◇双葉と、わたしとゆーちゃんと
◇双葉と、わたしとゆーちゃんと
「アンタも今日からココ?」
「え、あっ、はい。そうです……」
後ろから、モデルみたいに綺麗な女性に話しかけられた。
突然のことにびっくりしたけれど、言葉を詰まらせながらなんとか答えることができた。
やっぱり都会は恐ろしい。ここは渋谷。東京です。
まだ上京してから四日目、田舎者感バリバリのわたし。
生まれも育ちも静岡県。県の西側、浜松市という寂れてもいないし栄えてもいない微妙な地で育った。どちらかと言うと田舎。近所に牛いたし。
地元のたいしてレベルの高くない高校を卒業し、駅ビル内にテナントを構える人気アパレル店へ正社員として入社。
一年間、ごくごく普通に働いていたのだけれど、突然の移動。なんと東京の渋谷マークシティ内に店を構える本店へ。
これと言って仕事が出来るわけでも出来ないわけでもないのに、たまたま視察にやってきた部長がなぜかわたしを気に入り、スタッフの入退社が激しい渋谷の本店へ移動を提案された。強制ではないが、ぜひ渋谷の店舗で働いてほしいとのことで、東京で働く間は家賃の半分を会社で負担してくれるという。ななかなかおいしい話。お給料自体はわりと悪くはないし、東京へは憧れがあった。
都会暮らし。
十代も残すところ数ヶ月という年齢。キラキラした都会に憧れを持たないわけがない。
自炊に少々不安はあったものの、自分なりにがんばるからと両親を説得して東京行きを決めた。
しかし実際問題、田舎育ちのわたしは東京・都会という巨大すぎる怪物に圧倒されていた。
観光で来たときとは全く違う風景がわたしを驚かす。
地元では電車もバスも本数が少ないため、通勤は車。電車なんてちょっとした遠出のときに乗るくらいだった。
でもここは違う。
電車がメインの交通手段なんだ。朝の通勤ラッシュは今までに見たことのない人、人、人の数。
えっと、わたしが通っていた高校の生徒数がだいたい九百人くらいだったから、それの何倍、何十倍? っていうか改札はどこ?
構内が暑い。まだ春先で風が冷たいからと言って少し厚手のロングカーディガンを羽織って来てしまったことを後悔した。駅ビルに店があるんだから、外に出ることなんてないのに。明日はもっと薄着にしようと心に誓う。
店の開店時間は午前十時だけど、わたしの初出勤の時間は十一時の予定。駅ビル内でおしゃれに朝食をとろうと思い、三時間前に家を出た。そして早めに渋谷マークシティ内に到着し、少し館内を探索してから店まで行こうと念入りに計算していたのに、予想よりもはるかに時間がかかっている。
人身事故で電車が止まってしまった。あわててスマホの乗り換え案内を検索してみても、ちょっと訳が分からなかった。わたしって、方向音痴だったのかなぁ。そうしているうちに何度か乗る電車を間違えたりして時間をロス。最終的には駅員さんに尋ねながら、やっとの思いで目的地へと到着した。
渋谷マークシティ本店へ初出勤の時間よりも三十分前。構内のコンビニでパンを買ってひとまず朝食として急いで食べた。おしゃれに朝食を食べる計画、失敗。遅れることは免れたけど、もっと余裕を持って来るべきだったと後悔した。っていうか、前日に下見に行けば良かったなぁ。とは言え引っ越しで忙しかったし、仕方ないよね。遅れてはいないんだし及第点、と自分に言い聞かせてまずは遠目から店内を見渡す。
どこの店舗も似たような作りの店内のはずだけれど、浜松の寂れた駅ビル内の店よりもキラキラして見える。最新のファッションに身を包んだ若い女性たちが行き交う店内。
今日からここがわたしの新しい職場。
もう店の前だから名札を着けなきゃというところで、後ろからモデルばりの美女に声をかけられたのだった。
そして彼女は、開口一番さらっとわたしに告げる。
「っていうかそれ暑くない?」
さっき後悔したロングカーディガンのこと。
偶然ですね、わたしも同じこと思ってました!
「えっ、えっと……」
頭では反応できているのに、なかなか言葉が出なくて口ごもってしまう。
「もう春なんだから軽めの服装じゃなきゃ。どうせ店の中はあったかいんだし」
イタイ所を的確に突かれてしまった。同じ店の店員として恥ずかしさの極み。
「どこの店舗から来たの? 原宿? 神保町?」
「あ、浜松です」
「……はままつ?」
不思議そうな顔をされた。
「あ、えっと、静岡です」
「しずおかぁ? 遠すぎない? 浜松町かと思った」
「その浜松町ではなく。東京の隣の隣の県なので、神奈川県の隣です」
そこまで遠くはないんです、と精一杯のアピール。
「へぇーよく分からん」
ばっさりと言い切られた。もうなんだか少し泣きそうなわたし。赤いリップだし金髪だし、こんな綺麗なギャル、地元では見たことがない。どうしよう、ものすごく怖い人かもしれない。田舎者なんて追放されるかもしれない。
「アタシ、今まで丸の内店で働いてたんだよね。なんか突然の移動で渋谷。まぁ通勤時間そんなにかわんないし全然いーんだけど、アンタはなかなか遠くから来たんだね」
「は、はい。なぜか上層部からのゴリ押しで。渋谷店、あんまり人数いないんですかね、なんかスタッフの入れ替わり激しいみたいですし」
「ま、本店で働かせてもらえるなんて、アタシら看板娘ってことじゃね」
長い金髪をさらりとかき上げて、魅力的な仕草でドヤ顔をされた。
「か、看板娘?」
それは大層な役割ですね……。
「なーんつって。アンタのこと見てたら全然違うわって思った。どー見ても、アレだな」
あ、次のセリフがなんとなく分かるぞ。言われる前に言ってやる。
「田舎者、ですか……」
「そういうこと。あははっ」
けっこう豪快に笑ってらっしゃる。
「……」
どう反応したら良いのか分からずに黙っていたら、ふいにまた髪をかき上げながら、にっこりと彼女は笑って言った。
「あー、ごめんって。悪い意味じゃないよ。アタシにはないものいっぱい持ってる。羨ましいってこと」
なになに、余計に怖いです。わたし金目のものは持っていませんっ。
「羨ましい、ですか?」
とりあえず、聞き返しておくのが無難な選択だと思う。
「そ、良い環境でのびのびと育ったことがわかる、綺麗なやつだってこと」
おっと、なんか急に褒めてきた。
「き、きれい? それはあなたのような人のことを言うのでは……」
「まぁアタシは誰がどう見ても綺麗だけど、アンタの綺麗さとは全く違う。こんなゴテゴテした東京じゃアタシみたいなのは数えきれないほどいるけど、アンタみたいに綺麗なやつは滅多にいないよ」
「は、はぁ。綺麗なんて言われたことないです」
不覚にも少し嬉しい。綺麗なんて、なかなか言われるような言葉じゃないし。
「ま、見た目だけで判断するなら、アタシの隣にいたらかすんで見えないだろうけど」
ですよね!
「うっ……その通り、です」
なんだか褒められてるんだかけなされてるんだか全くわからない状況だけれど、彼女は非常に楽しそうにわたしと喋っている。
一緒に居て嫌な気はしなかった。
わたしとは真逆のタイプで、不思議と憎めない彼女のペースにみるみる巻き込まれていった。
「ってか、アンタ何才?」
「今は十九、今年でハタチになるところです」
「なぁんだ、タメじゃん。幼く見えるから年下かと思った」
「えっ、同い年? 大人っぽすぎます」
普通に驚いてしまう。こんなにも大人っぽい十九歳。正直二十三歳くらいかと思った。たぶん、はっきりした化粧のせいなんだろうけど。
「いやいや、敬語とかやめてよ。気楽にしゃべって。アタシ佐伯双葉。てきとーに好きなように呼んでよ」
「あ、わたし、近衛ゆづき。えーっと、じゃあ、双葉って呼ぶね」
いきなり呼び捨てでもいいのかな、ちょっとドキドキしてしまう。
「ふつーだな。まぁいいけど。このえってどんな字?」
「遠い近いの近いに、人工衛星の衛」
「うんー? むずかしくない?」
「確かにちょっとむずかしいかも」
うん、わたしも正直自分の苗字が苦手。衛って複雑な漢字だよね。
「ま、いいや。じゃあゆづきって呼ぶね。かわいー名前だな」
「そ、そうかな」
「ていうか、ゆづきってさー、見た目可愛い系なのに意外にハスキーボイスだよね。ウケるー」
う、自分でも気にしていることをこれまたさらっと言ってのける。ウケるーって、わたしはウケないよ。
そんなわたしの表情を読み取った彼女がにんまりと笑顔に。なんとも満足そうなサディスティックなほほ笑みだ。大きな瞳で腕時計を見やるサディスティックな彼女は少し慌てた表情で言う。
「もう時間ギリギリじゃん。とりま店入ろ。あとでライン教えて」
「う、うん。行こう」
二人揃って店内へ、ちょっぴり早足。
重たそうな高いピンヒールで姿勢良くわたしの前を行く、佐伯双葉。わたしの、東京ではじめての仕事仲間。
その姿は、なんだか、とってもまぶしかった。
わたしが双葉の後ろ姿に見とれながら歩いていると、店まで数メートル手前というところで、店頭にいたスタッフがわたしたちに気付き、笑顔で小さく手を振ってくれた。到着すると、明るく迎え入れてくれてなんだかホッとする。
「はじめまして。お疲れ様ですぅ。佐伯さんと、近衛さんよね」
店頭にいたスタッフが甘ったるい声で話しかけてくれた。
「そうです。佐伯双葉です」
「は、はじめまして。近衛ゆづきです」
双葉はハキハキと挨拶をしたけれど、わたしは緊張でぎこちなくなってしまった。
「私、渋谷店店長の一ノ瀬麗香ですぅ。篠ヶ瀬部長から二人は接客の超達人ってきいてて、すっごく楽しみだったんだぁ」
えっと……、独特の空気のあるほんわかした店長、だと思った。
っていうか、接客の超達人って何! そんなのきいてないし、言われたこともないよ。過大評価したの誰だよと、心の中でひっそりつっこむ。
一ノ瀬店長は左手を頬の横に当て、所謂ぶりっこポーズでニコニコしている。甘ったるいしゃべり方と、つけすぎかなと思うくらいの香水の香り。ローズ系。
「佐伯さんは、前に丸の内店のヘルプでちょこっとだけ会ったことあるわよね?」
「そうですね。とは言っても忙しくて一瞬挨拶した程度でしたよね」
え、二人は顔見知りなんだ。浜松店のそばには他に同じ店がなかったから不思議な感じ。
都内同士の店舗って結構繋がりがあるんだなぁ、と少しうらやましく思う。
「そうそう、あのときは忙しかったわよねぇ。っていうか二人は今年ハタチだっけ? やだぁ、超若いー。あ、私の年齢は、ひみつだけどぉ」
にこにこと笑顔で話す一ノ瀬店長。正直な所、どう見ても肌と露出した脚に年齢が出ている。
十代、二十代の女性がメインの客層とは言え、お客さん全員が若いわけではないから、接客業をしていると自然に人の年齢はだいたい見てわかる。たぶん、きっと一ノ瀬店長は三十代後半は軽く超えているだろう。
左手の薬指には何もないことから察するに、未婚。
がっつり引いたアイライン、最近見かけることの少なくなったつけまつげに、ハーフ顔を目指したカラコン。パッと見可愛らしい顔立ちだけれど、派手に巻いた茶色の髪は、よく見ると毛先がパサパサ。エステや化粧で誤魔化してきたであろう肌は無駄に輝いている。けれど、十代のわたしたちと比べると違和感でしかない。
胸元が大きく開いた黒のざっくりニットに、ピンクと黒のゼブラ柄のミニスカート。年齢のわりには若すぎる格好をしているから、一見この店にも自然と馴染んでいるように見える。でも、この店の者からすると、もっと落ち着いたデザインの服もあるのに、なぜここまで若作りするのだろうという印象だ。
そして一言でまとめるなら、性格わるそう。
まぁ、勝手に決めつけるのはよくない。これから一緒に過ごしていく間に良いところをたくさん発見していくだろう。
わたしがひとしきり店長について考えている間にも会話が進んでいく。
「店長綺麗なんですから、年齢ひみつとかずるいですよ」
人のよさそうな柔らかい口調で双葉はさらりと返している。口元はにっこりしているが、よく見ると目は笑っていない。双葉もやっぱりわたしと同じことを思っているのかもしれない。
「もぉ、佐伯さんったら。おだてても何も出ないわよ、ふふっ。ココじゃ目立っちゃうから、裏に行きましょうか」
「そうですね」
「……は、はい」
ぼーっとしていて、つい遅れてしまう返事。双葉みたいにしっかりしなきゃと自分にカツを入れる。
一ノ瀬店長は踵を返して店内の奥へと進む。ふわりと漂う強い香水のにおいに、わたしと双葉はひっそりと眉をしかめた。
「ちょっと裏でお話してくるから、佐倉さんお店よろしくねぇ。たぁーくさん、売るんだよぉ?」
甘い口調で念を押すかのように、店長がにこやかに告げる。
「が、がんばりま、す」
佐倉と呼ばれた清楚で可愛らしい面立ちの、少し気弱そうな若いスタッフが一生懸命乱れた服をたたんでいた。名札をチラリと見ると、アルバイトと書いてある。アルバイトのスタッフなんだ。じゃあ学生さんかな、年も近そう。浜松店は規模が小さくて、スタッフも四人しかいないため全員が正社員だったけれど、ここは本店。学生のアルバイトがいてもおかしくはない。今まで正社員としか接したことがないから、同い年くらいでもアルバイトの人とはどのくらいの距離感で接したらいいんだろうと考えながら店のバックヤードに入る。
「ほこりっぽいとこでごめんねぇ。そこの椅子にすわってね」
さっきの店内とはちょっと空気が違う。バックヤード特有のほこりっぽさと、入れ替わらない空気のせいかどんよりとした空間。どこの店舗も同じようなものだ。でもさすが渋谷本店、バックヤードには段ボールや服ばかりでなく椅子やテーブル、ノートパソコン、スタッフの荷物置きの棚、よく見るとポットや電子レンジが完備されている。あ、小さい冷蔵庫発見。……ここで暮らせそう。
「いえいえ、丸の内もバックはかなりほこりっぽくて段ボールだらけでしたよ」
「浜松店なんか店が小さすぎて、バックは一畳半くらいでした」
お互いに前の店舗と渋谷店を比べてそれぞれに感想を述べていたのだけれど、双葉がわたしの話のあとに小さく笑い出した。
「え、ゆづきそれ狭すぎウケる」
「そ、そう? 浜松は一人がなんとか作業が出来るスペースに、あとは全部服の山だったよ。こんなに広いバックヤードだったら、何でもできるね。トランプとかウノとか」
「ゆづき何言ってんのーやだー、超楽しそう」
「やだとか言って楽しそうとか……どっちなのよ」
わたしたちのやりとりを見て、店長が不思議そうな表情できいてきた。
「あれれー、佐伯さんと近衛さんってお友達だったのぉ?」
『あ、いえ。さっき初めて会いました』
なぜかハモる。
いきなりはしゃぎすぎたかもと少し反省。オドオドしているわたしとは反対に双葉は堂々としていた。
「なんかこの子、めっちゃ面白くてすぐに親友になれるなって思ったんです」
双葉はさらっとすごいことを言ってのけた。出会って一時間も経っていないのに親友だなんて。いや、だからと言ってわたしは双葉と親友になりたくないわけじゃないんだけど、なんていうか……嬉しくて、ちょっと照れる、かな。
「すごぉい。最近の若い子ってば、すぐに仲良しさんになれちゃうのね。ここはみぃんな仲が良いから、 新しいメンバーになっても、きっと本店の名に相応しい素敵なお店になれると思うの」
やんわりとした笑顔でわたしたちに言った。
店長ってば、しゃべり方が少しイヤミっぽいだけで、本当は良い人なのかも知れないと思った。さっきまで性格わるそうとか勝手に思ってごめんなさい。心の中で反省。
「さてと、じゃあまずは店舗移動の書類もろもろ名前と印鑑押してもらって……はい、これね。何枚かあるから二人とも終わったら教えてね」
「はい」
「わかりました」
差し出された書類とボールペン、そしてカバンから印鑑を取り出す。
小さいテーブルのため、椅子から少し前に身を屈めて双葉と肩を寄せ合って記入した。
あれ、双葉、香水をつけていそうな見た目なのに全くにおいがしない。ほのかなシャンプーの良いにおいがわたしの鼻をくすぐるだけ。
ちなみにわたしも今日は香水をつけていない。使いかけの香水だったから実家に置いてきちゃった。東京でオシャレでトレンディな香水を買おうと計画してたから。っていうかわたし、駅を歩き回ってけっこう汗かいたし、双葉にくさいって思われていないか心配になってきた。
「ねぇ、ゆづき、字下手すぎない?」
急に双葉が話しかけてきて思わずドキっとしてしまう。唐突に字下手って、いきなりにも程があるけど確かにその通り、わたしは字が下手というか雑だ。
「あー、よく言われる……」
「見よ、アタシの硬筆検定二級の字を」
リップと同じく真っ赤なネイルが施された綺麗な指が示すその先には、びっくりするほど整った字で双葉の名前が並んでいる。
「うわ、すっごくキレイ、教科書のお手本の字」
「でしょでしょ。ゆづきは、男子の字検定で言うところの、中学生男子にしてはわりとキレイめ級ってかんじ?」
「な、なにそれー、男子レベルってこと?」
「そういうこと」
ドヤ顔を見せる双葉さん。
「別にここで働く分にはキレイな字が必要なわけじゃないもん。接客業だし」
一応反論しておく。
わたしが拗ねたことにはお構いなしに、双葉は店長へ声を掛けた。
「はーい店長、アタシ終わりました」
なんという抜け駆け。
「あ、ずるい。待ってくださいわたしもすぐ終わりますから」
「そうやって急いで書くと男子の字検定、小学生男子級になっちゃうよー」
「いいの、気持ちがこもっていれば! はい、店長わたしも書けました」
双葉におちょくられながらなんとか書き終える。
「お疲れ様。二人とも、本当に初対面とは思えないくらい仲良しねぇ」
わたしたちのやりとりを微笑ましく見ていた店長が立ち上がり、書類を回収したあとに薄い冊子をそれぞれに手渡してきた。
「わたしもびっくりです。双葉が初対面にも関わらず何でもつっこんでくるんです」
「ゆづきがちゃんとアタシのツッコミにのってくれるからだよ。だから成り立つの。良いヤツだな」
「良いヤツって……」
「ふふっ、なんだか面白いコンビになりそうね。さて、今二人に渡した冊子にはこの館の基本的なルールが記載されているから、各自休憩時間やおうちでしっかり目を通しておいてね。館内マップもよく見て、どこに何のお店があるのか把握しておくこと。お客様に場所を尋ねられたときに困らないようにね。ここは本当にいろんな人が行き交うところだから、しっかり案内してあげられるように。休憩時間とかにでも館内を歩いてみると良いかも」
館内マップを見ると、浜松の駅ビルとは比べものにならないテナント数、迷路みたいな構造。マップを見てるだけでも迷子になりそう。
でも、ここにいるわたしたちがしっかり覚えなきゃ。わたしがこれだけてんやわんやになるんだから、観光で来ている人たちはもっと困ってしまうだろう。
えーっと、まずはこの店から最寄りのお手洗いと、エレベーター、総合案内所を把握して、と。
「佐伯さんはきっともう慣れっこよね? 都内育ちってきいてたけど」
「はい。渋谷とか小学生の頃からよく遊びに来てたんで。でも高校のときは別のとこで遊んでばっかで、渋谷はわりと久しぶりです。だから入れ替わって知らないテナントばっかですね。しっかり覚えないと」
ひえ、都内育ちは言うことの次元がおかしい。
「小学生で渋谷、双葉って不良?」
とりあえず、田舎者からするとそう思っちゃうわけ。
「都内に住んでりゃ渋谷くらい庭みたいなもんだろ」
「私もずっと東京育ちだから、佐伯さんの言うことわかるわぁ」
左手を頬に添えながら、店長も双葉の意見に頷いている。
「店長もですか……。やっぱり、空気が違いますね」
「だなぁ、ゆづきはまだ田舎者感バリバリ」
少ししょんぼりしたところに双葉さんの追い打ち。
「や、やっぱり」
「大丈夫よ、うちのお洋服でばっちりオシャレして、キメキメでいればすぐに都会の女よ」
優しく店長がフォローしてくれた。とてもありがたい。
「ありがとうございます。って、あれ、今わたし店の服着てるのに田舎感……」
気付きたくなかった現実。
「ゆづきちょっと組み合わせおかしいんだよ。さっきも言ったけどまずそのロングカーディガン」
ビシッと指をさされた。暗い空間でも、赤くつやつやと双葉のネイルが光っている。
「そうなのよねぇ。前シーズン、うちでたくさん売れたんだけど、もうここでは着てる人はいないと思うわよぉ」
ちょっと困り顔で店長にも言われてしまった。
「ここは最新のファッションの発信地なんだから。アパレルに居る限り覚悟しな、ゆづき」
わ、都会こわい。ですよね!
「……あとでシャレオツトレンディでファッショナブルコーデ考えます」
一応、雑誌を見て研究してるはずなんだけどなぁ。
「ちょっと何その言い方。ウケるんですけど。ゆづき面白すぎるわ」
「本当、近衛さん面白いわねぇ」
双葉が大げさに、店長がにこやかに笑っている。その姿を見て、なんだか少しほっこりした。まだ出会って一時間も経たないうちに、こんなにも打ち解けてしゃべることが出来る良い人たちに恵まれたなと実感する。
「じゃあ店の方に、先月入ってきたばっかりのアルバイトの子がいるから挨拶しに行きましょうか」
店長の提案で、さっきの清楚系アルバイトさんに挨拶をするためにバックヤードを出る。
きらびやかな店内。照明の眩しさに一瞬目を細めてしまう。アンティーク調の店内、可愛らしい小さな シャンデリア風の照明。見栄えも良く、おしゃれだけど手に取りやすいよう陳列された商品たち。浜松店よりも豪華で、年齢なんか気にせず足を運べるデザインの内装は本当におしゃれ。今までと雰囲気の違う店で働くことにわくわくしてきたところで。
「今日はさっきの子以外スタッフはいないんですか?」
ずっと疑問だったことを店長にきいてみた。
「そうなのよねぇ。うち、なぜか人の出入りが激しくって、すぐいなくなっちゃうの」
さらりと。
「い、いなくなっちゃう……? 浜松店はわたしが入るまで二年間スタッフが変わらなかったみたいですけど」
いなくなるって言い方、なんかひっかかるなぁ。気のせいかな、ものの例えってことかな。
「へぇえ、それはすごいわねぇ。うちだと長く続いても一年くらいかしら。最近、長く働いてた子が急に子どもができたからって辞めちゃったの。で、三月までの約束のアルバイトの子が二人辞めちゃって、他にもアルバイトの子が三人いたんだけどみぃんな来なくなっちゃったのよねぇ……」
にこやかにさらっとすごいことを言ってのける店長。三人もアルバイトが急に来なくなってしまうなんて、一体何事なんだろう。っていうか都会のアルバイト事情って大体こんな感じなのだろうか。みんな好き勝手に辞めていくもの?
ちょっとびっくりしすぎて頭が回らないわたしを差し置いて、双葉が一番気になっている所をきいてくれた。
「今、もしかして店長とそのアルバイトの子、二人だけですか?」
そう、それが気になったところ。ナイス双葉。
「そうなのよ。私と佐倉さん二人で回してて……とは言ってもまだ一週間経たないくらいで、ちょうどあなたたちが移動で来てくれて助かったわぁ。それに、月末から新しいアルバイトの子が入る予定なの」
そうすると、今月末には店長と双葉とわたしで社員が三人、アルバイトが二人とまぁギリギリ回せるくらいのスタッフ人数になるわけだ。少し安心した。
それにしても二人で店を回していたなんてすごすぎる。っていうかブラックだ。余裕で労働基準法に反している……。
「佐倉さぁん。ちょっとこっち来て」
甘ったるい店長の声と香水のにおい。
名前を呼ばれた佐倉さんが急ぎ足でこちらへやって来た。
「今ちょうどお客様がいないときだから手早く済ませちゃいましょうねぇ。これから一緒に働くことになるから、三人とも自己紹介してね」
店長の目線が佐倉さんに送られたので、先に佐倉さんが、ちょっぴりオドオドしながら自己紹介をしてくれる。
「あの、はじめまして。佐倉夕凪です。バイトで、働いてまだ一ヶ月経たないくらいです。えっと、高校卒業したばっかで、これから美容の専門学校に通います。今は春休みなのでだいたいフルで働いてましゅ、ます」
そして最後の方で呂律が回らず盛大にかんで、なんとか取り繕った姿が非常に可愛かった。わたしたちとは一才年下の、可愛らしい後輩だ。黒髪でゆるふわに結んだ三つ編みが清楚な印象。ぱっちりしたおめめに控えめな化粧と控えめなカラコン、グロスだけ塗ったくちびるは綺麗なピンク色。店のシンプルな白ワンピを清楚に可愛らしく着こなしている。背は低く、まるで小動物みたいな子だ。一才しか年齢は違わないのに、自分が老けているなと実感させられる。
そもそもわたしとは肌の輝きが違う。色白で、ファンデーションなんかいらないんじゃないかっていうくらいに艶のある肌。わたしも一年前は同じだったような気がするんだけどなぁ……。
「ゆうなぎって名前変わってんねー、可愛い! アタシ、佐伯双葉。丸の内店からの移動。高校中退してずっと働いてるから、この道三年ちょいくらい。よろしくね、ゆーちゃん」
可愛くて見とれていたら双葉に自己紹介先越された。っていうか双葉さん、さらりと重要なこと言ったよね? 高校中退してから働いてるって、何気にわたしより先輩じゃんか。先に言ってよ!
しかもゆーちゃんってあだ名はわたしも考えてたのに。
「名前、けっこうコンプレックスで、そうやってあだ名で呼んでもらえると嬉しいでしゅ、です……」
再び噛んで焦ったのか、頬を赤く染めてワンピースの裾をぎゅっとする仕草がそれはもう最高に可愛かった。
「な、何このいちいち可愛い子! アタシ大好き。ゆづきも早く自己紹介して静岡弁で」
いきなり無茶ぶりかい。
「静岡弁じゃないよ。遠州弁っていうんだけどなぁ。でも田舎者がバレるから言わないよ。えーっと、近衛ゆづきです。静岡県の端っこの浜松店で一年働いてました。双葉とは今日が初対面だけど雑な扱いされてます。ゆーちゃん、よろしくね」
「はい。近衛さん、佐伯さん、よろしくお願いします」
にっこりと控えめな笑顔を見せてくれた。
「ふふっ、若い子に囲まれて、私もなんだか若返っちゃいそう。みんな、これからよろしくねぇ」
若い子たちに負けじと店長も笑顔でのってくる。
綺麗な双葉と可愛いゆーちゃん、優しい店長と田舎者のわたし。ちょっとわたしだけ場違いな気もするけど、今日からここが新しい職場。良い人たちに恵まれて、出だしから好調。これから楽しくなりそう。
「さて、と。私そろそろ休憩に行ってくるわね。店のことは佐倉さんから教えてもらってねぇ」
小さく手を振って、香水のにおいを振りまきながら店長はバックヤードへ行ってしまった。
その横で、少し目を細めて小さくため息を吐くゆーちゃんの姿が目に入る。なんだか、顔色がわるい気がする。
「ゆーちゃん、具合わるいの?」
「あ、いや、なんでもないです。き、緊張しちゃって」
両手で小さくガッツポーズをしてみせ、なんでもないですとにこにこしていた。
ただの気のせいだったみたいで、逆に変に驚かせてしまって申し訳ないと反省。
「そうだよね、双葉みたいなギャルを目の前にしたら緊張だよね」
「なんだよ。ゆづきだって、アタシが声かけたとき、思いっきりきょどってたじゃんか」
「まぁね。都会のギャルこわすぎてめっちゃビビったわ。軽く漏らすかと」
「正直かよ」
わたしたちの不毛なやりとりが面白かったのか、緊張が解けた様子のゆーちゃんが花のつぼみみたいに可愛い小さな笑顔を見せてくれた。
「ぐはっ、ゆーちゃん可愛すぎてやばい。アタシの妹にしたい」
「いや、わたしの妹だから。金髪ギャルの双葉さんより清楚なわたしの方がゆーちゃんの姉に相応しいと思うの」
「自分で清楚とか言うなっつーの」
「ところでゆーちゃん、渋谷店ってタブレットレジなんだね? ハイテクすぎっ。わたし、前のとことレジ違うから教えてくれないかな」
このまま双葉と延々言い争っていられそうだったので、あえて話しを逸らす。おしゃべりばっかりだと店長に注意されちゃいそうだし。早くここの店にも慣れなきゃね。
「はい。えーっと、とりあえずこのトップスを使ってみますね。ちょっと見ててくだふぁい」
ゆーちゃんは商品のタグを探し、コードレスのハンディ端末でバーコードを読み取る。そして、器用に画面をタップしていく。
「読み取ったあと、ココをタッチして画面を切り替えて、客層を選びます。自分のスタッフコードをスキャンして会計者を入れて、最後に金額を確かめて、現金とかクレジットとかを選んで、現金の場合は預かり金額を入力して、会計をタッチすれば終わりでしゅ、です。わかりにくかったところないですか?」
的確なゆーちゃんのご指導のお陰で、一回でだいたい把握出来た。根本は普通のレジと同じだもんね。あとは実践あるのみだ。それよりも。
「うん、大丈夫っぽい。やり方自体は簡単だけど、今までのレジはボタン操作が多かったから、タブレットレジだと全然感じが変わって難しいなぁ」
さすが東京、レジからして浜松店と差があってなかなかのカルチャーショックを受けてしまう。あれだよね、ガラケーからスマホに変えたときの感覚に似てる。少し慌てているわたしに、双葉さんの意見が入る。
「アタシのとこは先月からタブレットに変わったけど、今じゃスマホに慣れてるから普通に覚えやすくない?」
そうですか、順応性バッチリだね双葉さんは。
「そうかなぁ。レジだと的確にボタンを押したって感触があるけど、タッチじゃ不安っていうか……。まぁ慣れだよね、スマホには慣れてるわけだし」
「あの、何か困ったらどんどんきいてくだしゃ、くださいね。と言っても、まだ一ヶ月くらいしか働いてない身ですけど」
控えめにフォローしてくれるゆーちゃん。滑舌わるいのかなぁ、ちょいちょい呂律が回ってなくて言い直す所がかなり可愛い。とても可愛い。
「ねぇ、ゆーちゃんって、なんでここのバイト選んだの?」
棚の服を手際よくたたみながら、双葉がきく。
「……いろんな洋服を着るのが好きだったので、よくこのお店に通ってたんです。ガーリーな服もカジュアルな服も、派手なのもあって何でも揃いますよね。それから、店長さんがとても親身になってお話しきいてくれて。中学生の頃、友達がいなくて寂しいんだって相談したらアドバイスしてくれて、勇気たくさんもらったんです。それだけじゃなくて、もっとたくさんあるんですけど、長くなっちゃうので。……ここはとっても好きな、良い思い出で溢れてる場所なんです」
本当にここが好きなんだなって、伝わってくる言い方。思わずほっこり。
「やばいそれ、ちょーいい話しすぎるんだけどっ。それって一ノ瀬店長?」
双葉は興奮気味に言うけれど、チラリとゆーちゃんの方を見ると、その表情は少し曇っていた。そして謎の沈黙。
あれ、急に何だろう、何この空気。
不思議に思っていると、一瞬うつむいてから、意を決するように言う。この場にいるわたしたちにしかきこえないくらいの小さな声で。
「……ちがうんです。私の好きだった店長は、大分前に辞めちゃっ、辞めさせられたんです」
今のは、呂律が回らなくて言い直したんじゃない。わざと言い直したのだ。静かに、何かを待つようにゆっくりとわたしたちの方を見つめている。
「へぇ、そんな良い店長でも辞めさせられるなんて、何かあったのかなー。不倫?」
空気を読まない双葉さん。何で不倫に結び付くんだよ! っていうツッコミは後回しにしてと。
双葉はあまり真剣に捉えていないけれど、なんだかきな臭い感じになってきたとわたしは直感した。だって、辞めさせられるとか、滅多にないでしょ。ゆーちゃんの話からすると前の店長かなり優しい人っぽいし、服を売りながら中学生のプライベートな相談にのるなんて、そうそう出来るものじゃないと思う。そんな心まで優しい店長が、辞めさせられたってのは、なんだか引っかかる。ただ辞めたってだけなら寿退社とかかなってうなずけるけど、ゆーちゃんが言い直したということは、本当に辞めさせられたってことだ。ゆーちゃんが目で何かを訴えようとしているのが伝わってきた。みんなとも仲良くなりたいし、せっかくだからちょっと提案してみよう。
「なんかその話し気になるなぁ。ねぇ、仕事終わったらお話しききたいなっ。わたし、今日は最後の二十一時までのシフトなんだけど、二人は? まぁ双葉はわたしと同じで最後までだから強制ね」
目の前で双葉がグッドサインを出した。オッケーということね。ゆーちゃんも双葉の真似をして、控えめなグッドサインを出す。
「私も今日最後までです。二人だけでずっとやってたんでフルで働くのは今日までなんです」
「うわ、ブラックシフト……。ゆーちゃん、遅くまで働いた後で大丈夫?」
「はい。二人が入ってくれたおかげで明日はお休みなので、大丈夫ですよ」
小さく微笑んで了承してくれた。
「ありがとう。よし、決まりね。双葉、その時間でもやってるお店紹介してよ」
言い出したわりにこの辺のお店事情は全くわからない近衛です、どうも。
「なんか急にはりきってんねー。ここのスタバなら二十三時までだからちょうどいいっしょ」
二人の了承を得て本日の夜、渋谷マークシティ内のスタバで会議を開くことになった。
タブレットレジの扱い方や商品のストックの場所、ありとあらゆることを教えてもらいながら時間を過ごすうちに、すっかり二人と打ち解けていった。東京に知り合いのいないわたしとしては、この職場での出会いが一番重要なトコロ。最初から優しく接してもらえて、とてもありがたい。双葉とゆーちゃんに心の中で感謝。
そして、あっという間に時間が経ち、店長が休憩から戻ってきたみたい。
「はぁー、休憩終わりぃ。今から戻りまぁす」
けだるげに重たそうなヒールを鳴らしている。店長が歩くたびに辺りに舞う香水のにおい。まだ慣れないせいか、鼻がむずむずする。
「あれぇ、この二時間、売上ゼロ? 佐倉さん、さっきたぁくさん売ってねって、言ったじゃなーい」
タブレットレジをさらっと操作して時間帯売上を確認してから、眉をおおげさに下げて、店長が甘ったるい声でゆーちゃんに言う。
「しゅ、すみません……」
しょんぼりとうつむいてしまったゆーちゃんをかばうかのように、にこやかに双葉がフォローに入る。
「今日、案外人少ないですよねー。新学期とか始まったばっかの時期ですし、学生があんまりいないですね。若者が多い渋谷だと、それが顕著に出ますね」
堂々とした態度だった。でも、とても説得力のあるセリフ。それに納得したのか、とたんに店長はやんわりとした表情になった。
「あー、確かにそんな時期よねぇ。私、学生時代とか大分前だからうっかりしてたわぁ。佐倉さんのせいじゃないのに、ごめんなさいねぇ」
極端な人だなぁ。
「あ……、いえ。私がいけないんです。すみましぇ、すみません……」
わざとらしく、手を小さく合わせて、悪気なんてまったくないのと言わんばかりの態度で謝る店長に対して、ゆーちゃんはとても居づらそうな表情で目線を下げてまた謝っている。別にゆーちゃんだけが悪いわけじゃないのに、なんだか異様な空間だった。
しかし、そんな空気に動じないのが双葉さんです。
「渋谷店だと平日は夕方以降が勝負ですよね。それこそ学生も放課後にはこぞって渋谷に遊びに来ますし、仕事帰りのOLもやって来ますね。アタシもゆづきも初出勤なんで、バリバリ頑張りますよ」
何この機転の利く子。ハキハキと話を進めてしまう。さすがわたしより先輩。さっき判明した先輩という事実ね。あとで詳しくきいてやるんだから。
一ノ瀬店長も納得したようで、にこやかになり、再び全く悪気のなさそうな顔でゆーちゃんに謝った。
「それもそうね。佐倉さんごめんなさいね。ふふっ、それにしても、佐伯さんって篠ヶ瀬部長が言ってた通りすごいのね。頼りにしてるわぁ。あ、もちろん、近衛さんもね」
「はい、わたしも頑張ります」
双葉が盛り上げてくれたこの場、崩すわけにはいかないのでわたしも気合いを入れた表情で答える。
そして、双葉の言った通り夕方以降にたくさん来客があり、そこそこ忙しくそこそこの売上でわたしたちの初出勤が終了した。店長は満足そうにしていた。
「私、このあと合コンがあってぇ、ちょっと急ぎ足なの。お先に失礼するわね。閉店作業は佐倉さん、二人に教えながらよろしくねぇ」
そう言いながら、閉店時刻の二十一時ぴったりに素早くタイムカードを押し、きつい香水のにおいを振りまきながら店長は帰ってしまった。
自由な人だなぁ。っていうか合コンって。やっぱり未婚だったのね。
そういえば今日、金曜日か。花金ってやつだ。
「なんだあれ」
おっと、双葉さん本音が出てますよ。あと、目が死んでる。
「あ、こういうの、今日だけじゃないですよ。今回は合コンって、理由があるだけマシでしゅ、です」
ちょっと苦しそうに笑いながら、ゆーちゃんが閉店作業をし始めた。
「なんか……ずっと考えてたけど、この店、訳ありって感じだね」
思わずそう呟いてしまう。
閉店後にレジ金を数えるのはどの店でも共通の作業のため、硬貨を数えながらゆーちゃんの閉店作業の様子を目で見て覚えていく。
「ふわ、しゅみません、ちゃんと教えなきゃなのにいつもの癖で普通に作業してましたっ」
わたしの様子を見て、慌てて謝るゆーちゃん。わたしより先に双葉さんが答えた。
「大丈夫だよ。だいたいどの店もこの作業は同じだし。ゆづきはタブレットレジは初めてだからそれだけ簡単に教えてやって。見た感じアタシはこの作業は問題なさそうだから、店内の清掃やっとくね」
「佐伯さん……ありがとうございます」
「ありがとう、双葉」
まだまだ慣れる気配のないタブレットレジにあたふたしつつも無事に閉店作業が終了し、三人とも同じタイミングで荷物を持って店を後にする。
「ゆーちゃん、ゆづきお疲れ様」
「あ、おちかれさまです」
「ゆーちゃん……おちかれって。面白すぎ」
店のシャッターの鍵は警備室に返却しなくてはならないらしい。ゆーちゃんに案内してもらいつつ、談笑しながら、向かうは三階にあるスタバ。
迷路みたいな構造の渋谷マークシティ館内を無駄にきょろきょろしながら双葉とゆーちゃんについていく。
「ねぇ、浜松だっけ? そこはスタバあるの?」
「当たり前でしょっ。けっこうあるよ、駅とかショッピングモールの中とか」
ちょっと小馬鹿にしたように双葉がきいてくるので、こっちもムキになって答える。
「言っとくけど、そんなに田舎田舎してるわけじゃないんだからね」
「はいはい。ついたついた、何飲む?」
軽くあしらわれながら、店内へと双葉が誘導する。
「私は、抹茶のやつがしゅきなんです」
「あー、アタシもそれしゅきだわ」
「じゃ、じゃあわたしも抹茶しゅきだから同じにする。クリーム多めで」
二人してゆーちゃんの真似をしてわざと活舌悪く言ってみたり。真似されてちょっとほっぺが赤くなったゆーちゃんが絶妙に可愛い。
「オッケー。今日は双葉さんのおごりな。二人とも先座っててよ」
さぁ、席に座っていなさいと言わんばかりに、わたしとゆーちゃんの肩をポンポンする双葉。
「え、いいよ、誘ったのわたしだし、わたしがおごるつもりだったんだから」
「はいはい、アタシの方がゆづきよりキャリア上なんだから先輩。先輩の言うことは素直に聞くべし。はい行った行った、二名様ご来店でーす」
双葉の勢いに負けて、わたしとゆーちゃんは一番隅っこの四人掛けテーブルについた。
「えへへ、佐伯さんも近衛さんも優しくて、これから働くのが楽しくなりそうです」
小さなクラッチバッグを膝に乗せながらにこやかに微笑んでくれるゆーちゃんに心底胸きゅんした。
「はい、お待たせー。三人前、みんなクリーム多めな」
フラペチーノだけでなく、小さいスコーンも三人分ある。双葉、なんて優しい子なんだろう。
「ありがとう、双葉。次はわたしが絶対ごちそうするから」
「スタバのスコーンしゅきです。ありがとうございます」
「どういたしましー。見てコレ、桜の絵が描いてあるよ」
スタバのスタッフは、カップにときどき簡単な絵を描いたりしてお客さんをほっこりさせてくれる。今回は季節にちなんだ桜の絵だ。
「ほんとだ。かわいー。写真撮ってインスタにのっけよ」
「いるよねースタバで買ったものいちいちSNSにのっけるヤツ」
一人で勝手にはしゃぐわたしを横目に、それぞれに手渡ししてから双葉が席についた。
わたしとゆーちゃんは双葉にいただきますをして。
ちょっと落ち着いた所でずっと気になっていたことを切り出してみた。
「ねぇ、一ノ瀬店長、ちょっとおかしくない?」
一瞬の沈黙。
「あぁ、年齢のわりに若作りしすぎだよな」
双葉がキリリ顔で答えてくれるけれど、いや、そういう意味じゃなくって。
「前に店長がお店に来たお友達としゃべってるのがきこえたんですけど、次の誕生日で四十一才になるらしいですよ」
「うっわ、ゆーちゃんそれマジか。えぐっ、店長の年齢えぐいわ。エステとか行きまくりのやたら綺麗な肌してるから三十後半くらいだと思ってたけど、四十代だったとはね」
双葉がゆーちゃんの話しにグイグイのっかる。
「ですよね。たまにバブル時代の話してくるんで、薄々気付いてはいたんですけど。最初は衝撃的でした」
「まぁ言われてみれば足とかに年齢出てるよな。がっつりヒールだから、足の甲に浮き出る血管の感じとか。あと、四十代でハーフ顔メイクやばいわ」
「最近あんまり見かけなくなったつけまが気になりましゅ」
「つけま! 懐かしすぎ。アタシ中学のときはよくつけましてたけど、今はもう、まつエクじゃないと無理だわ」
「私もです」
「ってか今日合コンとかマジかよって感じ。四十路で」
わたしの入る隙が無くじゃんじゃん出てくる店長の愚痴。確かにわたしも同じ事思ってましたけど、そっちの話じゃなくって!
このまま本題が切り出せなくなる前に。
「店長の若作りの件は同感だけど、そういう意味じゃなくてね、えーっと、絶対店長のせいで今までの人辞めてる気がするんだけど」
これが言いたかったのよね。どうよ、わたしの名推理は。
「そうでしゅ、です」
「知ってたよ」
当然とばかりに、平然とした顔で言ってのける二人。え、何、知ってたの?
「店長、すぐにスタッフのこといじめるんです」
「今の標的はゆーちゃんってとこだね」
「ですよね。わかりやすすぎましゅ。っていうか私しかいなかったですしね」
自虐気味に笑うゆーちゃん。わたしは素直に驚く。
「え、ちょ、双葉は渋谷店がこういうトコだって知ってたの?」
「そりゃ。都内の店舗同士は近いから、噂でね」
手をひらひらさせて受け流す双葉さん。
「双葉、いじめられるかもしれないこと覚悟で渋谷店への移動オッケーしたの?」
わたしは全く知らなかったのにっ。
「え、アタシいじめられたことないし。人生の中でいじめられるアタシとかありえないから」
赤いマニキュアで輝く人差し指をビシっとわたしに向けて言う。
ああ、双葉さんいじめる人とか絶対いないわ。後が怖そうだもん。
「ゆーちゃんは、辞めようと思わないの?」
いじめられてるって自覚があるんなら、なおさら居づらいんじゃないだろうか。
「あ、私ぜんぜんへーきです」
本当に平気と言わんばかりに目が輝いている。一体、どういうことなのーっ?
「私、前の店長のカタキをとるんです。そのためだったら、今いじめられることくらい何とも思わないです」
「ひゅー、何それゆーちゃん。やるねぇ」
双葉が不適な笑みを浮かべる。
「え、本当に平気なの? カタキって、どうするの?」
「えーっと、具体的には考えてないです。でも、ここで頑張って働いていたら、何か掴めるじゃないかなって思うんです」
「よーっし、その話この双葉様が乗った!」
フラペチーノをドンと置いて双葉が右手でガッツポーズをした。このノリじゃわたしも同じくガッツポーズをしてみせるしかない。
「も、もちろんわたしもお手伝いする! ……けど」
「けど、何よ」
「上の人に相談したらどうかな。店のことだし、真剣に取り合ってくれるんじゃないの?」
どう、普通に名案じゃない? 誰でも考えつくような結構簡単なことだと思うんだけど、双葉とゆーちゃんはちょっとイマイチ、と言うような顔をしている。な、なんで。
「ゆづき、それは一筋縄ではいかない気がする」
「そうでしゅね、だって……」
「だって?」
「一ノ瀬店長はこのブランドのトップ、社長の娘だからな」
「えっ、そうなの? し、知らなかった」
驚きすぎて声が変になった。やたら低い声になって自分でも驚いてしまう。二人には笑われたけど。
いやぁ、なんだか急にラスボス感がハンパないな、一ノ瀬店長。
「素直に言ったところで、もみ消されるフラグだよね」
双葉の一言に「うん」と、力強くうなずくゆーちゃん。
「結局消されるのは私たちになりましゅ、ますよね。何か、別の方向から考えなきゃなのです」
「うーん、それじゃあ一体どうしたらいいのかなぁ」
良いアイディアが浮かばないわたしは早々にお手上げだ。こういうの向いてない。正面突破が出来ないなら、根本的にどうしたら解決できるのか、わたしには疑問でしかない。
「まぁ、まずはキロクだな」
人差し指をピンと立てて、双葉が言う。
「キロク?」
わたしは更に疑問符。
「記録だよ、記録」
二度言われてやっと理解が出来た。
「ああ、記録ね。でもどういう意味?」
まだ全て理解できていないわたしに対して、バカだなこいつみたいな顔で双葉が言う。
「あの店長、行動がほんっとに分かりやすいじゃん。今日だって私用で閉店作業せずに帰ったし、何月何日何時頃こういう行動、言動を事細やかにノートに記録すんの。はい、バッチリ証拠いただきましたーってね」
「なるほど、双葉頭良い」
証拠作戦というわけね。現状で出来るのはこのくらいなのかなぁ。
「地道だけどな。んで、あとはゆづきが篠ヶ瀬部長に枕営業して、上の奴らに媚び媚びしてうまいことヤツを追い出せるよう仕向けたら完璧っと」
「ほんとだー、それって完璧じゃんなんて言うわけないんだからねアタック」
いきなりぶっ込んできた双葉さんにノリツッコミからのデコピンをするフリをして脅す。
「いたっ、くない。もーびっくりするじゃん。まぁ枕営業は最終手段なー」
冗談かと思ったけど結構視野に入れてませんか、それ。
わたしと双葉の一連のやりとりを見て笑っていたゆーちゃんが、クラッチバッグから小さいノートを取り出した。
「佐伯さんの考え通り、今は記録することしかできないなって私も思っていたので、ここ一ヶ月のことを記録してあります」
ぱらっとめくると、小さくて綺麗な字で書き込みがされていた。まだ四ページに満たないくらい。双葉が目を輝かせてノートをのぞき込んだ。
「おぉ、ゆーちゃんすごい。マジ出来る子だわ」
「えへへ。ありがとうございましゅ」
「見せて見せて」
三人で頭を寄せ合ってノートをのぞき込む。
「ぶっ、何これ傑作」
双葉が指さしたその先には、こう書かれていた。
『四月五日、十二時頃。ヒールのすり減ったパンプスで滑り、滑ったのは床が濡れていたからだと言い店全体の床掃除を命じられた。開店前に一通り床の掃除を済ませ、天気も晴れていて濡れているはずがない状況にも関わらず。注、パンプスのすり減り具合やばめ。重心が踵に寄りすぎ』と。
なかなか無茶なことを言われ掃除させられるゆーちゃん可哀想すぎる。けどまず気になったのは。
「ゆーちゃんって、このノートの書き方を見る限り結構毒舌なんだね。双葉ほどではないけど」
「はぁー? アタシのドコが毒舌なんだよ。超絶優しいの間違いじゃん」
ジト目で再び、真っ赤なネイルの施された人差し指をビッとわたしに向ける。
ゆーちゃんはちょっぴり苦笑いで答えてくれた。
「えへへ、周りからは見かけによらず毒舌って言われるので、近衛さんが言うようにたぶん毒舌なんだと思います」
「この可愛い小動物系な見た目からは想像できない。ギャップ萌えってやつだね」
うんうん、所謂一つの萌え要素。
「アタシ、そういう子大好きだから。ウチらの前ではどんどん素のゆーちゃん見せてよ」
「えへへ、佐伯さん、ありがとうございます」
ゆーちゃんのノートをパラパラとめくって、少し考えるように間を空けてから双葉が言う。
「記録に関してはこのまま続けて、あとは決定的な何かがあれば良いんだけどなぁ」
「決定的な何か、ねぇ。わたしは何も思いつかないよ」
「私もです。ここに入る前から計画していたことなのに、これ以上方法考えつかないでしゅ……」
「やっぱ、ここはアレだな」
「なになに、別の作戦があるの?」
双葉の長いまつげに囲まれた大きな瞳がキラリと輝く。
そして真剣な顔で。
「ゆづきが部長に枕営業」
またそれかっ!
「だからそれは無いって言ってんじゃん! そんなに言うなら双葉がやってよ」
「イヤだよアタシ彼氏いるもん」
「このリア充が!」
唐突なリア充アピールやめろっ。悲しくなるでしょ。
「佐伯さんの彼氏さん、気になります」
小さく手をパチパチさせて、純粋に微笑むゆーちゃん。
「お、ゆーちゃんは良い子だから特別にプリ見せてあげるね」
ネイルと同じく、綺麗な赤い手帳型のケースを装着したスマホを取り出し、素早くスワイプして画像をゆーちゃんに見せている。もちろんわたしには見えない角度で。い、いじわるだ。
「ちょっと、わたしにもプリクラ見せてよ」
テーブルに少し体重をあずけて身を乗り出してみるけど、器用に双葉さんはスマホの角度を変えていく。
「え……?」
急にゆーちゃんの動きが止まった。それにつられてわたしも止まってしまう。
「え、佐伯しゃん、もしかして、これ、モデルのアヅサくんですか?」
「そぉだよ。アタシの幼なじみ」
震える声で、みるみるゆーちゃんの顔色や表情が変わっていく。青から赤へ、そして驚きと歓喜、感動、色んな表情が混ざった顔だ。
「う、うそ。しゅごいしゅぎましゅ……」
盛大に呂律が回っていない。
「うん、ちょっと何言ってるかわからないよゆーちゃん。可愛すぎ」
双葉がポンポンとゆーちゃんの頭をなでている。
ゆーちゃんが双葉のスマホに目を輝かせている間、わたしは「なになに」とか「え、アヅサって?」「あ、もしかして最近ドラマとかにも出てるよね? あのイケメンの」「え、え、双葉って芸能人と付き合ってるの?」とか一所懸命話しかけていたのにニヤニヤしながらスルーする双葉さん。
ゆーちゃんもスイッチが入っちゃったみたいで、わたしのことなんか構ってくれない。
「佐伯さんしゅごしゅぎでしゅーっ! 私、中学のときからアヅサくんが好きで雑誌とか表紙のときは絶対買ってるんでしゅ」
「おー、ゆーちゃん、アヅくんのファンなんだね! 今度言っとく。絶対喜ぶよー」
「ふぁああ感激しゅぎましゅ。はぁ……なんだか幸せ」
ひとしきり興奮し終えたゆーちゃんがピンク色に染まった頬を両手で押さえて実に嬉しそうにしている。
「ねぇねぇ、ゆーちゃんは好きな有名人に彼女がいてショックじゃないの?」
素朴な疑問をぶつけてみた。
「いいんですっ。近衛さん、アヅサくんのインタビューが載ってる雑誌読んだことないんですかっ?」
「ないなぁ。そもそもアヅサって、あんまり知ら」
わたしが言い終わる前にゆーちゃんが言葉を重ねてくる。胸の前で小さく手をグーにして、目をキラキラさせながらわたしに熱弁。
「三歳のときに子役でドラマデビューして、そのまま十三歳まで子役、十四歳からはモデルとして雑誌に引っ張りだこで、ここ数年はテレビドラマやバラエティでも大活躍で来年は映画主演も控えてて、今人気急上昇中で……。中学生の頃から雑誌のインタビューや対談では必ず、必ずと言っていいほど彼女のことに触れてるんです。小さい頃からずっと一緒にいる女の子で、いつも自分を支えてくれて明るくて、自分のことを大切にしてくれる大好きな、大切な彼女だって! 大切な! はぁ……。毎回彼女の良いところや、最近あった彼女との面白エピソードとかを語ってて、アヅサくんのファンは、アヅサくんが大切にしている彼女ごとアヅサくんが好きなんです。そしてみんなの理想のカップルなんです」
「え、えっと……。うん」
勢いと熱量がすごい。
「近衛さん。うん、じゃないですよ、今、盛大に最大に感動して佐伯さんを拝むのです」
「え、いや、って、ゆーちゃんがマジで双葉を拝んでいる!」
双葉に向かって南無阿弥陀仏とか唱えちゃってるし! かなりスイッチ入っちゃてるみたいだ。会ったときからずっとかみまくりだったのに、急に滑舌良くなっちゃってるし。有名人効果って凄いんだなぁ。
わたしはなんだかぽかーんとしてしまっている。とりあえずスコーンを口に運んだ。
「はっはっは。面白いねぇゆーちゃんも、ゆづきも」
「あ、あの、佐伯さん。私、ずっとアヅサくんが彼女について語るのが好きで、理想で最高のカップルで、えっと、今日佐伯さんと近衛さんのこと素敵な先輩だなって思って好きになったんですけど、ずっと、知らないけど憧れてたのが佐伯さんだってわかってすごく、言葉に表すのが難しい気持ちなんですけど、とにかく嬉しいです」
「いやぁー、照れちゃうねぇ。早速この可愛い後輩ちゃんのことをアヅくんに報告しなきゃだよ」
「あ……出しゃばってしまってすみません」
「もー、そんなふうに思うわけないでしょ。ゆーちゃんってば、なんでこんなに純粋で可愛いのー? ゆづきー」
さらっとわたしに疑問を投げかけてくるけど、わたしは二人の崇高な会話をBGMにしてスマホでウィキペディアを見ていた。もちろん、モデルのアヅサについて。
えーっと、なになに。本名は瀬川あづさ。
わたしや双葉と同い年の現在十九歳。二歳九ヶ月で子役としてテレビドラマデビュー。あ、このドラマ再放送で見たことあるやつだ。そのあと出演したドラマも、小さい頃見たことあるのばっかり。十三歳で、女児向けの人気ファッション雑誌のイケメン男子中学生特集コーナーに載ったところ大人気に。そのまま雑誌の中で独自の連載コーナーを持ち、中学生女子から絶大な人気を得る。とくに彼女との仲の良さは業界一で、雑誌のインタビュー等では熱く語っていることが多い。業界では彼女の存在を公にするモデルはほとんどいなかったが、盛大にアピールすることで逆に同年代女子から高評価を受け、憧れの存在という立ち位置である。SNS等で日常の出来事や彼女との仲良しっぷりを公開し、若者たちの間では憧れすぎるカップルとして話題。しかし、彼女の顔や素性等は一切口外されていないため、一般人であると噂されるのみ。近年では、ドラマやバラエティ番組にも出演する機会が多く、来年は映画初主演予定、と。
うわ、ゆーちゃんが言っていたことそのまんまだ。
最近よくバラエティに出るなぁとは思っていたけど、なかなか凄い人なんだ。わたしはあんまり詳しくなかったけど、確かに中学生の頃雑誌を見ながらキャーキャー言ってる女子が多くいたかも。
「ちょっとぉ、ゆづききいてんのかー」
双葉がわたしのスマホをつんつんしてきた。
「あ、ごめん。ちょっとウィキってた」
「明日の二十時、バラエティ出るから、ちゃんと録画しとくんだぞ」
「私はもうバッチリ予約してありますっ」
「おー、ゆーちゃん優秀」
「えへへ。妹も、アヅサくん大好きなんですよ」
ゆーちゃんの妹という言葉にわたしがいち早く反応する。だって一人っ子の近衛さんだもん。
「ゆーちゃん妹いるの?」
「はい。じつは……あ、やっぱりなんでもないでしゅ」
「え、なになに、なんで言うのやめたの? なんの伏線なのーっ。一人っ子の近衛さんに妹エピソードきかせてくださいよー」
「へぇー、ゆづき一人っ子なんだ。田舎もんなのにな」
ニヤニヤしながら双葉がおちょくってきた。
「田舎もんだから兄弟多いんでしょとかいう偏見差別は結構です。っていうか双葉はどうなのよ」
「アタシは弟がいる。三歳年下生意気盛り」
「あー、絶対双葉に似てキツい性格でしょ」
「んー、アタシより弱っちいよ。弟とケンカで負けたことないし」
「うわ、キツいお姉ちゃんで弟くんかわいそう」
なんとなく、双葉と弟くんのやりとりが目に浮かぶ。心の中でちょっと笑ってしまった。
「佐伯さんがお姉ちゃんだったら、最高に自慢すぎますよね。綺麗で、優しくて楽しくて」
確かに双葉がお姉ちゃんだったら自慢の姉って感じだろうけど、双葉が調子に乗る前にわたしがゆーちゃんを止めるっ。
「ゆーちゃん、いいんだよそんなお世辞は」
「ゆづきは黙ってて。アタシはゆーちゃんみたいな可愛い妹が欲しいわぁ。絶対絶対可愛がるし一緒にショッピングしたりプリ撮ったり。憧れるわぁ。あ、ゆづきみたいなどんくさそうな妹はいらんな」
「なんだそれ失礼だぞ。ちょっと、ゆーちゃんさりげなく笑わないでよ」
そうしてしばらく不毛な会話が続いたけれど、三人の仲がどんどん深まっていく感じで、なんだかそれはとっても楽しかった。