これは彼女と相談教室を始めるまでの話。 3
「どこに行くの?」
放課後、校門を出ると、腕を組んで待ち人来ず、な体勢の心音さんがいた。
「帰るところだけど」
「どこかに行くんでしょ。昼休み、話してたじゃない」
「聞いてたんだ」
「えぇ」
小さく笑って、俺の隣に並んでくる。
「私も行って良い?」
「面白いものでもないよ」
「良い。付いて行くって、自分で言ったから」
「……君には、関係の無い、事だし」
心音さんの真っ直ぐな目を見ることができない。
さっさと行こう。そう思いながら背を向ける。けれど心音さんは回り込んで道を塞ぐ。
「かもね。でも、昼休みの君たちの様子を見ていて思った。当事者間で解消できる問題ではないって」
「……何でそう思うんだよ」
顔を背けながら、なるべく冷たくそう言い放つ。
「心が壊れそうじゃない」
「えっ?」
「私の前では、誤魔化せないよ」
フードを引っ剥がされ、顔を掴まれ、無理矢理心音さんと目を合わせられる。
息遣いまで感じられる距離。ふんわりと香る香りは、柔軟剤だろうか。
綺麗な顔立ちが、これでもかと強調される。
心臓がざわつく。握った手を、胸に当てる。
音が消える。彼女のこと以外、何も考えられなくなる。
彼女の瞳には、俺が映っている。俺の視界の全てが、彼女に変わる。
顔半分下から覗く、澄んだ瞳。綺麗な黒い目、それが、一瞬、蒼に染まる。
「心繋ぎの巫女として。壊れそうな心は、見過ごせない。知ってしまったことを、知らなかったことにできる?」
心繋ぎの、巫女……?
「……今にも引き裂かれそう。心が叫んでるよ。助けてって。こんなにギリギリの心は、初めて見た。今まで、よく、頑張ったね」
温かいものが、流れ込んでくる。
目から、何かが溢れそうになる。
「大丈夫。助けるから」
「俺を助ける義理何て、ないだろ」
空を仰ぎ見ながら、無理矢理絞り出した言葉は、我ながら、子どもの言い訳染みていた。
見ていないのに、心音さんが、呆れたように笑ったのがわかった。
「うん。無いよ」
「なら……」
「だから、勝手に助けるの。仲良くなってから、何て悠長なこと言ったけど。そんな暇もないみたい」
薄く、彼女は微笑んで、胸に当てていた手を、握った。
「壊れそうな心を救う。私の願いで、使命でもあることだから」
心繋ぎの巫女。
彼女はそう言った。
「私は、目を見れば、心を覗ける」
「えっ、それって心を読む的な?」
「そんな便利なものじゃない」
ため息一つ。
「いや、便利でもないか。むしろ、鬱陶しいかも」
遠い目をして、彼女は俺の目を真っ直ぐに見る。
「ある程度の感情を読む。心の状態を見る。心を繋ぐ。それが、私にできること」
「心を繋ぐって?」
「あなたはもう、体験してるはず」
「……もしかして、あの温かいのって」
「私の感情を流し込んだ。応用すれば、相手に自分の言葉を嘘じゃないとか、そういうことも伝えられる。それも、あなたは体験しているはず」
目的地までの道。誰かと一緒に行くのは、初めてだった。
心音さんの横は、落ち着く。どうしてだろう。
これも心繋ぎの巫女の力の一端のようなものだろうか。
「私の話をしたけど、君の事情、聞いても良い?」
「……着いたらわかるよ」
「……嘘じゃないみたいね」
「なんでわかる?」
「目を見れば。感情もある程度わかるって言ったでしょ」
何とも厄介だな。迂闊に嘘も付けないのか。
「目的地って、ここ?」
俺が足を止めるのと同時に心音さんは足を止めた。
大きな建物。もう、毎日のように来ている場所。病院。
「体、どこか悪いの?……違うようね」
「あぁ」
息を一つ吐いて足を踏み入れる。
もうどの道を辿れば良いか、いい加減覚えた。
エレベーターに乗って、廊下を歩く。そこは、個室の病室。
扉を開く。そんな俺に、心音さんは一瞬、表情をしかめた。
「……そうなんだ」
「何が?」
その言葉には答えず、視線は、ベッドで眠る少女に向けられている。
「この子は、妹さん?」
「よくわかったね。妹の、沙耶。一つ下だ」
「沙耶さん、ね。似てるね」
「よく言われるけど、そう思えた事、無いな」
心音さんは沙耶に近づくと、瞼を無理矢理開ける。
「おい!」
「黙って」
視線を真っ直ぐにこちらに向けてそう言われる。どうしてか体が硬直する。
「くっ」
そして、心音さんは沙耶の目を覗き込んだ。
「……うん。そう」
心音さんは頷くと、真っ直ぐに俺の目を見た。
「彼女は、ちゃんと目覚める」
「……何でわかる。いや、嘘じゃないというメッセージは伝わっているけどさ」
「彼女の心が、そう言っている」
「……そうか」
「心は雄弁」
心音さんはこちらに向き直る。
「何があったの?」
「……あぁ」
胸に手を当てた。
心臓が、ざわざわとうるさい。
「はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸が、まともに制御できない。言葉が、出てこない。
「……頼って良い。寄りかかって良い。今私は、あなたの心を助けるために、ここにいる」
声が、聞こえる。
「落ち着いて。大丈夫」
心音さんの視線が、真っ直ぐに注がれる。
「大丈夫。大丈夫だから」
優しさが、流れ込んでくる。
純粋で、真っ直ぐな優しさが流れてくる。
「話してみて。心で」
言葉が出てこない。呼吸が落ち着いて行く。
心音さんの目しか、見えない。
蒼だ。透き通るような、綺麗な、蒼だ。