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第二夜

 こんな夢を見た。

 B級ヤキソバ屋から出ると、高層建築物の谷底、歓楽街が待っていた。カクテル型の電気が弾けて虹の雨が降っている。雨も降らないのに濡れているアスファルトに虹の影が写し取られていた。踵の高い靴を履いた女たちが路地から路地へ、回遊魚のように歩き回っていて、宣伝トラックが売り物の名前を大音響で流していた。音と光と悪臭の刺激が強すぎて、殺し屋にはひどく不快だった。鈎組の事務所への道を忘れてしまい、迷った道の行き止まりでは丹塗りの剥げた鳥居が傾いていた。ヤツデに阻まれて、よく見えないが、社のガラス格子がぼんやり光っている。蛇のように狡猾な違法電話線が社のなかに引きずり込まれ、社からは「おれおれ、おれだよ、ばあちゃん」という声が何度もきこえてきた。

 殺し屋は方向を転じて、また街を歩いた。居酒屋やクラブの呼び込みは殺し屋に見向きもしなかった。そのうち、街が開けて、劇場前の広場に出た。真ん中っで武将の騎馬像が何かを斬ろうとするように腕を上げていた。そのまわりを子どもが数人ずつのグループに分かれて、たむろしていた。みな黒いマスクをしていた。あちこちに取引があった。中学生にしか見えない少女が、サラリーマン風の男に指を三本立てると、ふたりは人混みを吸い込み続ける路地へと消えていった。

 広場の端で髪が雑な緑色に染まったスカジャンの男がパケと現金を交換していた。相手は浅黒い顔の外国人で、大きな髭をたくわえ、髪も長かった。何かから逃げるとき、髭を剃り、髪を短くして逃げるのだろうと思うと、なかなかうまい手に思えた。

 スカジャンの男は殺し屋に気づくと、左右に大きく揺れる歩き方で近づいてきた。

「よお、家出?」

「いや。迷子」

「どこ住み?」

「鈎組」

「嘘じゃね? 代紋ねえもん」

「客分なんだ」

「フーン」

 スカジャンの男は立ち去る真似をした。それで背中いっぱいの銀の龍の刺繡が見えた。スカジャンの男はまた戻ってきた。

「二万でどうだ?」

「何が?」

「ファック」

「くたばれ」

 スカジャンの男はへらへら笑って、バタフライナイフを取り出した。そして、手を閃かせて、刃を開いたり、畳んだりを繰り返した。規制が厳しくなってから、とんと見なくなったテクニックだ。

「分かったよ」殺し屋は降参の印に両手をあげた。「ただ、ぼくのマネージャーに予定をきいてみないとね」

 殺し屋はあげた手でスカジャン男の後ろを差した。スカジャン男が後ろを向くと、股間を蹴り上げた。うめき声をもらして、下がった頭に掌をこめかみに叩き込んだ。スカジャン男が倒れると、子どもたちが集まり、スカジャンとズボンとシャツ、財布、時計、ライターと煙草、それにパケを盗み、男は下着一枚で転がった。バタフライナイフは誰も持っていかなかった。刃を踏んだまま、柄を握って持ち上げると、刃と柄の連結部分があっさり割れてふたつになった。

「クズめ」

 殺し屋はつぶやき、劇場の横を通って、広場から離れた。振り返ると、ふたりの巡査が裸の男に手錠をかけていた。

 何度か鈎組の事務所がどこにあるのか知らないか、通りがかりの人にたずねたが、殺し屋の存在はないもののように無視された。人が大勢いるのにきけないのはもどかしかった。ここにいるのは人ではなく、人の形をした背景装置だった。

 そのうち、美男子の顔がはめ込まれた電飾に竹林が混ざった奇妙な街に出た。影が何十本とデタラメに走り、点いたり消えたりを繰り返している。

 そこではみなが美男子を取り合っていた。悲鳴のような愛の表明、順位についての罵り合い、使い古された飛び降り自殺の脅し。一度、刃物を見た。三日月に沿った美術品だった。

 美男子は掃くほどいるが、美丈夫は少なかった。つついたら飛んでいってしまいそうな男もいた。本家の白ジャージたちのことが心に思い浮かんだ。ここの背徳は恐ろしく安っぽかった。

 街を進むにつれ、電飾よりも竹林のほうが多くなり、気づけば、遊郭の張見世格子が左右に並んでいた。だが、遊女はひとりもいなかった。代わりにこけし人形が置いてあった。

 人通りは多く、みな現代の人間なのに、この異様な街に驚きも、恐ろしさも感じていないようだった。

 幻を認められる広い世界の持ち主なのか、あるいは暮らしに疲れて、自分の足元以外見えていないのか、判じ難かった。殺し屋はどうにも水を浴びせられたような嫌な気持ちになった。はやく鈎組に戻りたかった。だが、こんな遊郭にいては、ますます帰る道が分からなくなった。

 そのとき、大柄の、白墨縞(チョークストライプ)のスーツの男があらわれて、殺し屋を客人と呼んだ。

「事務所から迎えに来ました」

「ああ、助かりましたよ。変なところに迷い込んで、どうしたもんか困りあぐねていたところです」

 どこかで見たことがある男だった。どこで見たのか分からないが、その角ばった顎や潰れた鼻にはつい今さっき見たような、はっきりとした覚えがあった。

 男に案内されると、数分もしないうちに殺し屋は歓楽街に戻り、〈鈎興業〉が地下一階に入っている安っぽい雑居ビルの前についた。

「ああ、助かった。ありがとうございます。なんとお礼を言ったら、いいか――」

 そう言って、向いた先には誰もいなかった。

 嗚呼。

 あれは騎馬像の武将だったのだ。

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