表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

第一夜

 こんな夢を見た。

 広さも造りも寺のような屋敷だった。黒い櫓門の向こうには夾竹桃の庭園が見える。

 雑木林を背負った影のなかに、黒塗りの高級外車が何台も連なっていた。そうやって、きつくなり始めた日差しを避けているらしい。三方から緑樹に抱きかかえられた影は涼しい。身分の低い運転役のヤクザたちは他の組の運転役と話していて、話題は女、競馬、高利貸の三つでまわっている。ときどき誰かがくしゃみをした。

 古い石垣のそばに涙色のクーペが止まっていた。運転席の殺し屋はピンクの携帯扇風機を首から下げていた。そこにいる男たちとは違う人間のようだった。殺し屋がショートヘアの少女、もしくは長髪の少年に見えたせいだ。

 ピンク色の携帯扇風機は殺し屋の頸と顎に涼しい風を送り、伸びた襟足をすうすうと揺らしている。石畳にちらつく木漏れ日が建築利権のように輝いていた。親分衆たちは会長の屋敷で女、競馬、高利貸の話をしているのかもしれない。ヤクザの本家など、来るんじゃなかった、と殺し屋は悔やんだ。ここでは雲一つない青空が青い蓋に見えた。

 殺し屋は客分で、集まった組のなかでも一番小さなまがり組の客分だった。玉ねぎのような組だった。剥きすぎて小さくなっているが、それを切れば涙を流すことになる。

 石垣のあいだに刻まれた細い道から汚れひとつない、汚れひとつない白いジャージを着た少年があらわれた。少年は殺し屋の涙色のクーペに近づき、お呼びです、と言って、頭をぺこりと下げた。

 他のヤクザはそれをじっと見ていた。その目には熱さも凍えもない。格上格下の問題があらわれると、ヤクザたちはみなこんな目をする。

 これだから序列にうるさい犯罪組織は嫌なのだ、と思いながら、クーペを降りると、少年についていった。日差しのなかへ出て、石垣の裏手へと案内されると、石の柱と黒い檜皮葺の門があり、枯山水の庭園に案内された。死んだ石の海が明るく光って円い波紋をつくり、その中心には沈みかけた大岩が苔の泡をまとっていた。

 少年はきれいに整った顔立ちで、どこか背徳的な雰囲気があった。まつ毛の長い目を常に伏し目にしていて、何かこちらに知られてはまずいことでも考えているようだった。

 石の庭を通り過ぎると、空っぽの行灯を置いた廊下の入り口に出た。廊下は長く、暗い。いつの間にか行灯に火が入っていた。荏胡麻油が燃えるにおいがする。暗く長い座敷に通された。肌が粟立つほどの冷気を覚え、殺し屋は首にかけた扇風機を机に置いた。黄色い電気に照らされた白塗りの壁があり、菊水会の歴代会長の等身大肖像画がかかっている。どの会長も紋付姿だった。初代は立派な顎髭をたくわえていたが、代を重ねるにつれて、それは短くなり、現会長の絵ではきれいさっぱり剃刀をあてた顎がつやつやしていた。ただ、髪はどの会長よりも真っ白く、真一文字に閉じた薄い唇は酷薄な気質を想像させる。

 いつの間にか消えていた、白ジャージの少年が盆に料理を持って帰ってきた。白飯、カサゴの刺身、椀のなかには海老のしんじょが出汁に浸かっていた。少年は慣れた手つきで、ビールの栓を開けると、失礼します、と言って、グラスをビールで満たし、泡で蓋をした。

 縁側から見えるのは大きな岩を四角く切り抜いた池で、粗い造りの龍の頭が樋となって、口から清水を吐いている。池の隅には水を逃がす切り口があり、そこから水は縁側の下、殺し屋のいる座敷の下を流れている。床下からはさらさらと土台を洗う音が止まらなかった。

 しんじょはうまく、カサゴも飛び切りだったが、グラスが空くたびに失礼しますと、美しい少年が後ろからビールを注いでくるのは少し煩わしかった。机には焼き物の灰皿があったので、殺し屋が煙草を取り出すと、少年は失礼しますと言って、ライターをつけた。

「気を遣ってくれるのはありがたいですけど、もう何もしなくてもいいですよ」

「いえ。会長からお客人をもてなすようにと言われています」

「じゃあ、もてなす気持ちでぼくのプライバシーを尊重してください」

 なんとか屁理屈で追い出すと、煙を会長の肖像画へ吹いた。

 相変わらず座敷には水が洗うサラサラという音がした。

 龍の頭をした樋は粗いが年代を感じさせた。おそらくどこかの遺跡から盗んだものに違いない。何と言っても、ここは子分を一万人も抱えたヤクザの本家なのだ。ここにあるものは殺し屋を含んで全てが犯罪で賄われている。そう考えると急に溶けるような親しみが湧いた。

 庭は相変わらず暗い。空が曇っているわけではない。だが、その光が妙に白々しくて、いけなかった。机に置いた扇風機のピンクが異質だった。池に鯉でもいるかと立ち上がったとき、隣の部屋から声がした。殺し屋は現会長の肖像画にぴたりと近づき、耳を澄ました。鈎組長の声がした。

「ですが、会長。本当に時任の兄弟をはじくんですか?」

「あの野郎、てめえのシマにシャブを流してやがる」

「おれのところで人を集めろと?」

「お前らは切り込みだろうが」

「ひとり、いいのがいます。客分ですが、腕はいいです」

 殺し屋は舌打ちし、すぐ壁から離れた。縁側の池を覗いた。魚は一匹も泳いでいなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ