ラブレターの送り主は? 2
「文芸部のアンケート取材です。古今告白手法について聞いています」
メモ帳にペンを構え、俺は昼休み、廊下を歩いている男子生徒に声をかけた。
女子生徒と話していたが、構っていられない。昼休み、終わりそうだ。
「はい? ……はい」
一瞬凄んできたが俺が二年だと気づいたからか、すぐに従順な態度に直る。そこら辺、流石上下関係に厳しい運動部と言った所か。
「牧野君、フード」
後ろからそう囁かれるが無視。
あぁ、そっか。俺が二年と気づいたからではなく、後ろにいる心音さんの効果か。心音涼音の美貌は、学校中に轟いていてもおかしくは無いだろう。
「もしあなたが告白するとしたら、どういう風にされますか?」
「んー。やっぱ、チャットで呼び出して、直接、ですかね」
「男らしいですね。ちなみに、ラブレターはどう思いますか?」
「ラブレター……チャットで良くないですか?」
微妙な表情を浮かべながら、男子生徒は言った。
「どう?」
ちらりと振り返って、心音さんに聞くと、女子生徒の方を一瞬見て、頷いた。
「えっ、まさか……あっ、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げてそそくさと離れる。部室棟に繋がる渡り廊下振り返った心音さんに俺は、多分間抜け顔を見せた。
「……マジ? あの女の子が、ラブレターの?」
「私も、予想していなかった。でも、確証に足る証拠が無い」
と言っている俺達の後ろから、足音が近づいてくる。どんどん早くなる。慌てて口を閉ざしたのは、公共の場で、相談内容を連想できそうな会話を、不用意にしてしまったことに気づいた後だった。
「ラブレター……。あの子、来たんですか? 加奈。文芸部ってあれですよね……相談部……」
女子の間で男子には内緒で囁かれる相談部の噂。それでも、心音涼音という学校随一の美人が運営すると
いうことで、女子の間では、大きく名を轟かせている。感づかれてもおかしくは無い。
先程の女の子が、青ざめた様子で、俺の前に立つ。
「……お願いします。加奈には、言わないでください」
勢いよく、頭を下げられる。深々と。
予想外の展開に、顔を見合わせた。
「その……放課後、部室、来てもらっても良い? そこで、改めて話しましょう」
心音さんがそう言うと同時に、予鈴が鳴った。
「加藤、春奈と言います」
「心音涼音です。そちらでフード被っているのは牧野一樹君です」
フードを外してぺこりと頭を下げる。景色が急に広がって目を閉じた。
瞼を閉じて、心を暗闇に浸す。沈む。
落ち着いた。ざわついた心が静かになる。
「さて。では、相談内容。お願いします」
俺の様子を確認して、顔を少ししかめ、心音さんが話を進める。
「私たちへの要求は、手紙の真実を、黙っていること?」
「はい」
静かに、加藤さんは頷く。
「……私たちとしては、依頼を受けた以上、答えなければ、なりません」
「そこを、何とか」
心音さんは思案顔を隠そうとしない。
目の前で弱っている子、依頼を受けた責任感が、せめぎ合っている。
「どうしても、隠したい?」
「はい」
背筋を伸ばし、深く、しっかりと加藤さんは頷いた。
唇を噛んで、心音さんは思考する。五秒、十秒。普通に生活している分には気にならない秒数も、この空間、この状況ではじれったくなる。
それは、加藤さんも同じだった。
「なんでですか! 学生の部活じゃないですか! 良いじゃないですか、わかりませんでしたって! たまたま当たりを、どんな方法かはわかりませんけど、でも、誤魔化しちゃえばいいじゃないですか! たかが、学生の部活なのに、何で、そんな、真実に、拘るのですか。探偵気取りですか?」
心音さんを見る。
一筋の、涙が、零れた。
すぐに目元を袖で拭き、隠したものの。確かに、見てしまった。
「このことは、一旦俺達で話し合います。あなたの意見も、考慮して、対応を決めるので。今日は、お引き
取り下さい」
努めて落ち着いて、そう告げると、唇を噛んで、涙でくしゃくしゃになった顔で、加藤さんは部室を出ていく。
「ごめんなさい」
「いや、仕方ないよ」
心音さんが見ていたのは、俺じゃなかった。俺の心だった。
「ごめんなさい。また、負担をかけて」
心繋ぎの巫女。
心音さんについて一言で説明するなら、こうなる。
彼女は、目を見れば、ある程度の感情と、精神状態、心の状態を見ることができる。
さらに、感情を流し込むことができる。感情を流し込むことで、例えば優しい感情を流し込めば、相手の心を落ち着けることができる。
信じて欲しい時は、嘘じゃないということを、心に伝えることができる。厄介なのは、本当に嘘を吐けないことらしいけど。
「心は、嘘を吐けない。必死に隠そうとしていたけど、加藤さんは、怖がっていた」
「……あの時、温かい感情流し込めば、落ち着いて、話せたんじゃないか?」
「彼女は、心を閉ざしていた。そんな人に優しい感情流し込んでも、混乱させるか、はたまた、全く効果がないか」
「そうか」
神社の本殿の階段に腰かける俺に、心音さんはゆっくりと近づく。
視界一杯が、彼女の綺麗な、顔立ちで一杯になる。目が、蒼く染まる。
温かい、ぬるま湯につかるような心地よさ。ゆりかごに揺られるように、俺の心は彼女の心に沈んでいく。
優しさの海に揺蕩う。
心繋ぎの巫女。心を繋ぐことで、心で交流することを、可能にする。心繋ぎの力。
心音涼音は、心弦神社の神主の娘として、この力を発現させた。ってくらいしか、俺は彼女のことを知らない。
でも俺を今支えているのは、彼女のくれるこの温もりだ。
「また、心を削って……いずれ、本当に、心、無くなるわよ」
「でも、それで、君を手伝えた」
「助かったけど、嬉しくは無い」
「恩、返したかったから」
「恩なんて感じないで。これが、心繋ぎの巫女の使命だから」
そして、ゆっくりと、意識が沈んでいく。
目が覚めると、本殿の階段で横になっていた。
「毎度、罰当たりな場所で目が覚めるな」
「いいえ。あなたはきっと、この、心弦神社に祀られてる神様が、助けよと、私に命じた人だから、許してくれるわ」
「神様、ね……」
去年の俺なら、鼻で笑っていた。
けれど、今、俺はこの神社に遅めの初詣に来たあの日から、何となく、いるんじゃないか、何て思っている。
「神社で倒れたあなたが、私の家に運ばれたあの日、あなたの心を救うのは、私の使命になった。心繋ぎの巫女としての、初めての使命」
巫女服に着替え、箒を携え、凛とした、美しい立ち姿で、静かにそう告げる彼女は、どこか神秘的だ。
「……またそんな目で見て」
「……巫女装束の美人だぞ。見入らない方がおかしい」
「誤魔化し効かないからって、開き直れば良いってものじゃない」
「でも、どうこうしようとは思ってないぞ」
「まぁ……確かに、下心は見えないけど……見世物じゃないぞ、とだけ言っとく」
「さいで」
腕を組む。心の状態が一番健康な今のうちに、今回の相談事をどう解決するかを悩む。
心が健康なら、頭も冴えるのは道理だ。
手紙の送り主が知りたい吉田さん。手紙の真実を隠したい加藤さん。
「はぁ、なら胸の内に秘めて、手紙なんか送らなきゃ良いのに」
「そういうこと言わない。それに、抑えきれない気持ちだから匿名で伝えるは、決して可笑しな解決手段では無いと思う」
「ふぅん」
「むしろ、私たちが、おかしいの」
「そうか」
何も言い返せない。彼女の言葉に、自分の受け持った役割を否定する言葉に、納得してしまったから。
「だから、加藤さんの言う通りにするのが、正しいのかもしれない。心繋ぎの力なんて、あって無いようなものなんだから」
うん。毎日、その力を体感している俺が、例外なんだ。
でもなんだろう。
それで引き下がって終わり、何てしたら。吉田さんや加藤さんは納得しても。
今そこで、境内の掃除をしている巫女様の心に、棘としてずっと残ってしまう。そんな気がする。
それは、俺としては是非とも避けたい。
「なぁ、心音さんや」
「何?」
「恐怖、だけだったのか?」
「えっ」
「加藤さんの心には、恐怖しか無かったのか?」
「えっと……」
もし、本当にもし、恐怖だけだと言うなら、俺達は手を引くしかない。
でも、それ以外。それ以外の、感情があれば。
「それだけでは、無かった、と思う」