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03■◆賭け事は慎重に



本編にはもう出てこない方が語り手です。




 少し前に、異例の入隊があった。


 学科試験であるとか、そういう諸手続きを蹴飛ばして、ファレノン将軍のご推薦があってガルシア部隊に入隊と相成ったらしいその人は、ルドベキアという。



 何の偶然か僕は彼と接する機会が多くなったけれども、彼は結構、なんというか、不思議な人である。



 そもそも、雰囲気からして変わっている。


 この辺りでは見掛けないような、風変わりなまでに真っ黒な髪をしていて、明暗によって色合いの変わる青い目が印象的だった。

 最初はてっきり黒い目をしているのかと思ったが、日光に当たると彼の目はびっくりするほど空そのものの色になる。


 僕の相方であり、付き合いも長く、ぶっちゃけ言うともうちょっと親しくなりたいな、と日々腐心しているララが、その目を菫青石に喩えたときには、彼は微妙な顔をしていたけれども。


 彼は背も高くて、僕が――たいへん不本意なことに――世の男性の平均よりも少しばかり低い背丈であることも相俟って、視線を合わせるときに、無意識だろうが彼の方が少し屈み、僕が若干彼を仰ぎ見るような姿勢になることも少なくない。

 背の高い人は、周りに合わせるために猫背ぎみになってしまいそうなものだけど、彼は大抵、背筋をすっと伸ばしていた。


 表情豊かな方ではないらしく、何を考えているのか分からない表情をしていることが多いが、話し掛ければ気さくに応じてくれるし冗談も口にする。


 そして何より鷹揚だった。

 この人が怒るところはちょっと想像できないな、と、初対面の挨拶から数秒で僕が思ったくらいに、温厚そうな雰囲気を漂わせていた。


 ただ、温厚というよりはちょっと浮世離れしているのかも知れない――と思うことに、彼は身分の高い人にも平気で話し掛けたりする。

 いや、確かにガルシアは実力第一主義ですという看板をぶら下げてはいるけれども、それは含みを持たせた建前だから、と、時々彼の前で旗を振りたくなるくらいだ。


 だが、別に、彼が常識知らずというわけではなくて――というのも彼は一応、貴族の血縁、具体的にいうとファレノン将軍の遠縁に当たる人らしいから。


 薄くとも血の繋がりがあるということが大きいのか、ルドベキアはファレノン将軍のご子息であるカルディオスさまと話していることが多い。


 カルディオスさまを平然と呼び捨てにし、遠慮なく軽口を叩いているルドベキアを見ていると、僕とララとしては動悸を抑えられない。

 カルディオスさまの身分が高いということもあるけれども、それはそれとしてカルディオスさまの周りには、あれこれと揉め事の話が絶えないことも事実なので。


 カルディオスさまには、父君であるファレノン将軍と不仲であるとの噂もあるけれども、その噂が事実だとすれば、カルディオスさまの常軌を逸した「恋愛ごっこ」の影響もあるんじゃないだろうか。

 カルディオスさまの恋人を自称する女性が、常に十人くらいいるのはどういうことなんだろう。


 ルドベキアも、偶にではあるけれども、カルディオスさまと話しているときに、遠くから、あるいは近くから、カルディオスさまを熱心に見詰める視線に気付いて、「あ、やば」という顔をしてカルディオスさまから離れようとするときがある。

 けれどもそういうときは大抵、カルディオスさまが、わざとなのかなんなのか、「なんなのおまえ急によそよそしくしてさ」などと言いつつ、離れようとするルドベキアにくっ付いて動く。


 他にもルドベキアは、ディセントラさんとも親しく話していることがあって、これによって多数の男性隊員の反感を買った。

 急に入隊してきて、いきなり国一番の美女と親しげにするとはどういうことだ、というわけ。

 けれどもディセントラさんには、実はカルディオスさまの本命の恋人であるとか、カルディオスさまと高度な恋の駆け引きをしている最中なのであるとか、そういう噂があるので、カルディオスさまと親しいルドベキアが話し掛けることに疑問はない。


 更に不思議なことに、顔立ちは可愛らしいのに愛想の欠片もなく、人間関係全般を遮断しがちなアナベル嬢とも、気後れなく喋っていることがある。

 とはいえこれは、噂によればアナベル嬢は、カルディオスさまの家の使用人だったとかいう話もあるくらいだから、カルディオスさま経由で仲良くなったと考えられなくもない。


 更にいえば、ドゥーツィア辺境伯のご子息であるコリウスさまとも、ルドベキアが話しているのは見たことがある。

 しかも珍しいことに、コリウスさまの方から話し掛けていた。

 コリウスさまは、なんとなく冷ややかそうな雰囲気をされているけれども、いざ話してみると案外丁寧で温厚な方だ。

 とはいえ好んで他人に話し掛けているのは見たことがなく、珍しいなと思って眺めていた記憶がある。


 そしてルドベキアは、そういう風変わりな交友関係を持っているにも関わらず、他の隊員から声を掛けられると、僕から見ていても分かるほどに腰が引けたような、面倒そうな態度を取る。

 相手が不快になるような態度ではないものの、自分の足許に、相手が超えられない一線を引く感じがするのだ。



 だが頼られると断れない性分なのか、「人数が足りなくなったから来てくれない?」と、サイコロを使った賭け事に巻き込まれているのにも遭遇した。



 裏話をしてしまうとこの一件、少し前にディセントラさんとアナベル嬢に引っ張られて、ルドベキアがカーテスハウン市街に服を仕立てに行った件に由来する。


 皆が羨む両手に花の状況で、あれこれと世話を焼かれて服を仕立てたルドベキアは一日にして嫉妬の業火を背中に負うことになり、隊員の中でも気の短い連中が、「あいつを借金まみれにしてやろうぜ」と画策したわけだ。

 ルドベキアが金に困っているのは端から見ても明白で、くだんの一件も、彼が普段着を持っていないことを見るに見かねたディセントラさんの発案だった、という噂もあるくらいだから。


 かつ、なぜ気の短い血気盛んな連中が、直情的にルドベキアを大勢で囲んで私刑に処さないかといえばこれも単純で、第一に私刑がガルシアの法規で禁止されていること。

 そして、万が一バレずに私刑を遂行できたとしても、どうやらルドベキアが一筋縄ではいかない相手らしいと、どことなく悟っていたからだろう。


 ルドベキアが訓練で苦戦しているのは見たことがないし、実戦においても、なんというかこう、場数を踏んできた慣れを見せるような場面があった。

 抜きん出て強いというわけではなくても、殴り返されたら只では済まないような感じがあったのだ。


 まあこっちも軍事施設で軍人をやっているくらいなので、そういうところは鼻が利く。



 ――そういう裏話を、噂のレベルではあれ知っていた僕は、泡を喰ってルドベキアを引き留めたが、わざとらしくも困った顔をして、「頼むよー、人数足りないんだよー」と絡んでくる隊員を、瞬きして見遣ったルドベキアは微笑んだ。


 僕にはその笑顔は、世間知らずなまでの純朴さと親切さを感じさせるものに映った。


「――いいよ」


 と、ルドベキアはあっさり言った。

 僕は真っ青になったが、対照的に絡んできた隊員は、少々下品な笑顔になった。


「まじ!? 助かるわ」


 などと言われて、ルドベキアは温和な笑顔。


 僕が形振り構わず彼の袖を引っ張って、「逃げよう」と促すと、何を勘違いしたのかルドベキアはこっちを振り向いて、ちょっと屈んで、首を傾げた。


「ん? ニールも来る?」


 そうじゃない!


 ――と思いつつも、出来たてほやほやの友人を見捨てることも出来ず、僕は頭の中で現在の貯金額を考えながら、ルドベキアに同行したい旨を表明した。


 どうか僕の貯金で賄えるくらいの負け分であってくれ、と祈っていたとも言える。


 ルドベキアはのこのこと(と、僕からは見えた)、隊員に誘導され、どうやら賭け事の会場になるらしき誰かの私室に誘導されていった。


 ついていく僕からすれば気が気ではないのだが、本人は極めてのんびりした態度である。

 しかも何を思ったが、道中で僕の方に顔を寄せてきたかと思うと、「一応確認したいんだけど」と言ってきた。


「な、なに!?」


 貯金額を訊かれたらどうしよう、と思いつつも彼を見ると、ルドベキアは、影にあって藍色に見える色の瞳を細めて苦笑し、


「サイコロってことは、あれだよな? 出目を当てるやつだよな」


 と。

 まあサイコロを使って賭け事をするとなれば、杯の中で複数のサイコロを転がして、杯を伏せた状態でその出目の合計の予想を参加者が提示し、開示したサイコロの出目の実際の合計に最も近い数字を提示した者が勝つという遊びが最も王道だから、訝りながらも僕は頷く。


「そうだと思うけど……」


 ルドベキアは、ほっとしたように小さく息を漏らして笑った。

 そして、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


「良かった。俺がルール分かんなかったら白けちゃうもんな」


 白けるとかではないと思うけど!



 ――いざ、ルドベキアを借金漬けにすべく用意されたその会場に踏み込むと、どこから持ってきたのか大きな木箱をテーブル代わりに、既に準備は万端だった。


 とはいえ相当の人数が室内に詰めかけている状況を見て、ルドベキアがわざとらしく首を傾げる。


「――ん? 人数が足りないって聞いたんだけど」


 大声で笑いが起こって、部屋に踏み込んだ僕の後ろで、ばたんと扉が閉じられる。

 僕らをここまで連れてきた隊員(名前が分からないので、先遣くんと呼ぼう)が、にやにやしながら扉の傍に立っていた。


 僕は思わず、覚悟を決めて目を閉じそうになったが、堪えて瞼を上げ続ける。


 げらげら笑った誰かが、大声で言った。


「足りないのは参加者! 俺らは見物人だってえの!」


 なるほど、とルドベキアが頷く。


 いやなるほどじゃないだろ、と僕は思ってしまうが、ルドベキアは僕を振り返って小声で、「この中に友達、いる?」と。

 いないので正直に首を振ると、ルドベキアは気まずそうな、申し訳なさそうな、もっというと悲しそうな顔になった。


「そっか。――じゃああれだな。俺が遊んでる間、ニールは退屈かも知れないな。悪い」


 論点が違う……!


 僕は叫びそうになったが、ルドベキアは促されて、さっさと木箱を囲む位置に座っている。


 椅子なんて気の利いたものはなく、全員が床に直に座っていて、見物人はその後ろに立っていたり、あるいはこの部屋の持ち主の寝台に座り込んでいたりする。


 僕はルドベキアの後ろに立って、せめてルドベキアが背中から刺されないように守ることにした。


 木箱の上には三つのサイコロと木の杯が置かれており、僕が目を擦って二度見してしまったことに、サイコロは通常の六面のものではなくて十二面のものだった。

 ルドベキアもそれは見て取った様子で、まあぶっちゃけサイコロの面が増えれば増えるほど数字を的中させる確率は低くなるものだから、ちょっと訝しく思ったらしい。「確認だけど」と言い出す。


「これ、出目を当てるやつってことでいい?」


 先遣くんが若干鼻白んだような顔で、「そうに決まってんだろ」と。

 奇数か偶数かだけを当てるゲームもあるにはあるけど、それをする参加者は二名と決まっているのが普通だ。

 三名以上が参加する時点で、奇数か偶数かを当てるだけというのは考えづらい。


「そっか」


 と、ルドベキアが微笑んで頷く。


「そっか。ガルシアの独自のルールとかはあんの?」


 一応、ルールを確認したいんだけど――と言い出すルドベキアに、先遣くんだけでなく周囲の隊員が、若干白けたような顔になる。


 そこで僕も気付いた。


 こいつら、万が一自分たちの思うようにゲームが進まないと分かったら、独自ルールを捏造してでもルドベキアの負けに持って行くつもりだったのだ。


 先遣くんが、寝台の上に座る誰かを見た。

 僕もそっちを見た。


 口を開いたのは寝台の上にどっかりと座る、どっかの貴族の息子らしい隊員だった。

 名前が分からないので、彼のことは「ぼんぼん」と呼ぼう。


 ぼんぼんは欠伸をしたあとで、「いいんじゃね、それくらい」と。


 先遣くんが無言で頷いて、どうやらぼんぼんがこれの主犯らしいが、おざなりにルドベキアとルールの答え合わせをした。

 ルドベキアはふんふんと頷いてそれを聞き、「良かった変わってねえや」と呟いたようだったが、僕の聞き間違いだったかも知れない。


 ぼんぼんはにやにやとルドベキアを眺めて、「別にこれ、参加費(アンティ)が馬鹿高かったりはしねえから」と言う。


 当たり前だろ、と僕は思うが、ルドベキアは真顔で、「それは助かる」と言った。

 これには笑いが起こったが、ルドベキアは怒った様子もなく肩を竦めただけだった。


 続いて先遣くんが、まあこれは遊びだけれどもせっかくだから金品を賭けようではないか、と言い出し(参加費が取られる時点で目に見えていたことだけれど)、「手許に現金がないだろう一部の人」(と言いながらルドベキアをはっきりと見た)のために、まずは現金を賭ける(ベットする)のではなく、金額を書いた紙でそれを代替し、遊戯終了後に各々の勝ち分を回収しようではないか、と提案する。

 上限を設けていない時点で悪徳の臭いが凄まじい。


 僕はルドベキアがそれに反対するよう念じていたけれども、ルドベキアは聞いているのかいないのか、平然とした態度のままだった。


 僕が、「なんで急に参加させられたルドベキアが金を払わないといけないんだ」と言い出すべきだったのだろうが……貴族のぼんぼんの前でそれを言う勇気があったかといえば……。


 僕が自分を恥じている間に、金額を記入するための紙が配られ、そこにまずは参加費の金額が記入され、ゲームが始まってしまった。全部で八回やるらしい。



 参加者は全部で四人だった。


 ルドベキアと、その隣に僕には名前の分からない気弱そうな奴――彼を雀斑くんと呼ぼう。顔中に雀斑が散っている、僕らよりも若干年下ではないかと見える奴。

 それからその隣に、熊のように大柄で、二十代後半じゃないかなと見える奴。こいつの名前も分からないので、こいつのことは熊さんと呼ぼう。

 そしてその隣、木箱をぐるっと一周してルドベキアの隣でもあるのは、僕が唯一名前を知っている、コーディという隊員だった。


 当然のように、まずは熊さんが杯を手に取り、サイコロ三つを中に放り込んで、雑な手付きでそれを振る。

 そして、だんっ、と、木箱の上に杯を伏せた。


 僕がはらはらして見守る中、参加者全員が意味もなく杯を凝視した上で、「十二」だの「七」だの「二十」だのと宣言していく。

 ちなみにルドベキアは案外楽しそうに、「二十三」と宣言した。


 ――もっとちなみにいえば、この遊び、魔術師といえどもイカサマは不可能だ。

 何しろこの部屋には〈動かす〉魔法のための世双珠がないので、如何なガルシア勤めの魔術師といっても魔法の使いようがない。


 熊さんが、ぱかっと杯を持ち上げる。


 みんなが中を見て数えていく中、ルドベキアが最速で、「俺の勝ち」と宣言した。

 鼻白んだ空気が一瞬流れるも、ややあって雀斑くんが、「七、八、九、なので、二十四です」と囁き、問題なくルドベキアの持つ紙に金額上乗せの旨が記入された。


 僕は大海溝並みの深い安堵の息を吐く。


 続いての二回目はコーディがサイコロを振り、ルドベキアは大外れを出して所持金を幾らか失っていた。


 僕は胃痛すら覚えたけれど、当の本人はけろっとして、手にした紙の金額をさっさと修正している。

 もっと危機感を持ってほしい。


 三回目は雀斑くんがサイコロを振ったが、緊張していたのか手許が狂って杯を上手く伏せられず、周囲から失笑を買っていた。

 彼は耳まで赤くなっていた。

 ルドベキアは若干、生温い呆れたような憫笑で周囲を見渡していた。


 勝敗としては熊さんが勝ち、僕の胃痛はいっそう酷くなった。


 四回目はルドベキアがサイコロを振り、惜しいところで負けたものの、五回目、再び熊さんがサイコロを振った回において、ルドベキアは負けを取り戻すかの如き勝利を収めた。


 僕としては呼吸困難の回避である。

 ありがたいありがたい、と、こっそり汗を拭う。


 六回目は雀斑くんが勝ったものの、七回目で再びルドベキアの所持金が増えた。


 ルドベキアは増えた手許の数字を無表情に見たあと、きっちり参加費を支払うに足る分をそこから差し引いた金額を次の掛け金として記入した。

 そして欠伸混じりに、「えーっと、三十八」と予想して周囲から本気の失笑を喰らった。


 何しろ十二面サイコロ三つを転がすので、出る値の合計は最大でも三十六だ。


 とはいえルドベキアは肩を竦めたのみで、杯が退かされ最終回の勝敗がはっきりするや否や、「じゃ」と言ってあっさりと立ち上がる。


 手にした紙をひらひらっと揺らして、


「これで俺の借金はなしね」


 と宣言。


 確かにそうだ。

 無一文での参加だったルドベキアは、一応は場から参加費分を借金したということになっていたけれども、今のルドベキアの手許の紙には、参加費の倍の金額が記されている(ちなみに十アルアだ。高いんだよ、と僕としては恐れ戦く)。


 僕はほっとした余りに力が抜けたが、周囲は面白くなさそうだった。


 そりゃそうだ。

 計画が頓挫したのだ。


 良かった! と感極まった僕は、思わず短い距離をルドベキアに走り寄って、「おつかれさま!」と。

 ルドベキアは一瞬虚を突かれたような顔をして、それから相好を崩した。


「疲れるも何も、遊んでただけだから」


 それからちょっと声を低めて、


「カル――カルディオスならもっと怖いぞ。あいつ手先が器用だから、普通にイカサマもしてくるしな」


 ――果たしてそんなことが可能なのか、と、僕としては眩暈を覚える。

 美貌に地位に実力と、カルディオスさまは一体どれだけ恵まれているのか。


「そ、そうなんだ……」


 と、僕が辛うじて言ったところで、ぼんぼんが「もう一回!」と言った。


「今度は違うルールでやろう」


 ルドベキアが、さすがに面倒そうな顔をした。


「は? なに?」


 ぼんぼんが自信ありげににっこりした。


「俺と、サイコロ勝負をしよう。このサイコロを適当に転がして、出た目を指定された方法で計算して、早く正解した方が勝ちだ」


 ルドベキアが瞬きし、一瞬何かを疑う顔をした。

 それから首を捻って、「いいよ」と言い放つ。


「けど、さすがに次はないからな。俺もだるいし」


「構わないよ」


 と、ぼんぼんはにやにやと笑う。


「三番勝負といこう。計算方法だけど、加算減算の他に、乗も除も加えていいかな」


 僕は思わず口を開けた。


 簡単な足し引きならともかく、掛けたり割ったりとなると――しかも三つのサイコロを使うとなると三つの数字をそうするわけだが――、ちゃんと数を学んでいないと難しい。

 しかも暗算となると。


 ところが、ルドベキアは顔色を変えず、むしろ面倒そうに言った。


「いいよ。

 ――で? 一回の計算の中に、それを幾つ組み合わせるんだ?」



 ん? と、ぼんぼんの顔が訝しそうに強張った。



 ――計算勝負の行方はあっさりと決まって、これは三回とも、ルドベキアが圧倒的に素早く回答してみせた。


 むしろ正解判定をする側が、紙とペンを引っ張り出して計算している始末で、単純にルドベキアの能力の高さを見せつける結果になってしまった。


 無事に、もちろん借金などなく部屋を出たあと、ルドベキアは笑いながら、「一瞬、何の接待かと思った」と述懐した。


「俺が数字にそこそこ強いの、知ってるやつがいるからさ。そいつがなんか、俺に気分良くさせるために仕組んだことかと思ったよ」


 僕はひたすらびっくりして感心していたものの、「はあ」と相槌を打つ。


 そんな僕をちらっと見たあとで、ルドベキアは苦笑した。

 そして、癖のように言った。


「頭使うゲームならディセントラとコリウスの方が絶対強いし、暗算はカルが一番速いんだ。あいつ、結構でかい数字でもすらすら暗算したりするから」


 ちゃらちゃらしてんのに意外だろ、と言って、ルドベキアは目を細める。


「――()()()の中で一番……」


 なんとなく、何かを懐かしむようにルドベキアがそう言って、それから取り繕うようににこっとした。


「――さっきのあれさ、俺がディセントラと仲いいから、あいつらが妬いたっていう感じだよな」


 まあ、そうだね、と、僕も頷く。

 ルドベキアはがしがしと首の後ろを掻いて、面倒そうに呟いた。


「……あー、あいつに頼んで、今度あのぼんぼんみたいな奴とどっかに出掛けてもらうかな……。それで丸く収まりそうな……」


「――女性を生贄に差し出すのはどうかと思う」


 僕が思わず苦言を呈すると、ルドベキアは大きく目を見開き、それから大笑いした。


「そっ――そうだな」


 目尻の涙を拭いつつ、ルドベキアは、僕が腰を抜かしそうになることを平然と言った。


「そうだな、あいつも一応女だった」














 後日、カルディオスさまが傍にいるタイミングで、僕がぼろっとこのときのことを喋ってしまったことがあった。


 ルドベキアは、「おまえ、それは今言うなよ」と慌てていたが、聞いたカルディオスさまは目をきらんっとさせて、


「へえ。――どんなやつ? そーいう悪いこと考えるの」


 と僕を詰問してきて、僕がおたおたしている間に、「もう済んだことだから」と、ルドベキアが話を切り上げさせた。

 そしてお道化て、


「もし俺が負けてたら、おまえに借金の肩代わりを頼むとこだったよ」


 と言う。


 カルディオスさまはぽかんとしたあとで、


「肩代わりも何も、おまえの借金はみんなの借金でしょ」


 と言い放った。




 ――その、「みんな」という語に漂う雰囲気が、ルドベキアがあの日ぽろっと零した「俺たち」の語の響きに似ていて、妙に印象に残ったものだった。



 だからたぶん、僕はあの日、世界に初めての救世主として名指しされた六人の名前を、変に納得する気持ちで聞いていたのかも知れない。




 ちなみに僕が取り繕うように、「国一番の美女と仲良くしてるから、ルドベキアは嫉妬されるんですよ」と言うと、カルディオスさまとルドベキアは、揃ってぽかんとした顔を晒した。


 僕が、何か変なことを言ったかとわたわたしていると、ルドベキアが訝しそうに、


「国一番の美女って、ディセントラのこと?」


 と。

 本気で僕の正気を疑うという声だったので、僕は逆に唖然。


「え、違うの……?」


「違うに決まってるだろ」


 カルディオスさまが、若干呆れた様子でそう言った。


「あのね、きみ、ニールだっけ。あんまりトリーを馬鹿にしないでよ。

 ――あいつ、大陸一の美女だから」


 力を籠めた言われように、僕はただただぽかん。


「は……はあ」


「ちなみに大陸一の美男っていうと――」


 カルディオスさまが歌うように言い差して、その後頭部をルドベキアがぱしんっと叩いた。


「おまえだろ。言うと思ったよ」





■◆■





「さっきのあれさあ」


 と、ニールから離れたあと、カルディオスが横目で俺を見つつ、ぼそっと言った。


 俺は思いっ切り溜息を吐く。


「あー、バレるよな」


「バレるバレる」


 カルディオスはそう言って、今さっき俺が叩いた後頭部を大袈裟に擦る。


「おまえ、こっそり魔法使ったな?」


「いやだって借金はごめんじゃん」


 と、俺は真顔。



 ――賭け事の顛末を言ってしまえばあれは運でも何でもなく当然で、俺がちらっと見たサイコロに魔法を掛けて、狙った目が出るよう、杯の中で掻き回されている間もサイコロの向きを固定していたに過ぎない。

 さすがに準救世主――かつ、今生は不本意ながら魔王――である俺でも、杯を透かして中を見るなんてことは出来ないので、そこは勘頼みだったものの、まあこっちには何百年という人生経験があるからね。


 この時代の連中は世双珠を使った魔法しか知らないものだから、俺からすれば楽極まりなかった。

 ちなみにコリウスだったらもっと上手くやったはずだ。



 もっといえば、()()()なら――俺の〈最も大切な人〉、俺が尊敬する、俺の生涯の想い人である()()()なら――コリウスよりも更に上手くやる。


 なぜならばあいつは、今生においても正当な救世主だ。

 ならば限られた範囲とはいえ、あいつの固有の力で()()()()()が出来よう。


 つまり、伏せられた杯を直に見通して、出目を数えることが出来るのだ。


 ただし、あいつは大変人柄に優れて浪費を嫌うので、賭け事なんかにはまず手を出さない(そういうところも好きだ)。

 そして可愛いことに、些細な計算ミスをやらかすことも多かった(可愛くて大好きだ)。

 あいつは大抵、計算ミスに気付くと照れたようにちらっと笑うが、そのときの笑顔を思い出すだけで、俺は奴隷として生まれてもなんとかやっていけるほどである。


 暗算であれば多分、俺があいつよりも上手くこなすことが出来る数少ないことのうちの一つに数えられるだろうから、理想はあいつが見て取った数字を俺が計算していくことで――ってまあ、クソ代償のお陰でそれも不可能なんだけど。



「別に、遊んでやれば良かったのに。年下相手に大人げねーぞ」


 と、カルディオスがのたまう。


「借金くらいならみんなで払うしさ」


「おう、おまえ、言ったな」


 と、渡りに船と俺も乗っかる。


「言ったけど」と言いつつ、腹が立つような稀代の美貌の持ち主は訝しげ。


「おまえ、他になんか借金とかあんの? あるなら早く言えよ、利息だって馬鹿になんねーんだから」


「おまえ、金持ちで普段はどんぶり勘定のくせに、金儲け絡みの話のときだけ細けぇよな」


 俺は思わず感心してしまう。

 さすが、豪商生まれを何度も引き当てているだけある。


「まあ、借金じゃなくて――」


 ふう、と大きく息を吐き、俺はにっこり愛想笑い。


「――カル、俺たち親友だよな? 俺の生活費を出してくれ」


 何しろ今の俺は、給金の殆どを私服(主にディセントラが拘ったせい)に持って行かれてほぼ無一文だ。


 アナベルは「みんなで養ってあげる」と言ったものの、あいつの言うことをアテにしてはならない。


 カルディオスは一瞬、ぽかんとした顔を晒したものの、すぐに「はあ」と頷く。


「いや別に、それわざわざ言う必要なくね?」


 いくら必要なの? と訊いてきかねないその勢いに、俺としても泡を喰う。

 カルディオスとは正反対で、こっちは貧乏暮らしが長いのだ。


「待て待て、要るときに都度小遣いねだるから」


「男からおねだりされても嬉しくねー……」


 そんなことを言いつつも、カルディオス(と、ときどきコリウス)は、しっかり俺の面倒を見てくれた。


 なんなら倹約家のコリウスと違って、カルディオスは金遣いが大変豪快なので、俺は非番の日にカルディオスにねだるだけで、普段より相当豪華な暮らしが出来たくらいだ。


 まあ心苦しいので、俺としては早く次の給料日がこねえかなあ、と思うわけだが。






 ――とはいえ、まあ、今回の人生は自由に生きていける予定だし。



 トゥイーディアと合流できたら、俺が魔王として生まれた理由をなんだかんだで探っていければいいし。



 そのあと平穏に暮らしていけるようになったら、カルディオスに養ってもらうのも楽でいいかも知れない、などと、俺は暢気にそう思っていた。








 もう随分以前の話である。

























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― 新着の感想 ―
[良い点] 投稿ありがとうございます。面白かったです! [一言] 個人的に「輪番制」も「百年後あなたに~」も中盤から息抜く暇がなくピンチになってると感じてたので、こういうゆっくりとするだけの話あるとや…
[良い点] まさかのニール視点ですか。本編が基本的にはルドベキア視点、時折トゥイーディアかヘリアンサス視点で進むので、それ以外のキャラからみた救世主達の印象が分かって新鮮でした。  嫉妬から面倒な絡ま…
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