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「好きな人おるって言うたやん? その人のことやねんけどな。

 手っ取り早く言うけど、もう死んどんねん、そいつ。

 なんつーか病んどったからなあ。死んでもた。

 ここで一緒に暮らしとった。BARはそいつと一緒に始めてんよ。

 親友やったし、同時に恋人やった。

 たったそんだけのありきたりな話や」


「なんで死んじゃったんですか?」


「さあな。遺言はあったけど、ほんまかどうかわからんし。

 まあ、そいつが言うには、恐かったんやて。

 うちを幸せにできる気がせんって。

 うちもそいつもろくな家庭で育ってないねんよ。

 うちは親から虐待受け取ったし、そいつは親に捨てられてたし。

 十六ん時に会って、似たもの同士やからか気が合って。

 二人で金貯めて家借りて、店も出した。

 けっこう上手く行っとってん。

 あいつはなにが恐かったんやろなあ……。

 幸せにしてくれんでも、一緒におってくれるだけでよかったんに」


「……まだ好きなんですか?」


「どやろな。うち残して勝手に死んだアホやから、まだ好きか言われたらそうでもないかもしれん。やけど忘れられへんねん。あいつのこと」



それは十五歳の俺には身に余る、とても重たい過去だった。



「まあ、そういう話。たいしておもろないから話すのは好きちゃうんやけど。

 ……君、うちのこと好いとるやろ?」


「……はい」


「やから、君には話とかななって。うちを狙ってもいいことないで、ってな」


「……関係ないですよ、そんなこと。俺はお姉さんのこと、好きですし。

 お姉さんがこうしていてくれるなら、俺はそれだけで充分です」


「無理やん、それも。

 こうして大人になるとな、子供をそんな道に引っ張るんがアカン、ってことぐらい思うんよ。

 君にはどんなんか知らんけど家族がいるし、なにより未来があるからなあ。

 うちみたいな女にひっかかっとったらあかんねんって。

 引っ掛けたんうちやけどさ」


「お姉さんは俺のこと嫌いですか?」


「嫌いなわけないやん」


「じゃあ、いいじゃないですか」


「高校卒業したらこっちに来ます。それからじゃダメですか?」


「……」



お姉さんが口ごもる。

なにを考えているんだろう。

お姉さんが考えていることなんて一つもわからない。


俺が子供だったからなのか。

お姉さんが特別だったからなのか。


お姉さんはたっぷりの間を置いて、ええよ、と答えた。


けれどどうしてだろう、不安が拭えない。

ええよ、と言ってくれるならどうしてお姉さんはそんなに――寂しそうだったんですか?



「今日が最後やな」


「最後じゃありません。暫くしたら会いに来ます」


「そやったな。ま、とにかく」


「今日は遊ぼか!」


「でもお店は?」


「自営業はな、融通聞くねん」


「どこに行きましょうね」


「映画なんてどない?」


「いいですね」


「よし、じゃあ早速!」


「化粧はしませんよ」


「ええやん、あれ可愛いやん」


「俺は男ですから」


「今だけやで? 三年後はできんぐらい男らしゅーなっとるかもしれんで?」


「それでいいです」


「ったく、ケチやなあ」



なんとか化粧をされずに出かけることとなる。

初めてのお姉さんとデート。


ホラー映画を見た。

見終わった後、お姉さんは登場キャラの行動にツッコミをたくさん入れてた。


お洒落なカフェでご飯を食べた。

大きなパフェを頼んで食べるお姉さんを微笑ましく見ていたら、

「なんやねん、太るおもてんのか」

と眉間に皺を寄せていた。


ゲームセンターに行って遊んだ。

UFOキャッチャーでお姉さんにぬいぐるみを取ってあげると、

「君の次にかわいいな」と喜んでくれた。


初めて撮ったプリクラは目が宇宙人みたいになっていて二人で笑った。


時々、泣きそうになるのをぐっと堪えて、ころころと表情の変わるお姉さんのことが、本当に大好きだと思った。


夜はお姉さんが料理を作ってくれることになり、帰りがけにスーパーで食材を買い込んだ。


「こう見えて料理には自信あんねん」


「楽しみにしてます」


「ほんまかいや。

君どうも感情薄いからなあ。だいたい、いつまで敬語なん?」


「癖なんで」


「律儀な子がいたもんやわ」


慣れた手つきで食材を調理していく。

野菜を切って、肉を切って、したごしらえして、炒めて。

一時間ぐらいで料理が出された。


「どないよ」


「おお……予想外」


「は? なんやて?」


「予想通りな出来栄え」


「それはそれでええ気分せんわー」


実際、料理は美味しかった。

というか料理の美味さよりなによりも。


お姉さんのエプロン姿が一番刺激的でご飯どころじゃなかった。


なんというか、お姉さんってほんと綺麗だなあ。


「ごちそうさまでした」


「お粗末でしたー」


洗い物を手伝いながらふと思う。

こんな風に生活できるのも、もう暫くはないんだと。


三年。

少なくとも三年は遠いところに居続けることになる。


たまに会えてもそれだけだろう。

なによりお姉さんは本当に俺を待っていてくれるんだろうか?


不安が顔に出ていたのか、お姉さんが後ろから乗っかかってきた。


「な」


「はい」


そしてそのままキスされた。


ふふっと悪戯っぽく笑うお姉さん。


お姉さんと初めて会った頃のように、俺はまた動けなくなった。

この人はどれだけ俺の知らないことを知っているんだろう。


別々にお風呂に入ってゆったりとした時間を過ごす。

何度でも挑戦するがやっぱりコーヒー。


「さああ飲めるでしょうか!」


お姉さんはノリノリだ。

因みにまだ飲めたことはない。


ごくり、と喉を通す。


あれ?


「これ、飲めます」


「やったやん!」


「というかこれ、いつもと苦味が違います」


「うん、それについては謝らなかん」


「?」


「うちよう考えたら濃い目が好きでな。君が飲んどったんめっちゃ濃かってん。やから普通のお店レベルに薄めてみた」


「……はあ」


「ま、まあええやん、飲めたんやし。ほら、最初にきっついのん経験しとくとあとが楽やん?  な? はは……怒った?」


「別に怒りませんよ。ちょっと、肩透かしな気分です」


「よかった」


 時間は過ぎる。

 お姉さんといられる、短い夜。



「ほな」


 寝よか。

 聞きたくない言葉は当たり前にやってきた。


 お姉さんは奥。

 俺は手前。


 七日間続いたお伽話も今日で終わる。


 明日、目が覚めたら、お姉さんが仕事に行くついでに俺は帰る。


 嫌だ。

 帰りたくない。

 ずっとここにいたい。


 そう考えても意味がない。

 言えない気持ち。


 言ってもお姉さんが困るだけだ。


 撫でる髪は今日も柔らかい。

 お姉さんの綺麗な髪は今日もいい匂いがする。


 ずっと撫でていたい。


 ずっと傍にいたい。


 どうして俺は十五歳なんだろうなんて。

 どうしようもないことに苛立った。


 お姉さん、お姉さん。


「なあ」


 答えられなかった。


 今口にしたら、なにかを言葉にしたら……一緒に涙まで出てしまう。


「目、つぶって」


 言われたままに目をつぶる。


 布団が浮いて、冷たい空気が入り込んできた。


 ぱさり、と。

 絹擦れの音が聞こえた。



「ええよ、開けて」



 カーテンの隙間から通る傾いた月の光がお姉さんを照らしていた。

 初めて見る異性の裸。

 それはとても幻想的で、物語の中だけでしか見られない存在に思えた。


 肌が白く輝いて。

 髪が淡く煌めいて。


「綺麗です」


「ありがと」



 ほんの触れるだけのキス。



 お姉さんが上でこそあれ。

 重ねるだけの普通のキスをして。


 お姉さんは横になった。


 俺は興奮の中で混乱することなく。

 きっとそれはお姉さんのお陰なんだけど。


 自分からお姉さんにキスをする。


 感情をいっぱい込めてキスをする。


 好きという気持ちが伝わるように。

 伝えるようにキスをする。



 舌を入れて、お姉さんがしてくれたみたいに舐めあげていく。


 乱雑にすることなく。

 ゆっくりと。

 愛でるように。


 全ては愛でるために。



 たまに、お姉さんが息を漏らす。

 たまに、お姉さんが体を震わす。



 舌と舌がもつれあい、唾液がお姉さんと行き交って、一つに溶けていく。


「好きです」


 離れて囁くと、意外にもお姉さんは呆気にとられて、恥ずかしそうに顔を背けた。



「知っとるわ、アホ」



 本当に、俺は心からお姉さんが好きだ。


 友達と、セックスって気持ちいいらしいぞ、って話で盛り上がったことがある。

 それは確かに気持ちよくて、間違いないんだけど。

 だけど気持ちがいいのは身体だけじゃなくて。

 心が。

 一つになって溶け合っていくような。



 翌日。



 昼過ぎに起きた俺はお姉さんに黙って部屋の掃除を始めた。

 トイレ、お風呂、玄関、物置、キッチン、リビング。


 最後にお姉さんの部屋。


「……なにしとん?」


「掃除。お世話になったので」


「生真面目やな、ほんま。こっちおいで」


「はい」



 寝転がっているお姉さんの横に行くと、頭を撫でられた。

 ええこやな、といつも口調で。

 嬉しかったからお姉さんの頭を撫で返す。

 ええこやな、とお姉さんを真似て。



「……関西弁へったくそやな」


「そうですか?」


「なんかイントネーションがちゃうわ」


「難しいですね」


「今のまんまでええよ」


「君は君のまんまでええよ」


「はい」



 お姉さんが仕事の支度を始めたら帰るのはもうすぐだ。

 家に帰ったら両親は怒るのだろうけど、どうでもいい。

 それだけ価値のある人に出会えた。



「行こか」


 それには答えられずただ、引かれた手に連れられて外に出る。



 家を出て近くの駅へ。

 そこから都会の駅まで僅か十分。


 お姉さんはずっと手を繋いでてくれた。

 お姉さんの手はとても暖かった。


 白状するけど俺は既に泣いていた。


 声を殺して、俯いて、泣いていることを悟られないよう必死になって。

 きっとお姉さんはお見通しだったろうけど。



 都会の駅に着く。

 俺の家はここから本当に遠い。



「暫くのお別れやな」


「ありがとうございました」


「今度はいつ来る?」


「夏にでも来ます。速攻バイトして、お金貯めて」


「そっか。ほんじゃ、待っとくわ」


「あの、これ」


「ん?」


「携帯番号です。電話、くださいね」


「うん、電話するわ」



 嫌な予感しかしなかった。

 今ここでお姉さんの手を離したら、二度と会えなくなるような気がした。


「お姉さん」


「ん?」


「ごめんなさい」


「なに謝っと……」



 俺よりも身長の高いお姉さんの肩を掴んで引き下げて、無理矢理キスをした。

 そこはまだ駅のホームで人目がつく。

 長い時間のように思えて、それは一瞬のことだった。



「強引やな」


「ごめんなさい」


「嫌いちゃうけど」


「すみません」


「お返しっ」


 今度はお姉さんの方からキスをしてきた。

 その時間は本当に長かった。


 二分、三分?


 お姉さんは白昼堂々と舌を入れてきて、人目も気にせずに没頭した。


 俺もなんだかだんだんどうでもよくなってきて。

 人目よりもなによりも、お姉さんの気持ちに応えたくて。



 だってお姉さんは俺よりもずっと大人で。

 お姉さんはとても綺麗な人で、BARの店長とか格好良い職業で。


 モテないわけがない。


 こんな一瞬、奇跡に違いない。

 夢でないことがいい証拠だ。



 だからきっとお姉さんは俺を忘れる。


 俺はいつまでもお姉さんを忘れられないだろうけど。



「大好きです」


「うちもやで」


「また来ますから」


「うん」


「絶対に来ますから」


 涙が止まらない。


 この約束が嘘になると思ってしまって、ずっと涙が止まらない。



 電車が来る。


 お姉さんが微笑む。

 俺の頭を撫でる。


 俺は泣きじゃくったただのガキで、駄々をこねるただの子供で。


 電車が扉を開ける。

 中に入る。


 泣くなや、男の子やろ?


 扉を締める合図が響く。



 お姉さんが僕を抱きしめる。


 ――ほんまに。


 ぎゅうっと強く、抱きしめる。


 ――ほんまに。


 車掌の警告が響く。


 ――大好きやで。


 けたたましいサイレンが鳴る。


 ――ありがとう。


 お姉さんが離れる。


 ドアが締まりかけた頃合で。

 お姉さんは快活に微笑んだ。

 目尻に込めた涙を無視して。



「バイバイ」

 と。


 別れの言葉を口にした。


 帰りの電車の景色は、どれも滲んでいて、よく覚えていない。




 家に帰ると鬼の形相をした両親に迎えられた。

 がーがー怒っていたけど、なぜだろう。

 俺はそれがとても嫌だったのに、ふと思った。


 二人も子供なんだろうな、って。


 お姉さんがお姉さんだったように。

 お姉さんだけどお姉さんじゃなかったように。


 大人だって子供なんだな、って。



「俺さ、二人が喧嘩するのが嫌で家出したんだよ」


 そういうと二人は黙ってしまった。



 喧嘩の原因ってなんだろう。

 考えてみれもどうでもいい。


 頭の中でお姉さんが離れない。

 お姉さんがいつまでもそこにいる。


 お姉さんは、そこにいるけど。



 俺の携帯はいつまでも鳴らなかった。



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