えっ誰もいないの?
「……さてと、そろそろつくころだよな」
お天道様に真上からチリチリと焼かれながら俺は地図を見て独り言ちた。この世界の地図は出来がいいとはとても言えない代物だが、ある程度の目印になるものは所々に記されているので見通しのきく晴れた昼間ならそこそこは頼りになる。見ると、それっぽい形の山とか川が見えるのでそろそろ件の山に着くころだと思われた。
「そうだな……とりあえず洞窟に行く前に、依頼のあった村に行って詳しく事情を聴いてみるか。依頼人が村を発ってから何か進展があったかもしれないし。何も伝えずに洞窟に近づいて盗賊と勘違いされても困るしな」
「……」
「んだよ、どうしたソウスケ。さっきから無言で人の顔じっと見たりして」
「いや、こういう時しっかりしたこと言ってるとお前も一応騎士なんだなって……馬いないけど」
「馬のことは言うな……貧乏騎士は自分の事で手いっぱいでそんな余裕ねえんだよ」
「騎士様も大変だな」
ほっとけ、とアレスはべぇっと舌を出した。アレスは赤みがかった髪をうなじの辺りでまとめて、簡素な鉢金を装備している。お高いプレートヘルムは重くて動きづらいし視界悪いからこれでいいと本人は語っているが、戦場で剥ぎ取って集めたという統一感のない全身の鎧と相まって、彼女から騎士という感じはあまりしない。どっちかというと騎士というよりは叩き上げの戦士のような風体ではあるが、一応は名のある騎士学校の出ではあるらしく剣術もうまいし馬にも乗れるらしい(乗ってるとこ見たことないけど……)し、先ほども見せたような冷静な判断や周りの状況を照らし合わせて現状を把握しようとする思考など騎士らしいところはきちんとある。それに本人にこんなことを言うと間違いなく調子に乗るので絶対に言わないが、アレスは結構な美人だ。兜をつけていないせいか、顔にはいくつか切り傷の痕があるが、それを差し引いても端正な顔立ちである。すっと通った鼻筋に、きりりと形の整った眉、意志の強さを感じられる澄んだ瞳など、本人が美少女騎士とか自称しても許してしまうくらいにはきれいだと思う。まあこんなアレスがお抱え騎士になれず冒険者ギルドで日夜モンスターをしばいている理由があるとすればそれは……
「なんだよさっきから変な顔で私の事じっと見て……死にすぎてとうとう壊れたか? 一発叩いたら治るかな……」
「壊れてねえよ馬鹿。ナチュラルに剣の柄の尖ってるとこで殴ろうとするんじゃねえよ。せめてグーだろグー」
「グーで行ったら私の手が痛いじゃねえか。んなこともわかんねえ程壊れちまったのか」
「どう間違っても騎士様の口から出ていい類の言葉じゃねーだろそれ」
間違いなくこの性格と言動だろう。騎士というよりは地元のヤンキーとかチンピラの類である。俺が領主なら絶対に採用しないのでこいつがフリーランスの騎士として冒険者稼業に身をやつしているのも納得である。無論こんなことを言ったら確実に二、三回は斬られると思うので言わない。思うだけである。
こういうところがちゃんとしていたら手放しで尊敬できる人物なのだが。
「二人とも、見る」
「ん?」
「あ?」
ガシガシと肘で小突きあう俺達をよそに周囲を見渡していたレイシアが不意に森の方を指さした。
「煙」
レイシアは寡黙な少女である。基本的にぶっきらぼうに話すし、言葉の意味を補足したりもしない。先ほどのように単語だけを告げることもままある。彼女曰く、魔女や魔導士の使う「魔導」というのは、言葉によって紡がれる奇蹟だから、だそうだ。よくわからなかったので詳しく聞いてみたところ、「魔導」というのはすべての生命が持つ魔力回路と呼ばれる器官に正しく魔の力を導くための技術なのだそうで、特定の文字列を口に出して発音したり、特定の行動をとる事で体の中の魔力の流れを操り「魔術」を発現させるのだとか。
まあ要は下手に色々喋ると予期しない魔術が発動してしまう恐れがあるので普段は口数が少ないという事だそうだ。魔女も大変なんだな……。
口数が少ないからか、彼女はかなり表情に乏しい。というか何を考えているのかよく分からない。……のだが、口数の少なさをカバーするためかかなりボディーランゲージ……身振り手振りを多用して話すので話していて楽しい子ではある。終始真顔で口数も少ないのに動きだけはもうグワシグワシと手を振って話すので最初は面食らったが、慣れた今では小動物的な可愛さを感じる。
出るとこは出てるし胸もかなり大きい方だとは思うが俺の胸くらいの高さしか身長が無いので、基本的に微笑ましい絵面になる。まあ魔女として俺の不死の体が気になるのか積極的に解剖しにかかってくるところは全然微笑ましくないのだが。というかこいつ禁術の研究ばっかしてて魔術塔を追い出されたのに一向に改善の気配がみられない気がする。この前俺に実験とか言ってかけてきた魔術は相手が俺じゃないと大惨事になっていたのではなかろうか。あの時のことは内臓が全部口から出たあたりから記憶が無いので結局どうなったかは知らない。というか怖くて聞けない。
と俺が苦い記憶を思い返していると、じーっと森の方から立ち上る煙に目を向けていたアレスが口を開いた。
「あー……あの煙の感じは山火事って感じじゃないな。煙の大きさと間隔からして……焚火か?」
彼女の言う通り、立ち上る煙は細く、ある程度の間隔をおいて複数見える。確かに山火事の類よりは、ここに来る道中で見かけた街道ぞいの村で見た煙に似ていた。
「ってことはあそこに村があるってことか?」
「だろうな。近隣には件の村以外集落らしきものはないそうだし、十中八九それだぜ」
「ん。話、聞きに行く」
三日も歩き通してやっと目的地が目に見えるところまで来たからか、心なしか弾んだような声のレイシアに促されて俺達はその煙の元へと向かった。
◆◆◆
「ごめんくださーい。あのー、依頼を受けて派遣されてきた冒険者ギルドの者なんですけどー。誰かいませんかー」
「反応がねえな」
「ん、人の気配も無い」
「っかしいな……」
あれから数十分、俺達は村の入り口で途方に暮れていた。俺がいくら大きな声を張り上げて呼んでみても、村人が誰も出てこないのだ。それどころかこの村からはおおよそ人の気配というものを感じなかった。日本にいたころは動画サイトでよく廃墟探訪の動画を暇つぶしに眺めていた俺だが、雰囲気としてはそれに近い。ただ、一つだけそれと違う点があるとすると、
「人がいないのは兎も角、鳥の一羽、虫の一匹すらいないのは流石におかしくないか」
そう、アレスの言う通りだった。この村には、何一つ生物が見当たらないのである。一瞬インビジブル網戸的なあれか……? という考えが脳裏をよぎったが、アレスの深刻そうな顔を見て我に返る。
「まずいな。これは私達じゃどうしようもない事態になってるかもしれねえぜ」
「……一旦ギルドに報告に戻るか?」
「それができればいいがな……あれを見てみろ」
アレスに促されるままに村の中に目をやると、そこには昼間だというのにいくつも焚火が焚かれていた。民家には煙突もついており、暖炉や竈が屋内にあるだろうと思われるが、何故昼間から外で大量に焚火を焚いているのだろうか。
「おかしい。まだ、薪木が灰になってない」
「!? ……なるほど、確かに妙だな」
レイシアの指摘でようやく俺はアレスの言いたいことを理解した。木を火にくべれば、当然時間が経てば灰になる。だが村の中の焚火はまだどれも綺麗な状態の薪木が目に付いた。つまり、つい先ほどまで誰かが火を焚いていたということになる。今は誰もいないのに、だ。
「それによく見ろ、あれはただの焚火じゃない。杜撰な並べ方で薪木を並べて火を焚いてる。まるで急いでつけたみたいにな」
「ってことはこの焚火は……」
「ああ、こんな昼間に屋外で火を焚く理由はそう多くはない。多分狼煙だ」
「狼煙……」
俺は思わず口をつぐんだ。一体何を知らせるために煙を上げたのかは分からないが、現にこうして俺達が煙を頼りにこの村に辿り着いたのだ。これの意味するところが分からないほど俺はバカではない。
「この辺りは街道から離れている。人通りも少ないし、それこそこの辺りに来ようと思って来るものでなければ近づきもしないだろう。そんな中あげられた狼煙……恐らく、私たちに向けられたものだろうな。依頼を受けてこの近くまでやってきているであろう冒険者に何かを伝えるために狼煙をあげた……」
「で、狼煙をあげて間もなくして村人がごっそり消えてなくなったと……。キナ臭いなんてレベルじゃねえなこれは」
「獣の足跡も、戦闘した形跡もない。村の外に逃げた跡もないし、かなり不可解。興味深い」
俺とアレスが戦慄する中、ひとりレイシアがむふーっと鼻息を荒くしていたが、これは思ったよりも面倒なことに巻き込まれてしまったらしい。異世界にやってきてから二週間、早くも俺は窮地に立たされつつあった。