が舞い込んでくるのか分からなかった。だから、予備の弾倉も持っていくことにすると、殺し屋はドアを開けて、エレベーターに乗った。
団地を出ると、自分がどの団地から出てきたのか分からなくなった。どれも同じ高さで、同じように角ばっていた。布団を叩く音がした。陽光が真上から壁の塗装を撫でおろし、影は殺し屋の真下で黒く溜まっていた。何もかもが白く光っていた。
殺し屋は手で顔を扇いだ。少しも涼しくならなかった。進学塾が団扇を配るのは駅前だけだが、そこまで歩く気にはなれなかった。図書館で涼むのを考えたが、今日は月曜日で休みだった。
結局、駅まで歩くしかないのだと自分を納得させた。まるで他人が自分の頭のなかに入り込んで、好みもしない選択をさせられたような気がした。
太陽は燐のように白く燃えていた。並木の枝は暑さでうなだれて、そよ風も吹かない。熱でゆるくなったアスファルトが靴の裏をなめていた。道はどこまでも真っすぐ走っている。横町は全て、コの字の団地の行き止まりで尽きていたので、真っすぐの道を歩き続けるしかなかった。
人はほとんどいなかった。たまに見かける人はみな、首から携帯扇風機を下げていた。それを見て、殺し屋は自分もひとつ欲しいと思った。
団地が尽きると、駅の前があらわれた。人が列をつくっているのを見つけ、目でたどってみると、キッチン・カーが庇を伸ばしていて、レモネードを売っていた。レモネードをつくっているのは少し前に殺した男だった。なぜか殺し屋にはそれが本物と分かった。よく似ているとか、兄弟ではないのだ。まるで死を跳ねのけたように生き生きとしていた。それが知れると途端にひどく喉が渇いた。駅前は扉を閉ざしたビルに囲まれていて、飲み物はそのキッチン・カーでしか得られなかった。
殺し屋は列に並んだ。列に並ぶ人はだれも陽の光で白く色を抜かれていた。燐光が服を着て歩いているようだった。レモネードの入ったカップを受け取ると、ビルのあいだにある暗い路地へと消えていく。殺し屋の番が来た。男の額には殺し屋が七・五二ミリ弾で空けた穴が開いていた。背伸びをして穴を覗くと、弾が頭から出ていくときに開いた穴が見えた。穴の向こうにはピンク色の携帯扇風機が首吊り死体のようにゆらゆら揺れているのが見えた。
「レモネードを一杯」
「はいよ」
男は殺し屋に殺されたことを覚えているようだったが、それを口にするのが恥ずかしいようだった。同じく殺し屋も、あなたはぼくに殺されましたね、と、馬鹿げた質問をしたくなかった。透明のプラスチックカップがレモネードでいっぱいになると、紙製のストローと蓋がつけられた。
男はレモネードを渡しながら言った。
「ここにはもう来ないほうがいい。来た道を戻りな。ほら、これもやるから」
殺し屋はピンク色の携帯扇風機を受け取ると、早速スイッチをオンにして、首から下げた。ブゥーンと音がして、熱を含んだ風が顎に当たった。
「あの、こんな質問したらバカみたいに思われますけど、どうしてあなたは生き返ったんですか」
「おれは生き返ってなんかいない。ここは死者の世界だ。おれから見れば、異質なのはお前だ。生前にあったことを水に流すつもりはないが、おれを殺したやつが間抜けな死に方でここに送られるのは我慢ならん。さあ、はやく来た道を戻れ。絶対に振り返るなよ」
殺し屋はレモネードを吸いながら、団地へと戻った。背後でシュー、シュー、と太陽が脹らむ音がした。暑さは強くなるばかりだった。レモネードを飲み切ると、残った氷を背中に流し込んだ。氷はあっという間に溶け、汗と混ざって蒸発してしまった。世界は漂白されていた。
はやく常世に戻りたいが、自分がどの団地の何階の何号室から出てきたのかが分からなかった。
道はまっすぐ伸びていて、左右には団地が並んでいる。横町はどれも団地の中庭で尽きている。
太陽がすぐ耳元でシューと音を鳴らしている。
殺し屋は九ミリを抜くと、振り返り、自分の真後ろまで脹らんだモノに十五発撃ち込んだ。




