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あぱれるわーるどっ!  作者: ひとみらくる
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◇優しい人こそ強いもの

◇優しい人こそ強いもの


「ひゃわっ」

 小さい悲鳴を上げて、店の隅、バックヤードと売り場の間の所でしりもちをついたのは、痛みに表情を歪めるゆーちゃんだった。

 大丈夫、と声を掛ける隙すら与えられず、いつものように強い香水のにおいを振りまきながら一ノ瀬店長がゆーちゃんの頭のてっぺんから髪をぐしゃりと掴む。

「うぅ」

 ぎゅっと目を閉じ、次の衝撃に耐えようとする小動物みたいな可愛い後輩。

 六月五日、日曜日。十九時二分、店内が修羅場と化す。

 近くにいた双葉が、小さく舌打ちをし、店頭に立つ。日曜日の夕方以降は急激にお客さんや通行人が減る時間帯だから、比較的目立ちにくいときで良かった。幸いにも、今は店内にお客さんはいない。双葉は、この事態が極力お客さんの目に触れぬようにと、店の出入口の方で商品の整頓をはじめて、それにうろたえつつも吉田さんが続いた。スタッフが二人も店の前に立っていたら威圧感でお客さんが入りにくくなるから。

 双葉がアイコンタクトで、わたしになんとかしろと訴えかけてくる。ややや、さすがにこれはヤバい気しかしないよ。

「ねぇ、何かしらこのノート。ねぇ、私のことばっかり。観察日記かしら、ねぇ、きいてるのよ。わからない?」

 店長が手に持つもの、それは、店長のした悪事を書き込むノートだ。それが見つかってしまったんだ! 思わず冷や汗が背中を伝う。

 わたしが冷や汗しか流せないでいる間にも、じりじりと距離を詰め、怒りを全身で小さな女の子にぶつける一ノ瀬店長。

 髪を引っ張られ、無理やり立たされるゆーちゃん。そして次の瞬間、思い切り手に持っていたノートを投げつけた。運が悪かったのか狙ったのか、ノートの角がまぶたにあたり、白い肌の上に赤黒い液体が流れる。

 その光景が恐ろしくて、声さえ出ない。金縛りにあったみたいに動けない。何で、どうして。どうしてこんなことに。

「あぁ、ごめんねぇ。手が、すべっちゃったみたい。でも大丈夫よ、まぶたの辺りって、たいしたことないケガでも案外出血の量が多いらしいわ。だから、大丈夫。たいしたことないわ」

 たいしたことないわけがないのに、一ノ瀬店長はヒステリックにほほ笑み、次はどうしようかな、なんて呟いている。

「ちっ、最悪じゃんか。何だよコレ! 吉田さん、アタシ救急車呼ぶから、店のシャッター半分閉めて。もう今日は営業出来ない」

 双葉がオロオロしている吉田さんに指示を出しながら、店の電話機まで走った。その様子を見て、わたしもやっと身体が動くようになったので、慌てて店頭照明を半分消す。店内が暗くシャッターが閉じかけていれば、お客さんが入ってくることはない。本当は真っ先に間に入ってゆーちゃんをかばいたかったのだけれど、なぜかゆーちゃんが入ってこないでくださいと訴えるかのような目でこちらを睨んだので、行くに行けなかった。一ノ瀬店長は怒りで何も考えられなくなっているし、わたしや双葉、吉田さんは慌てている中、ゆーちゃんだけは冷静にじっと店長のことを見つめていた。流れる血さえ拭わずに。

 その様子がますます気にくわないようで、店長の怒りがさらに強くなる。

「さっきから黙ってばっかり。ほんっっっとぉにむかつくガキね。何か言ったらどうなの? 謝罪以外認めないけど。っていうか謝罪しても許さないけど」

 店長の右手が上がった。次は平手が来る、誰もがそう思ったとき、ゆーちゃんがにっこりと笑って言う。

「これがあなたの本性なんですね」

 クイズの答えが解けたんだ、って無邪気に小さな子供が言うみたいだった。誰もが予想していなかったゆーちゃんの発言により、その場の時間が止まったような感覚。一ノ瀬店長も、豆鉄砲をくらった鳩のような驚いた表情をしている。振り上げた右手はそのままで。

「とても、かわいそうですね。いたっ」

 振り上げたからには引っ込みがつかなくなったのか、静かな空間に乾いた音が響く。しゃべっているゆーちゃんにお構いなしに頬をたたいたのだった。

「うるさいわね」

「とても、かわいそうです」

 ゆーちゃんの言う、かわいそうとは誰のことなんだろう。多分、店長のことではない。

「でも、もう終わりですよ。カタキは、とりました」

 そう言って、ゆーちゃんは無表情でまぶたの血を拭った。

 ゆーちゃんの中では、何かが終わったらしい。

 一ノ瀬店長は意味が分からないと言わんばかりに、まだゆーちゃんに詰め寄ろうとする。

 二人の間に、双葉とわたしが割りこむ。同時すぎてお互い頭突きしそうになったけど。これ以上ゆーちゃんには手出しさせない。

「なぁに、二人とも。邪魔よ。どいてちょうだい」

「どくわけねーだろ」

 威勢よく双葉が啖呵を切る。

「あら、そう。その綺麗な顔、潰されたいのね」

 いままでわりと従順だった双葉が急に大きく出てきたことに腹が立ったのか、店長は双葉にまで手を上げようとした。

 あ、この人本気だ。

 わたしの大切な、友達……親友に、簡単に、こんなことさせない!

「や、やめ、だめですっ」

 上ずった声を発しながら、気が付いたら双葉の前に割り込んで、振り上げた店長の手首をつかんでいた。

 もう誰も傷つけるわけにはいかない。

「ちょ、近衛さん、いたっ、痛い! 痛い、離して、痛い」

 火事場の馬鹿力ってやつかな、双葉を守りたい一心で、離すまいと店長の腕を強く握り続ける。店長は、逃れようと左手でわたしの腕に爪を立ててきたけど、長いネイルが折れて一瞬躊躇った隙にそちらも強く握りしめる。

「痛い、ほんとに! いたい、痛いから、やめて」

「ゆ、ゆーちゃんはもっと痛かったですよ。ほ、他にも、色々痛くて辛かった人、たくさんだったと、思います。店長は人の痛み、考えてますか?」

 こちらもテンパっているから、何を言っているのか自分でも訳が分からないし特別良いことを言ったわけでもないのに、なぜかそれが一ノ瀬店長の心に響いたみたいで、抵抗する力が抜け、膝から床に崩れ落ちていった。

 その瞬間、半分閉めたシャッターの間から身体を屈めてスーツ姿の初老の男性が店の中に入ってきた。お客さんなのか何なのか分からないし、突然のことにわたしと双葉はびっくりして動けない。

 流血沙汰だと悟られないよう、ゆーちゃんを背後に隠し、双葉が「本日の営業は終了でして……」と、しどろもどろフォローに入る。

「佐伯さん、大丈夫だよ」

 なぜか吉田さんが双葉を止めた。もう訳が分からなさすぎる。

 スーツの男が、床に座りうなだれている一ノ瀬店長に、そっと近づいた。そこで気づいたのか、ゆっくりと店長が涙の滲むうつろな目で頭を上げる。瞬く間に、大きな瞳から大粒のしずくがあふれ出した。メイクが溶け、濁った涙が頬を伝う。店長が、喉の奥から絞り出すように言ったのは「……おとう、さん……」だった。


 十九時頃、あの大きな事件があってからわたしたちが解放されたのは二十二時を過ぎたときだった。ゆーちゃんはすぐさま病院へ運ばれたけど。

 なんだか、いろいろな情報が一気にやってきて頭が追い付かない。

 順を追って辿り、一言で済ますなら、これはわりと最初から仕組まれたシナリオだった、ってことかな。

「二人とも、本当にごめんなさい。佐倉さんの希望もあって、あのときは何もできなくて……ううん、最初から、かな」

 まず、ゆーちゃんが駆け付けた救急隊員に止血手当され運ばれたあとに、スーツの男に支えられながら座り込む一ノ瀬店長、冷静に事の顛末を見守る吉田さん、急な展開についていけないわたしと双葉が暗い店内に残された。そして、淡々と吉田さんが語り出す。

「えーっと、自分で言うのはちょっと恥ずかしいんだけど、まずは私、探偵なの」

『たんてい?』

 いやいやいや、最初からおかしい! 双葉と同時に声に出して驚いてしまう。

 よりにもよって、探偵ですよ。あれですか、真実はいつも一つ的な。

「や、近衛さんが考えているようなのじゃなくってね」

 なぜか思考を読まれてしまう。隣で双葉が「分かりやすいヤツだな」って苦笑い。誰だって探偵ときいたら思いつくのはこれじゃないの!

「まぁ、確かに、たった一つの真実を導き出すために私はいるんだけどね」

「分かりました。吉田さん、この店のトラブルを解決するために雇われたってことですね」

「そう、さすが佐伯さん。話がはやくて助かるよ」

 少し悔しそうな表情で、双葉が笑った。

「で、アタシとゆづきも一つのコマだったと」

「コマだなんて思ってないけど、そうだね。二人ともこの店に必要だったから呼ばれたの。社員不足の人員確保的な意味ではなく、この店の問題を解決できそうなスタッフとして秘密裏にね」

 わたしのどこに問題を解決できそうな要素があるのか分からないけど、わざわざ静岡から東京まで移動になったのはこういう意味があったから、だったんだ。双葉が言ってた、県を越えてまで遠くからの移動は今まできいたことがないっていうのも頷ける。そして、家の家賃も半額負担してくれるという優遇っぷりも。全部、最初から。

「これは他でもない、この経営のトップ、一ノ瀬社長の計画なの」

 三人の視線が、スーツの男の方を向く。六十代後半くらいの、威厳のある風貌で端整な顔立ちの、目元が一ノ瀬店長に似たこの人が、社長。さっきの喧騒で気づかなかったけれど、会社の広報誌や企業HPで見たことのある顔だった。

 一ノ瀬店長を支えていたけれど、立ち上がり、わたしたちに深々と頭を下げた。

 タイミングを見ながら、吉田さんが話を続ける。

「二人は、この渋谷店がスタッフの入れ替わりが激しいからってきいていたと思うけど、それは一ノ瀬店長が七年前に勤めはじめてからなの。一緒に働いていたから分かるよね。原因は一ノ瀬店長の、他のスタッフに対する嫌がらせの数々。ほんの数か月前、社長宛に手紙が届いたの。以前ここで店長をしていたスタッフの両親から。当時嫌がらせを受け続けた結果、辞めたあとも精神的に病んでしまった娘の人生を償ってほしいと」

 吉田さんが息継ぎをしようとしたタイミングで、社長が話を被せてきた。

「本当は、もっと早くに気づいていた。麗華が、私の娘がしてきた罪のことを。でも、仕事の忙しさと、その場のくだらない小さなプライドのせいでそれが認められなかった。手紙が届いてから行動するのは遅すぎたということは分かっている。これは全て私の責任だ。ただ、このまま辞めさせて叱るだけでは、娘はきっと納得がいかないだろうと思った。この子は良くも悪くも真面目な性分で、真っすぐすぎるんだ。反省していないまま、手紙のご家族のもとへ謝罪に行っても、心から反省が出来ないと。だからきっかけを与えて、心ごと入れ替えられるように、したかった……」

 さっきまで威厳のある風貌だと思ったのに、今ではオーラがなく、後悔と反省と、娘を想う気持ちだけが社長の原動力のようだった。

 社長の足元で、一ノ瀬店長が、ぽたぽたとしずくを流し床を濡らしている。

「もう少し、この計画のことを話すね。まず、色んな店舗を視察して、計画を進めるのに適したスタッフを選んだ。そして探偵会社から雇われた私がスムーズに動かして、最終的には誰も傷つかないようにうまく解決させるはずだったの。でも、まずあなたたち二人と佐倉さんも、同じような計画を企てていたこと。これは確実に私のミス。気付いていたのだけれど、私の正体を明かさずに進めた方が良いと判断してしまった。そして、佐倉さんが、元店長のカタキを討ちたいと強く願っていたこと。実は、佐倉さんには、私の正体がバレちゃってたの。探偵なのに、恥ずかしい話だよね。佐倉さん、あんなにおっとりした可愛い見た目とは裏腹に、すごく勘のいい子で……ううん、違う、それだけじゃない。その元店長のことが本当に大好きだったみたいだから、それが彼女の原動力だったのかもしれない。だから、協力させてと強くお願いされちゃって。さっきのノートの事件、あれは佐倉さんがわざとバックヤードの床に落として、一ノ瀬店長の怒りを爆発させたいって提案したの。タイミングを見て、社長にこっそり連絡を入れる計画。佐倉さんがケガをする前に止めたかったけど、佐倉さんがね、一ノ瀬店長にコテンパンにやられたいって言ったの。そうでもしなきゃ、後から心から反省することができないって」

 だから、あのときゆーちゃんは止めてほしくない表情をしたんだ。だからって、ゆーちゃん自身が傷つくことなんてないのに。ゆーちゃんは優しいね。自分の身を捧げてまで、大好きだった人のために、大嫌いな人に訴えかけたんだね。

「ごめん、なさい」

 ぽつりと、震える声で一ノ瀬店長が呟いた。

「……ごめんなさい。ほん、とうに、ごめんなさい。ずっと、私、う、うぅ。いちばんに、なりた……お父さんの、一番に、なりたかっただけなのぉ……」

 社長がしゃがみ込み、店長の肩を支えた。娘のことを理解しようと、しっかり目を合わせる。

「私は、麗華のことをいつだって一番に考えている」

「……うそ。私、知って、るんだから。ほんとは、お父さんが、お母さんと私のこと裏切ってるって。だから、くやしくて……一番じゃ、なくなっちゃう、なくなっちゃうのぉ……」

 泣きじゃくる娘の言葉に、何かを察したのか社長は一瞬とても苦しそうな表情をしてから、大切そうにそっと店長を抱きしめた。

「私の軽率な行動が、麗華を苦しめたんだ。だから、簡単には信じてもらえないのは承知で言う。……どんなものよりも、家族が、麗華が何よりも大切だよ。ずっと、一番は、母さんと麗香だよ」

 そう言ってゆっくりと身体を離し、ジャケットの内ポケットから古めかしい紙を取り出した。

「覚えてるか、三人で出かけたときの写真だ。そして、こっちは麗華が生まれた時の。麗華を抱いてる母さんのこの幸せそうな顔が大好きなんだ。だから、毎日背広に入れている。おかげでこんなにボロボロだ。また印刷し直さなきゃな」

 一ノ瀬店長は、それを驚きいっぱいの顔で、穴があくんじゃないかってくらいじっくり見つめて、心から安心したかのように、ゆっくりと、小さなかすれ声で「……私は、ちゃんと、いたのね」と噛みしめるに呟いた。穏やかな表情で。


 その後、一ノ瀬店長から深く謝罪を受けた。なんだろう、今まで夢中で悪いことをしてきたせいか、びっくりするくらい誠意が伝わってくる謝罪だった。

 親である社長が言うように、一ノ瀬店長は「良くも悪くも真面目で、真っすぐすぎる」というのがよく分かった気がする。もうすでにうろ覚えだけど、さっき店長を止めるために言った言葉「他の人の痛み、分かってますか」が、あの人の中で響いたんだと思う。きっと、今まで店長は真面目に生きてきた。本当にバカ正直に自分のために。だから言われたことさえなかったんだろうな、もしくは耳を傾けなかったんだろうな。人として当たり前のこと「人の気持ちを考える」ってこと。

 社長も改めて謝罪をして、わたしたちに感謝の気持ちも伝えてくれた。

 これから、一ノ瀬店長は元店長や今までのスタッフ、ゆーちゃんに謝罪をしていくらしい。そしてそれが全て済んだら、いつか社長の秘書として傍で仕事をしてもらうんだって。秘書という社長からの提案に、なんだか憑き物がとれたみたいな、清々しい表情で涙を流す一ノ瀬店長がとても可愛らしく見える。

 一ノ瀬店長が抜けるとなると、このままでは渋谷店の店長が不在になるため、社長は双葉に頭を下げた。渋谷店の店長を、双葉にやってほしいと。「え、お給料あがります? いいですよ」と二つ返事の双葉さん。ほんと、双葉はいつでも変わらず双葉らしいままで、思わず笑っちゃった。

 そして社長は、わたしに、希望があれば浜松店に戻ってもいいと言ってくれた。

 平和で、毎日がゆったりとした時間につつまれていた浜松店。店のみんなとも仲が良かった。一人暮らしは、自炊もあんまりできなくて、騒がしくて慌ただしい都会にもみくちゃにされて、こんな喧騒にも巻き込まれて、憧れと全然違うし正直、懲り懲りなトコロだけど。

 でも、最高に楽しかった!

「まだ、ここで働きたいです。双葉と一緒に」

 なぜかとびっきりの笑顔で言ってしまった。隣にいた双葉が、わたしの首に腕を回して喜びの声を上げる。

「ゆづき最高! 最強の店にすっぞ渋谷店」

 その様子に、社長も一ノ瀬(元)店長も、吉田さんもみんな笑顔になった。

 ついでに、迷惑料としてお給料を上げてもらうことと、これからも家賃半額負担は続けてくださいねと約束してもらいました。近衛も意外とちゃっかり者なんです許してください。

「そういえば、吉田さんはもうここでお勤め終了なんですか?」

 ゆーちゃんが、いつ復帰できるかもわからないし、本来の仕事を終えた今、働く理由が無いということになる。そうすると、新しいスタッフを確保するまで最悪双葉とわたしだけしかいないお店になっちゃう。たぶん、不安だらけの表情をしていたんだと思う。優しい口調で吉田さんは答えてくれた。

「大丈夫、新しいスタッフが来るまで、まだ私の仕事は続きますのでよろしくお願いします。ね、社長さん」

 なんとありがたいお言葉!

「あぁ、すぐに確保できると思うが、もう少しの間よろしく頼む。君はかなり優秀な接客スキルを持っているから手放すのが惜しいよ」

「探偵会社よりお給料がよければ、こちらに就職するかもしれません」

「話が上手いな。検討させてもらうよ」

 吉田さんもさらっとちゃっかりしたことを言いますね!

 とても和やかな雰囲気の中、バックヤードに置いていあるバッグの中でスマホが鳴る音が聞こえた。

「ゆづき、仕事の時くらいマナーモードにしとけよな」

 双葉さんに呆れられたけど、そんなことはお構いなしに取りに行く。ちょっぴり雑に取り出して、光る画面を見ると、そこにはゆーちゃんの名前が。慌ててスワイプして耳を押しあてる。

「も、もしもしゆーちゃん、ケガの具合は?」

「近衛さん、おちゅかれさまです。ご迷惑、おかけしてごめんなさい。私は大丈夫です。ほんの少し切れただけで。まぶたって、ほんとにたくしゃん血が出やすいトコロみたいで。血の量のわりには傷はほとんど残らないみたいでしゅ、です」

 そう聞いた瞬間、安心して思わず声が上ずってしまう。あの天使みたいな可愛い顔に傷が残ったりしたら一大事すぎるもんね。

「よ、よかったぁ。本当によかったよ。お大事にね、ゆーちゃん」

「ありがとうございましゅ、ます。そちらは、大丈夫でしたか?」

「うん。ゆーちゃんのおかげで。もう、大丈夫だよ」

 ゆーちゃんも、抱えているものがたくさんあったと思う。早く解放してあげたかったから、強くしっかりと伝えた。

「……そうですか。よかった、です」

 心の底から、嬉しそうな声だった。思わず、こっちまで安堵の涙を流してしまいそう。

 電話を終えた後、すぐみんなにゆーちゃんの容態を伝え、安心したかのように強く目を閉じた一ノ瀬(元)店長の姿を見たら、またさらに安心して脚が震えた。

「しゃきっとせーい、ゆづき。ほら、閉め作業すんぞ。社長と一ノ瀬店長は気を付けてお帰りください。店のことはアタシらに任せてくださいよ」

 双葉も思いっきり安堵の表情で、でもいつもの勝気そうな態度は崩さずにわたしのお尻を叩きながら、社長たちに帰ることを促した。

「すまない。また、別の形でお詫びをさせてもらう。本当にありがとう」

「……お店のこと、よろしくね。また改めて、みんなに挨拶するわね」

 社長と寄り添って出ていく後ろ姿を、残された双葉と吉田さんとわたしの三人で見送った。

「さてさて、けっこうな時間だよ。ちゃっちゃと終わらせるよー」

 手際よく、レジ金を数え始める双葉。

 さっきまでの騒動が嘘みたいに静かな店内を見渡す。店の照明は、修羅場と化したときに半分以上落としたので暗い。それでもキラキラ輝く美しすぎる同僚の金髪に思わず見惚れていたら、吉田さんの含みのある言葉に現実に戻されてしまう。

「私もレジ閉め手伝うね。そうだ、近衛さん。まだ、佐伯さんに言ってないのよね?」

「……何をですか?」

「近衛さんの、本当のコト」


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