逆風
成帝の子・劉子輿の挙兵を劉文叔が知ったのは、更始元年(西暦二十三年)の十二月。その時、文叔らは真定国よりもさらに北、中山国に近い盧奴(現在の定州市)にいた。
そこで上谷太守耿況の息子、耿伯昭から知らされたのだ。
耿氏はもともと鉅鹿の大姓であったが、前漢の武帝の下で二千石(郡太守、中央の九卿クラスの高官)に至った。前漢の歴代皇帝は、即位するとすぐに陵墓の造営を始め、陵墓に近接した陵邑を拓く。そして二千石以上の高官とその家族、富豪などをその新しい県に遷徙せしめ、陵墓の守りとする。だから耿伯昭の先祖も当然、武帝の陵墓に近接する茂陵県に徙り、その後は扶風茂陵を本貫(本籍地)とした。邯鄲で文叔に帰順した耿伯山は、鉅鹿宋子に残った一族であり、本貫が異なる故に別族となる。
要するに三輔(*1)の陵邑を本貫とするのは、その先祖に高官を持つ名門の子弟である。耿伯昭の父・耿侠游もまた、『詩』と『礼』を修め、王莽政権下で上谷太守を務めていた。王莽は上谷郡を改めて朔調郡とし、郡太守を連率と改めたから、朔調連率と呼ばれていたけれど。――本当にややこしい。王莽が地名・官名を改めまくったことで、いったい誰が得をしたのかと、文叔は聞きたかった。
王莽が破れ、洛陽で劉聖公が「漢」を復興したため、王莽政権下の郡太守らは権威のよりどころを失った。地元の武装勢力が興起して、地位を奪われる者も出始める。耿伯昭の父も他人事でないと考え、いっそ自分から劉聖公にすり寄って保身を図ろうと、息子・耿伯昭を更始帝のもとに向かわせた。
匈奴との混住地域である北の上谷郡から南下し、途中、鉅鹿の宋子まで来た時、耿伯昭は成帝の子・劉子輿を名乗る男が挙兵し、邯鄲を手中に収めたと聞く。耿伯昭についていた従吏の孫倉と衛包は、そのニュースに動揺した。
「坊ちゃん、劉子輿は成帝陛下の正統を継ぐ息子だそうですよ。これが近場の邯鄲にいるのに、どうして洛陽の、田舎の劉氏の元に行かなきゃなりません」
だが、耿伯昭は首都圏である三輔で生まれ育っている。成帝に劉子輿なる息子がいるなんて、聞いたことがない。
「冗談は顔だけにしろよ。そもそも、成帝には跡継ぎとなる皇子がいなかったから、甥っ子の定陶王を養子にして、それが哀帝として即位したんじゃないか。成帝が死んで、何年になると思ってる。今さら出てきた息子なんて、怪しいにも程がある」
成帝の没年は綏和二年(西暦前七年)だから、だいたい三十年も昔のこと。あっさり切り捨てる耿伯昭に、しかし、孫倉も衛包も納得しない。
「でも、本物っぽいですよ! 何でも母親は成帝の謳者(コーラス隊員)で、皇后に妊娠がバレて殺されそうになったから、他人の子と換えて命をながらえたって。洛陽の『皇帝』は、所詮、田舎の傍系の出だ。そんな傍系の劉氏じゃなくて、漢の正統の皇帝を仰ぐべきですよ!」
「嘘だな」
にべもなく耿伯昭が言う。
「劉子輿、って名前、思い出した。……昔、俺がまだ長安にいたころだから、十年以上前になるが、漢の成帝の息子・劉子輿って名乗る偽物が出た。そいつは長安のしがないゴロツキで、もちろん処刑されたはずだ。その劉子輿がまた出たなら、本物のご落胤のはずがない」
それは王莽の始建国二年(西暦十年)の出来事で、劉子輿を名乗っていた男、捕らえてみれば、長安出身の武仲という男であった。耿伯昭はまだ七歳か八歳で、記憶は曖昧だが、とんだ詐欺師だったのは間違いない。しかし、孫倉と衛包は、「今度こそホンモノかもしれません!」と、どうしても邯鄲に行くと言い張る。ブチギレた耿伯昭は、剣を抜いて言い放った。
「馬鹿野郎! 俺はそんな偽物には仕えねぇと言ってるだろ! そんなに詐欺師野郎に騙されたいなら、勝手にしろ! 俺は知らないからな!」
耿伯昭の剣幕に恐れをなした二人とは、そのまま袂を分かつ。一人でも河南に渡るつもりだったが、北の盧奴に、更始帝から大司馬の劉文叔将軍が派遣されている、という話を聞きこんだ。
「劉文叔だって? それはまさか、昆陽で百万を破った将軍じゃないか!」
昆陽の戦いのことは、北の上谷にも轟きわたっていた。わずか一万足らずの兵で、公称百万を破った稀代の天才将軍。耿伯昭は現在二十一歳と若く、血気盛んであると同時に、幼少時から父が預かっている州兵の訓練を間近に見、兵法に魅せられた一種の軍事オタクであった。公式発表の兵数がアテにならないのは十分、承知の上で、それでも全く無名の、それまで南陽の田舎に育った男が、訓練した州兵でない、烏合の衆を率いて圧倒的な兵力差をひっくり返したと言うのである。
(……会ってみたい……)
軍事オタクの血が騒ぐ。黄河を渡って劉聖公のもとに向かうには遠回りになるけれど、劉文叔将軍は劉聖公と同じ一族だと聞いている。挨拶しておいて損はない。
(それに、邯鄲で挙兵した詐欺師野郎のことも気になるしな……)
河北の、特に諸侯王国出身の連中は、プライドが高い。自分たちの戴く殿様こそ、劉氏の本流だと思っているフシがある。同じ劉氏でも、南陽の聞いたこともない列侯家の一族など、歯牙にもかけたくないのが本音だ。
耿伯昭は、残った配下に命令を下し、進路を北に変えた。
十二月の盧奴では、冷たい雪が散らついていた。
朔調連率(漢の上谷太守)の官印の押された名刺を差し出せば、劉文叔将軍は気さくに面会に応じてくれた。
一目で、これはタダモノでないと感じる。――とにかく、見た目が美しいのだ。
龍顔。
漢の高祖皇帝がそうであったと伝えられる、龍に似た顔。
面長で彫りが深く、鼻が高い。目も口もはっきりとして、眉も濃くて美しい。一歩間違えるとクドい顔になりそうなところを、劉文叔という将軍は、目鼻の配置が絶妙で、くどさを免れている。
中肉中背だが均整の取れた体つき。表情は穏やかで、態度も鷹揚で礼に適っている。
宿舎にしている亭(*2)の堂で、鎧の上に戦袍を羽織り、牀に独坐して、左右には二人の男が控えている。一人は、劉文叔将軍より少し年上と見える、目のギョロっとした男。もう一人はうんと若い、妙に色白のすっきりした顔の男。
耿伯昭が膝をつくと、劉将軍が言った。
「ああ、そんな畏まらずに。そちらの牀に座ってくれ。土間は冷たいから」
勧められたのは、若い男の隣。男がスッと無言で、席を差し出す。
「私は南陽は蔡陽県出身の、劉秀、字は文叔という。一応、破虜将軍で行大司馬事、ってことになっている。……貴卿は、上谷からわざわざ、こちらに?」
「はい、耿弇、字は伯昭です。本貫は扶風の茂陵です」
耿伯昭の挨拶に、劉将軍が首を傾げる。
「耿……?」
「耿伯山殿は、鉅鹿宋子のご出身です。別族なのでしょう」
横から、若い男が言う。
「ああ、こちらは鄧仲華将軍。南陽新野の出身で、こちらが朱仲先将軍。やはり南陽の、宛の出でね」
「よろしく。鄧禹と申します」
「朱祜だ。よろしく」
男たちが拱手の礼をし、耿伯昭もそれに応じる。
「父は、洛陽の皇帝陛下に帰順したいと考え、某を河南に遣わしました。ただ――どうやら邯鄲に、成帝陛下のご落胤を名乗る男が挙兵したと聞き、配下の一部はそちらに向かってしまいました」
「成帝陛下の?」
南陽の男たちが顔を見合わせる。
「成帝陛下には子供はいないはず」
若い方、鄧仲華が言い、耿伯昭も頷く。
「俺は三輔で育ちましたが、十年以上前、やはり同じ、『成帝の子の劉子輿』を名乗るニセモノが出ました。今回もたぶん、ニセモノです」
劉将軍が凛々しい眉を顰めた。
「ニセモノ……それが、邯鄲に出たと?」
「すでに邯鄲を落としたそうです」
朱仲先が顔色を変えた。
「なんだと……? まさか皆、信じているわけじゃあるまいな?」
「信じる愚か者が、それなりにいるのでしょう」
耿伯昭の答えに、劉将軍は顎に手を当てて考える。
「邯鄲……あそこには、趙王の子だとかいう、気味の悪い奴がいたな」
「ああ、黄河を決壊させると言いだした、オカマみたいなやつ」
朱仲先が言い、鄧仲華がアッと、顔を顰める。
「趙王が本物と認めれば、靡く者もいるかもしれない。でも、いくら何でも――」
「母親は成帝の後宮にいた謳者で、それで手が付いたとか、何とか。趙皇后に殺されそうになって、子を取り換えて生き延びたと言っているけど、本物のはずがない。本当に成帝の子なら、哀帝が死んだ時にでも名乗り出てくるべきだ」
耿伯昭が言う。
成帝は女好きで、踊り子上がりの趙飛燕を皇后に冊立し、妹の趙合徳と二人、寵愛を独占した。そして後宮内で皇帝の子を孕んだ女がいると、子もその母も密かに殺していたのだと、死後、哀帝の時代に明らかになった。成帝の皇子が後宮外で生き延びた可能性はゼロでないにしろ、自称・劉子輿がそうだという証拠はない。
劉文叔将軍は腕を組んで考える。
「問題は、事の真偽じゃない。漢の成帝の落胤を名乗る男が挙兵し、邯鄲を手に入れてしまったことだ。……そしてその下には、あの気色の悪い趙王の子が付いている」
赤眉の賊を破るために、黄河を決壊させろと言った男。戦乱の世に、水害で家を失った農民がどうなるのか、想像もできない、いや、したところで気にも留めない男。おそらく、あの男は趙王の血筋を利用し、さらに「成帝の落胤」をも利用しようと言うのだ。
劉将軍が、耿伯昭に向かい、言った。
「その噂を聞いても、貴卿は私の方を選び、駆けつけてくれた。新たな風に靡く者も多い中、真実を見抜き、私を頼ってくれる者は、確実にいる。――先の予定通り、北へ。薊に向かおう」
「某は北方暮らしが長いです。薊まで、ご案内仕ります!」
耿伯昭が自信満々に胸を叩き、薊への道案内を申し出る。
耿伯昭もだが、文叔も、その周囲も、邯鄲に興った勢力を、甘く見ていた。まずは北方随一の大都市・薊に拠り、『邯鄲の自称・劉子輿』に対抗しようと考えた。邯鄲から吹き起った逆風が、まさか一気に河北一帯を席捲するなどと、想像すらしていなかった。
薊(現在の北京)は、戦国七雄の一つ、燕国の古都である。盧奴から北上して、途中、荊軻(*3)の故事で名高い易水を渡る。
風 蕭蕭として易水寒し
壮士 一たび去りて、復た 還らず
北国の冬の、垂れこめた曇天の下、川から吹き抜ける冷たい風に身を竦め、文叔が『史記』の一説を口ずさめば、横から王元伯が言った。
「寒々しい、ていうか、マジで寒いですよね。それに、縁起悪いですよ、その歌」
「……そうだね、僕は死んでも南陽に帰るけどな」
一応、文叔は威儀を正して馬車に乗っていたが、同乗していた鄧仲華が、寒そうに背を丸め、鼻をすする。
「……彊屍になっても陰麗華の元に帰りそうだよね、文叔はさ」
「仲華、お前、やっぱり大丈夫か? 無理すんなよ?」
横から騎馬の朱仲先がお節介に声をかける。文叔らは戦闘経験があるけれど、途中参加の鄧仲華は行軍すら初めてだ。
「何だよ、えらいヒョロヒョロしていると思ったら、やっぱり弱っちい坊ちゃまなのかよ。盧奴で待ってた方がいいんじゃねぇのか?」
北国の生活が長い耿伯昭は寒さに強い。鄧仲華が自分と同じ年と聞き、妙な対抗意識を燃やしていた。鄧仲華はしれっとした目で睨み、プイッと横を向く。
「いえいえ、南方育ちで寒さに弱いだけです。お気遣いなく。……上谷太守様のお坊ちゃまは、寒さにお強いようで、何より。何とかは傷寒引かないって言いますしねぇ」
「何だとぉ!」
「やめないか!」
朱仲先が二人を宥め、周囲の馮公孫も肩を竦める。
「そう言えば、新入りの賈君文将軍はどうしたんです?」
その後ろについていた傅子衛が無表情に言う。
「奥方を連れて、かつ部隊を率いているから、少し遅れるそうだ」
「……こんな寒いところに奥さんを連れてきて、大丈夫なの?」
馮公孫が眉を顰める。
「戦場に家族を連れてくるのは普通にあるでしょう。どこか拠点を決めれば奥方も楽ができますがねぇ」
ひとまず、薊に拠点が確保できれば、少しゆっくりできるのでは、と傅子衛が言う。
「北の漁陽郡に、南陽から逃げてきた男がいるんです。洛陽の皇帝に帰順して、偏将軍として臨時で漁陽太守の職を兼任しているはずです。薊に着いたら、彼を呼び出しましょう」
耿伯昭が言い、薊に落ち着けば、上谷太守である父の軍隊を呼びつけられる、と太鼓判を押した。
薊に着けば、少しゆっくりできるはず。一行は冷たい風の中を、それだけをよすがに北上する。
そこで、人生最大の逆風が吹き荒れるとは、予想だにせず――。
薊の城は、さすがの大きさだった。十二月の暮れも押し迫っていたが、何とか宿舎を確保し、地元の耿伯昭を中心に協議する。
「漁陽にいる、彭伯通将軍や呉子顔将軍は二人とも南陽の人と聞いています。彼らに書を送りましょう。さらにウチの親父を――」
耿伯昭が言い、朱仲先が頷く。
「二人とも宛の人間だ。書には俺も一言書き添えよう」
「確かに同郷人は頼りになるが、河北の人間も集めなければ勝てない。……元伯、薊の城で兵を募集しよう」
文叔は書簡にするための木簡を削りながら、王元伯に命じる。
邯鄲の自称・劉子輿がどの程度の兵を集め、さらにどう、出てくるのか。不確定な要素が多い中、どれだけの兵を集められるのか。
文叔は急ぎ漁陽への文をしたため、使者を送り出す。
更始元年(西暦二十三年)は暮れ、翌、更始二年正月。事態は急転した。
「邯鄲に真天子が立った! 逆賊・劉秀の首には十万戸の賞金を懸けるぞ! 我と思わん者は、邯鄲の真天子に呼応せよ!」
夕暮れ近い時刻、邯鄲からの檄文が薊にも届き、ちょうど募兵をかけていた王元伯は這う這うの体で宿舎に逃げ帰る。
「大変です! 邯鄲の兵が――」
「購賞が十万戸って!」
王元伯の報告を聞いて、文叔はまず、その破格さに呆れる。
「僕を殺して首を持って行ったら十万戸の領地が貰えるってこと? ほんとに?!」
だったら生きている自分が出向いたら――と一瞬考えたが、黄河決壊の策を立てた趙王の子・劉林の顔を思い出し、あり得ないな、と思う。
「もうすぐ、邯鄲の劉子輿に呼応した軍が薊に到着すると騒いでいます!」
漁陽太守を兼任している彭伯通とは連絡が付き、すぐに駆け付けると返信はあったものの、本人も兵も到着していない。
「亡き広陽王の王子が兵を集め、邯鄲の天子に呼応すると挙兵し、この宿舎に向かっているそうです!」
偵察に出ていた別の兵も駆け込んできて、文叔は急遽、主だった諸将を集める。
「漁陽と、上谷の兵が集まるのを待っていたが、聞いた通り、現状は極めて不利だ。どうする?」
文叔が諸将を見回せば、朱仲先が叫んだ。
「南陽に帰ろう! あんな見え透いたニセ者に呼応するなんて、河北の人間は馬鹿ばっかりでアテにならない!」
同族、そして同郷意識の強いこの時代、朱仲先の言葉に、潁川出身の馮公孫も頷く。
「ニセモノ云々の前に、我々、河南の人間はどうしても人望を得られないようです。一旦、引くべきです」
だが、これに耿伯昭が反対した。
「邯鄲の奴らは南から来るんですよ! 南に向かったら鉢合わせじゃないですか! 北ですよ! 北! 北の漁陽太守は南陽の出身だし、上谷太守は俺の親父です! 今はとにかく北に向かい、兵を合わせれば、邯鄲ごときあっさり落とせます!」
「南に向かうべきです! 俺たちの故郷は南なんだから!」
「馬鹿言え、敵は南の邯鄲にいるんだぞ?!」
「じゃあ、東回りで、信都太守も南陽の人間だ! 少し東に出て、信都経由で南に戻りましょう!」
王元伯が反論し、文叔は素早く決断を下した。耿伯昭を指さし、言う。
「ここから北に向かう道は、お前が主人だからな」
「わかっています! 任せてください!」
だが、北に向かうという決定は有耶無耶になる。宿舎を出たらすでに、宵闇の薊の城中は、騒乱状態に陥っていた。
「十万戸の賞金首は誰だ! 劉秀、劉秀って奴を殺せ!」
「十万戸だ!」
松明を掲げた男たちが口々に叫ぶ。賞金のために命を狙われている現実をまざまざと見せつけられ、真冬の、粉雪がチラつく極寒のさなかだと言うのに、文叔の背中を冷や汗が流れる。
賞金目あてのならず者、腕に覚えのある者、さらには野次馬が取り囲む中を、強引に車馬で出発するが、路上に人が溢れて車を出すことができない。
「賞金首、その馬車の中だ!」
「殺せ!」
車の外から聞こえる怒号に、同乗していた鄧仲華が耳元で言う。
「文叔、僕が身代わりに――」
「馬鹿を言え! そんな若い劉秀がいるか!」
混乱の中、騎馬で横についていた銚次況が群衆の前に躍り出て、大喝した。
「どけ! 轢き殺されたいか! 控えよ!」
もともと、身の丈八尺二寸(約百八十八センチ強)、当時としては相当な長身。馬上から呼びかける姿は巨人のようで、魁偉な容貌も相俟って、威厳は周囲を圧した。
威圧された群衆が潮が引くように下がったその隙に、文叔の乗った車駕は全速力で薊の城中を駆け抜ける。後に続く配下の者たちも三々五々、城門へと向かい、あるいは道を変えて別の城門へと向かう。
「城門が……閉まっています!」
銚次況の報告に、文叔が車の中から叫んだ。
「強硬突破する! 突っこめ!」
門を守る兵をなぎ倒し、木の扉を強引に押し開いて薊の城門を抜け、厳寒の中、夜の平原へと走り出した――。
正月は明け、暦の上では春になっているが、粉雪の舞い散る寒さの中をひた走る。追手がかからないことを確認し、文叔は馬車を止め、点呼して隊列を整える。
「劉将軍!」
すぐに王元伯と馮公孫が騎馬で駆けつけ、朱仲先も追いついてきた。
「ここはどこだ……あの城門は南門だった……」
文叔が呟いていると、鄧仲華が叫ぶ。
「あの、偉そうな若造は?! 案内すると言っておきながら!」
しばらく待ったが、耿伯昭の姿はない。
「逃げやがったな、あの野郎!」
「まあ待て、あいつは北に向かうつもりで、はぐれただけかもしれん」
傅子衛が周囲を宥めるが、王元伯と鄧仲華はいきり立っている。
「それでも! やっぱり河北の野郎は信用でいない!」
「案内を申し出ておきながら、はぐれるなんて、無能に過ぎる!」
ガヤガヤと騒ぐ若い奴らを見ながら、文叔は実のところ、途方に暮れていた。無意識に、鎧の下に着こんだ、陰麗華の絮衣に触れる。
――こんな寒いところで、道案内もなくて、しかも賞金首になってしまった――。
陰麗華を取り戻すどころか、この先、生き残ることができるのか――。
*1 三輔
長安は繁華で人口も周密であるため、京兆尹・左馮翊・右扶風の三郡に分け、これを三輔と呼んだ。それぞれ、京兆・馮翊・扶風と略称する。
*2 亭
十里ごとに置かれた郷里の官寺。トップは亭長。中央の官吏の宿泊施設でもあり、また盗賊などの犯罪を取り締まる拠点でもあった。
*3 荊軻
始皇帝を暗殺しようとして失敗した刺客。
~絶賛・男祭り開催中につき~
(本小説はできるかぎり字で呼んでいますが、本名は以下の通り)
耿伯昭:耿弇
耿伯山:耿純
鄧仲華:鄧禹
朱仲先:朱祜
賈君文:賈復
馮公孫:馮異
王元伯:王覇
傅子衛:傅俊
彭伯通:彭寵
呉子顔:呉漢
銚次況:銚期




