表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
河はあまりに広く、あなたはあまりに遠い  作者: 無憂
参、涙は生別の為に滋し
96/130

疾風勁草

俟河之清、人寿幾何。

  ――『春秋左氏伝』襄公八年

 洛陽(らくよう)から邙山(ぼうざん)を越えてすぐ北に、黄河の雄大な流れが横たわっている。黄土台地を抉り取り、黄土が流れ込んで黄色く濁った大河は、対岸も遥か遠く、霞んで見えない。

 洛陽に近い黄河の渡津(わたしば)、歴史に名高い孟津(もうしん)である。「津」は関津(かんしん)、あるいは津関(しんかん)とも総称されるよう、基本的には関所の一種でもある。架橋が可能な場所であれば、橋梁(きょうりょう)もまた、同じカテゴリーに含められる。――つまり、橋の入口と出口が同じ名前であるように、渡津(わたしば)の対岸もまた、同じ名前で呼ばれる。


 だが、黄河の南岸は、すぐ間際まで邙山の急峻な丘が迫っていて、大きな(みなと)には適さない。故に、南岸には小南津(しょうなんしん)五社津(ごしゃしん)などの、比較的小規模な(みなと)が点在していた。

 

 劉文叔とその配下は、それらの南岸の津から船に乗り、黄河を渡る。

 北岸は、未知の領域である。幼少期、県令だった父親について赴任した土地も、黄河の南岸ばかりだった。


 黄色く濁った大河の流れを睨みながら、文叔は思う。



 河の清きを()つも、人寿幾何(いくばく)ぞ。(俟河之清、人寿幾何。)



 黄河の濁流が澄むのは、ある種の瑞兆とされる。それを待ち続けるうちに、人の寿命など尽きてしまう――。


 ああまるで、この大河は人の生死を分ける河のよう。あるいは男女を別つ深い淵か。

 彼岸(ひがん)此岸(しがん)。これを越えれば、陰麗華とは遠く離れ、下手をすれば数年、会うこともできなくなる。


 船の上から、今、彼が旅立った南岸を眺めれば、緑の邙山の嶺がどんどん小さくなる。洛陽はあの向こう。

 文叔の心に、一気に望郷の念が高まる。帰りたい。行きたくない。河に飛び込んで、泳いででも戻りたい。陰麗華、陰麗華がいない。ずっと孤独だった、戦争も別に怖くない。ただ、河の向こう岸には陰麗華がいないのだ。離れてはだめだ。手を離してはだめ。自分には、陰麗華しかいないのに――。

  

 船の甲板、欄干を握り締め、身を乗り出す文叔の肩を、朱仲先が掴んで止める。


「おい、落ちるぞ!」

「……落ちてもいい、泳いで、南岸に戻る!」

「馬鹿! 死ぬぞ、やめろ!」

「でも、陰麗華がっ……!」

「文叔!! 落ち着け!」


 耳元で厳しい声で朱仲先が言う。


「みんな、故郷に帰りたいに決まっている。それを、お前のために付いてきているんだぞ! そのお前が取り乱してどうする!」


 すっと、鳩尾(みぞおち)が冷える。

 そうだ。誰だって故郷を離れたくない。河の向こうなんて行きたくない。でも、主君である文叔が河北討伐の命令を受けてしまったから、仕方なく行くのだ。


 僕のために――。


 文叔は深呼吸する。

 河北は、気候も違う。こんな湿った風は吹かないかもしれない。


 遠ざかる南岸を眺め、望郷の念を断ち切る。

 陰麗華。必ず、必ず戻る。絶対に、何があっても――。





 望郷の念に駆られているのは、文叔だけではなかった。

 潁川(えいせん)郡の名族の御曹司である王元伯もまた、船の欄干に縋って涙目で南岸を見つめていた。

 それに気づいた文叔が声をかける。


「大丈夫か、船酔い?」

「い、いえ……そうではなくて……」


 王元伯が四角い顔を俯かせる。


「実は……僕には故郷から従ってくれる者が数十人いたのですが……河を渡るというので、いろいろ言い訳をして、半分以下……いえ、ほとんどいなくなってしまったのです……」


 この時期の豪族は、一族郎党の他に、賓客と呼ばれる者たちを、数十人単位で引き連れている。そこそこ教養のある者から、どう見てもゴロツキ、あるいは流民上がりの者まで千差万別であるが。王元伯は潁川の名族の出で、父は郡でも有力者だった。跡継ぎの王元伯にも媚びを売り、諂い、付き従う者も多かった。だがそれらはすべて、彼が潁川郡の地本の名士であることに由来する。河の向こうの河北では、単なる田舎の若造に過ぎないと、彼を見限って離れる者が続出したのだ。

 王元伯は昆陽の包囲を突破した勇猛果敢な男だが、根は田舎のお坊ちゃんである。親しい者がいなくなれば、不安にもなる。


「……なるほどね……」


 そういう雰囲気は文叔自身も自覚していた(だから帰りたくなったわけだが)。

 

「故郷に帰りたいのは当然だよ。僕も帰りたいね……ふふふ、君も帰ってもいいよ?」


 冗談めかして言えば、しかし、意気消沈していたはずの王元伯は、ムキになって言った。


「まさか! 僕は劉将軍についていきますよ! 河北であろうが、地獄の底だろうが!」

「いや、僕は地獄の底とか行くつもりないし」

「いえいえ、地の果てまでもお供しますよ! 嫌がられてもついていきます!」

「もしかしてそれは嫌がらせなの?」

「何の話だよ」


 朱仲先に窘められ、二人は笑い出す。

 黄河を渡る河風が、鎧の上に羽織った斗篷(マント)を靡かせる。顔に当たる風が冷たく、そして濁った水の川浪が、陽光にキラキラと輝いていた。


「潁川の者が全員いなくなったとしても、君は独りになっても残るわけだ。頑張ろうぜ、『疾風は勁草を知る』ってね」


 強い風が吹けば、弱い草は皆、ちぎれて飛んでいき、本当に強靭な草だけが残る。

 逆境に遭うことで、ようやく、ほんものの強い(オトコ)がわかるのさ――。


 遥か彼方に、北岸がうっすらと姿を現した。







 黄河の北岸は、太行山脈の際に張り付くように、古代からの(まち)が数珠つなぎに連なっている。十月に黄河を渡った文叔ら一行は、左手に急峻な太行山脈の山並みを、右手には茫漠と広がる平原を見ながら北上した。

 

 一応、文叔は『漢』の皇帝・劉聖公に派遣された、破虜(はりょ)将軍行大司馬事(こうだいしばじ)である。皇帝権力の一部を委任されていることを示す、「(せつ)」と呼ばれる旗指物の一種も持っている。


 ――こんなのが役に立つとは思えないんだけど。


 文叔は、その、馬の尻尾の毛で作られた、ぽわぽわの旗指物を見上げて思う。もっとも、普段は節衣(せつい)と呼ばれる、袋に仕舞ってある。 

 

 それでも、皇帝のご威光を河北に広めるのが、文叔の本来の目的であるから、通り過ぎる郡県では一応、二千石(にせんせき)官(つまり郡太守)以下、県の令長(*1)、三老(*2)、郡県の属吏を集め、ちょうど漢代の州牧(*3)がするように、郡内に問題がないか、王莽時代の苛烈な法がそのままになっていないかチェックし、ややこしい王莽時代の官名を、漢の馴染んだものに戻すなどした。王莽が殺されてしまい、どうしていいかわからずにいた郡太守などは、喜んで文叔を受け入れ、肉や酒なども献上してくれる。《漢》の皇帝の威光というよりは、新が滅んで無政府状態に陥っていた地方官府は、何でもいいから上に政府をいただかないと、住民を支配する正統性がなくなってしまうのである。


 ――この時点の河北には赤眉(せきび)青犢(せいとく)といった、農民反乱あがりの武装勢力が割拠しているだけで、組織的に天下取りを目指す対抗勢力が存在しなかった。もし、河北の人間から見て、より魅力的な対抗勢力が興起すれば、よそ者の劉文叔などあっさり捨てられる。


 黄河に近い河内(かだい)郡、河東郡辺りでは、皇帝の節はそれなりの効力を発揮し、行大司馬事・劉文叔は歓迎された。ただ、北上するにつれ、郡県の態度は微妙になる。河北の北には、前漢以来の王国が点在している。王莽によって諸侯王はすべて取り潰されてしまったけれど、「おらが殿様」の威光は消えない。劉氏とはいえ、河の南の聞いたこともない土地の列侯の一族。昆陽で百万を破ったという評判が、辛うじて文叔の権威を支えていた。 


 空気の変化を感じながら、文叔は(ぎょう)(現・安陽市)の(まち)に入る。周辺最大の都市、趙国の都、邯鄲(かんたん)はもう、目と鼻の先だ。

 文叔は宿舎の部屋で、(きぬ)に描かれた地図を広げ、腕を組んで考える。


 ――河北を制圧しろと言われたけれど、どうすればいいんだよ。


 何しろ土地勘もないし、知り合いもいない。……常山まで行けば、太守として赴任している鄧偉卿(とういけい)がいるけれど、彼がどの程度、河北を掌握できているかもわからない。


 文叔は思い至る。

 戦略の欠如。――そう、僕には戦略がない。


 例えば目の前に敵がいて、数が幾つで、自軍が幾つで、地形がどんなで。

 その条件が与えられれば、勝つ方法を考えるのは、割に得意だ。

 

 だがそもそも、どこをどう攻めて、どこに本拠を置くのか、どういうプランで河北を討伐するのか。


「とりあえず邯鄲かなあ……」


 考え込んでいると、朱仲先が顔を覗かせた。


「おお、何やってる。お湯、もらってきたぞ」

「ああ、悪い」


 文叔は地図をそのままにして、朱仲先が運んできた桶のお湯で顔を洗い、身体を拭く。――河北は南陽よりもうんと乾燥していて、寒さも厳しい。


「唇がバリバリになる……」

「全くだな」

「酒は美味いんだけどなあ」


 ぶつぶつ言う文叔と、(しょう)の上に広げられた地図を見比べて、朱仲先が言った。


「何を悩んでる」

「いやさ、どこに行ったらいいかわからなくてさ」

「とりあえず邯鄲だろ」

「やっぱそうだよねー」


 文叔は頭を掻く。


「髪も洗ったらどうだ」

「いや、これは一種の願掛けで……」

「願掛け?」

「陰麗華の元に帰るまで、髪は洗わないでおこうかと……」

「ヤメロ! 今すぐ洗え!」

「ええ――」


 と、そこへ、王元伯がやってきた。


「劉将軍! 怪しい奴を捕まえました!」

「怪しい奴?」


 文叔と朱仲先が顔を見合わせる。


「俺たちが鄴の、ここにいるの知って、劉将軍に会わせろと若い男が――」

「若い男?」


 男色だったら嫌だなと、反射的に思って眉を顰める。


「名前は聞いたの」

「ええっと鄧仲華(とうちゅうか)――」

「えええええ!」 


 文叔は絶句する。文叔と鄧仲華は、王莽の天鳳元年(西暦十四年)、同時に長安の太学に遊学に行き、文叔は天鳳六年(西暦十九年)に南陽に戻ったが、博士たちの覚えもめでたい優等生だった仲華は、その後も長安に残った。仲華は地皇三年(西暦二十二年)の夏前、長安周辺の情勢が不安になったこともあり、南陽の新野に帰ったけれど、邸に閉じこもって人に会うのを避けていた。この頃、文叔もまた、日増しに強くなる郡の圧迫もあり、自ら鄧仲華に会いに行くことをしなかった。――巻き込むことを恐れたのである。地皇三年の十月に、文叔ら舂陵(しょうりょう)劉氏は挙兵し、鄧偉卿もそれに呼応して郡県から追われる身となったけれど、没交渉を貫いていた鄧仲華には官憲の手は伸びなかった。


 その後、母に勘当されて新野の陰家を追い出された陰麗華を、(えん)の城を包囲中だった陰次伯のもとに送り届けたのは、他ならぬ鄧仲華だとは聞いていた。だが、鄧仲華自身は、宛からすぐに新野にとって返してしまった。天才少年・鄧仲華の盛名は南陽に轟きわたっており、ブレーンとして幕下に抱えたいと思う者は多かった。しかし、仲華は誰の誘いにも乗らず、新野で隠者のような暮らしを続けていた。だから、仲華は叛乱に関わるつもりがないのだと文叔は思い、敢えて声をかけずにきた。

 何より、別れた時、仲華は十七歳の白皙の美少年で、長安でもしょっちゅう、傷寒(かぜ)を引いては寝込んでいて、家僮(ボーイ)の捷と一緒に、文叔が看病してやったのだ。叛乱なんかに参加させたら、あっという間に死ぬんじゃないか、そんな風にすら思っていた。


 その鄧仲華が自ら、なんと黄河を渡って鄴の(まち)まで追いかけてきた。

 更始元年(西暦二十三年)の冬。実に四年ぶりの再会となる。


 王元伯に命じて、慌てて宿舎に引き入れさせる。河を渡る前に馬車を処分したため、鄧仲華と家僮の捷は基本徒歩で、農民の荷馬車やらに便乗させてもらいながらの旅だったという。

 

 旅の埃に汚れ、日に焼けた若い男。――記憶にあるよりはいくぶん、男っぽくなってはいるものの、相変わらずヒョロリとどこか頼りない、かつての親友、鄧仲華。 


「……仲華……」

 

 四年ぶり、二十一歳になっているはずの仲華は、さすがに長旅にくたびれてはいるらしいが、木の杖をついてニヤリと笑った。


「劉将軍に拝謁をお許しいただき、誠に恐悦至極……」


 明らかに、心の籠らない挨拶に、文叔も吹き出しそうになり、ついつい、諧謔(ジョーク)の一つも飛ばしたくなった。文叔の悪い癖だけれど。


「これはこれは、新野に名高き鄧仲華先生ではありませんか! 今まで無視していたくせに、今頃になってわざわざ、こんな黄河の北まで来てくださるなんて! もしかして、私が行大司馬事として、官爵を与える権限を得たと知り、官職を得るために遠くまでいらしたのですかな?!」


 意地悪な言い方に、横にいた朱仲先などは真っ青になり、文叔を怒鳴りつける。


「馬鹿野郎! わざわざやってきた友達に何て言いざま――」


 だが、皮肉なことでは鄧仲華も負けてはいない。にやりと笑った笑みを深くすると、胸を張り、わざとらしく顔の前で手を振った。


「いえいえ、まさかそんな。官爵など望んでおりません!」

「では、何をお望みかな?」


 芝居がかったやり取りに、鄧仲華は整った顔にすっきりした笑顔を浮かべ、のうのうと言ってのけた。


「私が望むのは、ただ、明公(あなた)の威徳がこの天下四海に加わり、(わたくし)が功績をほんのちょっと得て、竹帛(史書)に名を残してみたいと、思っただけです」


 二人はしばらく無言で顔を見合わせ、それから同時に噴き出した。


「なーに、偉そうに言ってんだ!」

「ばっかじゃないの!」


 あははははは! と二人して大笑いする。その様子に朱仲先も笑い出し、周囲に控える王元伯も胸をなでおろす。


「何だよ、今頃。もっと早く、洛陽にいるときに来てくれれば、皇帝の側近官でも何でも、紹介してやれたのに」


 文叔が言えば、鄧仲華はいかにも嫌そうに、整った顔を歪める。


「嫌だよ、何で僕が劉聖公なんかに仕えなきゃなんないの。頭の悪い奴に説明すると疲れるんだよ」

「だからって、何も、僕が河北に島流しになってから、追いかけてこなくてもいいのに」

「いや、まあちょっとね、いろいろと別の行きがかりもあったからさ……」


 鄧仲華は周囲をちらりと見まわして、それから言った。


「ここに来るまでに、馬車に乗せてくれた人がいるんだよ。その人が、文叔の下に付きたいって言うからさ。南陽の人だよ。呼んでもいいかな?」

「南陽の?」

 

 文叔は首を傾げる。南陽の人間だったら、何も河を越えて文叔に仕えなくとも、洛陽の劉聖公に仕えておけばいいはずだ。聖公本人に繋がりをつけられなくても、なんやかんや伝手はある。


「劉孝孫さんの下についていたんだけど、洛陽政権内ではイマイチ、水が合わないみたいなんだ。洛陽を落としたら、あいつらは内部抗争ばっかりだし、やっぱり緑林(リョクリン)上がりが幅を利かせているらしくて。で、劉孝孫さんから紹介状を貰う形で、河北の文叔のところに行くって」

「孝孫兄さんの?」

 

 劉孝孫は父親を亡くした後、文叔の父が養って育て、兄・伯升と双子のように育った。――母は、本当の息子である文叔よりも、孝孫を可愛がっていたし、文叔にとってはやや、複雑な相手だ。


「孝孫さんの奥さん、小長安で亡くなったらしいけど、その兄さんが新野の来君叔さんでしょ? 僕が新野だって聞いて、部隊に入れてくれたんだよね。おかげでここまで、無事で来られた」

「なるほど。もちろん会うよ」

「そう、じゃあ、呼んできてもらうよ。ちょっと変わっているけど、気のいい人だから」


 鄧仲華に言われて引き入れられたのは、背もすらりと高く、いかにも強そうな、そしてやや不良っぽい男。鎧なども金をかけているらしく、武装姿もかっこいい。その男が入ってくるやいなや、文叔の前に膝をつく。


「お控えなすって!」

「はあ?」


 ギョッとして身構える文叔に向かい、男は膝を落とした姿勢で、滔々と口上を述べる。


「てめえ、生国は南陽の冠軍、姓は()、名は復、(あざな)は君文と発しやす! 舞陰の李先生に『尚書』を習いまして、『略ぼ大義に通じ』ておりやす!」

「そ、そうなの? ぐ、偶然だね、僕も太学では『尚書』を専攻したよ」


 文叔が辛うじて口を挟むと、男は日に焼けた精悍な顔に笑顔をのぼせる。


「それは重畳。あっしは県の小せえ吏をやっておりやしたが、その時に塩を運ぶ仕事をして、盗賊に襲われましたんでございやす。同僚どもが塩を投げ捨てて逃げる中、あっしは一人、盗賊に歯向かい、向かい寄る奴らをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、とうとう撃退して、塩を守り切ったのでございやす! 南陽冠軍の、『塩を守った男』とは、あっしのことでござんす!」

「は、はあ……それはそれは……」


 まるで講談師か何かのように、抑揚たっぷりに自身の武勇伝を語る男に、文叔は完全に気圧されていた。


(何なのこの人。ちょっと変わってるどころじゃないんじゃ……)


 文叔が救いを求めて周囲を見回すが、男を連れてきた鄧仲華はニヤニヤしているだけだし、朱仲先も王元伯も、そして馮公孫も笑いを堪えた表情で見ているだけだ。

 奇妙な格好で口上を述べていた男、賈君文は、すっと態勢を戻し、にやりと笑うとダメ押しのように言った。


「というわけで、大司馬の劉将軍のもとでお仕えし、天下統一のお役に立ちたいと、黄河を渡ってまいりやした! これが劉孝孫将軍の(てがみ)でござんす!」


 文叔が男の差し出す書を受け取ると、何でも、少々喧嘩っぱやくて、劉聖公の下では上手くやれそうもないし、だが文句なく強いので河北に送る、と書いてあった。

 

「……じゃ、じゃあ、これからよろしく」


 文叔がどもりながら言えば、賈君文は「ふーっ」と額の汗をぬぐい、言った。


「あー疲れた、後は普通に喋っていいっすかね?」

「普通に喋れるんなら、最初から普通に喋ってよ!」

「いや、そこはそれ、様式美ってやつっすよ。(イチ)の劇団のやってる劇では、主君にお仕えするときはこんな感じでしょ?」


 どうやら、賈君文は市で演じられる英雄史劇を、真に受け過ぎていたらしい。素に戻ったらしい賈君文を見て、馮公孫が言う。


「南陽冠軍の賈君文殿の名は、潁川でも聞いたことがあります。めっぽう強く、漢気(オトコギ)のある御仁だとか」

(それがし)もお名前は聞いておりますな。『塩を守った豪の者』と」


 傅子衛も頷き、文叔はホッと息をつく。


「公孫や子衛がそう言うなら、間違いはないんだろうけどさ。びっくりするじゃん。もう!」

 

 文叔は改めて賈君文を見る。年齢は文叔と同じ年頃か、でも上背もあり、不良っぽいけれど頭もよさそうだ。戦力的にも、期待が持てそうな体つき。


 鄧仲華に、賈君文。

 慣れない河北で、これから苦労するとわかっているのに、わざわざ河を渡ってまで、文叔を追いかけてきた新しい仲間たち。

 王元伯に馮公孫、そして傅子衛。

 潁川から文叔に付き従い、河の向こうでも衰えない忠誠を誓う彼ら。


 疾風に勁草を知る。


 逆風に煽られても、強い草は生き残る。そして蔓延り、やがて荒れ果てた地を、緑の野原に変えていく。


 少し、頑張ろうという気分になる。

 文叔は懐に手を入れる。結婚の証に切った、陰麗華の結髪。陰麗華が文叔の無事を思って縫い上げた、絮衣(わたいれ)


 そうだ、漫然としている場合じゃない。河北を支配下に入れ、地歩を築き、南陽に、陰麗華の元に帰るんだ――。


 新しい仲間を加え、懇親の宴会の準備を王元伯と馮公孫に言いつけた文叔の耳元に、いつの間にか近づいた鄧仲華が囁いた。


「文叔、大事な話がある。僕と――そうだな、朱仲先の、三人だけで話したい」

「……話?」


 仲華の声の調子が、さきほどまでと打って変わって、暗く、不吉なものを漂わせていた。

 文叔は皆を下がらせ、鄧仲華と朱仲先だけを、部屋に残した。


「何が、まずいことがあったの? 南陽で?」

「陰次伯からの伝言だ。陰麗華が、洛陽宮に囚われた」


 文叔の周囲の、音が消えた。


 

*1

県の令長

県の長官は戸数によって名前が異なる。一万戸以上の県=県令(秩石は千石~六百石)。一万戸以下の県=県長(秩石は五百石~三百石)。その下に副官の丞と武官の尉がいて、長吏と総称される。いずれも秩石は四百石~二百石。さらに少吏と呼ばれる百石以下の官吏がいて、ここまでが中央派遣。

県の下に郷という行政単位があり、郷ごとに三老、嗇夫(しょくふ)(納税・裁判を担当する事務方)、游徼(ゆうきょう)(警察担当)がおり、十里ごとに置かれる亭には亭長がいた。


*2

三老

地域から選ばれる、顔役。教化を担当する。郷三老と県三老がいる。町内会長がもうちょっと偉くなった感じか。


*3

州牧

前漢武帝時代に「刺史」として置かれた監察官。州内を廻って、郡太守を監察する。成帝時代に州牧と改め、秩石も二千石官に。哀帝建平二年に刺史に戻され、元寿二年にふたたび州牧に戻される。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ