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「……なにしてるんですか?」
「ちょ、動かんといて」
「いやほんと、なにしてるんですか?」
「やから動かんといて」
「……はい」
俺は化粧をされていた。
「んー、まあこんなもんか」
「なんで化粧されたんでしょう」
「化粧するとな、年齢がわからんくなるんよ」
「ほら、それに君うっすい顔してるし。めっちゃ化粧映えするわー」
「はあ」
「んで、そやなーふふふーん」
「楽しそうですね」
「あんまないからなーこんな機会」
「あ、これでええな」
「……冗談ですよね」
「冗談なわけないやん。その顔で男もんの服着る気?」
「その顔ってか俺は男です」
「どこがあ。鏡みてみ?」
そこにはとても可愛らしい女の子がいました。
なんて流石に言いすぎだが。
確かに女の子がいた。
化粧こええ。
「君若いし、女装すんなら今のうちやって」
「……」
俺はいろいろと諦めた。
昨日は恐かった街中も、お姉さんと一緒に歩くと恐くなかった。
違う不安はあるんだけど。
お姉さんの店はあの都会の駅にある。
赤髪のお姉さんと女装男子高校生。
派手な二人組だった。
「お姉さん、流石にこれは」
「喋らんかったらバレんから大丈夫やって」
もう喋れない。
BARにつく。
普通のBARだった。
普通の、といってもなにが普通かわからないけど。
イメージ通りのBARだった。
要はちょっと暗くてお洒落。
カウンターが七席にテーブルが一席。
「なにしたらいいですか?」
「とりあえずトイレ掃除から。あ、上着は脱いでな」
ってなわけで俺は店の掃除を始めた。
トイレ掃除。床の掃き掃除。
テーブル拭き掃除。グラス磨き。
「お客さんが来たらこれ二つずつ乗っけて出すんよ」
とそれはチョコとかのお菓子。
「あとはそやな。これが~」
冷蔵庫の中のメニューを三つほど教えてもらう。
(お皿に盛り付けて出すだけ)
「んでお客さんが帰ったらグラス回収やらしてテーブル拭いてな」
「は、はい」
「今日はそんな客多くないから緊張せずに慌てずに、やで」
「頑張ります」
「まあ自分の一番の役目はそんなんとちゃうけど」
お姉さんが悪い笑みを浮かべた気がした。
なんなのかわからず首を傾げた。
開店から三十分、二人組の女性が来る。
「おねーさんこんちゃーってなにこのこ! ちょーかわいいやん!」
「おねーさんどこで誘拐してきたん!?」
「誘拐なんかせんでもほいほいついてきまうんよね」
「あかんで、あのお姉さんについていったら食われてまうでー」
「いや、あの、そんな……これ、どうぞ」
言われてた通りお菓子を出す。
女性二人は目を丸くしていた。
「……男の子やん! うわあうわあうわあああああ!」
二人の女性のテンションが上がる。
「君こんなあかんで危ないで!」
「いくらなん!いくらで買えるん!」
「非売品やわ」
「ずるいー!」
その日は計七組のお客さんが来た。
「はい、お疲れ」
お姉さんがジュースを出してくれる。
なんだかんだで疲れた。
主に精神的に。
「いやー大盛況やったね、君」
「……はあ」
俺はようするにマスコットキャラクター代わりだった。
来る客来る客珍しいものを見る風に。
ってか本当に珍しいんだろうけど。
わいのわいのと騒ぐ。
「あの」
「ん?」
「真っ青な髪の男性客の人、今度ホテル行こうとか言ってましたけど、冗談ですよね」
「ああ、あれな」
「ほんまにホテル付いてってくれたらラッキーってなぐらいちゃう?」
世間は広い。
俺は色んな意味でそう思った。
閉店作業をして家に帰る。
初めての仕事は疲れたけどこの疲れは仕事の疲れなんだろうか。
家に着くなりお姉さんはお風呂に直行した。
「一緒に入るか?」
とか言われたけど盛大に断った。
恥ずかしくて無理。
お風呂から出てきたお姉さんは凄くラフだった。
きっとあれはノーブラで薄いパジャマを着ていた。
前のボタンを途中までしか締めてなくて、胸元が思いっきり露出している。
「熱いわー」
目が釘付けって言葉があるだろ?
あるんだよ。
「ああ、そや、化粧落としたるわなー」
この間、服もどうすればいいのかわからないので俺はずっと女の子である。
化粧を落とすためにお姉さんは凄く近くに寄ってきた。
勘弁してください。
「玉の肌が傷んでまうからなー」
優しく化粧を落とすお姉さん。
胸元が近くでその中が見えそうで見えなくて。
「よし、顔洗ってき。そのまま風呂入ってき」
「はい」
急いで俺は浴室に直行した。
もう限界だ。
やばい、本当にやばい。
……ふぅ。
そんなわけですっきりした俺は風呂から出て、またお姉さん下着パジャマに身を包む、
コンビニ弁当を食べてまたコーヒーを頼んだ。
「飲めんやろ?」
「飲めます」
「はいはい」
出されたコーヒーにやっぱり梅干の顔をした。
「はははっ、懲りんなあ」
暫く時間が流れて。
「はあ、そろそろ寝よか」
「おやすみなさい」
「なに言うとん。一緒に寝るんやろ?」
目が点になった。
なにを言ってるんだろうと思った。
そんな約束はしていない。
「なに驚いとん。髪撫でてくれるって言うたやん」
あれってそういう意味だったのか。
「丹精込めて撫でてやー」
丹精込めて撫でるってなんだろう。
「ほら、寝るで。明日も仕事やねんし」
小さく頷く。
お姉さんの部屋に入る。
あの落ち着くBGMが流れてた。
「奥はうちやから」
「はあ」
ベッドに誘われて入り込む。
胸が痛い。
お姉さんの甘い匂いがした。
もうそれだけで眠れそうだった。
「はい」
「?」
「ぼうっとしとらんで、ほら」
「あ、はい」
お姉さんの髪を撫でる。
いつもは俺よりも身長の高いお姉さんの髪。
綺麗な髪。
赤い髪。
撫でる度にいい匂いがする。
「なあ」
「はい」
「彼女おるん?」
「いや、いないです」
「の割に髪撫でるの上手いな」
「多分、犬飼ってたから」
「犬? 犬とおんなじか」
「すみません」
「それも悪くないかなあ」
「はあ」
「だって撫でてくれるんやろ?」
別にお姉さんだったらワニでも蛇でも喜んで撫でる。
「なら犬も悪ないな」
「お姉さんは」
「ん?」
「お姉さんは、その、彼氏、とか」
「おらんよ。おったら流石に連れ込まんわ」
「ですよね、はは」
嬉しかった。
「でも、好きな人はおるかな」
言葉が詰まる。
息が苦しくなった。
そのお陰で、
「そうですか」
と噛まずに言えた。
なんでだろう。
凄く夢見た光景なのに。
男の夢って具合なのに。
なぜだか辛かった。
きっとお姉さんに好きな人がいると聞いたからだ。
理由はわかってた。
胸は苦しい。
けれど撫でていると心地いい。
お姉さんを独り占めしている気がした。
お姉さんの好きな人にだってこんなことはできないだろうと思った。
けど俺はお姉さんの好きな人には成れない。
気づくとお姉さんは眠っていた。
お姉さんの背中に小さくひっついて泣きそうだったけど、俺もなんとか眠ることができた。
目を覚ますとお姉さんの顔が目の前にあった。
あまりにも近くいたから、そっと指先でお姉さんの唇に触れた。
小さく首を振る。
頭を撫でて、起きてくださいと言う。
「んー」
お姉さんが抱きついてくる。
寝ぼけた頭が一気に覚める。
もうずっとそのままでいたい。
このままずっと抱きしめていてほしい。
もう昨日から知ってる。
俺はお姉さんが好きなんだ。
でもお姉さんはすぐに目を覚ましてしまった。
抱きついていることに気づくと、より深く顔を埋めた。
「ごめんな、ありがとう」
お姉さんの言葉の意味がわからなかったけど、とりあえずお姉さんが喜んでくれるならと、俺はお姉さんの頭を撫でた。
その日も疎らにお客さんが入っていた。
何組目のお客だったか。
中盤ぐらいでその人はきた。
「よお」
やけにいかつい顔の人だった。
ってかヤクザだと思った。
「なんやねん」
少なくともお姉さんはその人を嫌っているようだった。
「この前の借り、返してもらいに来た」
「自分が勝手にやったんやろ」
「でも助かったろ?」
席に座ったのでいらっしゃいませと通しを出す。
「おお、この前のガキンチョか? 随分変わったなあ」
「?」
「なんだ覚えてねえのか。助けてやったろ?」
なにを言ってるのかさっぱりわからなかったのでお姉さんを見やる。
「不良に絡まれとった時、こいつが追い払ってん」
なるほど、それであの三人は逃げたのか。
そりゃこんな顔に睨まれたら逃げたくもなる。
「ありがとうございました」
「気にすんな。お陰でこいつにいいことしてもらえるからな」
「誰がするか」
「本気だ」
ガキでも解る三段論法。
俺を助けるお姉さんを助ける強面
↓
それをネタにお姉さんを脅迫
↓
原因は俺
「あの」
「ん? どうした、坊主」
「……困ります」
「……あ?」
「そういうの、困ります」
「おいガキ」
強面が俺の胸ぐらを掴んで引っ張り上げる。
なんでこんなこと言ってるんだろう俺はと後悔した。
足がガタガタ震えている。
「おいオッサン、その手離さんとキレるで?」
「あぁ!?」
お姉さんがドスの低い声で強面に言う。
でもそれもこれも嫌だった。
俺が子供だからこうなったんだ。
「あの」
強面がこっちを向く。
それに合わせて思いっきり手をぶつけてやった。
平手で。
多分、グーで殴ることが恐かった。
そういう経験がなかったから。
だから平手で。
強面は鼻血を出した。
「ガキ……調子に乗りすぎだなあ?」
強面の恫喝に身が震えた。
殴るなんてことはついやってしまっただけだ。
それ以上のなにかなんて無理だった。
強面は立ち上がるとそのまま俺を殴り飛ばした。
痛みは遅れてやってきたように思えた。
そのまま無理矢理起こされてもう一発殴られて。
飽きたように放り投げられる。
口が切れたのか床に血が垂れた。
殴られるってこんなに痛いんだ。
もう人を殴るのはよそう、なんて考えた。
お姉さんが後ろから強面を止める。
強面がお姉さんを振り払うと、壁にぶつかった。
「いっつ…」
頭が真っ白になる。
「うわあああああああああ!」
強面に頭から突撃する。
なにもできないけど許せなかった。
振り払われて、また殴られた。
恐いのかなんなのかわからないけど膝が笑っていた。
それでも椅子に捕まって体を支える。
血も涙も出て情けなくても強面を睨みつける。
「……気分悪い、二度と来るか」
捨て台詞を吐いて、強面は帰った。
その瞬間腰が砕け落ちる。
お姉さんが中の客を帰して、意識の曖昧な俺になにかを話していた。
あんまり覚えていないけど、お姉さんは泣いていたような気がする。
ごめんな、ありがとう。
と言っていた気がする。
でも、俺にはやっぱり意味がわからなかった。
お姉さんが泣いているのは見たくなかったから、泣かないで、と手を伸ばした。
お姉さんの頭を優しく撫でた。
撫でた、と思う。