短編詐欺が損をする
私は基本的に短編を読みあさる読者です。
このエッセイを書くまでは読み専読者でした。
そのため、ところどころヨタヨタと読みにくい箇所があるかと思います。どうぞご容赦ください。
私は、短編が大好きです。
短編の面白さは、短い起承転結をはっきり伝えきる技術だと思っています。
時には4000字にも満たない世界で、作者様が展開を捻ったり、テンプレになりそうでならない意外性をついてきたり。
ほろっと涙するような真実が現れたり、かと思えば寒気のするような意味深な終わり方をしたり。
短い文章で、全力で世界観をぶつけてくださり、私たちはその後を膨らませて想像できる。
読後の人間だけに発生する、微妙にして美妙な読み合い空間、それがとても大好きです。
(※起だけで1万字以上使って短編を名乗られる作品もありますが、それはそれで世界観をお伝えしていて大好きです。)
そんな短編大好き読み専です。
でした。
しかし最近(といっても今年の5月くらいからでしょうか?)、憂鬱な気分であらすじを眺めることが増えました。
何がきっかけかはわかりませんが、なろう短編に「序章のような謎の散文」の投稿が増え始めたことが原因です。
なろう小説を読むとき、他の読者はどうやって読む物を決定しているのでしょうか?生憎と他の方と話し合ったことがなく、私の主観になって申し訳ありません。
私は、読む前にあらすじ、タイトル、タグ、【短編】表示を見て、「よしよし。こういう傾向の作品だな。これなら楽しそうだ。」と思ってページを開きます。
長いこと、そういう形で小説を探してきました。
その先に待つものが、短編ではなく。
何も始まらずに幕の下がる物語。
はっきりいって、この「序章のような謎の散文」作品群はすべて読み切り以下です。漫画に直したら、タイトルコール直前の3ページくらいの量です。
時にはタイトルやタグのほうが、情報量が多いことがあります。そういう序章以下な文章量の、「序章のような謎の散文」。
何をするのか、何が起こるのか、よく分からない話。
いや、起こることはタイトルで分かったりします。しかし、あくまでタイトルなので、それを私は小説内の出来事とは認めたくありません。
映画で言えば、ポップコーンまで準備して、さあ他の映画の宣伝も終わったしそろそろ本編が始まるぞ!と思ったら終わってしまう。
推理小説なら、探偵に依頼者が話し終わったくらいでしょうか?本来、そこから先の反応が知りたいのです。しかし、続きページはありませんし、スクロールバーはもう下がりません。
そういう作品に限って、あとがきに「続きが気になるなら評価お願いします!評価が高ければ、連載するかも!?」という文が出てきます。
これが余計に苛ついて仕方ないのです。
作者様は最初から中長編の予定で書いているのに、わざとぶったぎってチラ見せしただけ。
ただの短編枠で流れたCM。
文が短いから、都合上短編と名乗ってるだけ。
これでは本当に散らばった文です。
はい、立派な短編詐欺のできあがり。
《その文章、本当に作品になってると思う?》
《それ、連載の一章として使うべき言葉では?》
そういうモヤモヤを某SNSの言葉から引用するなら、まさに【起承転結の土部分】。起すら書きあがっていない状態です。
(この表現を思い付いた何方かに、喝采を送りたい。)
これが連載中の幕間なら、きっと主人公の語りに盛り上がったりするでしょう。知らんけど。
しかし、これは短編自体のデメリットでもありますが、私たち短編読者は、主人公の性格も、背景も、全く知りません。
知らないキャラクターが独り言を呟き始め、何か今後の変化を決意したとしても、「ふーん。そう。頑張って。」で終わってしまいます。
作者様が何か作り上げた世界を、拾い上げることができません。
それでも短編で書いて反応を見たいなら、最初から堂々と「連載案です」と、あらすじやタグに書いてくださればいいのです。
ひとつ心構えがあれば、「連載するかもしれないんだな、応援しようかな」とも思います。
正直な話、もっとくっきり立体化した世界が見れるなら、いくらでも星評価はつけたい作品は多くあります。
しかし、現状は詐欺だらけです。
短編の皮を被った序章以下の文章を、生憎と私は応援する気持ちはありません。
勝手に広告をうって、勝手に評価に一喜一憂して、勝手にさっさと長編にでもうつってくれればいいとも思います。読みませんが。
詐欺にあった読書時間を返してほしいくらい。
短編詐欺がなろうからなくなりますように。
そう思いながら、私は今日も短編を開きます。