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序章~時の翼の物語~(6)

「バランさま、時の井戸が何故つながったのか、オイラにはその理由がなんとなくわかる気がしますだ」


「うむ。かくなる上は……まずはバリンとバロンそれぞれの領地まで使いを出す必要があるな」


 バランはシャリオン村の惨状についてその理由がわかると、靴の踵を三度鳴らし、白い塔の聳える昼間のシャリオン村へロックとともに戻って来ました。おそらく、あの夜に白い光を放つ石たちは――何十年、何百年、いえそれ以上もの時の中で、モルガン姫の両親のように死霊の王と直接取引していなかったとしても、何かそれに近いことをするか、そうした事件に巻き込まれた人々の魂だということなのでしょう。


 ところでこの時、バランが踵を一度鳴らし、ロックとともにつむじ風のように瞬時にしてボウルズ町まで移動した時のことです。そこは何故か、廃墟のようになっていました。バランは一瞬、時の移動先でも間違えたかと思いましたが、もちろんそんなはずはありません。そこで賢い彼はこう考えました。


「死霊の王という敵は、我々が想定している以上に手強い、恐ろしい奴に違いない。無論、死霊の王なぞという以上、そんなことは当たり前なのだが、想像していた以上に人智を越えた存在だということなのだろう。つまりな、ロクスリーよ。死霊の王の奴は我々ふたりが時の流れを遡り、真実を知り、これから何かをするだろうと察知した、ということなのだ。それが、このボウルズ町までが廃墟となった理由なのではあるまいか」


「バランさま、オイラ、もうすっかり金玉が縮み上がりそうになっちまったですよ。あんな死霊の王なんていうおっとろしい奴相手に、本当に人間が何か出来るんでしょうか?」


「出来るとも」と、バランは自信をもって力強く答えました。ポン、と優しくロックの肩に手をかけながら。「いかに死霊の王であろうとも、我々人間に勝てぬことはいくつかあるのだ。まずは神に対する信仰、これが第一だ。それから、私とロクスリー、おまえとの間にある信頼や友情、それから三つ目が愛だ。こうした人間の持つ美徳の力にはいかに死霊の王であろうとも、屈服せずにはいられないだろう」


「バランさま……」


 バラン・ボウルズのような高潔な人物に友と呼ばれ、ロックはすっかり感動で胸が熱くなっていました。他の人間に同じことを言われたとしたら、「信仰に友情に信頼と愛?ふうん。そんなものかねえ」と思ったくらいだったかもしれません。けれどもバランに言われると、本当にそんな気がしてくるのですから不思議です。


(とにかく、このお方に任せておけばきっと大丈夫だ。バランさまならばきっとなんとかしてくださる)と、根拠もなく、ロックはそんなふうに信頼しきっていたと言って過言でなかったでしょう。


 こののち、バランは踵を一度鳴らすと、ロックとともにつむじ風のように瞬時に移動してゆき、あっという間に弟バリンの居城まで辿り着きました。もちろん、そのままバロンのいる領地まで移動することもバランには可能ではあったでしょう。けれども、時の移動も空間の移動も、まったく疲れないということではありませんでしたので、彼も少し休む必要があったのです。


 バリンは弟バロンの領地に信頼できる騎士二名を使者として遣いにだすと、バランから話を聞き、びっくり仰天したものでした。


「じゃあ、こういうことかい?その死霊の花嫁になったお姫さまを救いださないことには、シャリオン村にかけられた呪いもボウルズ町にかけられた呪いも解けないっていうのかい?」


「だと思う」と、バランは深く頷きました。「あの四十九人の死霊の騎士たちは、モルガン姫のことを死してなお今も守っているのだろう。きっとモルガン姫は死霊の王が嘘をついていて、本当は花嫁になる必要などなかったということを知らないんだ。つまり、法的にいえばその契約は無効にできるはずだ」


「ええっ!?だけどさ、兄さん。相手は死霊で、しかもすでに結婚式まで化け物どもに囲まれてしちまってるもんを、無効になんか出来るのかな。しかも、そんな大昔の昔話みたいなお話なのにさ……」


 その後も、バリンは自分の執務室の中をうろうろ歩きまわりながら、なおもブツブツ呟いていました。バランは弟の現実主義的思考に水を差すつもりはなかったのですが、やはりこう言いました。


「確かに、これがもしただの人間の世界の法律であるならば、死霊のような存在にとっては守る必要のない、強制力の一切ないことではあるだろう。言うなれば、盗人が縛り上げられたあとで開き直るみたいなもので、『嘘をついたがどうした。ワッハッハッ!!』といったような話ですらある……だがな、死霊の王は自分が人間と約束したことは死んでも必ず守らせている。ということはだ、逆に我々のほうでも、この場合は逆に取引材料が存在するということになりはしまいか?人間の女性が騙されて結婚した場合は、そりゃあ名誉とか純潔とか持参金返せとか、色々な問題が生じるものだろうけど……ええとだな、正直私もこの場合の霊的結婚みたいなものがどういうことなのかはよくわからない。だけど、騙して実際にはない契約を死霊の王はモルガン姫に履行させたんだ。これはきっと、神の御名の元に無効にすることが出来るはずだ」


「やれやれ」と、バリンは肩を竦めました。彼も流石に自分の現実主義を曲げざるを得ないらしいと感じたようです。「霊的純潔なんてものが存在するのかどうかすら、俺にはわからないし、それがどんなものなのかも想像すらできないよ。だけどそれはモルガン姫だけじゃなく、あの四十九人の気の毒な騎士たちにしても同様だということなんじゃないか?人間が借りた金を十倍にして返したところで、死人を蘇らせることは出来ないように……彼らだって生きて甦るってわけでもないだろう」


「バリンよ、これこそがこの話の一番肝心なところなのだ。人間は何を犠牲にしても、己の魂ですら買い戻したりすることは出来ない。だが、我々があの気の毒なモルガン姫や、元は騎士だったというのになんの因果か死霊の王に囚われることになった彼らのために祈るなら……きっと、彼らは救われることが出来るだろう。少なくとも、私はそのように信じる」


「ふうむ……兄さんにそこまで言われちゃ仕方ない」バリンは深々と溜息を着いて言いました。兄バランの言っていることが正しいのはわかるのですが、そのことに伴うリスクのことを想像すると、彼はやはり恐ろしくなってくるのでした。「バロンがここまでやって来るだけでも、ちょっと時間がかかるだろうからな。その間、みなで星神・星母の神殿に籠り、厚く祈りを捧げることをひとりでも多くの民たちに呼びかけるとしよう」


「私もそれがいいと思う。とはいえ、バロンの宝剣があってなお死霊の王に勝利は出来まいからな……その点についてはよくよく考えねばなるまいぞ」


 ――こうしてバリンの領地においては、神官や修道僧や修道女などの呼びかけによって、民衆が神殿のまわりに集まり、あるいはそれぞれ各人の家、集会所などで、神に向かって厚い祈りが捧げられることになりました。この時代の人々はとても迷信深かったこともあり、『そんな大昔にあった伝説みてえな話、誰が信じるかってんだ!』となる人のほうがむしろ少なかったのです。誰もがみな、モルガン姫のことを可哀想に感じ、四十九人もの騎士たちのことを気の毒がりました。また、ボウルズ町が一夜にして廃墟になったと聞き、次は自分たちの領地が死霊のえじきになるかもしれないと恐れたせいもあったに違いありません。


 一方、時の中を移動中だったバロンとラヴィとロックとグリンは、こうした様子のすべてを映像としてすべて見ていました。そして、宝剣を継承したバロンの元に使者の騎士たちがやって来ると、彼は驚いてすぐにも彼らふたりとともに兄バリンの領地目掛け、旅立ってゆく姿が見えました。


 おそらく、過去が変わったためなのでしょうか。バロンはひとりでなくカラドス騎士団の護衛ふたりと一緒でしたし、バリンが城を構えるガレスの城下町へ行くまでに(そこはもともとガレスの息子が所有していた土地であり、彼は町に父親の名をつけたのです)、バロンはグリンとラヴィにそれぞれ出会っていたのでした。


 この時過去が変わったことで、どういった変化があったのかを流れる映像として見ていた四人でしたが、ハッと気づくとすでにロックは時のトンネルから姿を消していました。それから次にグリンがフッと消えるようにいなくなり、時の流れのあるべき場所へと帰ってゆきました。ラヴィもまた「ねえバロン、もしかしてこれって……」と口にしていたところで、バロンとグリン、それにふたりの騎士のいる夜の森の映像の中へ消えていきました。


(ええっと、これでいくとオレってどういうことになるんだろ……)


 バロンは考えこみました。当然彼は今も時をかけるブーツを履いたままです。けれど、過去改変後の未来では、ブーツのほうはバランの所有になっているはずなのですから。


(まさか俺、辻褄のあわない存在としてこんなところにずっといなけりゃならないとか!?)


 バロンが不安になり、もう一度ブーツの踵を三度鳴らそうかと考えていた時のことです。彼もまた、グリンやラヴィがちょうどそうであったように――<現在>の居るべき時の流れの一場面へと、やがて吸い込まれてゆくことになりました。



   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *



「ちょっとおっ、どうしちゃったのよ、バロン。なんか心ここにあらずって感じで、ボーッとしちゃって」


「ああ、うん……」


 ドカッと背中をラヴィに叩かれ、バロンはハッとしました。気づくとそこは、ロックの仮住まいから進んでいったところにある林道で、これからみんなでシャリオン村へ向かうところのようでした。他に、バランやバリンもいれば、ロックにグリンといった仲間たちも全員一緒です。


(あ、あれっ!?オレもうブーツ履いてないや。ということは……)


 この時、バロンは自分の背中に手をやって、一瞬心臓がドクリと力強く脈打ったほど驚きました。震える手で宝剣の黄金の柄を掴まなくとも、そこにそれがあるということがはっきりとわかったからなのです。


(そ、そうか。なるほど……そういうことなのか。今のオレには、過去改変前のラヴィやグリン、ロックと出会った時の記憶もあるが、その後の未来が変わってからの彼らとの出会いも同時に存在している。わかったよ、父さん。時を移動できるからといって、必要な時以外これを絶対使ってはいけないと言っていた父さんの言葉の意味が……おそらくそれは、バラン兄さんだって父さんからそう聞いて知っており、身に染みて今そう感じていることなはずだ)


 この時、バロンは過去が変わったことで、自分が少しはマシな人間になっているかと期待したのですが、そこのところはまったく変わっていなかったらしいとわかり、自分でもがっかりしてしまいました。というのも、父カラドスの臨終の席にて、『ボウルズ家とこの宝剣の所有者として恥ずかしくない生き方を……』云々などと言っていた割に、その後彼はやはり堕落した放蕩生活を送っていたからなのです。


(やれやれ。まったく、しょうもないな。が、まあそんなオレであればこそ、わかることもあるってもんだ……何故といって、酒、ギャンブル、娼館通いその他、やめられない駄目人間であればこそ、『どうか神さま、こんなしょうもねえ人間であるところのオレを救ってくだせえ』なんて祈ることが、年に一回か二回ばかりあるようなオレであればこそ――そんな救われない状態から救われたい、蟻地獄からどうにかして逃げ出したい、そんな人間のことを必死になって助けたいという燃えるような熱い想いを持つことが出来るんだからな)


 とはいえ、前方を歩く兄バランとバリンに対し、そんな自分などより遥かに立派だとも、バロンは尊敬の念とともに感じていました。地獄の死霊の王だの、闇の骸骨騎士だの、そんな聖なる武器類でしか対抗できぬような存在とは、バロンならば二度と会いたくないとしか思えなかったことでしょう。


(そうなんだよな……考えてみりゃ、前の時はまだしも良かった。<五十人もの敵を前にしても絶対逃げられるブーツ>なんて聞いてたもんで、どんな恐ろしい敵が相手だろうと必ず逃げられると思えばこそ心強かった。が、今度はそれはなく、そもそもオレにはバラン兄さんやバリン兄さんほどの剣の腕前もないってのに……)ここでバロンは今さらながらハッとしました。(そうだよーっ!!よく考えたらほんとにそうだっ!!にも関わらず、オレが攻撃メインキャラとして、最前線に立ってあのおっそろしい死霊の騎士どもと戦わなきゃならないんだっけ!!)


 バロンはあらためてショックを受けるあまり、ガビ~ン!!という、まるで頭の中で割れ鐘でも鳴っているような状態に陥りました。さらに、彼がショックだったことには――「もうほんと、一体どうしちゃったのよ、バロンったら!!」と、話しかけてきたラヴィに、過去改変前、また改変に至った経緯について覚えているかどうかと聞いてみたのですが(時の不思議なトンネルのことを覚えているかどうかといったこと、その他)、彼女にしてもグリンにしてもロックにしても、さっぱり覚えてなどいなかったのです。


(つまり、こういうことか?過去改変後の未来において、ラヴィやグリンやロックの中ではおそらく、記憶の統合のようなことが起きたってことなんじゃないか?それで、過去から未来へ至る道として、それはおそらく一本道ってことになってるんだ。ただ、時をかけるブーツを所有していた人間にとってだけ、そのいくつも枝分かれする可能性のある道筋の両方が記憶として残されるんだ。なんて恐ろしい……時をかけることの出来る超越的な力の代償が、誰にも理解してもらえない、そんなひどい孤独だなんて……)


「大丈夫か、バロン?」


「あっ、ああ、うん。兄さん……」バロンは、何故か不意に振り返ったバランに、そう答えていました。本当は全然大丈夫でなどなかったのですが。「だけど、本当にあの入口の見当たらない白い塔に、モルガン姫は眠っているのかな?もし仮に四十九人いるっていう骸骨騎士を倒せたとして……」


「しっかりしろ、バロン」と、バリンもまた振り返って言いました。「俺も、ガレスおじさんが竜退治のため、冒険の末に手に入れた聖なる剣を手にしているが、それでもおそらく限界があるだろう。今回は俺とそれにバラン兄さん、それにおまえの三人が揃ってるんだ……こんな恥ずかしい言い方をするのはなんだがな、言ってみれば『信・仁・勇』の三つの美徳が揃ったも同然なんだぞ?相手が死霊だろうとなんだろうと、これで勝てないはずがない」


「う、うん。そうだね……」


(そういえば、こっちの時間軸においてバリン兄さんはまだ死霊の騎士とは戦ってないんだっけ……でも、竜殺しの剣なんてなかったとしても、兄さんは聖なる大楯だけでも十分戦える人だもんな。オラ、オラァ!!とばかり、相手が死霊だろうと悪魔の騎士だろうと、盾だけで殴りつけて倒してしまうに違いない……)


 一方、バロンはといえば、そんな野蛮なばかりの勇気がもともと性格的に足りないのでした。バリンが城主の城にて話しあわれたことによれば、彼らの立てた計画としては、次のようなところだったのです。バランのブーツによる空間移動は、おそらく今際の際の追い詰められた状況においては、他の五人の仲間とも一緒に移動できるに違いありません。ですが(つまり、状況がまずくなれば最悪そうした形で一塊となり、一時退却するということです)、バリンの城から一度にシャリオン村まで全員移動できるほどの力はありません。ゆえに、そこまでは馬か徒歩によって移動する必要があること、またシャリオン村へは昼間入ること……そして、例の白い塔の前で、みなで同時に中へ入れないかどうかを試みる、とのことでした。「そのくらいの短い空間移動――つまり、壁を越える程度のことなら、六人同時でも可能だと思うんだ」というのは、バランの言葉です。また、六人同時に中へ入れたのならば外へ出ることも可能なはずだというわけで、最初にまずそのことを試す必要があったわけでした。


 果たして、廃墟にも等しいシャリオン村の、例の白い塔の前までやって来ると、六人の仲間たちはバランを中心にして、彼の体のどこかに摑まりました。途端……そこはどこともわからぬ部屋の一室に変わっていたのです。


「イテっ!!」


「うわっ!!」


「何よもうっ!!」


「アイタタタ……」


「こりゃ一体どこだ!?」


「…………………」


 あたりは夜のような黒い闇に覆われていましたので、バリンが持参してきたランタンにまずは火を点けました。そして、それ以前に彼らが最初に何より驚いたのは、あたりがこの上もなくひどい臭気によって満ち満ちていたことでした。バリンが鼻を片手でつまみつつ、あたりを照らしてみると――バランにとっては予想範囲内のことでしたが、そこには白骨化した遺体がいくつも転がっていたのです。


 もちろん、白骨化してからそこへ放り込まれたということであれば、こんな鼻がへん曲がるような匂いはしなかったことでしょう。けれど、バランがバリンからランタンを借り、調べてみたところによると……その遺体には、拷問を受けたと思しき痕跡がいくつも残っているということでした。


「そ、そんなこと、わかるの!?」と、驚いてラヴィ。彼女はあまりハンカチなど普段使いしないタイプの女子でしたが、この時は流石にハンカチで鼻のあたりを覆っていました。


「ああ、骨の曲がり具合や、割れ方などからな……」と、眉をしかめてバラン。「とにかく、一刻も早くこんな場所からは出よう。みんな、忘れるな。心をひとつにして恐れることなく、また少しも慌てる必要すら我々には一切ないということを。我々にはあいつら死霊の騎士などより、遥かに大きな力があるということを絶対に忘れてはいけない」


「んだ、んだ」と、グリンは頷くと、鼻をつまみつつ、鉄の扉のあるほうへ歩いてゆきました。「それに、万が一の場合にはバランさまに摑まって逃げればいいことを思えば百人力だよ」


 この時グリンは、まずは大男の自分がこの石壁に囲まれた監獄の扉に体当たりしてみようと考えたのですが、意外にもそこに鍵はかかっていませんでした。正確にはその昔はかかっていたのでしょうが、扉の外へ出てみると、時の経過とともに赤錆びた大きな錠前が、ちょっと押しただけでガチャリと床に落ちたのでした。


 廊下のほうも牢獄内と同じく、タールで塗りこめたかのような真っ暗闇でした。月の光のない夜でも、これほどの闇を見、感じたことのある人はいなかったことでしょう。六人は口に出しては何も言いませんでしたが、それは物理的な闇というよりも精神的な闇――もっと言うならば、霊的闇にも近い何かだったのです。


「……ねえ、もし出口なんてなかったとしたらどうする?」


 いかにも不安げな顔をして、ラヴィが自分の両腕を抱きながらそう聞きました。六人はバリンを先頭にして、ひとつひとつの部屋を調べてみましたが、どこも同じく、陰気な地下牢のようにしか見えませんでした。そしてもう一度、例の赤錆びた錠の落ちた場所へぐるりと廊下を回って戻ってきたのでした。


「あの白い塔は」と、ロックもまた、自分の両腕をさすりながら言いました。気のせいか、気温が下がってきているような気がします。「一輪挿しの花瓶みえてに、下のほうがでっぷりしてて、上へ行くに従ってほっそりした塔みたいな構造だったはずなんだ。ということは、オイラたちは今どこにいるってことになるんだろ?」


「移動してみよう」とバランが言いました。「この際、物理的にありえないといった考え方は捨てたほうがいい。私が思うには……あの白い石というのは、人の魂や思念といったものを閉じ込めたものなのだと思う。そして、あの白い塔はそれを塗りこめて壁の材料にしたものなのではないか?つまり、その中の誰かが死んだ時の物理的な場所や記憶の反映なのではないかという気がする……あくまでも、憶測のひとつに過ぎないが」


「俺も兄上に賛成だ」と、バリンも同意しました。「下層階にいるのは、大抵が雑魚の警備兵と相場が決まっているものだ。もしモルガン姫がいるとしたら……それはより上の、おそらくは最上階のあたりなのでないかという気がするからな」


 みながバランの意見に賛同したため、再び彼を中心にして、空間移動を試みようとした時のことでした。『あのお~』というどこか控え目な声が、闇のどこかからしてきたのです。


「誰だ?」


 バリンが思わず剣を抜いてそう聞きました。それというのもその声は、危険なほど近くからしてきたからなのです。


『あのお~、もしもしィ?ちょっといいですかァ~?』


「一体何よ、あんたっ!?今、すっごく大事な、大変なところなんだからねっ!!」


 声がしてきたのは、実はラヴィのアメジスト色の魔法の指環からでした。バランもバリンも、死霊の指環の首ちょんぱ能力については聞いていましたが、そこに誰か死霊の住人が住んでいるなどとは、流石に想像してもみなかったのです。


『ブツブツ。ひどい……いつもワタシのしゃべる声が小さいっていうけど、そんなの、ラヴィに聞く気がないからなかなかワタシの声が届かないってだけなのに……』


「い、一体誰なんだ、おまえは……」


 指環の宝石から声が聞こえるなど、バリンにとっては不気味以外の何ものでもありません。けれども、この時なんと!!この死霊は指環の中から出てきて、その姿をみんなの前に見せていたのです。


「うっわー……あんた、最初に会った時以来、あんましよく見てなかったけど、ますますキモさに磨きがかかってるんじゃない?」


『放っておいてください』と、指環の死霊は半分肉の崩れた顔で続きをしゃべりました。『まあ、ワタシのこの、気味の悪いヴィジュアルにはしばし我慢していただくとしてですね……イッヒッヒィ~!!』指輪の死霊はここで数秒かけ、おどろおどろしい姿を縦や横に引き伸ばして不気味に大笑いしました。ですが、誰からもなんの反応もありません。『あ、なんかあんまし受けなかったみたいですね。それはさておき、このタワーについてはワタシのほうが構造についてよく知っています。そちらの立派な方が先ほど申されたとおり、ここにモルガン姫は眠っておられるのです』


「それで、一体どこにいるんだ?」


 バリンが話の先を促すと、『ご案内いたしましょう』と言って、指環から半分体の出たまま、死霊の指環の主は進むべき場所を手で指し示しました。よく見るとそこには、錠の形をした窪みがいくつも付いています。


『初歩的なトラップです。どこの牢にも、錆びた錠前がかかっていたと思いますが、それをこの壁にすべて嵌め込めばいいのです。ただし……』


 死霊の言葉を最後まで聞かず、「オラ、持ってくるだ!!」、「オイラも!!」と、ふたりがバリンの手からランタンをひったくるようにして奪ったかと思うと、通路の先へあっという間に消えてゆきました。そして、暫くシーンとした沈黙ののちのことです。「うわっ!」、「ぎゃあ!!」、「ほんげえっ!!」、「オラオラオラッ!!」、ヒュンッ!!、ズビシッ、バゴズゴバゴ……しーん。「うわっ!」、「ぎゃあ!!」、「ほんげえっ!!」、「オラオラオラッ!!」、ヒュンッ!!、ズビシッ、バゴズゴバゴ……しーん。といったようなことが、五~六度ばかりも繰り返されてのち、ロックとグリンは錠前を六つばかり手にして戻ってきたのです。


「い、一体何があったんだ?……」


 バリンが戻ってきたふたりにそう聞きましたが、とりあえずグリンもロックもまったく無傷で、とても元気そうでした。ふたりとも、少しでも何かの役に立てることが嬉しくて堪らなかったのです。


「死んでるとばかり思ってたガイコツどもが襲ってきただよ。そこで、オラのこのこん棒でバゴバゴ殴って文字通り粉々してやっただ」


「オイラも、この弓矢で脳天を一撃にしてやったんだ」


 ――といったようなわけで、バリンが錠前を受け取り、ひとつひとつ壁の窪みに埋め込んでいきますと、どこかから「ヒィ~」と不気味な悲鳴がするのと同時、ゴゴゴゴゴ……ッ!という物凄い地響きとともに奥の壁が横にずれ、そこに階段が出現しました。


「す、すげえな。なんだかまるで、地下にいる悪霊や死霊のような連中が、今の地震で全員目を覚ましちまったんじゃないかというくらいの……」


『はあ。ある意味、バリンさまのおっしゃる通りです。今の音は塔にいる全員に、侵入者のあったことを知らせる役目も果たしとるもんで……』


「な、なんだって!?」


「ちょっとお。あんた、そういうことはもっと早くに言いなさいよねえ。そんで?あんたはあたいのことを色々知ってるかも知れないけど、そういえばあんたの身の上については聞いたことなかったもんね。そんで、あんたは結局のところ一体どこの何者なのよ?」


 階段のほうは螺旋状に伸びており、大の男が並んでふたり……こう申してはなんですが、まあ2.5人と言いますか、ふたり+0.5人くらい並べるくらいの広さがありました。


「言うまでもないことかもしれないが、これは我々に不利だぞ」


 バランが、剣の柄に手をかけたまま言いました。彼もまた、伯父ガへリスの残した竜殺しの剣を持っていたのです。


「相手は人間ではない死霊や骸骨騎士が相手だということもそうだが……物理攻撃においては、階段の上にいる者のほうが当然優位となる。何を言っているかわからんかもしれんが、攻囲軍側が、城壁を登攀して城壁上にいる兵士を剣や槍で攻撃するのにも似て、こちらの剣を相手の首に届かせるより、向こうのほうがこちらを攻撃しやすい立ち位置になるということなんだ」


「兄さん、それはわかってるけど……」


 ここで、ずっと黙っていたバロンが、初めて口を聞きました。


「オレに考えがある。みんな、この階段はふたり並んで歩けるけど、一列に詰めて並んで欲しい。オレの後ろは、道案内っていう意味でもラヴィがいいかな。で、三番目がロックがいいと思う。あと、後ろのほうは後ろのほうでもうひとつランタンに火を点けて照らしてくれ。一度通ったところに敵はもういないのではなく、また何か敵の攻撃があるかもしれないから、気をつけて」


 しんがりはグリンが務め、その前をバランが明かりを手に持ち、後方についても注意するようにしました。列の四番目がバリンです。というのも、竜殺しの剣が死霊その他の怪物らに対しどの程度効果があるのか、まだ未知数であったため――このような並びになったというわけでした。


「注意しろよ、バロン」


「うん。ありがとう、兄さん……」


 バリンの考えでは、自分とバロンが並んで先頭を進み、時に応じて自分が弟を守り、そうしていながらバロンが宝剣で攻撃する――と考えていたのですが、まずは弟の言うとおりにしてみようと思ったのです。


 バロンのこの考えは、実際のところうまくいきました。というのも、まず最初に、不気味な薄紫の肌の、でっぷり太ったナメクジのような怪物が出てきたのですが……バロンが剣の鞘を抜くまでもなく、そいつの飛び出た目玉がピカッ!と不気味に光ると同時、剣で足払いを食らわせてやった時のことです。


 途端、ナメクジの怪物はゴロゴロゴロッ!と階段を真っ逆さまに転げ落ちていきました。次に粘液状の怪物が襲ってきた時にはバロンも焦りましたが、これもまたロックが弓に矢をつがえ、そいつの一つ目玉を射た途端、すぐ無害なヌルヌルの液状になってしまったのです。


 大抵の怪物や化け物たちは、このような形で倒されてゆきました。体中目玉だらけの怪物や、体中大きな口だらけの化け物もいましたが、聖なる宝剣によって体のどこかを一刺しされただけで――体が破裂して消えてしまう場合もありましたし、まるで霧のように雲散霧消する場合もあったりと、確かに相手の姿に恐怖せず、勇気さえあれば十分戦えるようでした。


 敵が一体のみならず、他にもう一体いたり、子分を引き連れていることもありましたが、そんな時にはロックが弓矢で射てくれましたし、指環の死霊も巨大な骸骨になったかと思うと、相手を食い散らかして飲み込み、指環の中へ封印してしまいました。敗者復活戦とばかり、どこまでも下へ転がっていったように思われた怪物が、再び体を引きずって戻ってくることもありましたが、そんな時にはグリンがこん棒でボコボコにし、そのまま蹴飛ばして終わりです。


 バランとバリンも、自分たちの竜殺しの剣が怪物に効果があるかどうか確かめるのに、「えい!」、「やあ!」とばかりグサリグサリとこの怪物らを刺してみたところ――「ギャアッ!」、「ヒィッ!」と叫びつつ、階段を下へ転げ落ちていくのを見て……自分たちも十分戦えるようだと確認してもいたのです。


 こうして、怪物や化け物たちを五十体ばかりも倒して先へ進んでいくと、やがて、いくつもの部屋の並んだ通路へ出ました。彼らは再び、例の四十九体もの死霊の騎士と戦わねばならぬと考えていたため、非常に用心していたのです。何分、先頭のバロンは少しずつではありますが体力が削がれてきていましたし、死霊の騎士に対してはバランとバリンも対峙して戦おうと考えていました。


 ところが……。


『あ、この無限回廊の部屋はほとんどフェイクですので、無視して一番左端の部屋までお進みくださいませ。下手に開きますと、自分の欲望に狂う姿その他、一番見たくないものを見させられたり、過去の思いだしたくもない思い出が今起きているかのように復活してきますのでご注意を……』


 指環の死霊がそう教えてくれましたので、一行は真っすぐ左端の部屋のほうへ向かいました。大抵は、途中でうっかり一部屋くらいドアを開けてしまい、それが呪いのはじまるスイッチの役目を果たすということでしたから。


「だけどあんた、やけに随分詳しいじゃない?ここに死霊として住んでたことでもあんの?」


『ええ、まあ……』


「それに、死霊の騎士が襲ってこないのも、妙だ。あいつらはあくまでも、夜に闇の塔の外を守ってるってわけでもないんだろう?」


 このバリンの疑問に対して、指環の死霊はこう答えていました。


『実はワタシは……四十九人いる騎士のひとりなのです。名前をセヴァン・パーティントンと申します。死霊の王は、無念の思いで死んだ我々騎士を墓から呼び起こし、こう聞いたのです。「ひとつ、賭けをしないか?」と。「おまえたち、四十九人の騎士のうち、あのモルガン姫がひとりくらいおまえたちの戦いぶりのことを覚えていたとしたら……その時はおまえたちの勝ちだ。また、私が負けた場合には、唯一生きている間に敵わなかった望みをひとつだけ叶えてやろう」と。みな、そのまま眠っていればそのうち天国へ行ける身であったというのに、この世に対する執着ゆえに、死霊の王との取引に応じてしまったのです。いえ、もし仮にワタシのことを覚えてなくてもいい、他の四十七人の落馬した騎士たちのことを覚えていなくてもいい……でも、最低ひとりくらいは彼女のために戦い、命を落とした騎士の戦いぶりのことを覚えているはずだと、ワタシたちはそう考え、相談して死霊の王との取引に応じてしまったのです。まさか、負けた時の代償がこんなに高くつくことになるとも知らずに……』


「ふうん。そうだったの。あんたも、そのモルガン姫って人も、随分可哀想ね」


『…………………』


 死霊は一旦黙り込むと、一度指環の中へ消えてしまいました。みなは(こんな大切な時に一体どうしたんだろう?)と感じはしましたが、とりあえず一番左端のドアを目指してそのまま進んでいくことにしました。そこへ辿り着くまでにも相当長いこと歩きましたし、そうこうするうち、この扉の中がどうなっているかなどと、つい覗きたくなる心理というのはよくわかる気がしました。


 ところがとうとう――廊下の向こうの行き止まりが見えて来たのでした。しかもそこにあるアーチ型の石の窓からは、美しい空と雲が完璧な絵でも貼りつけてあるかのように見晴るかすことが出来ます。


「うっわ~……こんなところから落ちたら一たまりもなさそうだぞ」


 ロックが石の窓から吹いてくる風に吹かれつつ、下を覗き込んでそう言いました。すると、人も悪いことにグリンがドン!と突き飛ばすような振りをして驚かせます。そして、ふたりが「よせよお~」、「はははっ。つい悪ノリしちまっただ」だのとしゃべっているうち、バランとバリンとバロンとラヴィの四人は、先に左端の部屋のほうへ入っていきました。


「うっ……一体なんだ、このひどい匂いは……」


 バリンが鎧の上に着た藍色のガウンの裾で、鼻のあたりを押さえてそう言いました。というのも、最初のあの地下牢より、ここの部屋のほうが腐臭のほうがひどかったからなのです。バランもバロンもラヴィも、気持ちは一緒でした。ふたりは上品にハンカチで鼻のあたりを押さえていましたが、バロンはハンカチを持っていませんでしたので、とりあえず片手で顔の半分を覆うことにしました。


「ヒィ~、こりゃ、一体なんつーひどい匂いだべ」


「鼻がへん曲がっちまうほど、ひでえ匂いだ」


 グリンもロックもふたりとも、何かすっぱいものでも食べた時のように顔の真ん中に表情を寄せています。ここで、セヴァン・パーティントンが再び、アメジストの指環の中から出てきました。


『そちらの、六段の階段に囲まれた上のベッドで眠っておられる方がモルガン姫でいらっしゃいます』


 六人とも、窓のない灰色の石壁に囲まれた部屋、その真ん中あたりにあるベッドを見上げると、そちらのほうへ一段一段上がってゆきました。どう考えても、そこに腐臭の源と思われるものがあると感じましたが、そのことについては誰も口にしませんでした。


「こ、これは……っ!!」


 豪華な四柱式ベッドのほうは、カーテン状の覆いがかかっていましたが、夜のような濃紺のベルベットのカーテンは金のタッセルによって端に寄せてあり、レースのカーテンだけがすべてを覆い隠しています。そして、そのレースを通して六人の仲間たちが見たものは――美しいドレスを着た、頭に宝冠をかぶった皺だらけの醜い老女だったのです。


「セ、セヴァン、これって……」


『ええ』と、指環の所有者であるラヴィだけでなく、その場にいる全員に語るようにセヴァンは答えました。『この方が、蝶よ花よと育てられ、見る人すべてを魅了した、あの美しいモルガン姫の成れの果てなのです。ワタシたち四十九人の騎士は、死霊との賭けに負けました……もちろん、この方が自分を覚えてなかったことは、当時ワタシにとってショックなことではありましたよ。それは他の騎士たちにしてもそうだったでしょう。ですが、モルガン姫があまりにも見事にまったく何も覚えておられなかったことで……七人目か八人目の騎士くらいの頃になってくると――つまり、七夜目や八夜目くらいの頃になってくると、ワタシも他の騎士たちも、だんだん笑いがこみ上げてきたものでした。「おまえもかよ!」なんて、互いに肩や背中を叩きあって笑ったりしたものでしたが、流石に騎士の数が四十人を越える頃には……ワタシどもも笑ってなどいられなくなってきました。ワタシたちの計算としてはですね、モルガン姫のために戦い、命を落とした騎士を二~三十人ばかりも彼女が覚えてなかったとしても、三十何人目くらいの騎士にひとりくらいは覚えている者がいるに違いないという心積もりでいましたもので、死霊の王にどんな願いごとを叶えてもらおうかと、そんな話で盛り上がったことさえあったくらいでした。と、ところが……』


「誰のことも、見事なまでに綺麗さっぱり覚えてなかったんだな」と、溜息を着いてバリン。「それは騎士にとっては許せんことだ。だが、この場合騎士セヴァンよ、大切なのはその後そなたらがどうしたかということだ。つまり、四十九夜目、四十九人目の騎士のことをもモルガン姫が覚えてなかったというその日、一体何が起きたんだ?」


『すでにもう数え切れぬほどの歳月、遥か昔の時の彼方の出来事であるにも関わらず、その日その時のことはよく覚えております。湖に囲まれた城の近くでモルガン姫が休んでいると、死霊の王が「してやったり!」という勝ち誇った顔をしてやって来ました。そして、我々に契約の履行を求めてきたのです。我々は、死霊の王の要求を拒みました。いや、ワタシたちのことは最悪どうでもいい……いえ、本当はどうでもよくないのですが、ワタシたちのことでモルガン姫までが不幸になるのが堪らなかったのです。ですが、死霊の王は我々四十九人の騎士が束になってかかったところで到底かなう相手ではない。我々は身の毛もよだつような怪物や化け物どもに囲まれた婚礼の式に、嫌々ながらも参加させられ、震えて顔も青くなっているモルガン姫のことを悲痛な思いで見つめるしかありませんでした……ですが、本当の意味で死霊の王に屈するつもりはなかったのです。死霊の王の手足となり、その命令に聞き従うしかなくなった我々ではありますが、ある時あなた方と同じように、この闇の塔へやって来た強者どもがおったのです。彼らの中にひとり、この死霊を五十名まで閉じ込めることの出来る修道僧がおりまして、ワタシは彼とある取引をすることにしたのです。モルガン姫の魂を一度、そのアメジストの中へ閉じ込めて逃がしてはくれまいかと……彼らは姫の身の上を非常に気の毒がってくださり、こうしてワタシと姫の魂とは、一度この修道僧の指環の中へ取り込まれ、外の世界へ脱出することが出来たというわけなのでございます』


「なのでございますって……」と、バリンが腑に落ちないような、不満顔をして言いました。その不機嫌そうな顔は、ひどい腐臭のせいでもあったかもしれません。「おまえ以外の残り四十八人の騎士たちは一体どうしたんだ?それにその修道僧だって、ひとりでこの闇の塔へ乗り込んできたってわけでもないんだろ?その後その一行はどうなったんだ?無事だったのか?」


『はあ……それが、ですね。ワタシ以外の騎士仲間たちはワタシひとりくらいであればともかく、残り四十八人のうち五~六人ばかりも一度にいなくなったとすれば、すぐに死霊の王に感づかれてしまうだろう、だからおまえだけが行ってこれからモルガン姫をお守りするのだぞと、そんな感動的な言葉をかけてくれたのです。ワタシの骸骨と化し、冥府の闇のように暗くなった眼窩からは、涙が溢れそうになったものでした……そこでワタシは自分の魂に次のような誓いを立てたのでございます。必ずやモルガン姫のことのみならず、他の四十八人の騎士仲間のことも、この死ぬより悪い苦しい状況から救いだしてみせると……』


「そうだったのか」と、感じ入ったようにバラン。「して、この気の毒なモルガン姫のことは、どうすれば救えるのだ?」


『はあ。それが、ですね……あなた方の中で、このモルガン姫と結婚してもよいという殿方が姫にキスしてくだされば――彼女の呪いは解けるのみならず、我々四十九人の嘆きの騎士らの魂もみな救われて天国へ行くことが出来るのでございます。と言いますのも、死霊の王は当然、ワタシがモルガン姫の魂とともに逃げたということをご存じでしたから、そののち、また新たな賭けを……何かのゲームでも楽しむようにワタシに持ちかけていたのです。すなわち、闇の塔のてっぺんで眠る年老いて百六十歳とも千六百歳のようにも見えるモルガン姫と、酔狂にも結婚してもいいという男がいたら、例の契約のほうは無効にして天国へ行ける身に戻してやろうという、それはそうした新しい賭けによるゲームだったのです。死霊の王にとって……』


「ふうむ。だが、私はすでに結婚して子供もいる身だしな」


 バランは、顔中に皺という皺の寄ったような、醜い老女を見ながら言いました。自己犠牲という高潔さに富んだ彼であれば、結婚さえしていなければ、きっとこのモルガン姫に迷わずキスを与えていたことでしょう。


「あっ、兄上っ!!そんなの、この俺だって一緒だぞっ!!まあ、もしかしたら妻は、かくかくしかじかで仕方なくといえば、俺に第二の妻が出来たと聞いても、許してくれるやもしれぬが……」


 とはいえ、口ではそんなことを言いながらも、バリンはそんな気は最初から全然ないのでした。彼の場合はもし自分が未婚だったとしても、このような老女と結婚などとは絶対ごめんだとしか思えなかったことでしょう。


「ええと、オラはキスしてもええだども……」と、何故かもじもじ照れたようにグリン。「んだども、オラみえてなウスノロでバカでアホでマヌケって評判の男と、こんな高貴なお姫さまが結婚だなんて……目が覚めたあとモルガン姫がさめざめ泣きだしたら、オラどうしたらいいかわからねえだよ」


「オ、オイラも……」と、すっかり怯んだようにロック。「オイラみてえな田舎もんで、短足胴長で、顔の印象の薄いような男が自分の夫だって知ったら……ついでに金もねえ孤児のオイラと結婚することになったなんて、目が覚めたあとモルガン姫にわかったら、きっとがっかりするに違えねえよ。だから、協力してえのは山々だども……」


 ロックの言葉が力なく死臭の立ち込めた空気の中へ消えゆくと、自然、みんなの視線はバロンひとりに集中しました。


(えっ!?オ、オレ!?)


 マジですか、というようにバロンが絶望と失望の表情で、兄のバランとバリンを見返します。


「そういえばバロン、おまえはまだ結婚してなかったな」と、あくまで真面目な顔をしてバラン。


「そうだ、そうだ!!きっと御恵み深い神が、こんな時のためにおまえを結婚させずにきたのかもしれん。俺も、最愛の妻のジリアンさえいなければなあ。だが、今から離婚するわけにもいかぬ以上、バロンよ、モルガン姫に相応しいのはおまえくらいしかこの中にはおらぬ」


「いやまあ、いいけどさあ」


 バロンは次兄バリンに対しては(兄ちゃんの嘘つき……)と内心思いましたが、何かを諦めたような溜息を着くと、そのことを了承していたのです。


「えっ!?あんた、バロンっ。ほんとにいいの?彼女、もう何百年も眠ったままでいたんでしょ?で、一時的にまた目を覚まして結婚生活を送れたにしても――まあ、そうよね。またすぐに死ぬかもしれないと思ったら、その短いだろう期間耐え忍べばいいってこと?」


「違うよ」と、バロンは言いました。彼はこれまで結婚する機会がなかったわけではないのですが、生来の優柔不断が祟ってか、どっちつかずの態度を取るうち、大抵は女性のほうに振られるといったような人生だったのです。他にギャンブルに明け暮れたり、娼館通いをするなど、脛に傷の多い人生を送ってもきました。これはそのことの罰だ、とまでは考えませんでしたが、ともかくモルガン姫含め、五十人もの人間の魂がかかっている以上、迷うことは出来なかったのです。「とにかくみんな、階段を下りて下のほうへ行ってくれ。モルガン姫だって、今ラヴィの言ったようなことは耳にしたくないだろうからね」


 みなは(確かにそれはそうだ)と納得して頷き、一度席を外すことにしました。バロンがレースを分けてベッドに膝をつくと、歯槽膿漏の一番悪くなった歯ぐきでも、ここまでのひどい匂いをさせはすまい……というほどの、ひどい腐臭が漂ってきます。


 ここでバロンは(死霊に翻弄される、大変な人生だったのですね……)と、無意識のうちにも心の中で姫に語りかけ、あとは迷うことなく瞳を閉じると、その昔は若い娘の薄桃色だったのだろう老女の唇にキスを与えました。


 途端、周囲で再び、大きな地震でも起きたかのようなゴゴゴゴゴ……ッ!!という地鳴りのような音がしたことで、誰もがあたりの様子を見まわし、モルガン姫の眠るベッドから目を離した瞬間のことでした。開け放したドア、外のアーチ型の窓のところから、清新な風が吹いてきたかと思うと部屋の空気を清め、ふうっと一瞬にしてなくなったのです。


 バロンも、その風のせいで一瞬にして寝室の空気が清浄化されたように感じるのと同時、(それともオレの嗅覚がおかしくなっただけかな……)などと、疑わしく首を傾げた時のことでした。再び彼がベッドのモルガン姫のことを振り返ってみると――そこには百六十歳どころか、千六百歳ばかりにも見えていた老女の姿は消え、まだ十四歳ほどに見える少女がちょこなんと座っていたのです。


「ラ、ラヴィ、おまえ……っ!!モルガン姫はどうした?彼女は一体どこに……」


「どうやらこのあたしがモルガン姫だったってことみたいよ。ねえ、そういうことなんでしょ、セヴァン?」


 ラヴィは、自分の薬指に結婚指輪のように嵌まっているアメジストの宝石に向かってそう話しかけました。すると、そこからはフワッと顔が半分崩れて骸骨化した男ではなく、生きていた頃の、立派な騎士としてのセヴァン・パーティントンが姿を現していたのです。


「あなた方には、一体どうお礼を申し上げたらよいやら……そうなのです。魂だけのお姿になったモルガン姫は、死霊の王と結婚したことや醜い怪物どもと暮らした生活のショックのせいかどうか、ある時から記憶のほうを失っておいでだったのです。そこで、いつも誰か姫とその精神性が合うような娘の肉体に住んでもらい、彼女が老いて亡くなると、また別の肉体を探しと……とはいえラヴィリン・ラヴィッド、あなたさまの記憶がないのは、モルガン姫の魂の器となったからではありません。むしろ逆に、あなたがそのような形で森を彷徨っていればこそ、私はあなたをモルガン姫の依り代とすることが出来たのです」


「でもわたし、モルガン姫が目を覚ますと同時に自分のことも思い出したわよ。まあ、ろくな人生じゃなかったけどね。義理の両親から折檻されながら働かされるっていうような、特に思い出す必要もないような人生だったわね……実はさる国の王女だっただの、貴族の娘ってことだったりしたら良かったと思うけど、どうやらそういうことでもないみたい。だからね、バロン。あなたが嫌々ながらわたしやモルガン姫と一緒にいるような必要もないと思うわよ」


「えっと、わたしやモルガン姫って……」


 すると、ラヴィは突然バロンの顔をがしっと掴んだかと思うと、その唇に熱烈なキスをしました。とても処女のまま亡くなった人とは思えぬほどの、それは濃厚で情熱的なキスでした。


「だっ、だからね、これは違うのっ!!わたしじゃないのっ!!」


 矛盾した行動を取りながら、ラヴィは顔を真っ赤にしてバロンのことを突き飛ばしました。


「あーもうっ!!あんた、モルガン姫っ。四十九人の騎士たちとあんたも一緒に天国へ行くため、昇天したらいいんじゃないの?っていうか、このままひとつの体にあんたとふたりで住むってのはごめんだわ。だって、こんなふうにたびたび人格交替が起きたんじゃ頭のおかしい変人だと思われて、普通に生活するのも大変そうだものっ!!」


「ええっと、でも君はオレと結婚したわけだし……」


 バロンは混乱した頭のまま、そう言いました。このあたりの国では十四くらいで結婚することも特段珍しいことではありませんでしたが、それでも彼としては少々罪悪感の疼く年齢とは言えます。


「すみませんが、ラヴィにバロン殿。モルガン姫はまだ暫くこちらの世界で遊んだり、色々経験したりしてから天国へは向かいたいそうです。まあ我々はすでにそんな希望もなく、再び天国へ行ける身となったことを無上の喜びとするばかりですので……」


 セヴァン・パーティントンの魂はその言葉をみなまで言い終わる前に、黄金の輝きへと変わり、どこかへ行ってしまいました。バランもバリンもロックもグリンも、あまりのことに驚いてしまい、暫く口も聞けないほどだったのですが――この時、バランが突然ハッとしたようになると、こう言いました。


「みんな、私に摑まってくれ。そろそろ元のあるべき世界へ帰ろう」


「ふふっ。若い娘の姿で新妻になれて嬉しいわ」


 ラヴィが熱っぽい眼差しでバロンのことを見上げ、ぎゅっと愛する夫のことを見上げてきます。自分が男の彼の立場でも、あんな醜い老婆に――それもひどい腐臭を漂わせている死体に――キスすることなど、想像もできなかったことでしょう。おそらく、容姿の点でも騎士としての腕前その他をすべてトータルした場合、遥か大昔のモルガン姫ならば、惹かれていたのはバランかバリンのどちらかだったことは間違いありません。けれど、彼女の瞳にはもうバロンのことしか見えませんでした。そして、これが本当の意味で恋をするということなのだということが、このお姫さまにも生まれて初めてわかったというわけなのです。


(やれやれ。なんだか恐ろしいことになったようだぞ……)


 バロンは心の中でそう思いながら、兄バランの白いガウンの裾を掴みました。「ごめんね、バロン。もし嫌だったら……」と、ラヴィもまたバランの服の袖を掴みながらそう言います。


「いや、そのことはまた元の世界へ帰ってから考えることにしよう」


「んだ、んだ」と、バランの肩に触れつつグリン。「なんにしてもオラは、バロンの国の隅っこのほうにでも住ませてもらって、時々友達とクリケットするような生活でも送りてえだからな」


「オイラはシャリオン村が元に戻ってたら、それだけでいいや」と、ロック。


「ボウルズ町も呪いが解けて元に戻っているといいが」と、バリン。「それと、バロンとラヴィ……じゃなくてモルガン姫か?の結婚式も盛大に行わないとならないな」


「ふふっ、楽しみ」と、人格交替してモルガン姫。


「ええと、みんな掴まったかい?」まるで出航前の船のキャプテンのようにバランがそう聞きます。そして、みながちゃんと自分の体なり衣服のどこかなりにちゃんと触れているようだと確認すると、一度深呼吸し、何かの覚悟でも決めるように<時をかけるブーツ>の踵を三回打ち鳴らしたのでした。


 六人(もしかしたら七人かもしれませんが)が戻ってきた先は、ボウルズ町の、北の街道へ続く例の土手の上でした。今回、バランはちゃんとした場所へフワリと鳥の翼のように着地しましたので、誰もみな、瞬時にして時空移動したのだとはちょっとの間気づかなかったほどです。


「意外に終わってみると、呆気なかった気もするなあ」


 バリンがまるで、気が抜けたように、土手の緑の上に腰かけてそう言いました。なんだかもう、何十年も旅をしてきたような気がしていたのです。


「そうだな。廃墟と化したボウルズ町が、昔のように元に戻っているのがここからでも見える。聖堂の尖塔や、丘の上の城も、私の知っている元のままだ……廃墟になっている間、彼らがどこにいたのかとか、そうしたことはわからないよ。だけど、そんな細かい理屈はともかくとして、死霊の王の呪いが解けたことを今は喜び祝うとしようじゃないか」


「ああ、そうだな……」


 六人はこのあと、まずはボウルズ町のバランが城主の城のほうで、大きな祝賀会でも開くかのように、まずは食事のほうを心ゆくまで楽しみました。ボウルズ町はバランがシャリオン村へ向かう前と、一切何も変わってなどいませんでした。彼の妻も三人の息子たちも、自分の夫やお父さんがほんの数日留守にしていたとしか思ってはいなかったのです。


 シャリオン村のほうも、すっかり元の通り――というのは、例の竜巻がやって来る前の通り――に戻っており、ロックが井戸のほうを一応確かめてみると、時の穴のほうはすでに消失していました。このことを確認すると、バリンもバロンもラヴィもグリンも、安心してそれぞれ自分たちの住まいとする領地のほうへ戻るということにしたのです。


 さて、バロンとラヴィ(&モルガン姫)の結婚式のほうですが、こちらのほうは盛大に執り行われるということになりました。バロンは結婚前、足しげく娼館通いをしているといったような、羨ま……ではなく、実にけしからぬ生活を送っていた男性でしたが、結婚後はすっかり変わってしまったようです。というのも、モルガンラヴィとの結婚生活をきちんと守らないと死霊の王の祟りが再来するかも知れませんでしたし、それ以前に娼婦の女性たちとさんざん遊んでもきましたので、せめても結婚した以上はその生活のほうを清らかに保ちたいと思ったのかもしれません。


 もちろん、他にも理由はあったでしょう。結婚後、奥さん以外に愛人を持ちたいと願う世の男性は多かったに違いありませんが、バロンは実質、ふたりの女性と暮らしているようなものでしたので、それはもしかしたら普通の結婚生活以上に刺激的なものだったのかもしれません。しかも浮気なんてしようものなら、ひとりの女性だけでなく、ふたりの女性に左右から締め上げられるにも等しかったため――バロンは結婚前の悪い癖を出し、再び娼館の女性たちとよろしくやるということが出来なかったのかもしれません。


 そのうちのどちらだったのかはわかりませんが、きっとおそらくは半々くらいだったのではないでしょうか。バランもバリンもバロンも、その生涯の間(バロンだけは結婚してのち、ということになりますが)、良い領主としてその領地を治め、幸福な人生を送り、長寿をまっとうして亡くなったと言い伝えられています。


 ところで、例の「五十人のなんちゃら……(以下略)」という、五十人系アイテムですが、それらはボウルズ家の家宝として取り扱われ――ロックはバランから褒美として開拓地を与えられると、弓矢のほうはその時、バランの子孫に与えて欲しいと言って渡していましたし、グリンの棍棒はバロンの城の宝物蔵に保管されることになりました――また、ラヴィの持っていたアメジストの指輪は、その後彼女の娘のひとりに継承されるということになったようです。


 けれど、その後数百年もの歳月が過ぎるうち、これらの宝剣も大楯も時をかけるブーツも散逸し、今はボウルズ家の領地のどこを探しても、いずれの品もないという状態になっているとのことです。そして、この物語はその後も人々に愛好され続け(書き記した作者はバラン・ボウルズであろうとされていますが、今となっては確かめる術はありません)、とりわけ今もその名の残るボウルズ家の子孫が治める領地に、銅像などとしてその名残りが町や村のあちこちに見受けられるということです。




 >>続く。






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