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 高校に無事入学して、夏。


 バイトをしてお金を貯めて、お姉さんに会いに行くといった夏。



 だけど、相変わらずお姉さんから着信は来なかった。



 学校の友達もできた。

 好きな人はできなかったけど。


 というか、お姉さんを知って他に好きになれるとか、無理だろう。



 結局、俺はお姉さんに会いに行かなかった。

 会いに、行けなかった。

 臆病で、不安で、ただただ、子供だったから。








 ――三年後。


 高校を卒業してそのまま働くと伝えたら両親は落胆していた。

 因みに俺の家出が切欠か、あれ以来二人は不仲が解消したようだ。

 少なくとも家で喧嘩はしていない。


 しかも勤め先を遠くに選んだから余計だ。

 理由を問われたけどその街が好きだからとしか言えなかった。


 就職はまあ、なんとかなった。

 高卒なためいいところとは言えんが選ばなけりゃなんとでもなる。


 家も決めて、一人暮らしの段取りをしつつ。

 三月に入って俺は学校に行くのをやめた。

 あとは卒業式以外どうでもいいわけだし。


 それよりもなによりも俺にはやることがある。



 家を探す時や就活の時に訪れているわけだが、改めて来てみると不思議な感覚に襲われた。

 あの都会の駅の前にある広場はどうにも健在らしい。


 そこのベンチでぼうっと座っていると、お姉さんが。


 なんてことは流石にない。


 暫く佇んで、お姉さんを探すべく歩き出す。


 といっても行く先なんて決まっている。

 あのBARとマンションしか知らないんだから。



 夜の八時過ぎ。

 あのBARが開いている時間帯だ。


 こうして見ると怪しい雰囲気だな、と思った。


 お姉さんに連れられた三年前は気づかなかったが、これは一人で入れんと思った。


 ドアを開けるとベルが鳴る。


 店の看板とかなにもないから不安だったけど、BARはまだやっているらしい。



 中に入るとお客さんは一人もいなかった。


 でも、一人だけ、その人はいた。



 髪は長くて真っ赤だった。

 黒のカッターシャツに黒のベストを着たその店員さんは、そこらの男よりもずっとかっこうよくて、綺麗だった。

 かき分けられて見える耳には、幾つものピアスがついていた。

 けれど、お客が入ってくれば、不愛想とは程遠い声で、快活に微笑んだ。



「こんにちわ」


「らっしゃーい」


 どうやらお姉さんは俺の存在に気がついていないようで、これはこれで面白いと俺は自分を明かさなかった。



まあ、なんだかんだで、今ではお姉さんより身長も高いしなあ。



 三年経ってもお姉さんはお姉さんだった。

 綺麗ですっとしていてモデルみたいで。


 大人の色気が増したと言えばいいのか。

 しかし十八の俺に大人の色気はよくわからん。



「お客さん、初めてだよね?」


「ですね」


「なんでこんな見つけづらいとこに」


「友達に聞いたんですよ。

真っ赤な髪のマスターがいるBARがあるって」


「ああ、これ。ははっ、もういい年なんやけどねー」


「でもとってもお似合いですよ」


「あざーす。いや、なんか照れるわー」


「どうして赤髪なんですか?」


「これ? これな、むっかあああああしの知り合いに褒められてなー」


 死んでしまった人のことだろうか。


「大切な想い出なんですね」


「いやそんなんどうでもええねんけどな、今となっては」


「?」


「ぷっ」


「どうしました?」


「いや、そんでなー」


「この赤い髪を綺麗ですね、って褒めてくれたガキンチョがおんねん」


「ガキンチョ」


「そうそう。そいつな、うちに惚れとるとかいいよったくせにな、くせにやで? 携帯番号ちゃうの教えて帰ってん」



 ……うそん。



「連絡ください言うた割に連絡通じへんやん? どないせーってのな」


「そ、それはそれは」


 冷や汗が沸き立つ。

 まじで? それで連絡こなかったの?


「会ったらほんまどつきまわしたらなあかんなあ」


 迂闊に名乗れなくなった。


「そ、それと赤髪がどういう?」


「ん? やからさ、あのアホンダラが戻ってきた時、

うちのトレードマークがなかったら気づかんかもしれんやん?」


「そんなこと……」


 ありえて嫌だ。

 お姉さんの赤髪とピアスは凄い印象強いから。


「ところでお客さん、なに飲む?」


「おすすめのカクテルを」


「いや無理やわー」


 とお姉さんはドン、っと机が揺れるぐらいの勢いでコップを置いた。


「自分みたいなガキンチョにはこれで充分やろ?」


 それはいつか出されたジュースだった。


「……はは」


「ははっとちゃうわドアホ! 

いつまで待たせんねんおばはんにする気かおどれぁ!」


「あ……バレてました?」


「バレバレや言うねん! 

 君身長高くなっただけで顔つきほとんど変わってないやんけ可愛いわボケぇ!」


「可愛いなんて、もうそんな年じゃないですよ」


「そこだけに反応すんなアホ! 

 首傾げる仕草もなんも変わってないいうねん……」



 唐突にお姉さんは体を背けて顔を隠す。

 ああ、お姉さんも変わってないな。



「どんだけうちが待っとったおもてんねん……」


 ふるふると震える肩。

 いつもそうだった。

 お姉さんは弱味を俺に見せたがらない。


 恥ずかしい時も。

 哀しい時も。

 苦しい時も。


 顔を背けてそれを隠す。


 椅子を降りてカウンターの中に入っていく。

 土台が同じ高さになったため、俺はお姉さんよりも大きくなった。



「ほんま、背高くなったなあ」


「牛乳飲んでますから」


「……君ええボケ言うようになったやん」


「そりゃお姉さんと一緒になるの、夢見てたんで」


「タバコは?」


「身長伸びませんから」


「迷信やろ」


「プライバシー効果ですよ」


「プラシーボ効果やろ」



 自分より小さくなったお姉さんをそっと抱きしめる。

 腕の中に収まるお姉さんは、とても可愛らしくて愛くるしい人だった。


「大好きですよ」


「あっそ」


「つれないですね」


「知るか、三年もほっとったアホ」


「どうしたら許してくれます?」


「そやな」


「とりあえず、うちより身長低くなりや」


「はい」


「うん、ええ位置やな」



 引き寄せて、お姉さんはキスをする。

 三年ぶりのキスは相も変わらず、優しくて、この上ない喜びが詰まっていた。



「なあ」


「はい?」


「うち、ええ歳やねんけど」


「結婚とか興味あるんですか?」


「君とする結婚だけ興味あるな」


「そうですか。じゃあ、暫くしたらしますか」


「なんでしばらくやねん」


「まだ新入社員ですよ、俺。いやまだなってもないのか」


「就職したん? ここがあんのに」


「それも悪くないんですけど、やりたいこともありまして」


「へえ、なんなん?」


「秘密です」



 改めて席についてジュースを飲んだ。


「一つ気になってたんやけど」


「はい」


「なんで夏にこんかったん?」


「……そうですね」


「連絡が来なくてムカついてたんで」


「君のせいやろそれは!」


「ですね。でもあの時の俺は本当にそうだったんですよ。

 恋人ができたのかな、って。

 だから三年待って、まずは社会人になって、もしダメだったら」


「ダメだったら?」


「ストーカーにでもなろうと思ってましたよ」


「どこまで本気やねん」


「半分。ストーカーは冗談ですけど、

 仮に彼氏さんがいるなら奪おうとは思ってましたよ」


「本気やな」


「そりゃまあ、お姉さんは僕の人生を変えた人ですから」


「言いすぎ……でもないんかな」


「うちの人生を変えたんは、君やしな」


「それは意外ですね」


「君はあの一週間をどう覚えとる?」


「妄想のような一週間ですかね」


「妄想て。雰囲気でんわ。

 でもうちにしたって、ありえん一週間やった。

 だってそやろ、家出少年かくまって、いろいろあって、恋して」


「でもそういうの慣れてると思ってました」


「よく言われるけどなあ、そういうの。うちかてただの女やしな」


「……そうですね」


「そこは同意なんやな」


「もう十八ですからね。お姉さんが普通にお姉さんに見えますよ」


「なんやそれ。ってか君、いつまでお姉さん呼ぶん?」


「お姉さんって呼ばれるの、好きなんだと思ってましたよ」


「嫌いちゃうけど、今の君に呼ばれるんは違和感しかないわ」


「でも」


「なんやねん」


「名前で呼ぼうにも名前知りませんし」


「……ほんまやな、うちも君の名前知らんわ」


「名前も知らない人を泊めてたんですか、いけませんよ」


「名前も知らんお姉さんに付いてったらあかんやろ、殺されんで」


「ほな」


「はい」


満月(みつき)です、よろしゅー」


清志郎(きよしろう)です、よろしくお願いします」



「ははっ、なんやねんこの茶番」


「っていうかお姉さん、意外に普通の名前なんですね」


「君は古風な名前やな。しっくりくるわ」



 そのあともお姉さん会話は続いた。

 お客さんが何組か来て、ついいらっしゃいませと言ってしまったりもしたけど。



 そのまま店が終わるまで待って、俺はお姉さんの家に泊まることになった。



「コーヒーお願いします」


「飲めるん? ってそや、薄くせなな」


「そのままでいいですよ。あれ以来濃い目のしか飲んでませんし」


「なんで修行しとんねん」


「同じ味を覚えたかったから」


「……君、照れずにようそんなこと言えるな」


「鍛えましたから」


「それ絶対間違っとるわ」



 差し出されたコーヒーに口をつける。

 強めの苦味が口の中でふんわりと滲んで、これはこれで嫌いじゃない。


「ほんまや、飲めとる」


「三年も経てば飲めますよ」


「敬語はいつやめるん?」


「唐突ですね。やめませんよ」


「変な感じやな」


「そうですか? これで慣れてしまってて」


「だってもううちら恋人やろ?」


「ああ、はあ、そう、ですね」


「なに照れとんねん、やっぱ子供やなあ」


「いやあの、今のは突然だったので」



 三年前と違って会話はすらすらとできた。

 三年も会っていなかったからか、話したいことが山のようにあった。


 暫くして、変わらないあの言葉。



 ほな、寝よか。



 俺の腕に小さな頭を乗せて、縮こまるお姉さんは可愛らしい。

 優しく撫でると香るあの匂いに、急速に三年前を思い出す。


「ずっと会いたかってんで」


「ごめんなさい」


「もうどこにもいかんよな?」


「卒業式には帰らなくちゃならないのと、

家を借りてるのでそれを解約するのとありますね」


「うん、ここにいたらええよ」


「家賃は払いますから」


「いらんよ、借家ちゃうし」


「結婚資金にでもしておいてください」


「お、おう」


 こうして思えばお姉さんは照れ屋だったのだろう。

 三年前の俺はそんなこと全くわからなかったけど。



 その内にお姉さんはすやすやと寝息を立て始める。

 俺の腕の中で安らかに眠る。


 こんな日々がこれから一生続くのだろうと考えたら。

 俺はなんとも言えない喜びに包まれて。

 幸福の中で眠りについた。



 それは春が訪れる。

 桜が咲く前のこと。




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