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毎日毎日飽きもせずに両親は喧嘩をしていた。

母さんが皿を割る音や父さんの怒鳴り声が日常茶飯事だった。

相当大変な事情が当時あったらしいけど、子供でしかない俺には関係がなくて、嫌になった俺は家出した。

十五歳の時だった。


親の財布から抜いた一万円で全く知らない街に電車で行った。

携帯は鳴ると鬱陶しいから置いてきた。

だから財布ぐらいしか持っていなかった。


電車を降りると夜の十時過ぎだった。

田舎者の俺がドキドキするぐらいには都会だった。

これからどうしようかな、って駅前の広場で座って考えていた。


最初は初めての自由に心が躍ったけど、家出した高揚感はすぐに収まっていった。

夜の街が段々と恐ろしく視えてくる。

まあガキだったし。


だいそれたことをしてしまったんだと思って悲しくなった。

半泣きだった。


そうして俯いてると声をかけられた。


「なにしとん?」


顔をあげるとにやにやと笑う三人がいた。

ガラの悪い男が二人と女が一人。

凄く不快な笑みだった。


玩具を見つけた、みたいな。


逃げ出したくて仕方ないのに体が動かない。

蛇に睨まれたカエルってこういうことを言うんだろう。


「なあなにしとん?」


目をまた伏せて震えた。

今から殺されるんじゃないかって。


「大丈夫やって、なんも恐いことせんから」


悪役の台詞だと思った。

けど今にして考えれば優しい人でも言いそうだ。

それでも当時の俺には恐怖を助長させた。


ごめんなさい、と呟いた。


「つまんね」


開放されると思って一安心する。


「お金ある?」


漏れそうだったため息が喉でつっかえた。

すぐにこれがカツアゲだとわかった。

産まれて初めての経験だ。

恐い恐いどうしようって。


当時の俺はとにかく臆病だった。


財布には電車代で減った一万円に満たないお金があるけど、この全財産を失くしたらもうどうしようもなくなる。

金がなくても警察に行けば帰れるとか、なにも知らなかったから、そのままホームレスになって死ぬんだと思った。


ないです、と嘘をついた。


「ほんまか。なら財布だせや」


駅前の広場は他にもたくさん人がいたけど、誰も助けてくれる人はいなかった。

ドラマや漫画でよく聞く光景だ。


でもそれは本当なんだな、と思った。

まるで世界でひとりぼっちのようだった。


「なあ?」


男が俺の頭を鷲掴みにする。


「なにしとん?」


着飾った様子のない透き通る声。

それが初めて聞いたお姉さんの声だった。

といっても。


俺は向こうの仲間が増えたと思ってまたびくついた。

けど三人の対応は違った。


「なんやねんお前」


「いやいや、自分らなにしとん? そんなガキ相手にして楽しいん?」


「黙っとれや。痛い目見たなかったらどっかいかんかい」


「流石にガキ相手に遊んどるのは見過ごせんわ。ださ」


「あ?」


自分が助けてもらってるのにダサい話だけど、やっぱり恐くて顔は伏せたままだった。

だからお姉さんがどんな人かわからない。


「調子のっとるな、しばいたろ」


三人組の女の声だ。

他の二人も賛同したのか足がそっちに向いた。


「ちょっとそこの裏路地こいや」


とか、そんな風なことを言おうとしてたんだと思う。

けど、それは途中で終わった。


「うそやん」


妙に驚いてた気がする。

声色だけでそう思ったんだけど。


「シャレにならんわ。ほな」


関西弁の人ってほんとにほなって言うんだ、と。

調子の外れたことを思った。


それから暫くして足音が一つ近づいてくる。


「なにしとん?」


さっきまでの三人組みたいな声じゃなくてちょっと優しい雰囲気があった。

おそるおそる顔をあげると、綺麗なお姉さんがそこにいた。


髪は長くて真っ赤だった。

耳にはピアスがたくさんついている。

黒のカッターシャツに黒のパンツ。


化粧もしていて大人のお姉さんだと思った。


とても綺麗だった。


目が離せなかった。


「あ、ありがとうございます」


と、つっかえながらもなんとか言えた。


「んなもんええけど、自分アホやろ? ガキがこんな時間うろついとったらアホに絡まれんで」


家出したと言ったら怒られると思って下を向いた。

お姉さんは大きな溜息を吐いた。


「めんど、訳ありかいや」


やけに言葉が汚いお姉さんだと思った。



暫く沈黙が続いた。


「……腹減ったなぁ」


お姉さんが言う。

言われてみれば俺も腹が減っていた。


家出してかれこれ五時間。

電車の中でポッキー食べたくらいだった。


「ファミレス行こか」


「?」


「ファミレス。ほら、行くで」



近くのファミレスに行く。

着いて適当に注文する。


「自分なんも喋らんな。病気なん?」


「ちが、ちがいます」


「ああ、あれ? 恐い? そやな、よく言われるんよ、恐いって」


「い、いや」


でもそのあとに言葉を続けることができなかった。

俺は産まれてこの方こんなに綺麗な人と話したことはないから。


俺が頼んだハンバーグと、お姉さんの野菜盛り合わせがテーブルに並ぶ。


「んで、なんで家出したん?」


驚きすぎてむせた。

なんでわかるんだこの人は、超能力者か。


当時の俺は本当に驚いたけど、今にして思えば俺の様子や年齢を察してカマかけてきたんだと思う。


でも俺はただただ、大人のお姉さんすげーって。



「家が……色々」


「ふうん、そっか」


「まあその歳やといろいろあるわな」


「で、どないするん? いつかえるん?」


「……帰りたくないです」


「そりゃ無理やろ。仕事もないし、ってか仕事できる歳なん?」


「15です」


「15じゃきついなぁ。家もないし金もないやろ?」


「……」


それでも帰りたくなかった。

俺にとってあの当時の家はかなり地獄だった。

まあ、もっと酷い家庭はあるだろうけど。


「一週間もしたら帰りや」


「……はい」


「ほんじゃ、飯食ったら行こか」


「?」


「外で寝たいん? 連れ去られんで?」


こんな経緯で俺はお姉さんに拾われた。



お姉さんの家は都会の駅から四つ。

閑散とした住宅街だった。

高層マンションの最上階に住んでるみたいでお金持ちなんだと思った。


「片付けてないけどまあ歩けるから」


「おじゃまします」


玄関入ると左手に一部屋。

右手にトイレ、浴室。

奥にリビング。

リビングの隣に一部屋。


「ここ、物置みたいなもんやから使って」


俺は玄関入って左手の部屋に案内された。

ほんとに物置だった。


「衝動買いしてまうんよね、はは」


お姉さんが照れくさそうに笑う。

見た目とのギャップに困惑した。

綺麗でかっこいい雰囲気なのに。

中身は全然そんなことない。


「とりあえず風呂でも入ってきたら?」


「はい」


初めて女の人の部屋に泊まるわけだけど、だからどうだって緊張感はなかった。

ガキだったから。


そりゃエロ本も読んだことあったけど、そんな展開になるわけないって思ってたし。

シャワーを浴びて体を拭く。


「洗濯機の上にパジャマと下着出しとるから」


見るとそれは両方とも男物だった。

なんで男物があるんだろうと考える。


以前同棲してたから?

そうかもしれない。


こんな綺麗なお姉さんだ、彼氏がいない方がおかしい。



下着とパジャマを着てリビングに行く。


「サイズちょうどええみたいやな、よかったよかった」


「やっぱうちとおんなじくらいやねんな」


「……?」


「それ両方うちのやねん。男もんの方が楽でな」


途端に俺は恥ずかしくなった。

いつもお姉さんが着ているものを着てるのだ。


下着も。


不覚にもおっきした。

慌てて中腰になってお腹が痛いふりをした。



「んん? なーんや、お姉さんの色気にあてられてもたん?」


「ははっ、若いなあ」


速攻でバレた。


「ええよ気にせんで、なんし男の子やねんから。ほら、そこ座り。コーヒー……は飲めんか」


「飲めます」


「おお、君飲む口か」


嘘だ、コーヒーなんて飲めない。

苦い。


でも子供扱いされたくなかった。


コーヒー。

目の前にブラックな飲料が差し出される。


「砂糖は?」


首を横に振った。

湯気だつコップを持つ。

覚悟を決めて口につける。


うげえ。


「はっはっは! 梅干食っとうみたいなっとうやん!」


お姉さん爆笑。


「無理せんでええて。ミルクと砂糖持って来たるから」


「うちも自分ぐらいん時コーヒーなんて飲めんかったし」


その言葉で救われた気がする。

お姉さんも子供の時があったんだな、なんて。

当たり前なんだけど。



「あの」


「ん?」


お姉さんは頬杖をついて携帯をいじっていた。

話しかけると綺麗な目を俺に向ける。


まっすぐに向ける。

心が囚われる。


「どないしたん?」


「あ、えと」




お姉さんに一番気になっていたことを聞く。


「どうして、その、泊めてくれるんですか?」


「そりゃもちろん」


なんだそんなことかと言わんばかりに。

お姉さんは興味がなさそうに携帯に視線を戻して。


「暇潰し」


「暇潰し、ですか」


「うん」


「そうですか」


「なんやとおもったん?」


「……?」


「お姉さんが君に惚れたとでも思った?」


「いえ」


「そこは嘘でも頷いたらいいボケになんねんけど、って、君こっちの子ちゃうんよな」


「はい」


「ほんじゃせっかくやねんから関西のボケとツッコミを勉強して帰りや」


「はあ」


「そしたら家のことも大概どうでもよくなるわ」



それは嘘だと流石に思った。



俺自身口下手な方だし。

お姉さんは自由気ままな人だったしで。

特に会話は続かなかった。


お姉さんの部屋から流れる音楽。

風のような鐘のような波のような音。

これが音楽なのかわからないけど、心地よくて、時間が過ぎるのを苦もなく感じられた。



「そろそろ寝るわ」


「はい」


「明日はうち夜から仕事やから」


「はい」


「夜からの仕事、ついてこれるように調節してな」


「……はい?」


「やから仕事やって。自分、もしかしてタダで泊めてもらえるおもたん?」


「いや、そんなことは、ってかその僕、大丈夫なんですか?」


「平気平気。うちの店やから」



お姉さんは自分の店を持っていた。

先に言っておくとそれはBARなわけだけど。

やっぱりお姉さんかっけーってなった。



まさかあんな格好させられるとはつゆしらず。


物置に乱雑に引かれた布団に入って天井を見る。

まるで自分の人生じゃないみたいだった。

何事もなく平凡に生きていくんだと思っていた。


暇つぶし、とお姉さんは答えていたけど。

俺も大人になったら暇つぶしに人を拾うんだろうか。

そんなわけがない。

お姉さんは変な人なんだな、と思いながら、疲れていたのか眠りに落ちていた。



夕方に起きる。

リビングに行くと机の上に弁当とメモがあった。

『これ食べとき。あと5時に起こしてな』


お姉さんは寝ていた。


まだ4時だったので先に弁当を食べた。

食べ終わってお姉さんの部屋の扉を開ける。


やけにいい匂いがした。

凄く緊張した。


手に汗がにじむ。


「おねーさーん」


扉から声をかけるもお姉さんは起きない。

中に入っていいんだろうか。

いや入るしかないって名目ができた。

ベッドの上ですやすやと寝息を立てるお姉さん。


「お姉さん、おきてください」


お姉さんは起きない。

薄暗い部屋で目を細めてお姉さんの寝顔を覗く。


起きてる時に比べればブサイクだった。

化粧をしてなくてブサイクとかじゃなくて、枕で顔が潰れててブサイクだった。

でもどこか愛嬌があって……いうなればぶちゃいくだった。


間近で見てると胸が高鳴った。

今ならなにをしてもいいんじゃないか、なんて思い始める。

そんなわけないのに、そんなわけがないのに手が伸びる。


ゆっくり、静かに。

起きないように。


鼓動がどんどん大きくなる。

心臓が口から飛び出しそうになる。


やめておけ、って右から聞こえて。

やっちまえ、と左から聞こえて。



俺はお姉さんの頭に手を置いた。


見た目より痛んでない髪に手を通す。

指の隙間で赤色が流れる。


優しく撫でた。


「ふにゅ」


それは形容しがたい寝声だった。

ってか多分これは美化されててふにゅなんだろうけど、なんだろう。


文字にできない可愛らしい言葉ってあるだろ?

お姉さんはそんな声を出した。



優しく、愛でるように撫でた。


お姉さん、可愛いな。


とか思いながら撫でた。


だから気づかなかった。

お姉さん、もうとっくに起きていた。


「なにしてんの?」


怒っている風ではなく、寝起きのぼやけた声色だった。


「す、すみませんっ」


逃げ出そうとした。


「ええよ」


「撫でててええよ。気持ちいいから」


了解を得たので再び座り込んでお姉さんの頭を撫でる。


「君撫でるの上手いな」


「今日はうちが寝る時撫でててもらおかな」


「はい」


十五分くらいお姉さんの頭を撫で続けた。


お姉さんは心地よさそうにしていた。

俺もなんだかとても心地よかった。


「さて、支度しよか」


それの終わりがきたのはやっぱり少しだけ残念だった。


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