◇過去の絆
◇過去の絆
「ねぇ、肌めっちゃ綺麗」
キラキラ輝く太陽も顔負けな満面の笑みを振りまきながら声をかけてきたのは、出席番号が自分よりも一つ前の女子。高い位置で結んだ元気いっぱいのポニーテールが良く似合う美少女が目の前にいた。
それは入学式が終わった直後、教室で自分の席に着いた瞬間だった。担任教師が教室にやって来るまでの間の、謎の時間。教室内がざわついている。椅子から身をよじりながら、純粋にこちらを見つめる彼女の気迫に押された。
「……どうも」
これが精一杯。暗く、低いかすれ声でそう答える自分。ずっと、ずっと前から人と関わるのが大の苦手だった。あまり目も合わせたくないから重たい前髪で目元を隠していたりもした。それなのに前の席の彼女は、こちらが作った壁をいともたやすく越えてきた。少々面食らってしまう。
「いいなぁ、めっちゃ憧れる。あたし気ぃ抜いてるとすぐニキビとか出来ちゃってー、ほらココ、高校生活のこと考えただけでめっちゃ緊張してめっちゃ眠れなくてニキビめっちゃできてる」
めっちゃ何回言うの、とツッコミを入れたくなったけど口には出さない。グッとこらえているこちらのことなんてお構いなしに彼女は、ほらココと自身のあごを指さしながら堂々とニキビを見せつけてくれる。そして、一人で勝手にしゃべっていく。ニキビなんて全然気にならないほど端整な顔立ちで、某アイドルグループのメンバーにさえ引けを取らないルックスで何を言っているのやら。
「美肌でおまけに色白、はぁ、うらやましい」
何がうらやましいんだか。大きな瞳でこちらを覗き込むように見てくる姿に思わずドキっとした。これじゃあ前髪で顔を隠している意味がない。正直居づらいしやめてほしい。どんな反応をしたらいいのか分からずにいたら、まだ着慣れない少し大きめの制服の胸ポケットから不意に真新しいスマホを取り出してきた。
「ライン、こーかんしよ」
とびっきりの笑顔で。
「あたし、倉橋もね。なんか芸術家っぽい名前だけど、美術の成績は五段階評価中の一。そこんとこよろしく」
それは悪すぎ! あ、やばい。思わずちょっと笑ってしまった。こちらの反応が嬉しかったのか、彼女もとい、もねはとびっきりの笑顔できいてくる。
「ね、名前。友達になりたいなっ」
友達? 軽く言わないでもらいたい。一応名前くらいは答えるけど。
「……近衛ゆづき」
「んん? このえってどんな字?」
あごに人差し指を当てながら、大げさな考えているポーズでアピールしてくる。
「……遠い近いの近いに、人工衛星の衛」
「うん? むずかしいねぇ」
それでもなお首をかしげているから、自分の制服の左胸につけている名札を指さした。顔を寄せ、二秒ほどじっくり眺めてから、ひらめいたとでも言うような表情で笑う。
「あぁ、わかったぁ。でも本当にむずかしい字だね。名前で呼んでもいーい? ゆづきって」
いきなりマジかと思ったけど、断るのも面倒なので頷いておく。
「あたしのことも、もねって呼んでね。芸術の才能は無いけど、結構名前気に入ってるんだ! 珍しいし、かわいいでしょ」
名前負けしていない可愛らしいルックス。自身たっぷりの、太陽みたいな明るい笑顔だった。眩しすぎ。自分には程遠い人だと思った。最初から。
でもなぜか、一緒にしゃべっていて悪い気はしなかった。
この感覚は何だろう、と疑問に思っている間にガラリと扉を開けて担任教師が教室へやって来た。ざわついていた教室内が静かになり、「あとでラインね」と言ってもねは慌てて前を向く。
そして始まる最初のホームルームの時間。きっとどの学校でも当たり前の、他愛もない担任教師の自己紹介。担任は男で、関谷という名前。体育教師。あぁ、いかにも自分が苦手な熱血タイプ。
高校生活にあたっての心構え、今後の日程、教科書の配布。そしてやってくる生徒たちの自己紹介の時間。来たな、地獄みたいな時間だ。こういうの、本当に苦手。緊張で手には嫌な汗の感触が。この、どんどん自分の番が近づいてくる感じがたまらなくつらい。みんなはそつなくこなしている。得意科目とか中学時代やっていた部活とかを言いながら。自分には紹介することなんて何一つ無い。とりあえず名前と、よろしくお願いしますとでも言っておけばなんとかなるだろう。どうせ、クラスの影キャラとして三年間過ごすことになるんだろうし、ここで最初から暗い奴だとでも思わせておけばいい。
そう考えているうちに、いつの間にか自分の番の直前、もねの番になっていた。彼女は緊張とは無縁の存在で、堂々と椅子から立ち上がる。後ろだからこちら側からは見えないけれど、真夏の太陽も敵わないくらいの、とびっきりの笑顔なんだろうなぁ。
「出席番号八番の倉橋もねですっ。芸術家みたいな名前だけど、美術の成績クラス最下位とったことありまーす。親も芸術とは程遠い一般ピーポー、そこんとこよろしくです。好きな科目は体育で、苦手な科目は断然美術! 名前負けしてるのは暗黙の了解ってことで一年間よろしくお願いしまーす」
教室内に明るい笑いが起きた。いるいる、こういうキャラのやつクラスに一人は。きっとすぐにでもクラスの人気者になるんだろうなぁ。さっき自分に話しかけたことなんか、すぐに忘れちゃうんだろうな。
そして次が自分の番だなんて、酷すぎる。もねの自己紹介が面白かったからか、みんな勝手に期待モードになっちゃってるよ。面白いことを期待してる雰囲気だ。でも、そんなこと、出来ない。
「……えっと、近衛ゆづきです。よろしくお願いします」
早く次の人に回れ、そう願いを込めて席に着こうとしたら、担任教師の言葉が飛んできた。
「もうちょっと、なんかないのかー?」
あぁ、熱血教師の嫌なところだよ、空気読めない。これ以上何も考えていなかったから、みるみる頭の中はどうしようでいっぱいになる。どうしよう、どうしよう得意科目、得意なものなんてない、どうしよう趣味、たいした趣味もない部活も今までやってない、好きな動物、いや恥ずかしい。好きな食べ物、どうしようこういうのが学校の嫌なところなんだ、しらける、この場がしらける、どうしようどうしようどうしようでパンクしそうになったとき。ガタリと目の前の椅子が自分の机にぶつかる音がした。
「はいはーい、言うの忘れてましたー! 来週の新入生レクリエーションでゆづきと漫才やろうと思いまーす。今思いつきました。めっちゃ驚くくらいすごーいのにするから、みんな応援よろしくねーっ。ゆづき、頑張ろうね」
な、何を言っているのと思ったけど、もねのおかげで教室内が再び賑やかになった。その勢いに便乗して、よろしくですと小さく言ってからもねと一緒に席に着いた。満足したのか、担任教師も何も言わなかった。その後は順調に他のクラスメイトの自己紹介が続き、ちょうど区切りの良い所でチャイムが鳴り、休み時間となった。
くるりと腰をひねらせて、さっそくもねが話しかけてくる。
「さっきはごめーん。この高校さ、新入生のレクリエーションが毎年盛り上がるってことで有名じゃん、だからあたしも何かしたくて、勝手に漫才とか言っちゃった。ぜひ、ゆづきと一緒にやりたいから、協力してね」
何にも悪びれた様子もなく、にこにことしゃべる彼女を目の当たりにして返す言葉が無かった。
「ネタはね、ちゃんと温めてあるんだよ。ねぇ、家どの辺? 放課後さっそく打ち合わせしよっ」
こちらの意見は一切きかずにどんどん話しを進めていく。あまりの早さに追いつけないでいると、もねの周りにクラスメイトたちが集まってきた。
「倉橋さんどこ中?」
「さっきの自己紹介めっちゃ笑ったわ」
「仲良くしたーい」
あっと言う間にクラスの中心的存在になっていた。ちなみに、もねの机を中心にクラスメイトが集まっているので、自分の机も巻き添えにされた。みんなもねだけに注目しているおかげでこちらには何もなかったけど、とても居づらかった。このまま、消えてしまいたい。消えてしまいたい。最初からここに居場所なんて、この世界に居場所なんて無いって思ってる。思ってた。ずっと。
近衛ゆづきは、ごくごく平凡な家庭に生まれた一人っ子。温厚な父と母の間でのびのびと育ち、元気いっぱいに幼稚園に通った。幼稚園ですごく仲良くなった友達が一人いる。そのまま同じ小学校へ入学し、毎日一緒に学校へ通った。しかし、小学二年生になる直前に引っ越しをした。父と母念願の、マイホームを購入したから。転校することになり、仲の良かった友達と離れた。でも、寂しくはなかった。だって、一生のお別れじゃないから。それに、小学二年生。誰とでも分け隔てなく接することができる無邪気な年頃。すぐに新しい友達が出来る。だから、転校した先ですぐにクラスのみんなと仲良くなった。友達になれた。
そして、小学三年生になった。クラス替えで、二年生の頃に仲良くなったクラスメイトたちはバラバラになり、また一から友達作りがスタート。でも大丈夫、だって小学三年生。無邪気な年頃、誰とでも仲良くなれる。
みんなとおしゃべりした。楽しく、授業を受けた。担任の先生も優しい。運動会で踊った創作ダンスでペアになった子と仲良くなった。同じ係の子と、クラスの役割をしっかりこなした。みんなと仲良くなれて良かった、毎日楽しいよ。誰とでもお話できるから。その中でも、友達Aと友達Bと仲が良かった。だいたいいつも一緒にいた。
あるとき、クラスが三グループに分かれて行う校外学習があった。AとBと、それぞれ違うグループになった。ちょっと残念だなぁと思ったけど、別に特に何も気にすることはない。だって、みんなと仲良しだから。グループでのバスの座席決めのとき。とくに誰と組みたいという希望はなかったから、近くにいたCに声を掛けた。Cは背の順で並んだとき自分と前後ろになる。だから体育のときによくおしゃべりするんだよね。
「Dと座るから、ごめんね」
やんわりと、迷惑を必死で隠すような表情で断られた。
な、ん、で。
そのとき知った、気づいた。今まで気づかなかった。
人と人との、壁。仲の良さ、好きの度合、優先順位。
自分は選ばれなかった。
だってそこまで仲良くないから。
友達には優先順位があるんだって。
分け隔てなく接することができる年頃は終わったんだ。
成長する上で、ふるいにかけていく。
気が合う友達、家が近所の友達、同じ習い事をしている友達、ずっと一緒にいたいと思える友達。
確かに、よく考えると自分がずっと一緒にいたいと思う気の合う友達はAさんとBさん。
でも、他のクラスメイトと優先順位をつけたりはしたことなかった、と思う……。
壁を感じたことがなかった。自分自身も壁をつくったことがなかった。
だから気づかなかった。
優先順順位を自覚し「自分の位置を」知ったとき、急に何もかもが怖くなった。
そうして、いつの間にか人と関わることに臆病になった。
そんなことをしているうちに、年齢を重ね、スクールカーストの最下位に居る自分だけが残った。
簡単に言ってしまえばこんなところ、それが近衛ゆづきの小学生時代。このしがらみはもちろん、中学校生活にも影響する。
マラソンで最後を走っているランナーが、最後を抜け出すなんて相当スタミナがいる。そんなもの、自分は持ち合わせていなかった。
小学三年生の頃の一件で、いろいろと深く考えてしまい、人と関わることが苦手な引っ込み思案になった。進級に伴い仲が良かったAさんBさんともクラスが分かれ疎遠になり、より引っ込み思案に拍車をかけた。クラスでは一人ぼっち、誰かとペアにならなきゃいけない授業は苦痛。いつも一人あぶれてしまうから。スクールカースト上位のクラスの目立つグループからは、からかいの標的にされてしまう始末。気持ちに余裕がなくなり、気づくと自分のことにも余裕がなくなってくるのがわかる。人となるべく目を合わせないよう伸ばした前髪、服は極力目立たないよう地味な恰好。それがまたからかうネタになってしまい、いじめに繋がる悪循環。中学校でも同じこと。暗い、ダサいが板につき別の小学校から来た生徒にも伝わって、立派ないじめられっ子に成長してしまった。
悔しい、でも怖い。自分が壁を作らなくても、他人はいともたやすく壁を作る。心を開いてまた壁を作られたらと思うと、とても行動する気にはなれなかった。だから耐えることにした。耐えればいつか終わる。義務教育は九年、高校は三年。半分は越えたところだから残り数年、いける。幸いにも、いじめといってもテレビで報道されるような過酷なものではない。きもいと陰で言われたり、基本的にはクラスで空気扱いされるくらい。暴力を受けたり、物を捨てられたり物理的なものではないから親にもバレない。空気のまま、極力誰とも接することなく過ごすんだ。ずっと最後を走っているマラソンランナーは最後のままでいい。と言いたいところだけれど、学校という檻の中にいる限りは避けられないこともある。何かと体育の授業では準備運動を行うペアを強いられるし、委員会活動、班行動、体育大会や文化祭等の行事。唯一、部活動が強制じゃなくて助かった。部活で青春なんてものを味わうことなく極力人と関わらず、空気として過ごした。
一時期、引っ込み思案を直そうと参考になりそうな本を読んだりインターネットで調べたりしたこともあったけど、どれも信用できるものじゃなかった。
空気でいい、空気がいい。
高校は、極力知り合いが少ないところを選びたかったけれど、親が近場が一番楽だからと家から近いところを勧められてしまった。比較的誰でも入れるほどの学力の高校で、自分の成績は良くも悪くもないから、無事入試に合格。
通うことになった高校の入学式の日、まだ咲いていない寒々しい見た目の桜の木には目もくれず、着慣れないブレザーの制服に眉をしかめながら歩く。
昇降口で入学式の式次が配られ、その中にクラス割りの表も含まれていた。軽く確認すると、自分のクラスには幸運にも同じ中学出身の生徒は一人もいなかった。良かった、いじめられずに済む。このまま高校でも空気として三年間耐えれば、解放される。
口元が少しほころんだところで、なつかしい響きの名前が目についた。眉をよせ、凝視する。そして、しばらく考える。これは、幼稚園の頃一番仲が良かった、あの子?
クラス割りの一点を眺めていたら、隣にいた母が口を挟んだ。
「あらぁ、なつかしいわね。まさか一緒の高校とはね」
母もそう言うとなると、本物だ。でも、今の自分は空気だから。クラスも結構離れているし、このまま気づかずにそっとしておいてくれればいいなと思った。
そんなことを考えているうちに退屈な入学式が終わり、親と別れこれから三年間も通うことになる檻のような学び舎を睨みつけながら教室へ向かう。
中学の頃とは高さが違う椅子と机にちょっと感心しながら座ると、目の前の席の、太陽みたいに眩しく笑う彼女に話しかけられたんだ。
「な、なにそれ、泣けるうぅうう」
大粒の涙をぽろぽろ流して、恥ずかしさなんて微塵も感じていないと言わんばかりにマクドナルドの隅のテーブル席で太陽みたいな彼女は泣いていた。
「あの、その……泣かれると、困る」
自分はと言うと、もねの反応にただただうろたえるしかない。えっと、今までまともに同級生と接することがなかったからどうしたらいいのかわからない。紙ナプキン……じゃ失礼か。ハンカチは、どこだっけ。そんなことを考えている間に、もねは自身の人差し指で目元をすくった。きらりと綺麗なしずくが人差し指を伝う。
「えへへ、ちょっと大げさ? よく言われるんだよね、もねはリアクションがいちいち大きいって」
赤く染まった鼻を小さくすすって、照れながらまた太陽みたいに笑う。
「でも、それってあたしは心からぶつかってるってこと。あたしは何事にも真っすぐでいたいんだよね。だから、ゆづきともっともっと仲良くなりたいなっ。大事なお話ししてくれてありがとね」
ちょっとだけ真面目な顔だった。そんな表情に似合わず、場所はざわついているマクドナルドの店内だけど。
最初のホームルームが終わり、お昼をやや過ぎた頃に新入生たちは初日の務めを終えた。さっそく教室を飛び出す者もいれば、親と合流し記念写真を撮る者、最初が肝心と友達作りに励む者もいる。案の定、入学早々人気者になったもねの周りには仲良くなりたいたくさんのクラスメイトたちが集まっていた。囲まれているのを横目に早々と教室を出ようとしたけど、もねがクラスメイトの輪を抜け、追いかけてきた。あれ、こういうヤツって、みんなと仲良くしたいタイプじゃないの? わざわざ自分を追いかけてくる意味が分からなかった。クラスメイトたちには、また明日お話しようねと笑顔を振りまいて切り抜け、横にぴったりと張り付いて一緒に廊下を歩いてくる。え、これどういう状況? このまま家に帰りたいんですけど。
「ねー、通り沿いのマックでいいよね?」
「……え」
「だからぁ、ネタの打ち合わせだよ。約束したじゃん。ぷくー……ぷははっ」
わざとらしく拗ねた表情でくちびるを尖らせて、なぜか一人でツボって笑っている。もねの動きに合わせて元気よくポニーテールが揺れるたびに、廊下を歩く他のクラスの連中が彼女を見ていた。どこでも、何をしていても彼女は良い意味で目立ってしまうんだ。そんなのは全く気にする様子もなく、勝手に人のスクールバッグを引っ張って先を急がされてしまう。
「れっつごーじゃん。おなかすいたじゃん。行くしかないじゃん。あ、ゆづきってチャリ通?」
「え、あ、そうだけど」
「だーよね。ここって田舎だからバスの本数少なすぎだし電車遠すぎだし、結局チャリだよね。さっき担任の先生がこの学校は九十パーセントがチャリ通って言ってたもんね。あの黄色いのがもねの自転車だから。取ってくるね」
いつの間にか昇降口を出て、駐輪場まで来てしまっていた。もねは軽やかな足取りで、薄暗い駐輪場へ吸い込まれていく。……このまま帰っていいかな。急ぎ足で自転車に鍵を差し、逃げるようにサドルにまたがる。駐輪場内では自転車に乗らないでとペンキはがれかけの看板があったけれどお構いなし。にお構いなしのもねが自分の後ろにぴったりと張り付いていた。逃げられないやつだ。
「れっつごーじゃん」
チリンと小さくベルを鳴らして上機嫌。一緒に行かざるを得ない状況になった。一体なんなんだ、この人は!
……なんて、一時間前まで思っていたはずなのに、今ではなぜかなぜかなぜか、誰にも言うことができなかった過去のトラウマまで話してしまっている始末。何がどうなったのか、詳しくは説明できない。なんていうか、もねは凄かったんだ。最初からそうだったけど、人との壁をいとも簡単に壊してくる。良い意味で。それも、気持ち良いくらいに。
あまりにも、熱心に仲良くなろうとしてくれた。からかってるだけじゃないのか、と思ったけど、きっと心のどこかで誰かにきいてほしかったんだ。友達なんていらない、怖いとずっと思っていたのに、本当は本当は本当は友達がほしい。自分に笑顔を向けてくれるような友達が。一緒にマラソンを走ってくれる友達が、ほしかったんだ。
きっと最初から、もねの笑顔に魅せられていた。それに気づいた瞬間、なにかが溢れた。過去のこと、過去のこと、今のこと。
もねは真剣にきいてくれた。目の前で冷めていくポテトには目もくれず。話が終わった後には、まるで自分のことのように泣いていて。真っすぐに向き合ってくれた。
「もねがゆづきを救う。一週間で、クラスのみんなと仲良くなろう」
「だ、だからクラスのみんなと仲良く、とか一番無理だから。空気でいいから」
「だめだめー、もねの高校でのお友達第一号なんだから、空気なんかにしておくわけにはいかないじゃん」
すっかり冷めたポテトを口に含みながら、ビシっと指をさす。綺麗に磨かれた爪がキラリと光る。
友達、第一号という響きにじんわり感動したところで気づく。
「ん、ちょっと待って、倉橋さんもしかして同じ中学出身の人いない?」
「そだよ、あたし愛知県から来たんだよね。一週間前」
転勤か何か、家庭の事情ってやつかな。誰も知り合いのいない所でこの行動力、凄いとしか言いようがない。
「っていうか倉橋さんじゃなくて、もね。名前で呼んでって言ったじゃん」
「え、あ……も、もね」
「うんうん、これぞ友達って感じでよろしい」
今まで友達がいなかったから、こういうのやばい。口に出して名前で呼ぶのって、なんだかくすぐったいことなんだなぁ。
「そんなわけでぇ、まずは見た目を百八十度変えたいんだよねぇ。ゆづきは色白で美肌だし、前髪で隠してるからあんまり見えないけど、もねにはしっかり見えてるよ。きれいなお顔」
「き、きききれいなんて生まれてこのかた言われたことない……」
突然のことに目を白黒させていると、ドリンクを一口すすってからもねは静かに語りだした。
「もねね、転勤族で、小さいころから何十回も転校してきたの。最長一年、最短三か月。毎年、お友達が変わるの。最初は、いろんな所にいろんな友達がいる自分がすごいって思ってた。毎月のように、お手紙が届くのがその証拠。でも、一定の期間を過ぎると、どの子もやりとりがぱったりと途切れるの、向こうから。だいたい三か月くらいかなぁ。ゆづきと似てるけど、好きの度合、優先順位に気づいちゃったんだろうね。友情ってなんだか賞味期限があるみたい。もねも、塞ぎ込んだ時期もあったよ。でも、つまらなかったからやめた。もねは自分に真っすぐでいるのが好き。何度も繰り返していく中で、失敗して、挫けて、次はうまくやろうって思った。友達がリセットされても、リセットされたなりに楽しめばいい。考えを、そして自分を変えた。ここにいるもねは生まれ変わったもねなの。心からぶつかっていけば、相手は応えてくれる。応えてくれなければ、友情の賞味期限を思い出す。うまくやればいいんだよ。そうすれば、自分を九十度だって百八十度だって変えることができるんだよ」
心の片隅で、何かが壊れていくような音がした気がする。いつの間にか、涙があふれていた。
「あたしがゆづきを変えるよ、百八十度」
「そ、それ、真逆って意味だよね? なら真逆って言った方が早いよ」
なんて、大して面白くもない返事をしてしまう。
「そんなわけでっ、もねは高校生活をゆづきと一緒にエンジョイすることを誓いまぁーす。しかもね、たぶんココが最後なの。もう転勤する必要がなさそうってママ言ってたから。もー何も心配することがない高校生活楽しみすぎて、いろいろ調べてきたんだから。ツイッターで学校名検索したりとか、ホームページを見て新入生レクリエーションが毎年盛り上がることを知ったの。地元ではけっこー有名なんじゃないの?」
「知らなかった……」
コミュ障で友達もいなかったですから。
「もー、ゆづきは疎いんだから。じゃあ説明ね。レクリエーション、新入生たちが有志でいろいろやってもいいらしくて、バンドとか劇とか、ダンスとか。一番目立って盛り上げてくれた人には、な、なんと購買のタダ券をくれるんだって。一日一つ、好きなものタダで選べてしかも一年間使えるの! 最高すぎるよっ。そしたら、毎日お昼ご飯に困らないよね」
何そのすごい企画。高校ってすごいんだね……。
「つまり、それを狙っていると」
「そういうことっ」
「そして一緒に出たいと、漫才で」
「もっちろん。ふふ、さっきも軽く言ったけど、もねに良いアイディアがあるんだよねぇ」
「ちょっと待って、一番目立つとか絶対無理だから」
確かにもねと漫才なんかしたら目立つこと間違いなしだろうけど、それが自分に出来るとは到底思えない。是が非でも断りたいところ。
「やだやだやだタダ券ほしいほしいほしい」
どストレートにダダをこね始めた!
「でも、それだけじゃないよ。最初から、ゆづきと友達になりたいって思ったから。それだけじゃ、ダメ?」
そして急に真剣な顔になるんだから、本当に何が何だかわからない人だ。
「まだ、完全には無理。周りの目が怖い。だけど、ちょっと、頑張ってみようかな……」
まんまと乗せられてしまっている自分が情けないけど、ここで頑なに断ったりしたら、もねの真剣な顔がずっと頭に残りそうな気がしたから。
「おっしゃー、その意気だゆづき! もねも頑張るから一緒に頑張ろーっ、ふぁいおーっ。二人なら何にも怖いことないよ。だって、周りの目も半分こじゃん」
「はん、ぶん?」
あぁ、やっぱり。何かが崩れていく音がする。
「そう、二人だから。怖い気持ちも、緊張も、楽しいことも半分。同じ所にいるから」
壁が、いともたやすく越えてきたもねによって、壊されていく音。
一人じゃ寂しかったんだ。誰かがそばにいてくれるのって、こんなにあたたかいことだったんだ。きっと、小学生の頃の自分は、誰かのそばにいるようで誰のそばにもいなかった。みんなと分け隔てなく接しているつもりで、誰にも寄り添っていなかった。だから、一人になってしまった。ずっと、勘違いしてたんだ。友達のこと、自分自身のことも。
「あ、でもたまには半分こじゃなくて独り占めしたいときもあるよ? そこはもねの心の内を読んで、察してね」
わざとらしく、残りのポテトを急いで口に放り込んでいく。あぁ、そういうこと。
本当に、もねは……すごい。
「ありが、とう」
「わわわ、泣かないでよ。ほらほら、ちゃんとポテト分けるから。たーんと食べて大きくなるのだぞ」
いつもよりしょっぱいポテトの味は、一生忘れないと思う。
高校一年生の春、近衛ゆづきは素敵な友達と出会いました。
少しでも、もねに釣り合うような人になりたい。まずは新入生レクリエーションの前までに出来ること。もねにいろいろなことを教わった。
まずは、見た目を変えること。適当に伸ばして適当に切るだけだった髪の毛。もねが教えてくれた美容室でカットしてもらった。人との壁にしていた前髪もバッサリ切って、見える世界がさらに変わる。
「細かいトコロも常に気をつかわないとねっ。ホントはネイルとかしたいんだけど学校じゃできないし、もねは形を整えて爪みがきでぴっかぴかにしてるの。あ、長すぎる爪はもっとNGね」
これがイマドキの女子高生の在り方か。モテる女子は爪の先まで気を抜かないんだね。
「眉毛も整えるのだぞっ」
「む、むり……。失敗しそうで剃るの怖い」
「剃ったら絶対失敗するじゃん。抜くんだよ」
「え、抜くの? 痛そう」
「もー! もねがやったげる。ほらほら、もねがやれば怖いのも痛いのも半分こだぞっ」
半ば無理やり眉毛を抜かれたり。あと、痛いのは半分こにならなかったです、もねさん。
「あとコレ、もねのオススメリップだよ。保湿効果もあるし、ほんのり色付きなの。ほんのりだから校則違反にもならないしね。出来る限りの可愛さをつくるのって大事だよねっ。ゆづきにプレゼントだよ。寝る前にも使えるやつだから、毎晩欠かさずに。ぷるりんくちびるゲットだぜ」
くちびるに色が宿ることによって血色がよく見えて明るい印象になるんだとか。もねの可愛さの秘訣って、こういう小さなことの積み重ねでもあるんだ。もともとの顔がすごく可愛いけど、それをさらに生かせるように出来る限りのことをしてるんだ。もねにもらったリップ、使い切るまで大切にしよう。
「ゆづきって、案外スタイルは良いからそこは文句無しとして……あとは姿勢!」
「姿勢?」
「そう姿勢、悪すぎ。今まで極力人目につかないようにって丸くなってたでしょ」
うう、図星すぎる。確かに姿勢に関しては親にも注意されてるくらい。
「背筋しゃんとさせて顔は常に真っすぐ、あごは少しひいて。一週間で完璧な姿勢マスターさせてね。姿勢ごと真っすぐでいられたらね、自然と自信もついてくるから」
自信たっぷりにパチンとウインクをしてみせる。リアルでウインクする人いるんだと思ったけど、さすが美少女のウインクはあざとい可愛さだ。
「その自信をバネに明るく元気にしていたら、何事も乗り越えられる! もねはだいたいそれで乗り切ってきたよ。ぶっちゃけ、入試で数学の問題一問も解けなかったんだけど、面接でアピールしまくったら受かったし」
「それはなかなか……すごいね」
もねは案外頭がわるいということも分かってきた。
「でしょでしょ。はい、だからゆづきもニコニコして、自分は毎日明るく元気に過ごしてますって感じを出すの」
「え、いやさすがにニコニコとか無理」
「まぁさすがにイキナリは難しいよね。でも、レクリエーションまでにはマスターしてもらうからね。あとはギャップ萌えを狙いたいから、明るく元気にってのもちょっと温存してて。せっかく整えた前髪も、分けずに極力真っすぐにしててね。一週間は」
そう、もねの作戦は、近衛ゆづき改造計画。もねみたいに、誰もが振り向くような存在にして新入生レクリエーションで目立っちゃおうという作戦。果たして成功するのやらという感じだけれど、変わりたいと自分で決心したからには頑張らないとね。それに、もねにはまだまだ秘策があるみたい。
「えへへ、面白くなってきたね。あとは漫才の仕込みもしなくっちゃね」
人前で何かするなんて、授業で指名されるときくらい。だから人前で漫才なんてハードルの高いこと、めちゃくちゃ緊張するけど、その緊張は、もねと半分こだから。頑張れる。
「ノリノリのキレッキレで頼むで、ゆづきはん」
「わ、わかったで、もねはん。や、やったるでぇ……。って感じ?」
こんな風に、ノリでふざけあえるくらいには、もねとの仲が深まったかな。
こうして、あっという間に高校に入学してから一週間が経った。一週間も経てば、みんな徐々に高校生活に馴染んでくる。違和感でしかなかった制服も、すっかり着慣れた。
ちなみに、もねは学級委員になった。教師からの指名にて。そこからもねが委員会決め等を進行すると、異例の早さで難なく決まり、担任教師が驚いていた。本当にカリスマ性のある人だよ、もねは。
クラスメイトたちは自然と気の合う仲間とグループを作り、楽しそうにおしゃべりしたり昼休みには一緒にお弁当を食べたりしている。一人で食べるつもりだったお弁当。目の前には、もね。誰かと一緒にしゃべりながら食べるお弁当は最高に美味しいと、心から思う。クラスメイトたちは、なんでこんな地味なヤツとイケてるもねが一緒にいるのか不満そうに見ているけど、もねにとってはどこ吹く風といった感じだ。もね自身、常にこちらに構いっぱなしというわけでもないので、適度にクラスメイトとコミュニケーションをとって、絶対的クラスの中心を確立した。
「さーて、お弁当食べたら最終打ち合わせだよ。おなかいっぱいにして体力と気合をつけなきゃね」
この昼休みが終わったあと、五時限目からが例の新入生レクリエーションの時間。
「う、うん。緊張で、なかなかお箸が進まない……」
「だーいじょうぶだって、もねも緊張してる。だから半分こ。あ、そのお弁当も半分こしてもいいんだよ?」
なんて、いたずらっぽい表情で笑ってみせるから、なんだかほっこりしてしまう。
「手のひらに、神様仏様もね様って書いてのみこむと良いらしいよ」
「なにそれ、絶対ない」
「信じる者は救われるよ。もね様を粗末にしないでよねっ」
自然と、笑顔になってしまう。このままいけばきっと漫才も成功する、絶対大丈夫だ。
「さてさて、初の大舞台。一番良い状態でいないとねっ。ご飯のあとは歯みがきから!」
「歯ブラシ忘れた……」
「もー、歯みがきセットは持ち歩くのが鉄則って言ったじゃーん。ま、こんなこともあろうかと使い捨て歯ブラシを持って来て正解でしたー」
うう、面目ない。
「神様仏様もね様ありがたき幸せ」
「うむ。心して使うがよい」
二人して水道に肩を並べて歯をみがいた後、体育館の更衣室へと向かう。そこがレクリエーション出演者の控室となっていて、意外と多くの新一年生がいた。楽器を持っている生徒や、劇に使うと思われる道具を持っている生徒もいる。なんだか賑やかなレクリエーションになりそうなのが一目瞭然だった。
「うーん、意外と多いなぁ。ゆづき、場所移動。ひと気のないトイレに行くよっ」
ええ、一体何を……。もねに手を引かれるまま体育館裏に設置してある、外部活の生徒がメインで使うトイレに連れ込まれた。誰かに見られていないか周りをよく確認してから一つの個室に二人で入る。
「今からゆづきに魔法かけるから。まずは、あたしのスカート」
ひそひそ声でトートバッグから、おもむろに制服のスカートを取り出す。な、なんで?
「もねのスカートはですね、イケてるスカートなのです。なぜなら、校則に触れるギリギリのラインまで短くした素晴らしいスカートなのです。周りの女子は、まだ先生の目が怖くて、短いスカート丈にするにはかなり勇気がいるトコロ。でも、もねは最初から校則を調べてこの丈にカスタムしています。つまり、初日からもねは勇気あるイケてる女子なのです。ってなわけで、これ予備、はやくはいて。偶然にもゆずきと同じ身長で良かったよー。あ、あとスパッツ持ってきた。体育館のステージって意外と高いし、みんなの前で見えちゃったら恥ずかしいよね。ゆづきのおパンツ」
スカートとともにスパッツをドヤ顔で押し付けてくるので、抵抗する間もなく素早く着替えることに。神様仏様もね様の言うことは絶対だし……。
「それから、靴下は紺ソ。いくら靴下が自由だからって白の中途半端な長さのやつはダサいからっ」
あぁ、ダサい靴下って思われてたんだ。これまた素早くテキパキと次々に用意されるものを黙って身に着けていく。もね曰く、紺色のハイソックスは美脚効果があるらしい。
「髪も整えるね」
少し冷たいもねの指先が首筋に触れて、どきりと心臓がはねる音がした。丁寧にブラッシングして、神経質なのってくらい慎重に前髪を整えてくれる。次に、レースのついた可愛らしいポーチから化粧道具を取り出す。
「えっ、化粧はさすがに……」
「だいじょぶだいじょぶ、バレないよーにやるのが鉄則じゃん? もねも実はやってるし」
何が鉄則なんだと思ったけど、断れないのでなすがまま。
「さぁさぁ、目閉じて。めっちゃ細ーく、ブラウンのアイライナーでさりげなくぱっちりお目目。ラメ無しのブラウンアイシャドウを薄く一回サッと塗って掘りを深く見せまーす。ほんのり色付きリップを二度塗りして自然なピンクに。ビューラーでまつげを上げてクリアのマスカラでカールをキープ。オイルコントロールパウダーで美肌をさらに美肌に見せちゃう。これって本当に優秀、ファンデじゃないから安心して。……はい、完成。さいっこうに可愛いっ」
ずっと目を閉じていたから、よく分からないけど、もねが優しく化粧を施してくれた箇所がなんだか熱い。たぶん、照れてるんだろうな、今の自分の顔を見るのが恥ずかしい。ってことにはお構いなしに、もねは鏡を取り出し見せつけてくる。目の前に、頬が紅潮した立派なイマドキの女子高生がいた。今まで、こんな姿の自分見たことない。正直、驚きが半端ない。
「うんうん、これで立派なイケてる女子高生だよっ。とくにクラスのみんなは最高にびっくりするよ」
「……なんか、本当に違う自分みたい。百八十度、本当に百八十度変わってる」
「でしょでしょ、あたしの言う通り。自信もっていくよっ。多少ネタがスベっても、ゆづきの可愛さでイケるイケる」
狭いトイレの個室内で、ひそひそと最終のネタ合わせをしてから体育館へ戻る。集合時間ギリギリだったみたいで、体育館の中はすでに暗くなっていた。もうすぐ立つことになるステージだけ、明るいライトで照らされていて、緊張感を煽ってくる。
「あっちに出る人並んでるね。行こ行こ、暗くなってるときでちょうどよかった」
もねに手を引かれながら。
出演者はステージの横に順番に並ぶよう教師たちの指示があった。前日に順番の抽選を済ませていて、もねが自分の出席番号と同じ八番だったぁと嬉しそうに騒いでいた。二十一組中の八番目。まずまずのところかな。最初と最後じゃなくて本当に良かったと思う。なんて考えているうちに、進行役の先生のセリフから始まり、一組目がステージに上がる。拍手と共に、周りの声援が聞こえた。一年五組の吹奏楽部出身グループ、五人で演奏するらしい。吹奏楽を五人でってボリューム不足なのではと少し見くびってしまったけど真逆。演奏が上手いうえに、学園天国やヤングマン等の盛り上がること間違いなしの曲のチョイス。しかも立って演奏しながら足のステップの振付つき。最初から体育館が盛り上がってしまった。す、すごすぎる。
その後に続くグループも負けず劣らずで、演劇部出身メンバーによるガチな劇。大道具も小道具も作りこみが半端じゃなかった。同じダンススクールに通う仲良しグループによるキレッキレなダンスや、口笛が得意な生徒による一人口笛四重奏。なにあれ、どうやってんの……口笛の域を超えてるよ。クラスの男子全員で組体操を披露するグループもあった。でもまだ出会って一週間の絆だから、ピラミッドはあんまり連携ができてなくて崩れていたけど。それまた面白おかしく、うまく笑いをとっていた。みんな、本当にすごい。購買のタダ券にかける情熱なのか、はたまた青春のスタートをここから始めるという意気込みなのか、とにかく積極的だった。積極的ではない生徒は観客としてステージの前に座っているけど、とても楽しそうに拍手を送ってくれる。
「みんなすごい……」
思わず、口に出してしまった。それでも、周りの歓声に紛れてきこえるはずがないのに、隣にいるもねが美しい形のくちびるをにんまりさせてこちらを見てくる。
「ううん。一番すごいのは、ゆづきだから」
何を根拠に、という感じだけれど、もねの絶対的自信。ここで怖気づいたらダメ、乗り掛かった舟だ。いつのまにか、もねの期待に応えようという気持ちに変わっていく。
「過去は変えられないけど、今は、どんなふうにでも変えられる……」
小さくつぶやいたにもかかわらず、もねは聞き逃さなかった。
「初めてゆづきのポジティブな言葉きいた」
そっと、わたしの左手を、もねの両手が包み込んだ。やっぱり少しひんやりしているもねの指先。ゆっくりとわたしの手のひらに指で何か書きはじめた。ひんやりとくすぐったい感触に思わず目を細めてしまう。それでも見逃さないよう目で追いかけながら声に出す。
「か、み、さま、ほ、とけ、さま……もねさま」
って、結局それかよ! と、思わず心の中でツッコミそうになるけどグッとこらえて。のどまで出かかったツッコミ要素をぶち込んだ当の本人は、例えるなら現代の聖母像、慈愛に満ちた優しい表情で、なおかつちょっぴり愉快そうなとても彼女らしい笑顔でこちらを見ていた。
「さぁ、次。一緒に行こう」
一緒に、か。
わたしの手を引いて一歩先にステージに上がるもねは、照明のせいかなぁ、びっくりするくらい眩しかった。
いくら手を伸ばしてもきっと届かない、追いかけてもわたしの一歩先を行く、絶対的存在。
あながち間違いじゃないかも、神様仏様もね様。そう、わたしにとっては、ね。
で、結論から言いますと購買のタダ券は手に入れられませんでした。最初から場を盛り上げてくれた一年五組の吹奏楽部出身五人組の手に渡りました。ちなみにタダ券はグループで一枚。一日一個しか無料にならないから、ケンカしないよう曜日で分けたりして上手いことグループ内で使い回してね、だそうです。わたしたちなら二人だけだから一人の割合が多く使えるのになぁとぼんやり考えたりした。埃っぽくて暗い生徒指導室の中で。目の前には呆れ顔の担任教師。
「倉橋、お前がすごい奴ってのは十分に分かった。だから、明後日までになんとかしてこいよ。ぶっちゃけ、さっきのレクリエーション、お前たちが一番盛り上げてくれた。俺もすごいと思ったよ。でも、ダメなもんはどうしようもない、決まりだからな。今回は反省文も校則違反切符も無し、その他もろもろ大目にみてやるし他の先生にも俺からフォロー入れといてやるから、これからはもっと良い方向に精進してくれよ」
「はぁい」
本気でしょんぼり顔のもね。呆れ顔だけど穏やかに笑っている担任教師、生活指導担当。そして、どんな表情でいたらいいのか分からないから一応しょんぼり顔でいるわたし。
「近衛も、いろいろ大変だったな。でも、ある意味刺激になったんじゃないか? この一週間で、良い友達ができたな。きっと、今後はもっと楽しい高校生活になる」
「あ……は、はい。そう、思います、とても」
わたしの返事一つで、隣のもねがパアァと明るい表情になった。
嫌いだと、最初から思っていたはずの担任教師がなんだか急に良い人に思えた。こういうタイプは生徒の本質なんて見抜けない、空気の読めない存在だと思ってた。今までの教師は、空気でいる自分のことを気に留めもしなかったから。でも、この担任教師は、いや、関谷先生はちゃんと見ていてくれたんだ。まだ出会って一週間しか経っていないのに。驚きと、嬉しさと、感動。こんな気持ち、もねがいなかったら一生味わうことがなかっただろうな。
失礼しましたぁと二人で声を合わせて生徒指導室を出る。
「あーもう、まさかまさかまさか、お昼ご飯食べた後でお腹がふくらんだせいでスカート丈が変わっちゃうなんて思いもしなかったよう」
そう、そのまさかである。
「この学校、校則厳しすぎぃ! 頑張って調査してきたはずなのに。こんなことになるなんて想像もしなかったぁ」
あのとき、ステージに上がった瞬間、わたしのことを知っているクラスメイトたちから、大きな驚きの声が上がった。見た目があまりにも変わっていたから。つられて他の生徒たちも歓声を上げた。とくに男子。もねがとびっきりの美少女だから。そのあとの自己紹介、もねが機転を利かせたものを考えていたから、わたしは言うだけだけど、掴みはバッチリだった。漫才でわたしがトチっても、もねがフォローしてくれて逆にもっと笑いまで起こしてくれて、かなり良い感じに終わった。これも、もねのひねり出したネタのおかげ。本当にカリスマ性のある人だ。そんなわけで、一躍学年の人気者の座を手にしてインパクト大の好評に終わったわけなんだけど、ステージを降りた瞬間目の前に関谷先生と三人の生徒指導の先生が現れ行く手を阻んだ。なになにって思っている間に二人同時に一メートルの竹物差しでスカート丈を測られた。なんと、校則の規定よりも一センチ短いらしい。もねはギリギリだから違うもんと何度も抵抗したけど事実は事実。校則違反者は優勝候補を下ろされたというわけ。で、もねが計算して調整していたはずのスカート丈は、昼食後のお腹のふくらみで少し上にズレて丈が変わったということにわたしが気づいて、もねに伝えると非常にがっくり肩を落としていた。なんとか言い訳や言い逃れをしようとするもねだけど、敵うわけもなく。その様子は一時的にレクリエーション進行が止まっていて、全一年生が見る羽目となった。可愛いもねが必死で見逃してー! と駄々をこねる姿を先生たちは少々面食らって逆に笑いつつ、他の生徒たちはこれもある意味余興として楽しんでいた。もう本当に、一躍学年の有名人になってしまったのでした。
「うう、ごめんね、ゆづきぃ」
「全然気にしないで。スカート丈以外は何も言われなかったんだし、全部、楽しかったから」
「ゆづき優しいぃぃい、ありがとぉぉおおお」
少ししょんぼりしているけど、相変わらずの太陽よりも明るいポジティブさは忘れないもねと廊下を歩く。生徒指導室で捕まっていたから、すっかり放課後だ。
「もねも、楽しかったよ。ゆづきと一緒に、出来て」
こういう直球なの、まだ慣れてないから。思わず顔が熱くなった。赤くなってないかな。早く冷めて!
二人で廊下を歩いていると、すれ違う一年生ほぼ全員に声を掛けられた。さっきの最高だったよ、とか。二人と友達になりたい、とか。今まで言われたこともない、憧れと尊敬が詰まった言葉たち。
そして教室に戻ると、部活のないクラスメイトたちが十数人残っていて、わたしたちを迎えてくれた。
「あ、戻ってきた。二人ともお帰り」
「私たち、二人ともっと仲良くなりたくて、待ってたの」
「ねぇねぇ、これからゆづきちゃんって呼んでもいい?」
「ゆづきちゃんのこと、ちょっと暗いから近寄りがたいなって思ってたの。勝手に勘違いしてごめんね」
「二人とも本当に可愛い。ゆづきちゃんのギャップすごい」
「クラスのライングループ作ろうよ」
と、こんなに人に囲まれたことがないからてんやわんや。こっちが反応に困っていると、もねが助け舟を出してくれたり、そもそもみんな仲良くなりたい気落ちが強く、困っていることが分かれば話題を変えてくれたりと気をつかってくれる。こんなの初めてすぎる。本当に、世界も百八十度変わったみたい。
談笑して、クラスのライングループを作り終えてから、もねと二人で下校した。家はお互い真逆の方向だから、初めて一緒に行ったマックで二人だけのプチ打ち上げをしに。自転車の並列走行は禁止のため、揃って自転車を手で引きながら、田んぼ道を歩く。
「明後日までにスカート丈直せって鬼畜だよね。もね的にありえないんですけどっ」
まだ根に持っているようで、ローファーで地面をゲシゲシと強く踏んでいる。
「あ、わたし、まだもねのスカートのまんまだった」
慣れないスカート丈に最初は恥ずかしさが勝っていたのに、いつの間にか忘れるくらい馴染んでいたんだった。
「あぁ、馴染みすぎて気づかなかったっけ。マックのお手洗いで着替えたらいいよ」
「うん、そうするよ。洗って返すね」
「え、そんなの全然大丈夫だから。っていうか早く直さなきゃだし。もねのママ、実は若いころお洋服のデザイナーで、仕立て直し得意だから今日中に直してもらうね。今の丈もママにやってもらったんだよ」
「すごいお母さんだね」
「でしょでしょ。明日までに直してもらうから、そしたらゆづきにあげるねっ」
「え、いやさすがにそれは」
制服ってお値段高いじゃないですか。
「いーのいーの。今はママ、学生服のデザイナーやっててね、資料用としてここの学校の制服何着も買ってるの。そのうちの一枚なんてたいしたものでもないんだよ。ゆづきとお揃いのスカート、えへへ」
いや、制服なんだから最初からお揃いだよ。まぁ、もねのお母さんが仕立て直したって意味でお揃いってことなんだろうけど。
「楽しみにしててね、ゆーづきっ」
この笑顔に、最初から勝てるわけがない。
こうして、もねのおかげで、毎日が楽しい高校生活がスタートした。
最初こそ、もねに付いていくだけのわたしだったけど、すぐにクラスのみんなと打ち解けた。男女関係なく、仲良くなれた。他のクラスの人も、可愛いもねと大変身を遂げたわたしを見ようとやって来たり、常に人に囲まれた。
授業中、ノリの良いもねはよく指名されて珍回答をしてクラスの笑いを根こそぎ持っていくけど、それに冷静なツッコミをするわたしでさらに名コンビとしての知名度が上がった。いつの間にか、生徒にも教師にも好かれる存在に。
二人で一緒の部活、家庭科部に入って料理や服飾の勉強をしたり。きっともねはお母さんのようなデザイナーになりたいんだね。入学初日の自己紹介で、両親は芸術とは程遠い一般ピーポーなんて言っていたけど、それまた計算上の演技だったんだ。しかし、一緒に選んだ美術の選択科目の際にもねのセンスに度肝を抜かれた。下手だ、壊滅的にセンスが欠落している。自分で美術の成績が悪いと言っていたけど、それは本当の本当だったんだ。おしゃれには敏感なのに、芸術に関しては、絶対美術の選択科目なんてとらない方がいいんじゃないかっていうくらいに壊滅的。でも、ポジティブだから「ここから才能が開花するんだよー」なんて言っているし。家庭科部で一緒に服飾の勉強をしているけど、そこもセンスが欠落していた。わたしの方が断然上手いくらい。もね自身、少しは自覚していて、お母さんがデザイナーだと言ってしまうと自分のせいで顔に泥を塗ることになってしまいかねないと、他の人には内緒にしているらしい。「ゆづきだけなんだからね、これ言ったの。高校生活の間になんとかする予定なんだから、内緒の約束の約束だよ! 約束」と約束多めに念を押された。二人だけの秘密、ってなんだか友達同士って感じで嬉しかった。
夏休みには、もねの企画でクラスのみんなと花火をしたり、海に遊びに行ったり充実していた。もねは数学と美術で赤点をとったらしく、夏休み前半は補習に通い詰めながらだったみたいだけど。ちなみに、美術に関しては前代未聞の赤点らしい。だって、選択科目ってそれぞれの得意な分野をとるものだしね。わざわざめちゃくちゃ苦手なものを選択する人はいない。でもそんなの関係なしに真っすぐ突き進むのがもねらしい。数学は、ちょっぴりわたしも教えてあげたりして、夏休みの後半はみんなで高校生らしく、めいっぱい遊んだ。
体育大会では一緒に二人三脚に出たり、突き進むイノシシタイプもとい運動が得意なもねはリレーで大活躍だし、学年で彼女のことを知らない人はいないくらいの人気ぶり。可愛くて人望も厚いもね、学校のイメージが良くなるとにらんだ教師たちはもねを生徒会長に仕立て上げようと、オファーを持ち掛けたり。しかし彼女には赤点というマイナス要素があるので、教師たちが頭を抱えていた。そこに付け込んで「次の数学テストで、十点は取れるように頑張るので、そしたら赤点は無しにしてくださいっ」と、もねがにこやかに教師に交渉したところ、びっくり仰天、すんなりと認められた。普段数学のテスト一桁常習犯のもねなので、たった五問さえ解ければ十点という課題はクリアできる。このくらいなら、と頑張って勉強したところ見事クリア。美術に関しては先生の匙加減なので、なんとか赤点は免れたらしい。
こうして、もねはそのカリスマ性で生徒会長になり、おまけとしてわたしは生徒会副会長に就任した。もね自身、生徒会という生徒と教師の間を行き来する役職に向いていて、生徒の悩みを解決したり、先生からの要望にも上手く対応をして、学校内のトラブルをほとんど収めてしまった。わたしはその補佐程度。
時の流れがあっという間に感じられるほど楽しい毎日。高校生活の三年間がこのままずっと終わらなければいいのに。ずっともねと一緒にいたいと思った。
でも、あるとき、もねは誰にも言わずひっそりと転校してしまったんだ。
もう転校することは無いと言っていたのに。