王家の谷に残る未発見王墓 ⑥
トトメス3世の墓はトトメス1世とハトシェプスト女王の共同墓を時計回りに進む。
もう少しわかりやすくいえば、9時方向にあるトトメス1世とハトシェプスト女王の共同墓から12時の方向へ進むとトトメス3世の墓になる。
トトメス2世の墓はその間にある。
まあ、あると断言したが、前述したとおり、特別な物的証拠はないので、法則らしきものに従って予測しただけである。
ついでに言っておけば、トトメス1世の後継者であるアメンヘテプ2世は3時方向に墓がつくられている。
ただし、その間の空白地帯にはトトメス3世がつくったあたらしいトトメス1世王墓がある。
では、その空白区間に王墓があるとして、痕跡はないのかといえば、残念ながらない。
もちろんミイラが発見されている以上、王墓にあった埋葬品が完品状態ということはないだろう。
だが、その入り口の痕跡くらいはあるはずなのだが、それすらない。
そのような状況であると言い張れるだけの何かがあるのか?
地形。
前後の墓がつくられた地形に見合うだけのものはある。
それからもうひとつ。
意外に知られていないのだが、現在の地形がトトメスの時代とおなじというわけではない。
もう少しいえば、堆積物、またがけ崩れなどで入口の痕跡を消している可能性があるのだ。
この例をわかりやすいもので示せば、ツタンカーメン王墓。
その墓は柵に囲まれた入口から数段下りた踊り場のような場所から急傾斜の階段を下りて墓に入るのだが、本来の墓の入口はその急傾斜の部分で、ツタンカーメン王墓がつくられた頃はそこが地面であった。
数メートル。
堆積物だけで十分に埋まるのだから、がけ崩れでもあれば跡形もなくなっても不思議ではないのである。
そういうことで今回は王家の谷にあると仮定してトトメス2世の墓の位置を推測したが、ハトシェプスト女王の女王時代の墓がとんでもない場所に孤立した形で存在していることを考えれば、もしかしたら、その周辺にトトメス2世の墓があるということも可能性としてはあるかもしれない。