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「ほい」
リビングで寛いでいると目の前に出されるブラックな飲料。
昔はこれが飲めなかったんだよなぁなんて思い出す。
「ありがと」
お姉さんの家に住み始めて一年。
気づくと敬語もなく普通に喋れるようになった。
「青木さんたち、今日だけど覚えてる?」
「今日やったか」
会社に勤めたのも半年ぐらいだった。
理由は簡単。
BARのお姉さんと会社勤めの俺だとあまりにも時間が合わない。
幸いお姉さんの店の収入は安定してるから俺もお姉さんの仕事を手伝っている。
「今日忙しいんかなぁ、仕事したくないなぁ」
「いいこいいこ」
お姉さんが猫みたいに後ろから抱き着いてきた。
いや抱き着くっていうか、なだれこんできた。
ぽんぽんと頭に手を置いてなだめる。
恋人になって一年。
お姉さんはすっかりと甘えん坊になった。
いや元々甘えん坊だったのかもしれない。
俺が子供だったから気を張ってただけで。
15の俺に頭撫でさせてるもんな。
頭、撫でてほしかったのかな。
「なんやねん」
「?」
「なんか頭の撫で方がいつもの倍は優しい。なに考えとん」
「そうかなぁ」
「はぐらかした! 他の女考えてたやろ!」
「他の女ってうちの店に来るお姉さんファンの子?」
「あいつらはうちを教祖かなにかと勘違いしとるからちゃうやろ」
「いないじゃん、ほかの女」
「じゃあなに考えてたん!」
「みつきのこと」
お姉さんは自分の名前が好きだと言った。
夜に輝くお月様。
たくさんの人の寂しい夜を紛らわすことができると、母親との思い出で唯一覚えてることだって教えてくれた。
その横顔は少し寂しそうだったけど。
「あ、へえ、そう」
そういうとお姉さんは俯いて顔を隠してしまった。
「それならええよ、頭撫でとき」
とか格好つけてるけど、いま顔が真っ赤なのを俺はもう知っている。
猫だったらしっぽふってそう。
いつもより少し早くBARに行って準備をする。
今日は青木さんが予約していて団体でパーティーをする。
忙しいっちゃ忙しいんだけど一時間もすればみんな酔っ払うだろうから。
そんなに忙しくなさそう。
ただ俺はまだ19歳だから酒が飲めない。
まだ子供だってことを自覚させられてしまう。
「坊主―!元気だったか!」
青木さん一行のご到着。
この人が15歳の俺をホテルに誘ったやべえ人だってのは忘れていない。
お姉さんの料理が並んだ机の上に全員分のグラスが置かれている。
なお今日に限ってビールはセルフサービスです。
なんの集まりかわからないけど宴会が始まる。
青木さんの繋がりって独特なんだよなぁ。
一時間もたつと酒を造るペースは落ち着いてきた。
一息ついてオレンジジュースで喉を潤す。
「おにーさん」
「はい」
この仕事をするようになってからお客さんは基本的に俺をお兄さんと呼ぶ。
お姉さんと呼んでばかりだった俺が今やお兄さん。
むず痒いような感慨深いような。
「おにいさん毎日入ってるの?」
栗毛のその女の子は久しぶりに聞く標準語だった。
「だいたいいますね」
「そうなんだ、通っちゃおっかなー」
「このお店気に入りました?」
「うん、お店もね、気に入ったよー」
「いつもはここまで騒がしくないんですけどね」
「それはいいなー」
「静かな方が好きです?」
「だっておにーさんと話せるじゃん」
あ、そっちか。
半年ここで働いてほんとーにたまにだけどこういうことがある。
常連さんは俺とお姉さんのことを知ってるけど。
新規の人や常連さんの友達は知らなかったりする。
この人、俺に一目惚れなんだとか。
頭のねじが10本外れたようなことは考えないけど。
気に入ってくれるお客さんはいるらしい。
「ほーん」
そしてお姉さんは地獄耳だ。
「いやでも静かな時でも僕とお客さんはそんなにお話しできないですよ」
「えー話すくらいいいじゃーん」
「いやぁ」
少し離れてシェーカーを振るお姉さんが笑顔すぎて恐い。
仏様かってくらい笑顔なんだもん。
あれ絶対作ってる笑顔じゃんか。
「だめだめ! あうとー!」
困っていると青木さんが駆け寄ってきた。
「このぼっちゃん、マスターのこれやから」
と突き立てた小指。
「そうなんですねー、残念」
「いやぁええんようちは!」
「またまた、無理しちゃってマスター」
「してへんしてへん。してへんからこのピック、一回脳天突き刺してもええ?」
「一回しかできひんやん!」
何回もしてほしいんだろうか……?
ともかく、青木さんのお陰で助かった
青木さんが事前説明してくれていたら、というのはさておいて。
宴もたけなわ。
店を閉めてお姉さんと真っ暗な道を歩く。
梅雨が近づいているせいか空気は少しじめっとしていた。
「なあ」
「ん?」
「うちもあんたの顔好きやで」
「なに急に」
「横から見るとかっこいいし、正面から見るとかわいいし、斜めから見るといろっぽいし」
「変な顔だなぁ」
「いやほんまに」
「で、どうしたの?」
「やけど顔だけが好きなわけちゃうんよ」
「う、うん」
「やからもうちょい不細工になってくれへん?」
「アホか」
これは唯一俺が使える関西弁。
「やっていややん、ああやってどこの馬のクソか知らん女がおっぱい寄せてあんたんこと誘惑するん」
「ツッコミどころ多いよ」
「うちのほうがおっぱい大きいけど」
「まず俺見てないからね」
「そうかもしらんけどいやなもんはいややん」
「んー」
こういう時どう声をかけてあげるのが正解なのかがわからない。
俺が好きなのは当然お姉さんだけだ。
その他の女性ってのは酷い言葉かもしれないけど男性と変わらない。
異性だと思って接してない。
だから浮気とかそういう心配はしないでほしい。
でもお姉さんが言ってるのってそういうことじゃない。
俺だってお姉さんが口説かれていたらいやだ。
お姉さんを信じてるけど単純に嫌だ、近づくなって思う。
だからこういう言葉の正解がわからない。
「おーい、大丈夫かー」
「んー」
「なにを考えこんどん」
「どうしたらお姉さんに安心してもらえるかなぁって」
「はは、久々に聞いたわお姉さん」
「ああ、ごめん」
「いやええよ」
そういうお姉さんの顔はもう曇っていなかった。
少し気が晴れてくれたんだろうか。
でも、なにか伝えたい、そういう気持ちになってしまった。
なんて伝えたらいいんだろう。
どうすれば俺の気持ちを全部伝えられるだろう。
ああ、わかった。
「みつき」
「ん?」
「みつきが好きだよ」
「きゅ、急になに?仕返し?」
「笑ってるところも照れてるところも、頑張ってるところも」
ぎゅっとお姉さんの手を握りしめる
「泣いていたら慰めてあげたいし、疲れていたら癒してあげたい。たくさん幸せにしてあげたいし、一緒にいろんなことを楽しみたい」
「なんか照れくさいわ」
「そうやって照れるところもめちゃくちゃかわいい」
「もうやめてや、なんなの」
「この先ずっとみつきと生きていきたい」
「なんそれ、プロポーズみたいやん」
「そうだよ」
「……?」
「俺と結婚しよう」
「あ、ん、へ?」
「20歳になったらだけどさ」
「でもうちおばはんやし」
「お姉さんだよ」
「歳の差ごっついし」
「そうでもないよ」
「それにうちはおばはんやけど、君はまだ若いし」
「関係ないよ」
「うちよりいい女いっぱいおるし」
「みつきは世界に一人しかいないんじゃない?」
「ほんとにうちでええの?」
「みつき以外無理」
「……」
無言でお姉さんが抱き着いてきた。
今じゃもうお姉さんはすっぽりと腕の中におさまっている。
力強く抱きしめ返す。
街灯の光がうっすらと照らす。
今日は満月じゃないけど。
どんな夜でも照らしてくれる月が腕の中で輝いている。
「なあ、無茶いうていい?」
「ん?」
「うちより先に死なんといて」
その意味は簡単にわかった
「まかせて」
「じゃあ不束者ですが」
「こちらこそ」
ばっと急に離れたお姉さんは少女のように頬が真っ赤で。
瞳には大粒の涙が溜まっていた。
お姉さんは感情をそのまま表す。
それがどんなに凄いことだろうって尊敬しているところの一つだったりする。
「あかん、やばいわ」
「どうしたの」
「いやこんな、うん、やばい」
「なに」
「こんなに人のこと好きって想うの初めてや」
「かわいいなぁ」
「はようちかえろ」
「なに急いで」
「ほんっまに爆発しそうってあんねんな」
お姉さんがじっと俺の目を見詰めてこう言った。
「今日は寝かさんからな」
腹抱えて笑った。
「それ俺が言われるんだ」
「いやむりむり、めっちゃ君がほしい」
「直球だなぁ」
「はよかえろ!」
「はいはい」
お姉さんに手を引かれて夜の街を走る。
俺がお姉さんを引っ張ったりこうして引っ張られたりそうやって生きていくんだろう。
これからもずっと。
おじいちゃんとおばあちゃんになっても。
二十歳になるまでにお姉さんが俺の親に挨拶をした。
最初、赤い髪のお姉さんに特にお母さんの目が鳩になったけど。
お姉さんのコミュ力にかかれば親に認めてもらうことはあまりにも簡単だった。
逆に俺はお姉さんの親と会っていない。
というか、そもそもお姉さんは親の居場所を知らないようだった。
式を挙げる時に親を呼べない理由を俺の親に説明すると、母さんがお姉さんを抱きしめた。
いつのまにそんな仲良くなっていたのだろう。
すると驚くことにお姉さんは泣いてしまって。
あとで心の底から嬉しかったと教えてくれた。
こうして二十歳になった年。
初めて「愛してる」とお姉さんに伝えると。
「うちも愛しとるよ」
ってお姉さんは笑っていた。
桜の咲く季節に俺とお姉さんは結婚した。
溜めている部分はここまでになるので、ここから先の話は執筆のお時間をいただきます。