選ぶのは、
こんなにもあなたのことを、想っている人がいるのに。
夜とも朝ともつかない、午前3時を過ぎた頃。
リーンはひとり、集落の外れに立っていた。
「……さむ」
紺色の空に浮かぶ細い月。時期柄、枝ばかりになった木々たち。温度も景色も、どこか物悲しさを感じさせる。白く昇っていく自分の吐息を見つめながら、あの人は来るだろうか、来たらなんて言ってやろうか、いや、来ないのがいちばんか――そんなことを考える。
「綺麗だなぁ」
澄んだ空に光る星は、子供の頃に見た景色と同じように美しかった。自分と、あの子、そして今待っている彼と、みんなで眺めたあの時の空と同じように。
人も、そんなふうに……ずっと同じ場所にいられたらいいのに。そんなことが頭をよぎったその時だった。
「驚いた。君がいるなんて」
ふわりと微笑むその人物に対して、明らかな敵意を乗せた視線を送る。
「怖いなぁ」
「……やっぱり出ていくつもりなの」
「うん」
物腰柔らかで、でも、きっぱりとした返答。纏うその空気に思わず舌打ちをしそうになりながら次の言葉を探した。イラついてうまく思考がまとまらない。
「すごい顔するなぁ」
「誰のせいよ」
「はは、本当だ」
相変わらず柔らかく笑うその人を見つめながら、もう何を言ってもこの人の意思は変わらないんだろうな、とふつふつ腹が立ってくる。
「せっかく帰ってきたのに」
「……。」
彼は元々、孤児だった。
まだ幼かった頃、移動型民族である私たちにたまたま出会い、そのまま共に育ってきた。
私たちはそのことをなんとも思っていなかったし、特に差別なんかも目にしたことは――少なくとも私はない。それでも本人としては馴染めない思いもあったようで、青年と呼ばれる年齢に差し掛かった頃、彼は一度出ていった。良くない商売をする行商人の一行に付いて。
「なんでよ」
「……。」
そちらでは、酷い扱いも受けたらしい。奇跡的にまた私たちと合流できた当時の彼は、心身ともにぼろぼろになっていた。今でも残る傷跡があることも、知っている。
「うん……まぁ……ねぇ、」
天を仰いでそう答える彼。曖昧な返答なのに、その口調から意志の固さばかりが伝わってきて、もはや殴ってやりたい気持ちだった。
「ほら、俺はこんなんだしさ」
「は?」
「あっちの方が、合ってるんだよ」
やっとこちらに視線を戻したその表情は、どこか――何かを諦めたような表情だった。それを自分の目が捉えた瞬間、いよいよ何かが噴火した。
「何よ、なんなのよ」
「……。」
「そんなふうに自分を蔑ろにして、あの子を置いて……なんなのよ!何がしたいのよ!」
「……。」
なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ。
それ以上言葉が出てこないほど、手が震えるほど、腹が立っていた。
あの子の笑顔が浮かぶ。そして、泣き顔も。
同じ幼なじみで、彼と恋仲であるあの子。彼が帰ってきたあの日、誰よりも喜んで、誰よりも悲しんで、誰よりも寄り添い続けたあの子。
あなたが“こんなん”扱いするあなたを、諦めて捨ておこうとするあなたを、あの子は心の底から好いているのに。
“だいすき、なの!”
頬を染めて、半分顔を隠しながらはにかんでいた彼女の笑顔が思い出される。
私の大切な友達。私の大切な大切なあの子の心からの想いを、あなたは踏み躙ったのだ。
今だって、きっと泣いている。それを、あなたは。
「……もう、行くよ」
腹が立ちすぎて言葉の追いつかない私の横をするりと抜けて、彼が歩き出す。
翻ったケープは、いつもと違うものだった。あの子がプレゼントした、彼によく似合う深緑のものとは違うもの。
「…………帰ってくんな!もう二度と!二度と顔なんか見せんな!!!」
小さくなっていく後ろ姿に、これでもか、と言葉を投げつける。こんな時間だということも忘れて、力の限り声を張った。
悔しくてたまらない。悔しいという気持ちがこの状況において正しいのかもわからなかったけれど、どうにも悔しくて悔しくて、力任せに地面を蹴り飛ばした。
悔しがっている彼女も、すごくすごく、大切なんです。彼のことが。