第21章
ハムレット軍がラングロフト州へ向け進軍を開始し、ラヴェリン城砦へ到達したその三日後――ラ・ヴァルス城砦は完全にアグラヴェインとモルドレッド公爵の手に落ちていた。州都ラ・ドゥアンは、赤い屋根にオレンジがかった薔薇色の城壁が美しいラ・ヴァルス城を持つ、由緒ある城砦都市である。
その近隣には歩いて半日、あるいは一日、あるいは三日以内の距離にいくつもの町や村があり、そこから広大な田園風景が、ほぼ州都を中心にするように放射状に、どこまでも末広がりに伸びていくように見える。とはいえ、これはユベールが衛星を使って見た場合の画像であって、通常、内苑州においてどこの町、村、城砦といった都市へ行くにしても、迷わないためには道案内を必要とするのが普通である。
<緑の心臓>(グリューネヴァルト)とはよく言ったもので、こうした森林地帯においては、よく道を知らぬ人間が一歩足を踏み入れたが最後迷子になるのは必定であると、内苑州で生まれ育った者であれば誰もが常識として知っていることだったからである。
無論、ハムレット軍にはカレット・デルソール以外にも優秀な道案内がいくらもいたし、ラヴェリン城砦においても、ラ・ヴリント城砦においても――この先の道の詳細な地図、それに自ら案内を買って出る者はいくらでも候補者がいたものである。
そして、このラ・ヴリント城砦にて、一同に大きな衝撃を与える報告がもたらされた。カレット・デルソールがラ・ドゥアンに残してきた部下のひとりが、ラ・ヴァルス城を含む、州都ラ・ドゥアンのほぼすべてがアグラヴェイン・モルドレッド公爵軍の手に落ちたと聞き、先を急いで強行軍でやって来ただけに――彼らの落胆にはより大きなものがあった。
唯一ギべルネスだけは、前もって羽アリのユベールからそのことを聞いていたが、開墾された広い畑や田園風景の間の道、それに鬱蒼とした森を通り抜けるというその間、彼の頭にあるのはただひとつのことだけだった。そうした時こそ、自分がハムレットやタイスやカドールをはじめとする、旅の仲間たちを神の信仰の力によって励まさねばならぬということであり――それがもし、純粋な神信仰から発したものであればそれではいけなかったのだろうが、ギべルネスは多少の犠牲を伴うリスクがあったにせよ、自分たちの世界の兵器を使用することをこの時はっきり決めていた。というのも、アグラヴェインとモルドレッドの公爵軍は、ラ・ヴァルス城を占拠するなり、民たちの粛清をはじめたということだったからである。
「毎日、百人か、それ以上の数、貴族に手をかけた者たちが残虐な方法によって処刑されています。ふたりの公爵方は、まずラングドック侯爵の遺体を手厚く葬り、その棺の前で、兵士らに捕えさせた民を順に処刑していきました。その……アグラヴェイン公爵とモルドレッド公爵はともに、クローディアス王の拷問友達、という言い方はどうかという気がしますが、最初は公爵のうちふたりとも、クローディアス王の拷問趣味についてはよく理解できなかったいう話なのですよ。ところが、クローディアス王が拷問のどういうところに妙味があるかといったことを教えたそうなんですね。とはいえ、公爵がふたりとも、その後自分専用の拷問鑑賞部屋を持たなかったということは……ある程度ふたりとも良識が残っていたということでしょう。ですがこの場合、クローディアス王につきあって時々その拷問の光景を見てきたことが、極めて悪い意味で影響を及ぼしてしまったものと思われます。何分、一撃で首を斬首するというのでは、ある意味あっという間のことですからな……その刑を受ける人間にとっては別としても。そこで、両手を切り落としてそのまま生かしておいたり、片腕や片足を切り落としてのち、とどめまでは刺さないなど……死ぬより悪いことが、ラ・ヴァルス城砦では今疫病のように蔓延しているのです」
そう報告したのは、フォルスタッフとデルソールの部下、リシャール・フルクネッラであった。彼はラ・ヴァルス城で小姓として仕え、城の内部の勢力図や人間関係について絶えず探ってきたわけである。歳の頃は三十前後であったが、細目でいかにも頼りなさげに見える、どこか人の記憶に残らぬ風貌をした男であった。
「先ほど、アグラヴェインとモルドレッドの二公爵は、クローディアス王の拷問趣味の悪い影響を受けた……と、そうおっしゃいましたね?」
そう聞いたのは、ギべルネスであった。一同は暫し言葉もなく重い沈黙が場を支配していたが、彼がそれを打ち破ったのである。彼らは今、ラ・ヴリント城砦の、このあたり一帯の土地を支配する地主の城館に宿泊していた。言うまでもなく、この大地主もまた収穫の八割方をあらゆる理屈をつけて税として奪い取っていたため、民衆は彼やその一族を八つ裂きにしても良心の呵責に悩まされることはなかったようである。
「ああ、はい……」
フルクネッラもまた道を急いで来たため、彼はなんとも薄汚れた格好をしていた。水色と白のお仕着せに、革の靴。それに、服と揃いの同色の、布をたっぷり取ったタイプの帽子を両手で握りしめていた。だが、彼はそこに刺さった大きなガチョウの羽については道の途中で捨てていたようである。
「何故、そのことがわかったのですか?いえ、あなた方の仲間が王都テセウスにまでいるとは聞いています。ですが、クローディアス王の拷問部屋というのは、貴族の中でも極一部の者しか入れないような場所なのでしょう?」
ギべルネスは決して詰問口調ではなく、やんわりとそう聞いた。だが、フルクネッラはすっかりたじたじしたようになり、同じテーブルの、中ほどの座にいたデルソールとフォルスタッフの顔を交互に見比べていた。そこで、フォルスタッフはぼけた老人のとぼけた仕種をしてのち、真実を語ることに覚悟を決めたのだった。
「いやあ~、こりゃ参りましたな、ギべルネ先生」と、フォルスタッフは白いものの混ざった自分の頭をしきりとかいている。「王都テセウスのみならず、アデライール州の州都アディルにも、モンテヴェール州の州都モルディラにも、我々のお仲間というのがおるわけでして……ですが、確かにそこまでのことがわかるのは、貴族の中でも極一部の人間だけでしょうな。ハムレット王子、このような言い方をするからとて、あなたさまに無礼を働いたということではなく、特段聞かれもしませんでしたので答えなかったのですが……実は我々の活動を支える、資金源になっている方がおられるのですよ。その方はかつて、クローディアス王のお気に入りだった方で、アグラヴェイン公爵やモルドレッド公爵とも狩猟へお出かけになったような御身分の方であられました。ところがですな、現在の国務長官のケイ・ルアーゴや収税長官のイアーゴー・ベンティクルスがクローディアス王に讒言し、王の寵愛を失ってしまったのです。とはいえ、この方は拷問を受けることはなく、冤罪を着せられて牢獄送りとなったのですよ。そして自分の替え玉を置いて脱獄すると、我々の活動を支える資金を提供してくださるようになったわけです」
「なるほど……それはおそらく、ユーグ・ド・ヴラシー元財務総監のことではないかな?」
そう鋭く推理したのは、ギルデンスターン侯爵であった。侯爵はヴラシーとは旧知の仲であったが、あの公明正大な男が牢獄行きとされたということは、宮廷によくある陥穽に嵌められたということではないかと以前から疑っていたのである。
「流石でございます、ギルデンスターン侯爵」と、デルソールが感心したように、侯爵に向かって深々と敬礼し、フォルスタッフとフルクネッラもまた彼に習っていた。
「ヴラシーさまの居場所についてまでは申せませぬが」と、フォルスタッフが続ける。「ヴラシーさまは逮捕される以前に、どういったことになるかまである程度予想しておられましてな……そこで、御自身の財産をある程度分散させておき、加えて、マルヴォルク牢獄にて、生きてはこのまま出てゆけぬ終身刑の男から、莫大な宝を埋めた場所について彼が死ぬ前に教えられたわけです。ここでヴラシーさまは、その金を自分のように無罪の罪のために苦しんでいる人間や、貧困で苦しむ人々のために使おうと決意されたのですよ。宮廷の顔ぶれや貴族の数というのは、ヴラシーさまがティンタジェル城にいた頃とそう大きく変わってはおりますまい。今、フルクネッラが申し上げたことは、実はヴラシーさまがご存じのことだったのです。アグラヴェイン公爵とモルドレッド公爵は、クローディアス王の拷問趣味には最初、『あそこまでは流石についてゆけぬな』などとお互いに言い合っていたそうです。それが、朱に交われば赤くなるというのかなんと申しますのか、拷問官吏のプロフェッショナルとしての芸術的な技、というのですか?そうした解説を受けて、だんだんに『なるほど。そういうことか』といったように理解はされたようですよ。まあ、凡人のわしなどには到底理解不能ではあるが、このふたりの公爵方にとっては、そもそも最初から罪を犯して捕まった平民たちというのは同じ人間ですらないといった感覚なのでしょうな。つまりは、そうしたことです」
「…………………」
このあと、一同の間にはさらに重い沈黙が落ちたが、それを破ったのはギべルネスだった。彼は今の話を聞くまでもなく、すでに腹のほうを決めていたのである。
「ラ・グリフォン城砦のほうはどうなっていますか?」
『<神の人>ならば、千里眼でわからないのですか?』と詰問されることもなく、フルクネッラが答えて言う。
「ラ・ドゥアンが落ちたと聞き、次は自分たちの番ではないかと民たちは戦々恐々としております。とはいえ、ハムレット軍が北上しているとも聞いておりますから、それまでどうにか持ち堪えようと南北の城門を固く閉ざし、軍備を固めるということにしたようですが……」
「そうですか。ハムレット王子……私はそろそろ、あなた方とお別れする時が来たようです」
仮の軍務会議室としている大広間が、下座の席に至るまで一気にざわめいた。内苑州へ足を踏み入れて以降、初めて旗色が悪いという今この時になって――と、そう思った者もいたかもしれない。だが、タイスやカドールやギネビアやランスロットなど、長くともに旅してきた仲間たちにはそうでないことがよくわかっている。
「ギべルネ先生、何故ですか?」
ハムレットはギべルネスの言葉に動揺したとはいえ、彼には彼の考えがあると信じていた。そう、たとえば、ギべルネスが一時戦列を離れるような形で東王朝へ行ってしまった時のように。
ゆえに、この「何故ですか?」というハムレットの言葉はどちらかといえば、「どうしようというのですか?」という意味合いだったに違いない。
「少々、説明は難しいのですが……」とギべルネスは、ハムレットや他の仲間たちを安心させるため、優しく微笑んだ。「おそらく、私ひとりでもラ・ヴァルス城砦は落とせるかもしれません。ですが、道案内は必要ですし、護衛もつけていただけると一応有難いような気はします。まあ、基本的にはバロン城塞の時と同じく、後に続く軍隊というのはラ・ヴァルス攻囲の威嚇するための軍隊として必要と思うわけです。ゆえに、馬を休めつつ体力を保持するような形でここから先、進軍していただければ十分と考えます」
「ギべルネ先生、それで……ええと……オラ、先生の<神の人>としての力を疑うつもりはねえだども、具体的にどうするつもりぎゃ?」
ギべルネスの隣に座っていたレンスブルックが、どこか不安気にそう聞いた。彼もまた、ギべルネスの「お別れ」という言葉が、本当の別れとは信じていなかった。というのも、ハムレット王子が今後も勝ち進み、王都テセウスにてその頭上に冠を戴くというその時、その王冠を授けるのは<神の人>ギべルネをおいて他にはいないと彼は固く信じていたからである。
「そうですね……今はまだ多くを語れませんが、もしその時天からのしるしを見たら、あなた方はそのことを今後とも勝利に次ぐ勝利の与えられるしるしと考えてください。もしその時、私の姿がその場になかったとしても……」
ギべルネスのその言葉に、今度は場が凍りついたようにしーんとなる。そこで彼はハッとした。なんだかまるで、これから自分が死ぬような言い方をしてしまったと気づいたのだ。
「俺はこの場にいる者の中で、もしかしたら一番信仰の薄い者かもしれないが」とカドールが、怒りと戸惑いがない混ぜになった顔をして言う。「ギべルネ先生、今はあなたが<神の人>であることを微塵も疑ってはおりません。ですが、レンスブルックの言ったとおり、具体的に何をどうされようというのですか?俺のように不信仰な者は目に見える証拠を欲しがるということ、すでによくご存じでしょう?」
「ええとですね、それが今はまだ具体的には言えないのですが……奇しくもカドール、あなたが今言ったとおり、信仰というものは目に見えぬものを信じることです。それに、今私がかくかくしかじかと説明したところで、あなた方には私が何を言っているのか、やはりよく理解できないと思うのです。そうですね……ですがその時その瞬間、それぞれがご自身の目で見れば――最終的に信じることが出来るとそのように信じて欲しいとしか、今の私には申し上げられません」
「ギべルネ先生、オレはあなたを信じますよ」と、ハムレットはこの時なんの疑いもなく言った。東王朝へギべルネスが行って無事戻ってきた時、彼は自分の不信仰を心から悔い改めたのだ。「ですから、なんでもあなたのおっしゃる通りに致します。必要なものがあればすべて用意し、連れていきたい者がいれば、必要な兵の分だけお連れください」
「ハムレット王子。有難いお言葉、痛み入ります」と、他の者もみなそうしているように、ギべルネスもまた謙譲の気持ちから彼に深々と頭を下げた。「あまり多く兵士を連れすぎても目立ちますし、このあたりの道に詳しい者一名と、他に護衛が数名といったところでしょうか」
次の瞬間、すぐにもギネビアが挙手して立候補した。
「ギべルネ先生、是非ともわたしを一緒に連れていってくれっ!!先生の身が危ないような時には何があろうと敵をぶった斬って守るし、その他なんでもしますっ!!わたしはあなたのそばで、神の人であるあなたの……いいや、神の御業そのものを見たいんだっ!!」
(馬鹿……)と思い、頭痛を催したようにランスロットは片手で額を押さえた。そんな言い方をすれば当然、他にも共に来たいという者は何十人となく出てくるだろう。(俺だって、出来ればギべルネ先生の護衛の任に就きたい。だが、ローゼンクランツ公爵がグロリア城に残り、騎士団長である親父もそちらへ残った今、副団長として騎士団を率いる責任がある以上ついて行くことは出来ない。だが、それと同時に公爵さまには『ギネビアのこと、よろしく頼む』と言われているのだ。この場合どうしたらいいのか……)
「ギネビア嬢ちゃまがギべルネ先生の護衛の任に就くのであれば、わしも一緒に行きますぞっ!!」
そう下座のほうから立候補したのは、ルーアン・バグデマスだった。おそらくこの初老の男のことを覚えている者は少ないと思われることから、あらためて紹介しておこう。彼は、ハムレット王子の一行がローゼンクランツ城砦を出、隣の州であるライオネス州へ向かう途中、十の城塔のうち、一番最初の塔で警備の任に奥方とふたりで就いていた者である。
ルーアンはギネビアが小さな頃、騎士の真似事をするのを見てその稽古をつけてやったじいやであり、彼の妻のルツは短剣使いの名手であった。そこでギネビアはルツから短剣の扱いについて事細かく教え込まれていたものである。
「さすれば、ランスロット殿も何かとご安心でしょう。ギネビア嬢ちゃまのことはこのルーアンが、この命に代えましてもお守り致しますゆえ……」
「何を言うか、ルーアン。おまえこそそろそろ年なのだから、体を大切にして戦列を離れたらどうなのだ?」
ギネビアがぶすっとしてそう言う。彼女はいつでも、騎士として半人前扱いされると、相手が誰であれふてくされる傾向にあるのだった。
「ギネビアさまの行かれるところ、私もともに参ります。そういうことでよろしかっでしょうか、ギべルネさま?」
そう言ったのは、ギネビアの席の後ろで副官として控えていたブランカ・ロイスであった。「ええ、まあ……」と、ギべルネスは困ったように曖昧に頷く。
「あ、このルーアン行くところ、短剣使いのルツも共に参るというわけでして、これでギネビアさま、ブランカさま、わし、わしの妻……ということで、ギべルネ先生、よろしかったでしょうか?我が妻ルツは野営地でも料理するのに長けておりますからな、そうしたお世話も出来ますです、ハイ」
確かにその通りだった。ここまでやって来る道すがら、ルツ・バグデマスは、野営地においてその中心にいて絶えず料理の指図をしていたものである。そしてこの時だけは兵士らも、美味しい料理を作ってくれる彼女に対し一目置き、喜んでなんでもその言うなりになっていたのだった。
「ずるいぞ、ギネビア」と、トリスタンが斜め向かいの席から口を挟む。「そんなことを言ったら僕だってギべルネ先生と一緒に行きたい。だが、ライオネス騎士団と兵士らを率いる指揮官のひとりとして、この場合そういうわけもいかぬ。事情はランスロットにしても同様だろう。だが、せめてもう何人か、それぞれの騎士団などから手練れの騎士や兵士をつけるべきではないか?」
「そうだ、そうだっ!!」と、父親の座席の隣から、キリオンも拳を振り上げて言う。「ぼくだってギべルネ先生と一緒に行きたい。それに弓兵団のことなら、ウルフィンかニムロッドあたりにでも任せておけばいいんだし……」
キリオンは隣の父の顔色を窺ったが、ギルデンスターンは珍しく渋い顔をしたままだった。彼としては今の今まで、自分の頼りない長男がどうしているかと、ずっと心配して日を過ごしてきたのだ。無事再会できた今、最早軍のなるべく安全なところにいて、ハムレット王子の即位後は自分の息子たちにはその宮廷においてより良い役職を占めて欲しいというのが、キルデスの望みだったからだ。
「せ、先生。オラも一緒に行っていいもんぎゃかな?」
レンスブルックが照れたようにもじもじして言うのを見て、ギべルネスは「もちろんです」と答えていた。そして彼にとってはこれが、ちょうど良い護衛人数の締め切りとなったのであった。
「ええと、道案内してくださるフルクネッラさん含め、これで六名ですね。このくらいがちょうどいい人数ですので、他の方はもう十分大丈夫です」
ギべルネスが何かの点呼でも取るように指折り数えてそう言うと、彼の周囲には唖然としたような空気が広がった。タイスとカドールも、驚いたように互いの顔を見合わせている。
「ですが、ギべルネ先生」と、タイスが慌てたように言った。「トリスタンも言ったとおり、せめてもう数人は誰か手練れの者を……」
「そうです」と、カドールもタイスに同調した。「正直なところを言って、そういうことなら俺だってギべルネ先生と一緒に行きたいですよ。あ、そうだ!!参謀としてはタイスが王子とともにあってくれればいいわけですし、俺も先生と一緒にご同行しましょう。ハムレットさま、ご許可いただけましょうか?」
「そうだな……」と、ハムレットは難しい顔をした。無論、カドールの同行に不賛成なわけではない。ただ、彼もまた内心では(みんなずるいぞ)と思っていたのだ。だが、今はもうローゼンクランツ城砦を出たばかりの時のような、名もなき身分の己ではなかった。「オレとしてもカドールが先生と一緒に行ってくれるというのであれば、何かが安心だ。では、これで……」
ハムレットがそう言いかけた時、壁際に並ぶ廷臣のひとりであったホレイショが、一歩前に出て挙手する。
「ハムレット王、わたしもまた、書記官としてギべルネ先生と同行したく存じます。いえ、ここまでの道程について書き記したものをまとめていて思いますのに……どうしても先生にはわたしがついていって、その言行録について書き記しておきたいのでございます」
「うむ」と、ハムレットは頷いた。ギべルネ先生が東王朝へ赴いた時の旅行記については、キャシアスが書き記したものをハムレットは読ませてもらっていた。ゆえに、ホレイショのこの意見はもっともと思ったのだ。「同行を許可しよう。ギべルネ先生もそれでよろしいでしょうか。ホレイショは旅の初めから一緒にいる仲間で気心も知れていますし、彼もまたディオルグから剣や槍の扱いについては仕込まれておりますから、並の山賊が相手ではびくともしないでしょう」
「そうですね。私はそれでもまったく構いませんが……」
実をいうとギべルネスは、ホレイショの書いたものもキャシアスの書いたものも読ませてもらってはいない。クローディアの書いた童話に、自分の小さい頃に似た男の子が出てきたことがあったが、なんとも嫌な気持ちがしたものである。美化して書かれていたにせよ、ありのまま描かれていたにせよ、自分についてなぞ、誰も一行たり書いてなぞ欲しくないというのが、彼の偽らざる本心であった。
軍事会議が終わると、ギべルネスはハムレットとふたりきりになった。タイスとカドールは参謀同士、何か話がある様子で隣の部屋へ移動していたし、ギべルネスはギべルネスで(これが最後かもしれない……)との思いがあるため、どうしてもハムレットとゆっくり話をしておきたかったのである。
「先生、ギべルネ先生がこれからなさろうとすること、オレは特段聞いておく必要はないと思っています。ただ、先生のことを信じておりますゆえ……」
ハムレットは無論、ギべルネスが『そろそろみなさんとはお別れする時が来たようです……』と言ったことを覚えていた。だが実をいうとその言葉に、本当の意味での真実味と重さまで感じ取ってはいなかったのだ。そう――ハムレットはレンスブルック同様、自分に王冠を被せる相手はギべルネ先生に他ならないと、信じて疑ってみることさえしなかったのである。
「これからの神の御心が、私にも完全にはわかっているわけではないのですが……」と、ギべルネスはためらいがちにハムレットに語った。彼は今、数段高いところにある玉座から下り、テーブルのひとつに尊敬する先生と向かい合って座っている。「もし仮に今後、私の姿が見えなくなったとしても、ハムレットさま、あなたが必ずやこの国の王座に就くということだけは決してお疑いになってはいけません。また、私には最後にひとつだけ、気になっていることがあるのです……」
「どうしたのですか、先生?オレは先生が東王朝へ向かわれた時のように、今度のことも同じようなことなのだと信じています。ですが、先生の気になっていることというのはなんでしょうか?」
ギべルネスのほうにも別れの悲壮感のようなものは一切なかったため、ハムレットが(何かいつもの先生とは違うようだ)と感じ取れなかったのも無理はない。ギべルネスにしても、ユベール言うところの<敵にミサイルぶっこみ作戦>が今の段階でうまくいくかどうかは不確定であり、その後ヘリに乗って天上のいずこかへ帰ってゆく……という予定でも、何かの不都合からやはりこちらの陣営へ再び戻ってくることになるやも知れず――ゆえに、これで本当に生身の肉体としてはハムレットや他の仲間たちと会えなくなる……といったようには、完全には確信していなかったということがある。
「あなたの、お母さまのことです」と、ギべルネスは言った。ここには事情を知るギルデンスターン侯爵がいることから、何も語らずにおこうかとも思ったが、やはりギべルネスはそのことが喉に刺さった小骨のように気になっていたのだ。「その……どう思っていらっしゃいますか?これから王都テセウスまで攻め上った場合、確かにお母さまであるガートルードさまには会えましょう。ですがもし……ハムレットさま、もしあなたをお生みになった方が、あなたの存在を否んだとしたら……」
「そうですね」と、ハムレットは悲し気に青い瞳を伏せていた。「そのことは……正直、百パーセントまったく考えなかったというわけじゃありません。ただ、オレとしてはね、先生。最初に先生に母上のことを語った時には、本当にここまで自分が民たちの信望を得、十万もの兵を率いて攻め上れるようになるといったようには――具体性を持って想像したり出来なかったんです。なんというか、『もしそうなればいいなあ』くらいのものでね。オレは、母上がオレのことを王として認めなかったとしても、今はそれはそれで仕方ないと思ってるんです。まあよく考えたら、母上には母上の、王妃としての立場があって、オレは彼女の夫である王を斃そうというのですし、彼女にはクローディアス王との間に息子と娘がいるわけですから……そしてこのままいったとすれば、賢い方として評判も良いレアティーズ王子が王となる予定であったのに、間違いなく自分の息子であるとはっきり確認すら取れぬ男がこの国の王になろうというのですからね。まあ、無理もありません」
「では、本当に大丈夫なのですか?」
ハムレットが思った以上にしっかりした考えを持っているのに驚くと同時、ギべルネスは深い悲しみを感じながらも――多少なりほっとする部分もあった。最初に、恋する相手でもあるかのようにガートルード王妃に対する憧れ、母への思慕を語られた時のことを覚えていただけに。
「ええ。大丈夫というか……先生、オレはね、自分の母がどんな人なのか知りたいということと、その姿をほんのちらとでも見ることが出来れば十分だという思いがあって……でも、実際に対面を果たした場合には泣いてしまうだろうなと今からわかっています。もし母上のほうで『こんな子知らない!!』と言ったとしても、それはそれで仕方のないことですが、オレのほうではね、生きて会えただけでも自分は十分幸福なのだと考えます。それ以上、息子として優しくして欲しいだとか、そんな言葉をかけて欲しいといったようにも求めません。先生、オレは……このまだそう長くもない旅の間に、少しは人間として成長したと思っています。中でも一番、ギべルネ先生、あなたから感じ取ったことが大きい。それは無私の精神とも呼ぶべきものです」
「無私の精神、ですか」
(参ったな……)と、ギべルネスは思った。ギべルネスとしては、医師としてのそれは当たり前のことであって、自分は実際にはハムレット王子が思うほど良い人間ではないとわかっているつもりだった。
「そうです。先生、オレはね……今ではこう考えるんですよ。みんな、オレが先王エリオディアス王の息子だから、王子として尊敬してもくれる。正直、今もよくわかりません。『あの方がハムレット王子だ』というその言葉だけで――こんなにも民たちが何故無条件で信頼し、光り輝く眼差しで見つめてくれるのか。ですが、その無条件の、まるで子供が親に対して寄せるかのような純粋な信頼には、これから必ず応えねばならないと思っています。なんていうか、先生……そのことについては、ギべルネ先生がお手本を見せてくださったと思っています。それは王としての自分の都合を通すといったことではなく、民の意見を優先させるということです。そのためにオレはこれから苦しいと感じたりすることが時にあるでしょう。ですが、今この瞬間のことを思ってみても、やはり民の気持ちを優先させないということは絶対に出来ません。先生、どうしてなんでしょうね。民あっての王なのに、歴史的に見ても王や王族といった存在が足を踏み外しがちだというのは……」
「王にだって、時々は息抜きが必要ですからね」と、(この方に私が申し上げられることはもう何もない)と感じつつ、ギべルネスは砕けた調子で言い、そして微笑んだ。「それに、ハムレット王子、あなたにはタイスやカドールや、あなたが万一王として道を踏み外しそうな時には諫めてくれそうな良い家臣がいるからいいとしても……クローディアス王のように、ユーグ・ド・ヴラシー元財務総監のような良い家臣をあえて失脚させ、自分の耳に心地好いことを言ってくれる悪い家臣をその代わりとしてしまうということが、やはりあるものなのでしょう。ハムレット王子、あなたがこれから王となって結婚され、もし将来の世継ぎがお生まれになったとしたら……そうしたことを父としてお教えになると良いかもしれませんね」
「そ、その……ギべルネ先生………」
ハムレットが白い頬を紅潮させるのを見て、ギべルネスはこのことについては彼のことが何もわからなかった。ただ、「?」と疑問符を浮かべるのみで。
「オレは……その、誰と結婚すればいいと思いますか?たとえばもし……自分が結婚したい女性に断られたといった場合……」
「ハムレット王子のような方に求婚されて断る女性がいるとは思えませんが、そのこと、タイスかカドールに相談したりは?」
「タイスには、一応言ってみましたが……相手がギネビアだと知るなり、それは彼にもどうにも出来ないというかなんというか、何かそんな反応でした……」
(ああ、なるほど)と、ギべルネスは思った。確かにそれはタイスにもカドールにも、あるいは<神の人>である自分にもどうにも出来ないという結論しか出ない。
「では、猶のこと心配でしょうね。もちろん、ギネビアはそこらにいる並の男などより剣の腕も立ち、自分の身も守れるとはいえ……私にしても、もし彼女の身に何かあったとしたら自分の命のほうを犠牲にしたいと思っていますし、そんなのはブランカ・ロイスやルーアン・バグデマスにしてもそうでしょう。いえ、私の出来うる限り、最大限の力と見張りを持って、ギネビアの身には傷ひとつつかないようにしたいと思うのですが……」
「い、いいんです、先生っ。ギべルネ先生がともにおられる以上、ギネビアもまた無事何もなく帰ってくるだろうと信じています。ただ、オレがこの場合言いたかったのは――もしギネビアにプロポーズを断られた場合、他の女性は誰でもみな同じだということなんです。ギネビアは裏表がなくて素直だし、嘘をつくのが下手な、真っ直ぐな性格をしています。オレは……人間としてもひとりの女性としても、彼女以上に信頼できる人間というのを他に見つけられるとは思っていません。そういう意味で、他の女性では駄目なんです。心の底から信頼するとか、そうした関係を持てるとはとても思えない」
「それはきっと、時が解決してくれるでしょう」
ギべルネスはあっさりと、無責任とも取れる口調で言った。何故かといえば――タイスがその事実を知っているということは、ハムレットが王となったそのあと、王には妃と世継ぎが必要だとなった場合、あらゆる形で根回しが行われるだろう。何より、ギネビアはああ見えて公爵家の娘なのだ。家柄としても何も問題はないように思われた。また、ギネビアに対しても、あらゆる手を尽くして誰もが彼女を説得しようとするに違いない。
「私も、ひとりの人間としてギネビアのことが好きですし、彼女のことは女性というよりも、そうですね……なんというか、今もある意味少年だと思っています。少年の心を持った女性と言いますか。ほら、ランスロットにもちょうどそんなところがあるでしょう?騎士として剣の道を追求するあまり、彼は武人として頼りになるのと同時、やはり心の部分は純粋な少年なのだろうなと感じることがよくあります。ランスロットとギネビアは、そうした意味で双子のようによく似ていますが、普通、男が男に恋はしないという意味で、ギネビアはランスロットのことは戦友のようにしか感じられないのでしょう。つまり、彼女はまだ恋というものを知らない少年なんですよ」
「じゃ、じゃあ、オレに対してだって同じだということではありませんか?それに、ギネビアは今は単にランスロットに対する恋心に気づいてないだけなのだとしたら……」
「そうですね。確率のほうは五分と五分です。ですが、私の見たところ……ハムレット王子、あなたのほうがランスロットより今は優位なのではないかと、そんな気がしますね」
ギべルネスは当てずっぽうにいい加減なことを言っているのではなかった。確かに、旅をはじめた最初の頃は、元婚約者同士ということもあり、ギネビアとランスロットが剣とその鞘のようにうまく収まるのではないかと、彼だけでなく他の仲間たちの目にも見えていたことだろう。だがだんだんに、ギネビア・ローゼンクランツという女性はどうやら他の男の剣に鞘として収まりたくないのだと、そんな人生はごめんだと主張しているに等しい人物なのだということがわかってきたという、これはそうした話なのである。
「す、すみません、先生……っ」と、ハムレットはいまや耳まで真っ赤になっていた。「こんな大切な時期に、変にプライヴェートな話を……とにかく、ギべルネ先生の旅のご無事を祈っています。本当にオレは果報者だ。タイスやカドールやランスロットやキリオンや……いい家臣にばかり恵まれて、オレが特にこれといって何もせずとも、オレが王家の血筋の者だからというそれだけの理由によって盛り立ててくれようというのですから。それに、今回のことだってそうです。もしオレだけなら……ここから先、どんなふうにして州都ラ・ドゥアンを攻略すればいいかもわからず、ただうろたえるだけだったでしょう。そこを先生が支えてくださったからこそ、みな、そんなにうろたえずにすんだんです。ギべルネ先生、そのこと、あらためて感謝致します」
「いえ、すべてはハムレット王子、あなたさまが王におなりになれば、この国は機能不全から回復するというそうしたことなのです。もしクローディアス王が正しい心を持ってこの国の民を苦しめず虐げもせず、その幸福のことを第一に願うような政治を行っていたとしたら良かった。ですが、エリオディアス王を排斥して王位に就いたというのに、彼には悪い政治を行うことしか出来なかったのです。もう少しばかりここペンドラゴン王国では生みの苦しみが続きますが、女性が出産後に我が子の誕生を喜ぶように、ハムレットさまが王位にお就きになった暁には、国の全体がそのような喜びに沸き返ることでしょう。ハムレットさまも、星神・星母さまのそのような導きを信じ、今暫くご辛抱くださればと願います」
「いや、オレは本当に指導者としては何もしていない……そう思うと本当に恥ずかしい限りだ」
「いえ、ハムレットさまはいてくださるだけで良いのです」と、ギべルネスはにっこりして言った。「王子ご自身はそのことにお気づきでないかもしれませんが、あなたとお会いになった者はみな『この方のために何かしたい』という志しを自然と持つのです。ある意味、それが一番指導者として得難い、一番の才覚でないかと私は心からそのように思っているのですが……」
(そうだろうか)とハムレットは思ったが、ギべルネスこと<神の人>の優しく人を包み込むような笑顔を見るうち、そう信じても良いのだという気がしてきた。このあと、ギべルネスは明日にも出立するその準備のため王子の御前を辞去したが、ハムレットはギベルネ先生の残した心の温かさをいつまでも覚えていた――まさか本当に、これが<神の人>との別れ、最後の会話になろうとは露ほども思わぬまま……。
>>続く。




