これは彼女と相談教室を始めるまでの話。 2
三が日が終わり、この週末が終われば学校が始まる。そんな土曜日。
俺は菓子折りを片手に心音家の前に立っていた。
神社が忙しいであろう三が日を避けて今日を選んだ。
ギュッと握った手を胸に当てる。フードを外す。行くぞ、俺。
「大丈夫。大丈夫」
ここで逃げようとするなよ、俺。
自分に言い聞かせて、自分で逃げ道を潰すべく、呼び鈴を鳴らす。
すぐに、「はーい」という透き通った、芯のある聞き覚えのある声が聞こえる。
誰もいないことを、少しだけ祈っていた自分に気づいて、呆れた。
「えっと、……牧野君、だっけ? こんにちは。どうかした?」
声の主は予想通りだった。心音さんが玄関の扉を開ける。
予想外に、ジャージ姿だった、着やすいから部屋着にしているのだろう。
「この前のお礼をと。お世話になりました」
「そんな良いのに。上がって。寒いし」
「あーいやー。えっと。お構いなく」
「私が寒いから」
「はい」
我ながら、押しに弱いなと思いながらお言葉に甘えさせていただく。
実際、心音さんの家に上げさせてもらうことに、少しだけテンションが上がっている自分がいるのは、否定できないし。
何かが起きるとか、どうこうできるとか、そんな都合の良い妄想をする程度には、嬉しい。
「こちら、つまらないものですが」
「つまらないものなら、いらないけど」
「ですよね。持ち帰ります」
「はぁ。そんなシュンとしないでよ。ちょっと意地悪だったとは思うけど」
そう言いながら、どれが良いのか三十分くらい、スーパーのギフト売り場で悩んで選んだ、お菓子を受け取ってくれる。
「お父さんの方にもお礼を言いたいんだけど、今はどちらに?」
「お父さんなら多分、今はちょっと忙しいかも。町内会の人の相手、してると思うから」
「そっか、ごめん」
「なんで謝るの?」
「いや、ちゃんとアポ取った方が良かったかなって」
「まぁ、そうかもね」
頬杖ついて、心音さんはちらりと窓の外を見る。そこには道路を挟んで向かい側に大き目の鳥居が見える。
「ねぇ、何で二日の夜だったの?」
「えっ?」
「倒れてた日。なんでお参りしようと思ったの? そもそも、お参りしに来た、ってことで、良いんだよね?」
「うん。お参り。あー、えっと。思いつきというか、思い立ってというか。新年に信念を曲げたというか」
「寒いギャグは別に良いんだけど。どんな信念?」
「神には祈らない」
「中二病臭い」
「そういうわけじゃないけど、そう聞こえるだろうけど」
握りしめた手を胸に当てた。
心臓が、ざわざわした。
「最近、良くないことが続いてたからさ。頼りたくなかった存在にまで、頼りたくなってさ。勝手な話だとは思うけど。それを思い立ったのが、二日の夜、だった」
「ふーん。そっか」
「あはは、ごめん。長々と」
「いや、こっちこそ。聞いといて、適当な反応に聞こえたよね。そういうわけじゃないけど。でも、それで
良いと思う。神様も存外、勝手な存在だし」
真っ直ぐな目が向けられる、視線を逸らすことを許さない、そんな眼だった。
「良くないこと、か。深くは聞かないけど、それだけ余裕が無くて、必死だった、ってことでしょ。なら、
そんな勝手な話も、許されて然るべきだと思う」
「そ、そうかな?」
「少なくとも、私なら、少しは力になりたい、なんて思うよ」
「……ありがとう」
「別に具体的なアドバイスもしてないのに。お礼言われるようなことでも無いでしょう」
「いや、ちょっとだけ、楽になったから」
「そう。なら良かった」
その言葉と共に圧が消えたような気がした。
今のは、心音さんの心からの言葉だ。そうわかったから。
どうしてかはわからないけど。わかったから。何か、心に温かいものが、流れ込んでくる気がした。
「力になりたい。そう言ったの、嘘じゃないから」
再び、一瞬だけ感じた圧力。
そして、流れ込んできた、温もり。
クールな印象の心音さんから感じる不思議な温かさ。
思わず、顔が綻ぶのを感じた。
「そろそろ行かなんきゃ」
「そう。また、学校で」
「うん」
心音さんは玄関先まで見送ってくれた。
ぺこりと頭を下げて、背を向ける。
「あの、さ」
「えっ?」
「無理、しないでよね」
「えっ、あっ……うん。ありがとう」
目頭が、少しだけ熱くなる。それを誤魔化すように、軽く手を振って、再び背を向けた。
本当に、優しい言葉だった。
そして、冬休み明け。
いつも通りの登校に、なる筈だった。
「おはよう。牧野君」
「……おはよう?」
「なんで疑問形? あと、教室だし、フード外したら? ……あぁ、そういうこと」
教室に着くと、当たり前のように心音さんは話しかけてきた。
それは、ざわめきと共に、クラスに驚きの波を届ける。その様子に、彼女は少しだけ顔をしかめながら、けれどその場に留まる。
「言ったでしょ、力になりたいって。口だけなの、私、嫌いだから。だから、こうして、仲良くなろうと思った。頼る気になったら、言ってね」
言うだけ言って、彼女は自分の席に戻っていく。
改めて思う。家でのラフな姿とは違う、きっちりと整えられた美しさ。
実際、クラスでも人気だ。否、学年で、学校規模で、人気だ。
入学してすぐの頃から、結構話しかけられているのは、見ている。でも、上手く行った人は見たことが無い。聞いたことも無い。
実際、彼女に彼氏ができたのなれば、噂はあっという間に広まるだろう。
「実際、心音さんが付き合うとしたら、超誠実なイケメンなんだろうな、と思うよ」
「急にどうした? 今朝、話しかけられてテンションおかしくなったか?」
昼休み、コンビニで買ったパンをかじりながら話を振れば、秋月は呆れ半分にそう返した。
「良かったな。お前がどうこうできると思われてないから、今こうして平和なんだぜ」
「どういう意味だ?」
「別のクラスの奴が、心音さんに告白した時は、大変そうだったな。一週間くらい、来客用スリッパだったぜ」
「なんだその陰湿な嫌がらせは」
「外靴の裏に画鋲が刺さっていたり。体育着が裏返しで片づけられていたり」
「だから何で地味に嫌なやつばっかりなんだよ」
ニヤッと笑った秋月。
「気を付けろよ。夜道」
「平和はどこに行ったんだっての」
最後の一口を押し込む。そして、ため息を一つ。
「まっ、お前に何かされそうになったら、俺がどうにかするよ」
「……頼む」
「あぁ、お前は、それどころじゃないからな。友達だしな」
申し訳なさそうな秋月に笑いかける。
俺は、俺の選択を間違えたと思っていない。だから、気にしないで欲しい。
そう、言いたかった。けれど、口から出てこなかった。
視線と同時に、心に温かいものが流れ込んでくる。
反射的に見た方向。心音さんが、真っ直ぐにこっちを見ていた。
一瞬、目が合う。心音さんが瞬きをすると。流れ込んできたものが止まる。
クールな印象を与える表情に、小さな笑みが生まれる。
「どうした?」
「あぁ、いや。何でもない」
「そうか。今日も行くのか?」
「あぁ」
「俺も、行けたら良いんだが」
「良いよ。部活、忙しいんだろ。レギュラー、なれそうなんだろ」
「あぁ。悪い」
ただ申し訳なさそうにする秋月の背中を引っ叩いてやりたい。
部活に集中しろ、そう笑って言ってやりたい。
俯きそうになる。けど、前を向いていられた。一瞬だけ心音さんと目が合った瞬間、温かい物が、流れ込んでくる気がしたから。