太学
於是既庶且富、娯楽無疆、都人士女、殊異乎五方、游士擬於公侯、列肆侈於姫姜。
――班固・西都賦
是に於いて既に庶く且つ富めば、娯楽は疆り無く、
都人士女、殊に五方に異なり、
游士は公侯に擬せられ、列肆は姫・姜よりも侈れり。
長安の人口は多くかつ人々は富み栄え、楽しみごとに制限はなく、
都の人々は、特別に他の地域とは雰囲気も違っていて、
そぞろ歩く人は王侯貴族のように振る舞い、
居並ぶ店の女たちは大国の姫君よりも着飾っている。
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関中と関東を距てる関所と言えば東の函谷関が名高いけれど、南陽郡から常安に入るには、宛から西に向かい、弘農郡に入って析県を過ぎ、南の武関を抜けるのが近い。劉文叔と鄧仲華も当然、そのルートを取った。
文叔は何度も常安は訪れたことがあるが、仲華は初めてだった。まだ十三歳の仲華は、そもそも南陽を離れたことがない。仲華の母が心配して常安まで着いて行くと言い張るのを、恥ずかしいからやめてくれと止めたのは仲華である。たまたま、親戚の鄧偉卿の義弟にあたる舂陵の劉文叔が太学に入るからと、鄧家から頼んで同行してもらうことになった。
太学に入学するには、県校や郡校でそこそこの成績を収め、郡県の長官から推薦をもらわなければならない。普通に勉強していれば二十歳前後で得られるその推薦を、鄧仲華はわずか十三歳で獲得した。おかげで、仲華は数十年に一人の天才少年と騒がれる羽目になった。やっかみ交じりの陰口を叩かれたり、「そんな小さいのにお勉強熱心で」と馬鹿にされたり、いろいろあった。特に同時期に太学入学の資格を得た年上の男たちからは、「こんなガキと一緒とは……」という露骨に嫌そうな視線を浴びてきたので、仲華は二十歳だという劉文叔を当初、かなり警戒していた。
だが、鄧偉卿の家で対面した劉文叔は、すらりとした均整の取れた体躯に彫りの深い容貌の美青年で、鄧仲華を見てニッコリ笑った。
「君が噂の神童の、鄧仲華? よろしくね」
「よ、よろしくお願いします……」
おずおずと頭を下げた仲華に、文叔は、
「僕たちは太学の同期生になるんだから、敬語はいらないよ。君は一番の成績で推薦されたそうじゃないか。もっと胸を張って威張っていいんだよ」
と言って、心配そうに見守る仲華の母にも、
「僕は何度も長安まで往復したことがありますし、今、太学には友人の朱仲先がいるから、向こうでも問題なくやっていけると思います。彼のことは任せてください」
と請け合った。母は、
「本当はわたしが着いて行きたいんだけど……」
と言えば、文叔は首を振った。
「兄貴や朱仲先を尋ねて太学の宿舎も何度か行きましたが、僮を連れている奴はいたけど、母親がついているのは見たことがないですね。子供扱いされたくないのなら、親離れすべきでしょう」
その言葉は鄧仲華の考えと同じだったので仲華が頷くと、母も渋々同行を諦めてくれた。
常安までの旅で、鄧仲華は劉文叔とすっかり打ち解けた。何度も往復している、というだけあって、文叔は道に詳しく、宿泊場所もいつも頼んでいる知り合いの家が点々とあって、全く問題なく旅を続けることができた。やがて京兆尹に入り、首都圏に足を踏み入れる。藍田を過ぎたあたりからは往来する馬車も増え、人の行き来が活発になり、道行く人の服装も何となく小洒落た印象がある。伸びてきた黍や粟の畑が広がる向こうに、杜陵(宣帝陵)、覇陵(文帝陵)といった、漢の歴代皇帝の巨大な陵墓の威容が迫ってくる。
「手前のが宣帝陛下の御陵、その向こうの少し小さいのが、文帝の薄太后の南陵、そのすぐ向こうが文帝陛下の覇陵だよ」
馬車を馭しながら、劉文叔が指を指す。その陵墓群を右手に見ながら馬車はなおも進み、やがて長安城の南郊外に出た。前方に見える一際高い建物が霊台、その隣に辟雍があって、辟雍の中央に明堂が建てられているという。
「いや、僕も見たことはないんだけどね。いろんな儀式をするための建物だそうだよ」
「明堂は『天子布政の宮』(*1)ってやつだね」
「ああ、そんなことがどっかに書いてあったね。……太学はそのとなり」
太学は常安の南の門である、安門のすぐ南側に広がる。万を越える学生を収容するための宿舎も完備し、広大な敷地の内部には市も獄もある。
「宿舎は広いから迷うと大変だよ。――取りあえず舎監に聞いて……荷物だけ置いたら、朱仲先のところに行こうぜ。書簡は送ってあるから、中を案内してもらおう」
劉文叔は馬車を太学の門に着けると、ひらりと飛び降りた。
宿舎は土間敷き平屋建ての長屋のような建物がいくつも並んで、気を抜けば迷いそうだった。幸いにも二人の部屋は近く、狭いけれど一人部屋で、備え付けの牀が一つ、殺風景な土間に置かれていた。長櫃を二つばかり持ちこめば引っ越しは終了で、鄧仲華は三歳年上の僮の捷を伴っていたから、彼に掃除を任せて部屋を出る。文叔の部屋をのぞいてみると、文叔は家僮を伴わないので、ついてきた男に銭挿しを渡し、これから馬車を南陽に戻すよう命じているところだった。鄧仲華も旅の間に世話になったので、少しばかりの駄賃を渡し、別れを惜しむ。戻っていく馬車を見送ってから、文叔に尋ねた。
「僮無しで一人で大丈夫なの?」
文叔がちょっとだけ肩を竦める。
「兄貴がケチでさ。つけてくれなかった。……まあ、男の一人暮らしもオツなもんだろう?」
「でもご飯とかどうするの? 自分で作れる?」
「粥ぐらいなら炊けるけど……でも、槐市の屋台では食い物も結構、揃うんだよ。大丈夫、死にはしないよ」
文叔は笑い、長櫃から辱と衾を取り出すと、それを無造作に備え付けの牀の上に置いた。それから蒲鉾型の竹製の枕も取り出し、頭の部分に設置せて、パンパンと手を叩いて鄧仲華に振り向いた。
「さあ、これでいつでも寝られる。……君の方の準備は?」
「僕は阿倢がいるから……」
「彼の寝床は?」
「今夜は床で大丈夫だって。数日内に筵でも買ってくるって言ってた」
「じゃあ、仲先のとこに行こうぜ」
そう言って、文叔は手土産に持ってきた醳酒の壺と干し肉の束を抱えると、二人連れ立って部屋を出た。
朱仲先の部屋は隣の棟であった。すれ違う人に快濶に挨拶しながら文叔はずんずん進んでいく。まだ背が伸び切っていない仲華は身長が彼の肩口までしかないから、弟か、お付きの僮に見えているだろう。――それにしては、僮ではなく主人らしき青年が荷物を持っているのは奇妙に見えるだろうが。
やがて、ある戸口で文叔は立ち止まり、声をかける。
「仲先か? 僕だよ! 舂陵の劉文叔だ!」
と、ドタバタと足音がして扉が開き、ひょろりとした、目がぎょろっとした男が顔を出す。
「ああ!今日だったか! 悪いな、すっかり忘れていて、これから杜子春先生の講義なんだ。ちょうど出かけるところで、すれ違わずにすんでよかった。じゃ!」
と男は木簡を編綴した巻物を抱えて、足早に去って行ってしまう。しばしぽかんとして見送っていた文叔が、その後ろ姿に慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ!仲先!仲先ってば!」
だが、男は振り返りもしないで、あっと言う間に角を曲がって姿が消えた。
「……なんだよあいつ……最悪だな」
文叔が呟き、決まり悪そうな表情で仲華を見た。
「しゃーないな。どうする?……自分たちで市とか行ってみる?」
「いや……迷っても怖いし……」
「じゃあ、中で待たせてもらおうぜ……って、なんだよこれ……」
二人は仲先の部屋をのぞいてしばし茫然と立ち尽くす。長櫃の上どころか、牀の上まで木簡の巻物で溢れ、座る場所もなかった。文叔はしばらく考えていたが、仲華に振り返って言った。
「やっぱり先に市に行こう。あいつが日暮れ前に戻ってくる保証ないし」
市は日の入りとともに市門が閉じられてしまう。朱仲先の帰りを待っていたら、今夜の飯に喰いっぱぐれるかもしれない。文叔は醳酒の壺と干し肉を牀の下の見えない場所に隠し、それから仲華を連れて部屋を出ると、隣人に声をかける。
「朱仲先を尋ねてきたけど、留守だからまた後で寄るよ」
「ああ、奴が戻ってきたら言っておくよ」
にこやかに挨拶をして、文叔は仲華を促して太学の北にある市へと足を向けた。
長安には九つの市があり、太学の内部にある槐市はその一つである。もともと槐の木が並んでいるだけの区画で、毎月の朔望(一日と十五日)に学生たちが自分の持ち寄った書籍や衣類、楽器などを売り買いし、槐樹の下で議論していたのがその始まりだ。王莽が元始四年に太学を拡張した際、外部から商人がやってきて常設の市が立つようになった。学生街故に書肆が多く、そして外食の屋台が豊富であった。一人暮らしの若者が多いとなれば、当然、酒肆が立ち並び、春を売る女たちも集まってくる。
……ちなみに、漢代には「娼」も「妓」も漢字が存在しない。女偏のない「倡」「伎」は、歌や踊りなどの技芸を生業とする人々のことで、多くは官奴婢として宮廷に仕えるか、大貴族の邸第に飼われていた。身分的に最底辺に位置づけられた彼らが、――おそらく男女にかかわらず――性的な奉仕を要求されたのは間違いない。旅周りの一座や市で大道芸を売って生計を立てる「倡」「伎」もまた、金銭を対価として色を売ったであろうから、やがて、女偏をつけた「娼」「妓」が売春婦の意味を持つのは自然な流れである。ただ、繰り返しになるが漢代にはその漢字はまだない。そして、特に芸もなく色だけを売った女もいたに違いないが、それが何と呼ばれたかは定かでない。(『詩経』には「遊女」という言葉が出て来るが、これはぶらぶらと散歩している女性のことで、あるいは川の女神のこととも言い、売春婦の意味ではない。)
儒教の礼教主義が浸透する以前の庶民はもっと性に対しておおらかで、金銭の介入はあまり意識されなかったのかもしれない。
さて、話をもとに戻せば、市は日の入りとともに閉まるから、その手の女たちの客引きも当然、日のあるうちから公然と行われる。身長は平均程度ながら目を引く美男子である文叔が市の屋台を冷やかしていると、何度かすれ違う女たちが彼の袖を引っ張った。最初はいちいち立ち止まった文叔だが、そのうちに気にせずに先を行くようになった。
「……連れがいるってわかるだろうになあ……」
最初、意味が理解できなかった仲華も、やがて女たちの目的に気づき、あっと声をあげた。
「心配しなくても、初日から女としけこんだりしないよ」
文叔が苦笑する。
「……それは、機会があればってこと?」
まだ十三歳の仲華は金銭を媒介した性関係など、汚らわしいという風に眉を顰める。
「孔子の道を学びに来て、何をやってるのか……」
さっき文叔の袖を引いた女の肩に、別の若い男が腕を回してどこかに向かうのを見て、文叔も肩を竦める。
「僕も金を払うのは嫌だなあ。金を払わないとヤらせてくれないとは、長安の女たちはケチ臭いな」
「文叔、もしかして、君……」
そう言えば旅の途中、文叔が定宿にしている家は女所帯が多かった。夜中に目が覚めて文叔がいないことが何度かあったけど、あれって……。
仲華の視線に気づいて、文叔がああ、と笑う。
「金は払ってないよ。旦那さんを亡くしたり、行商なんかで長く留守にしてたりして、寂しいんだよ。ちょっとだけ相手をする代わりに、泊めてもらってるの」
「な!……あんた、僕が南陽に戻るときはまた泊めてあげて、とか言ってたけど!つまりそれって……」
「ああ、仲華も五年くらいは長安にいるんだろう? 帰るころにはマトモな男になってるだろうからって……」
「最悪だな、もう。未来の僕を勝手に売り飛ばして!」
仲華が怒るが、文叔はまるで気にする風もなく、手を顔の前で振った。
「いや、だから金銭は介在してないよ。別に一晩話相手をするだけの後家さんもいるし、書簡の代筆をする家もある。君ができる範囲の、お礼の行動をとればいいんだよ。……まあ僕は、迫って来るのを無理に拒まないだけで」
「あんた本当に孔子の徒なの。『礼は庶人に下らず』(*2)って言うけど、あんた士大夫じゃないか」
神経質そうに眉を顰める仲華に、文叔は若いなあと呟いて苦笑した。
「孔子だって野合の末に生まれているんじゃないか。あんまり早いうちから堅苦しいこと言ってると、禿げるぞ?」
咄嗟に両手で頭を押さえた仲華を見て、文叔があははと笑った。
それから屋台でいくつかの食物を買う。まず豚の羹。こってりと一晩かけて煮込んであって、葱や大蒜、姜等の香草を効かせて臭みが少ない、と親父が自慢げに言う。厚手の壺ごとなので結構な値段になる。
「あんた見かけない顔だね、学生?」
「うん。今日、田舎から出てきたところ。……これ、壺持ってきたら、次からは安く買えるのかな」
「俺はいつもこの場所で店を出してる。今日、その壺代を払ってくれるなら、次からはツケでもいいぜ」
「え、ツケでいいの?」
「お得意様になってくれんならな」
親父がニヤリと笑う。そうして親父は陶器の壺を持ってきて、それになみなみと羹を注いだ。
「これごと温めると、割れるかもしれねぇから、気をつけてくれよ?」
「ああ、わかってる」
親父が一枚の板切れを差し出すと、文叔が右手の人差し指を出して板の上に置く。その第一関節と第二関節のところに墨で印を付け、ツケ払いの際の本人確認の札となる。余ったところに文叔が「南陽 劉文叔」と書き込み、親父が板に黒丸を書く。壺一杯、という印だ。
「月末に支払ってくれたら、朱墨で消す」
見れば、木箱の中に大量の木切れが入って、それぞれ名前と、黒丸や赤線が引いてある。結構な人気店であるらしい。
「ありがとう、また来るよ」
愛想よく親父に挨拶して、文叔は屋台を後にした。
「ぼ、僕……まだ外食ってしたことなくて……」
仲華が下を向くと、文叔が笑う。
「田舎じゃあ、飯は家で作って食べるものだしね。宛にも屋台はあるけど、これほどじゃないからね」
「……母さんが、こういうところのご飯は、何が入っているかわからないからって……」
「まあ、孔子も『売っている酒や干し肉は食べない』(*3)って言ってるからねぇ。でも何事も経験さ。……食べ物だけじゃなくて、女もね」
文叔はそう言って、ついで餅を売る屋台に向かう。その店は円筒状の金属の釜でひらぺったい胡餅と呼ばれる餅を焼いて商っていた。
「あ、あれは初めて見るな」
「餅……?」
餅とは穀物を粉にして水でこねて加工した食品の総称であるが、とくに長安では武帝時代に張騫が持ち込んだ、西域由来の小麦粉を使った餅が流行していた。小麦は粉にするのが大変なので、南陽ではまだ普及しておらず、仲華は食べたことがなかった。
文叔はどことなく西方系の顔立ちをした店主から胡餅を十枚ばかり買い、まだ温かいのを手持ちの麻の布に包んで、これは仲華が持った。このほかに炙った狗肉の細切り、瓜と蕪の漬物、干し棗を買い、その隣の店で醪をやはり壺一杯買う。両手が荷物で塞がるころには日も西に傾き、市の門が閉まるのを報せる、太鼓の音が鳴り響いていた。
「門を閉めるぞー! 早く出ないと閉じこめるぞー!」
市の門番に急き立てられるように、二人は市を後にし、仲先の宿舎に向かった。
*1 『孝経援神契』「明堂上円下方、八窻四達、布政之宮、在國之陽。」
*2 『礼記』曲礼上 「礼不下庶人、卿不上士大夫。」
*3 『論語』郷党 「沽酒、市脯、不食」
太学内の市については、「槐市」と記憶していたけれど、改めて何清谷の『三輔黄図校釈』を見たら「會市」になっていた。そしてフリマみたいな市のままだと……。でも「槐市」と引いている史料もあるらしいし、槐市の方がかっこいいのでこのまま押し通す。そして王莽時代には普通の漢代の市のように進化していたはず!きっと!