第9章
キリオンが奇策を提示してくれたお陰で、ロドリアーナの軍事会議室は俄かに活気づいた。ロットバルト騎士団が騎士の技を磨く練習場としているロットバルト闘技場でも、連日兵士らの訓練に熱が入ったものである。だが、その一方であまり人には見せないようにしながらも――ハムレットはどこか常に憂い顔であった。もっともそれはタイスなど、彼の極身近な者にだけ感じられることであって、ロドリゴ=ロットバルト伯爵などはまったくそのことに気づいてなかったことだろう。
「どうした?ギべルネ先生の不在に対する俺の不安が、なんだか今度はおまえに移ってしまったようだな」
「そうだな……が、まあ、軍略会議の場などでは、そんなふうには見えないだろ?大広間でみなと食事をする時にも、これでもオレなりに明るく振る舞っているつもりだしな」
実際、ハムレットは王子として熱心に議論にも参加し、大広間ではロットバルト伯爵家の良き話相手でもあっただろう。だが、タイスは側近であると同時に幼なじみでもあったから、彼が多少無理をしてでもそのように振る舞うよう努めているとわかっていた。
「やはり、ギべルネ先生のことか?」
「いや、実際のところ、オレ自身自分の迷信深さに驚いてるよ」と、ハムレットは苦笑した。今、ふたりは海風が潮騒の香りを運んでくる、マリーン・シャンテュイエ城のバルコニーにいた。そこからはさらに、ロットバルト伯爵の跡継ぎであるロカインの妻とその息子たちが暮らす、リーン・デュノワ城が見える。ここは、彼が実際に伯爵となるまでの間、妻と新婚時代を、それから子供の幼少期をともに過ごすための場所であり、ロドリゴもそのようにして十年ばかりしてから、父から爵位と領地を受け継いだということであった。
「実際にバロン城塞へ進軍する前までに、ギべルネ先生やディオルグが戻ってくるかどうかが気になるのと同時に……先生が<神の人>だからどうとかいうことじゃなく、純粋に友達として三人が無事かどうかとそのことばかり考え、毎日神にそのことを祈ってばかりいるよ」
「そうか。そのおまえの気持ちは俺にもわかるよ」と、タイスは親友に同意した。「というか、朝起きて毎日最初に考えるのはそのことだしな。とはいえ、結局のところ俺たちには信じて待つことしか出来ない。我々は星神・星母の神託と導きがあってここまで旅して来たが、本当に内苑州の軍に勝てるのかどうかだって、心のどこかでは『そうなればいいが……』といったように不安に感じてもいる。だが、そのことだって信じるしかないんだ。まったく、ユリウス長老も考えたものだよな。小さな頃から僧院で育った俺たちの信仰を持ってしてもこうなんだぞ。もしそうじゃなかったらと想像しただけで、まったくゾッとするような話じゃないか」
「確かにな」と、ハムレットも、まるで元気づにけられたように笑った。不安なのは何も、自分だけではないのだ。「それでな、今から話すことは、タイス、おまえであればこそ話せることなんだが……あとはギべルネ先生がこの場にいれば、間違いなく相談していたことだろう。とりあえず、聞くだけ聞いてくれないか?」
「ああ、いいとも。一体なんだ?」
タイスは、そのこともまた、ハムレットの気鬱の要因のひとつになっているのではあるまいかと思い、心配になって聞いた。
「この間、夢を見たんだ……といっても、星神・星母や、神の使いが何か啓示を示したといったような夢じゃない。ほら、前に話したことがあるだろ?アヴァロン州で会ったあの霊能者のようなメルランディオスという男……あの男が夢に現れてな、バロン城塞を攻め落とすのに必要な武器や資材は、自分がすべて用意してやろうと言うのだ。確かに、前にもそんな約束をしたような記憶はある。で、メルランディオスが言うにはな、『これから不思議な方法によって、弓箭兵の長弓もクロスボウも壊れることはなく、そのえびらから矢が尽きることもあるまい。バロン城塞に対する対攻城城砦も、不思議とあっという間に建つことだろう……その他、本当なら敵兵の弓が刺さって死ぬ兵士の矢が逸れてどこかへ行き、戦士の体へ食い込むはずの剣の刃が深手とはならないなど、地味すぎてその有難みが貴様らにはよくわからんだろうが、ハムレット王子よ、とにかく最終的におまえたちはこの戦争に必ず勝つ。だが、それはこのわしのお陰だということを、未来永劫夢ゆめ忘れるでないぞ』と、こう言うのだな」
「それの、一体何が問題なのだ?」
ハムレットのやや気難しいような顔の表情とは違い、タイスのそれは、まるで嵐のあとの雲間から洩れ出る光の矢のように瞬く間に輝いた。彼はハムレットから、星母の使いである女神たちに『その者の力を大いに活用せよ』といったように言われたと、そう話してくれたのを覚えていたからだ。
「だって、おかしいではないか」と、遠く潮騒の音を聴くように海を眺めていたハムレットが、幻想世界から現実へ戻って来たとでもいうように振り返る。「オレもおまえも、毎日東王朝へ旅立った三人の友のことを思って祈っているのだぞ。それなのに『あの三人は無事だから、何も心配しなくていいのです』といった神の御声も幻視もないのに、何故あのいかがわしいところすらあるように見える奴が唯一オレの夢に出てくるのだ?確かに三女神たちには、メルランディオスの力を大いに活用すればいい……みたいには言われたが、それにしてもしかしだ」
「なるほど。確かにな……ハムレット、俺にはそうしたおまえの気持ちもわかるが、やはりあのメルランディオスという奴の力を利用してでも、我々はこの戦争に、なるべくなら必要最低限の犠牲によって勝つべきなのだ。またそれが星神・星母の御意志でもあることだろう」
「まあな」と、ハムレットは溜息を着いて言った。「だが、オレにはあんな奴の言うことを本当に丸ごとそのまま信じていいものかどうかが、よくわからんのだ。弓は折れず、弩は壊れず、えびらから矢は尽きることはないだと?そんなあいつの言葉を信じてしまったがゆえに、無謀にも突っ込んでいった挙句、甚大な損害を被る……そんな可能性だってあるのではないか?」
「かもしれん。だが、俺はやはりこう考えてしまうんだ。ハムレット、おまえがギべルネ先生やディオルグが東王朝へ旅立ってから、ずっと心の中では落ち込んでいると俺にもわかっている。とはいえ、先生たちはやはり、俺たちが彼らを必要とした時に帰ってくるだろう……俺が今おまえの話を聞いていて確信したのはそういうことさ。そして、そのことが何よりのバロン城塞が落城することへの勝利のしるしとなることだろう」
「…………………」
(だといいがな)と言うかわりに、ハムレットはやはり溜息を着いた。鷹使いであるギネビアの元にも、彼女の父上であるローゼンクランツ公爵から伝令書簡のほうが届いていた。すでにローゼンクランツ・ギルデンスターンの総勢三万五千の兵がライオネス城塞へと向かい、トリスタン率いる一万五千の兵と合流する予定であるという。
タイスはこの時、あえて口にしなかったが、参謀として影のような存在とも言える自分と、星神・星母から託宣によって選ばれたハムレットでは、その双肩にかかってくる責任の重荷が違うのだとあらためて感じていた。確かに、旅の途中で戦争ということがだんだん現実味を帯びてきてはいたものの、それでもまだそれは今のように間近に迫っているのではなかったから、心のどこかで(本当にそんなことが起きうるのだろうか?)と楽観できる部分も残っていたのだ。
だが、一度戦争の火蓋が切って落とされたが最後――以降死んだ兵士とその家族らの苦しみや悲しみ、生き残ったとしても、深手を負った者たちの心身の傷は、自分という存在があったからだということになる……そのことがハムレットのことを悩ませているのだろうと、タイスは察していたとはいえ、どうしてやることも出来ずにいた。
(クローディアス王の拷問の犠牲となっている者たちが、牢獄で今この瞬間も苦しんでいるのだぞ……とか、そうした問題ではないことだからな。しかし、メルランディオスが何か不思議な力を使って協力してくれるというのは、俺にとっては実に心強く有難いことだ)
と、同時に、ハムレットのこのことに対する心配というのも、彼にはわかる気がしていた。神は人間に対する無償の愛のためにその御手を動かしてくださる方だが、メルランディオスのような神の真似事をするのが好きなだけの悪しき存在というのは――自分が魔法のような力を使うことに対し、将来的に一体どのような取引を持ちかけてくるか、わかったものではない……確かに、そうした部分も残っていたには違いない。
(とはいえ、そのために最初に生まれた子を生贄として捧げるだの、邪悪な取引がそもそも最初にあったわけでもないのだしな……このこともきっと、星神・星母さまの御意志と導きの内にあると考えても、おそらくそう都合良く考えているということでもないのではないか?)
また、ロドリゴ伯爵のことを支える、妻ローリエの聖母のような微笑みを毎日食事の席で見るにつけ、タイスは自分がハムレットにしてやることの出来ないもうひとつのことを思ってもいた。今では彼がギネビアを愛しているとわかっているタイスであったが、もし、ロドリゴ伯爵の五人の未婚の娘のうち、彼が誰かに恋しているか、向こうから恋心を持たれ、そう憎からず思っているといったようなことなら――話は実に簡単なことであったろう。
(王となった暁には、彼女と結婚して、世継ぎを儲けて幸せになろう……といったような目標があれば、さらにモチベーションが上がるとでも言えばいいか……)
他の女性のことであればともかく、唯一ギネビア・ローゼンクランツのことでは、タイスにもいい加減なことは言えなかった。ランスロットとはとりあえず仲直りした様子ではあるが、それは親友同士から恋人同士に一段階段を上がった……といったものではなく、どうやら単に元と同じ関係に戻ったというだけのことであるようだった。つまり、ギネビアは自分のために、自分のためだけの女王でいたいのであって――そのような騎士としての彼女に心酔するヴィヴィアン・ロイス騎士団長の妹、ブランカ・ロイスと剣や槍を交え、日々鍛錬する姿を見ていると、最早ギネビアには誰も何も言えないくらいであったろう。
(そうだな。確かに、恋愛は賭博のようなものなのかもしれんな)と、再びハムレットとともに、遠くの海の波濤を眺めながら、タイスも苦笑する。(だがハムレットよ、おまえには切ることの出来る最大のカードがまだ残っているのだぞ。おまえがもし王になった暁には……王としての命令によってギネビアに甲冑を脱がせることが出来るかもしれんのだからな)
そして、そのことを先に教えてやるべきかどうかとタイスが迷っていると、ずっと夢想に耽るような横顔だったハムレットが、親友の参謀を振り向いて言った。
「タイス、いつものことだが、おまえに話したら何か心が整理されてスッとしたよ。まあ、あれこれくよくよ悩んでばかりいても仕方ないものな……とにかくこうなった以上は、星神・星母の導きを今後とも信じ抜き、あとはどのようなことに対しても誠心誠意最善を尽くすという、ただそれだけだ。というより、オレがみんなのために出来ることと言えば、そんなことくらいだものな」
「いや、それが何よりも一番肝心なことさ。キリオンの策がうまくいくかどうかは、やってみなければわからん部分も確かに大きいことではあるだろう……だが、時代の風は間違いなく我々に向かって吹いているのではないか?何分、ここロットバルト州にもメレアガンス州にも、バリン州に住んでいる親戚縁者や友人やら知人やらが、それ相応にいようというものだ。そして、そんな者同士の間で剣を交えたくないということになれば――ハムレット、おまえは俺らしくもなく楽観的にすぎると笑うかもしれんが、バロン城塞側の士気は上がらんだろう。そこにもおそらくつけ入る隙というのがあるに違いない」
「そうさ。オレはこんな大きな戦争を、そんな不確実な運任せにすることは出来ないということでも、日々悩んでいるのさ」
――ロットバルト闘技場や、そこから少し離れた場所にある兵士の訓練場では、日々騎士たちの指導の下、厳しい鍛錬が行われているが、ハムレットはその様子を眺めるたび胸が痛むのだった。彼の軍の士気のほうはこの上もなく高かったにせよ、ハムレットとしてはそう純粋にそのことを喜べないのである。彼らは自分が見ているとわかると、ハムレットのことをすでに「王子」とは呼ばず、「ハムレット王万歳!!」と叫んでいるほどだったのだから。
(この戦争、決して負けるわけにはいかぬが、かといって、はじまってみなくてはわからないというのもまた、戦というものなのだろうな……)
ハムレットはギべルネスやディオルグ、キャシアスの帰還をこの上もなく待ち望んでいたが、キリオンとウルフィンが鍛えた弓兵らの準備が整うと、州都ロドリアーナを出発し、進軍を開始するということになった。それは、十二月の一日のことであり、一年の終わりまで残り二月を残しての時のことであったが、戦争に必要な物資についてはイルムル川を船によって運び、兵士らはその軍団ごとに川沿いの道や森の中の道をそれぞれ行軍するということになっていた。
そのような噂がありながらも、急に決まった戦争でもあったから、ロットバルト伯爵から支給できる一般兵への武具類には限界があったのも無理はない。騎士や正規の兵士であれば、その装備品のほうは普段から与えられたものが当然ある。だが、ここ何年もの間、重税に次ぐ重税を課されていた四十八の郡長官や森林官らは、何かと民を虐げて税を取り立ててきたせいで、民衆から恨まれていた。とはいえ、その年に納めるべき税が突然免除され、その金を持ってして武器類や防具類を準備し、志しある者は従軍せよ、との布告を受けた民たちは、誰もがみな奮起した。彼らは自分から直接税を取り立てる森林官や群長官の手先の収税吏のことはこの上もなく恨んだが、領主であるロドリゴ=ロットバルト伯爵にその気持ちは元より抱いていなかったのである。さらにここにハムレット王子という、星神・星母の神に選ばれたという正義の旗頭が現れたことで――ロットバルト州の四十八の県からは、総勢三万もの兵がバロン城塞目指して進軍したと言われている。
また、このことのせいで、どこの町でも村でも鍛冶屋は大忙しということになった。町人も、農夫といった村人たちも、四年前に使って納屋や物置の奥に仕舞い込んでいた鎖帷子や鎧、兜を俄かに磨きはじめ、樹木を切り出し、矢を作ると矢羽根をつけた。弦には蜜蝋を塗り、弓はよく磨き、剣もよく研いで柄までピカピカにした。普段はその手に鍬や鋤を手にしている農夫でも、一度でも戦争に従軍したことのある者は、よくわかっていたのである。よく手入れをし、しっかりと革紐で締めるところは締め、留め金できっちり止められるところは留め、何ひとつとして不具合のないようにしておかなくてはならない。兜が一瞬ずれて視界を奪われたがゆえに死んだり重傷を負うことになったのでは……戦争に勝ったとしても笑い話にも出来ないからだ。
また、こうした一般兵士の中でも下層と見なされる歩兵たちは、上からの武器類の支給についてはアテに出来ないのみならず、支給されると聞いていた武器・防具類も実際には何もなく前線に出されることもあったため――捨て駒として犬死にしないためにも、最初に持てるだけの武器類を手にし、さらにはそれを盗賊や追いはぎの類にも取られぬよう、必ずある程度の信頼できる団体で行動する必要があった。
だが、この頃、重税に次ぐ重税で、他県へ行く県境などには盗賊が増え治安が悪くなっていたというのに、多くの者たちはそうした災難に出会うことはほとんどなかったという。というのも、そうした盗賊団の元締めのように見なされていたニムロッド・ニーウッドという男が、自ら手兵を率いて出征することを知らせ、仲間たちにも『同じ志しの者は我が元へ来たれり』と、暗号によって書面を出していたからである。
このニムロッド・ニーウッドという男は、暴利を貪る郡長官や森林官や収税吏、その他金持ちから金品を奪い、貧しい者たちに平等に分配しようとした義賊として、民衆たちから絶大な人気があった。また、彼が進む道の途中で出会った者たちは、彼らが二ーウッドの一団であることがわかると、みな彼らの後ろに従ってきたことから――ニムロッドが二フレイム県の二ムレア郡を仲間たちとともに旅立ち、イルムル川を渡り、アストラットの地にて、ハムレット軍の幕営で合流しようかという時……ニーウッドの軍は一万二千ばかりにも膨れ上がっていたという。
ニーウッドは二ムレアにある王の御猟林にて、雌鹿を射た罪により縛り首になる予定であったのだが、捕えに来た役人らに逆らい、彼らを殺害してしまったことが、彼が森に隠れ住むようになったきっかけであったという。彼は家族が飢え死にしそうだったため、その雌鹿を射たのだが、自分と同じように餓死寸前の家庭が他にもたくさんあると知っていたことから、結局のところ縛り首になるのであればと、悪辣な金持ちから金品を奪うと貧しい人々に分配するということをはじめたのである。
ロドリゴ=ロットバルト伯爵の耳にも、この義賊ニムロッドのことは伝わっていたが、伯爵はこのニムロッドに纏わる危機一髪の冒険談に非常に感心し、むしろ彼の住む森に自治権こそ与えないまでも――あえてそこからニムロッドたちを強制的に追い出し、逮捕する必要まではないと、ある程度の庇護を与えていたのである。
このニムロッド・ニーウッドが拝謁したいと、伝令を通して使者に伝えてきた時、ロットバルト伯爵は快く応じていた。ハムレット王子にも彼の愉快な噂について話し、「どんな男なのか、会うのが私としても楽しみだ」と、興奮したように語っていたものである。
天幕のほうには、ロドリゴ=ロットバルト伯爵とハムレットの他に、ヴィヴィアンとブランカのロイス兄妹、タイスやカドール、ギネビアやランスロット、キリオンやウルフィン、それにレンスブルックもいた。特にこの中で、キリオンとウルフィンはいつになく鋭い眼差しをしていたと言える。何故といって、ロットバルト州には優れた射手が数多くおり、その中でもニムロッドの一団は国一番といっても過言でない弓使いだとのもっぱらの評判だったからである。
今後の自分たちの作戦に貢献してくれそうな人物とその一団が現れたのは良かったが、なんとも扱いにくい荒くれ者集団ということであれば……協力してもらうかどうかは少々考えねばならぬということになるだろう。だが、彼らほどそのことについて深刻に考えていない者たちは、『ほう。義賊とな。果たしてどんな連中なのやら』といったくらいの軽い気持ちで、このニムロッド・ニーウッドという男と相対することになったわけである。
「ロドリゴ=ロットバルト伯爵にはこのお命を救っていただきましたこと、今日に至るまでそのご恩をこのニムロッド、一日たりと忘れたことはございませぬ」
緑と深緑の二色のフード付きの衣服を着、上等の鹿の革帯と革のブーツをはいた六人ばかりの男の中で、こう言ってはなんだが、彼らを率いるように一番前に出た、ニムロッド自身が実は一番風采がなく、何やら地味な小男といった印象であった。
樹皮を連想させるような茶色の髪に、緑の葉を思わせるグリーンの瞳、顔立ちには特別人の印象に残るところはなく、(少なくとも醜くはない)といったような印象であった。また、背丈のほうは『それで本当に一ヤール以上もの長弓を上手く引けるのだろうか』と疑わしくなるほど低く(レンスブルックよりは高いだろうかというくらい)、どう見ても胴長短足といった風情であった。
むしろ、彼の後ろのほうに控えている部下たちのほうが、凛々しい顔立ちの者、力自慢らしく、体躯も二の腕も立派な者、顔に矢傷か刀傷と思われる白い痕の残る、コワモテ風に見える男など……いかにも屈強な戦士といったように見える男たちが勢ぞろいしていたものである。
「う、うむ。そなたの二ムレア郡とその周辺であった冒険の数々、私も聞き及んでおる」と、ロドリゴは、自分が以前ニムロッドとその配下の者たちに恩赦を与える文書に印章を押したことを思いだしつつ言った。無意識のうちにも、彼らの頭であるはずのニーウッドと、その後ろに控えるヤクザのような荒くれ者たちとを、交互に見比べずにはおれない。「また、そのようなことが起きるのも、領主である私の不徳の致すところでもあると反省していたのだ。だが、このたび、正当な王位継承者であるハムレット・ペンドラゴン王子の訪問を受け、この私もクローディアス王……いや、クローディアスの圧政に対し、剣を持って立ち上がるための勇気を得た。そこへ、そなたたちのような剛の者たちが合流してくれると聞き、ハムレット王子とともにそのことを心から嬉しく思っていたのだ」
「ハムレット王子」と、ニムロッドは、すっかり恐縮の体で、ロットバルト伯爵から隣に座すハムレットに視線を移すと、さらに深々と頭を垂れて挨拶した。「我々はこのような見苦しき田舎者たちでございます。ロドリゴ伯爵さまに対してもそうでございますが、このようなむさくるしい姿をお目にかけますのも、心苦しく感じるくらいでございまして……ですが、我らニムロッドの一団、ひと度戦ということになりますれば、この命に懸けましても、必ずお役に立ってみせますぞ」
「そう堅苦しくなることはない、ニムロッドよ」と、ハムレットはいつも通り(王子としては、こんなものだろうか)と見当をつけて何かを下賜するように言葉をかけた。「こたびの戦争においては、何よりも弓兵にその活躍が期待されているからな。なんでも、そなたらは弓の腕にかけては右に出る者が他にないくらいであるとか……」
「はてさて」と、何故かニムロッドはとぼけたように言った。「確かに我々は、長弓の腕にかけましては、なかなかのものと自惚れてはおりまする。とはいえそれも、州都から遠く離れた田舎の県の弓技大会にて優勝するといったような程度のことでござりまする。我々がなしました愉快な冒険につきましては、ロドリゴ伯爵さまのお耳に入ります頃には、面白おかしく尾ひれがついて伝わっておることでございましょう……とはいえ、この俺自身も、また部下たちの多くも、百メートル程度離れた的でありますれば、そこを群れ飛ぶツグミでも、藪から出てきたミソサザイでもなんでも、必ず射落としてみせまする。また、その腕を持ってして、必ずや戦においてはお役に立ちますことをお約束いたします」
「百メートル先の藪から出てきたミソサザイでも、必ず射落としてみせるだって?」
内心では(流石だ!!)と、諸手を挙げて喜びながらも、キリオンはあえて疑わし気にそう聞いた。ハムレットたちは彼の性格についてよく知っているため何も問題なかったが――伯爵やロイス兄妹などは、彼が弓の腕前のことで多少嫉妬しているのではないかと感じても不思議はなかったろう。
「ハムレット王子、並びにロドリゴ伯爵さま」と、キリオンもまた、彼らふたりの前に跪くと、次のような提案をした。「明日、この者たちの長弓の腕がどの程度のものか、簡単な弓技大会を開き、確かめてみるというのはいかがでございましょう。わたくし、十万本もの弓を自由自在に打てるよう射手を鍛えましたが、ここに彼らを加えても良いものかどうか、試してみたいのでございます」
このキリオンの申し出は、ロドリゴ=ロットバルトに喜んで受け入れられた。とはいえ、大変だったのはアストラットの城主ギロン・ド・ティリー男爵に仕える人々で、広い野に急ごしらえの弓技場を設営するのは軍の兵士も手伝ってくれたから良かったものの、ちょっとした食事の場その他、気を配らねばならぬことが山のようにあったと言えよう。
こうしてこの翌日、グレイストーン城塞へ向けて出発するのを数日延ばし、アストラットの野では仮設営された急ごしらえの弓技場にて弓技大会が開催されることになった。以前州都の郊外の野で行われたものとは違い、あまり時間をかけず、勝敗のほうは判定その他さっさと手早く決められ、進行していくことになったのだが――キリオンやウルフィン、それに、この時行われた弓術大会の上位入賞者八名は、シード選手として予選を勝ち抜く必要はなかったが、彼らふたりが見ていても、この予選会という初期の試合から、盛り上がらない場面など一度としてなかったほどなのである。
もともとここロットバルト州は、森林の敷地面積が広く、狩猟が盛んな土地柄として有名であり、弓術の名人については何人もの歴史的有名人を輩出している。モグラの作った畝に蹴躓き、転倒したことで暗殺者の刃から危うく逃れた昔のロットバルト伯爵を、その隙に暗殺者を弓で射てお救いしたという一兵卒の話や、湖に釣りに出ていた、こちらも別の時代の昔のロットバルト伯爵を、湖岸より二百メートル離れた場所から暗殺者を射てお救いしたという話、さらには馬に乗ったまま、五十メートルおきに弓を射て、十度とも的を外さず、友の命を救った英雄の話などなど……ロットバルト騎士団も歴史ある騎士団ではあるが、どちらかというと剣や槍、戦斧に関するよりも、弓と森、それに湖と白鳥に纏わる類似した幻想的な物語の言い伝えがこの地には多いようである。
そうした州民としての特色を反映してか、予選で敗退した者の中にですら的を外した者はひとりもおらず、中心の白い部分(この国では中心的とか心的と呼ばれる)、次の黒い部分(一の的)とまではいかないまでも――次の二の白、二の黒、三の白、最後の一番外側の外黒と呼ばれる部分の、どこにも矢が当たらなかった者はひとりもいないくらいだったのだから。
無論、弓の腕に覚えのある者のみが自信を持って参加し、ハムレット王子やロットバルト伯爵、さらには騎士団の高貴な方々や、アストラットの乙女と呼ばれるエレイン姫のような美姫の前でいいところを見せようと奮起していたのであるから、それも当然といえば当然だったろう。とはいえ、それならばそれで精神的プレッシャーに負け、普段の実力すら出せずに終わるということがありそうなものだが、そうした者はひとりもいなかったのである。
「予選で敗退した者にも、何も褒賞が出ないというのでは何やら悪い気がするほどですね。これほど素晴らしい弓術をそれぞれ披露してくれたのですから……」
特別に王座をしつらえた桟敷にて、ロットバルト伯爵と並んで座りながら、ハムレットは思わず試合の途中でそう口にしていたほどである。すると、ロドリゴもやはり「私もそのことを思っていたところです」と言い、暫く何かの物思いに沈み込むと、後ろにいたギロン・ド・ティリー男爵と少しばかり何か話しはじめた。
「ええ、ええ、伯爵さま。よろしゅうございます」と、ギロンは伯爵の相談に喜んで応えていたものである。「今は進軍中ということもあって、ロドリゴさまも手許不如意でございましょう。予選で敗退した参加者たちにも、何かちょっとした褒美をこちらで必ず取らせるということにします。また、優勝者には娘のエレインから宝冠を授けることにしましょう」
「すまぬな、ギロン。だが、こたびの素晴らしい歓待についてもそうだが、すべて書面にしてかかった費用等、のちほど正確に請求してくれ。また、おぬしの忠義についても決して忘れず、戦争が終わった暁には必ず、私のほうで十分なものをお返しすることを約束しよう」
「いえいえ、ロドリゴさま、決してそのような……わしもこのように素晴らしい弓術の腕前を見られて幸せでございますし、この近辺の町や村の者たちも大変盛り上がって喜んでおりまする。また、ハムレット王子さまともこのように御同席できる栄誉にも与り、新しい王朝の祝いの先触れとして、この弓術大会についても人々の記憶に残ることでございましょう。真の名誉や栄誉とは、決して金では買えぬものでございます。幸い、ここからグレイストーン城塞までは比較的近いことでもありますし、食糧支援その他、この地方の他の貴族たちにも呼びかけて、出来ることはなんでも致しましょう」
「おお、ギロンよ。よろしく頼む。その見返りについては、十分なものを伯爵であるこの私が保証すると言っていたと、他の諸侯らにもよろしく伝えておいてくれ」
「ははっ。もちろんでございます」
――もっとも、こちらの西王朝と東王朝の長い歴史を紐解いてみれば、こうした口約束があったにも関わらず、のちに十分な金銭や土地といった保証がないがしろにされたことで、王、あるいは貴族間において契約の履行がなされていないことが原因で内乱が起きたりと、実はそんなことはよくあったようである。無論、ロドリゴ=ロットバルトはギロン・ド・ティリー男爵の忠義については忘れることなく、戦争が終わったのち、彼にこの地方一帯を治める筆頭貴族としての高い地位を与えるということになるのだったが。
>>続く。




