陥穽
「河北……つまり、黄河を渡るのですか?」
陰麗華の問いに、劉文叔も硬い表情で頷く。
「うん……小平津から黄河を渡って、まずは邯鄲に向かうことになると思うが……」
陰麗華はもちろん、劉文叔も黄河を渡ったことはない。土地も風土も、全く知らない場所だ。陰麗華はふと、縫いかけの絮衣を思い出す。
「……これからの季節、北はきっと寒いことでしょうね」
「そう……だろうな」
「では、こうしてはいられませんね。綿入れの袍をたくさん準備しないと!……わたし、あまりたくさん、衣服は持ってこられなくて……」
陰麗華が衣服の算段をしようと考えるそばから、文叔が言った。
「その……君は、南陽に残ってくれ」
陰麗華が目を丸くして文叔を見上げた。
「わたしを、連れていってはくださらないのですか?」
文叔が背後から陰麗華を抱き寄せ、ようやく膨らみ始めた腹を大きな手で撫でた。
「宛から洛陽に来る旅でも、君は少し体調を崩した。河水を渡って、冬の河北を旅するのは、無理だ。順調にいけば、赤子が生まれるのは来年の二月ごろ。……一番、寒い時期だろう? 君を連れて行って、万一のことがあったらと思うと……」
「でも!……戦争に妻がついていくのは当たり前のことなのでしょう?」
「それは、そうだが……」
文叔は目を伏せた。
「……今回、僕は直接の配下の者しか率いていけない。陰次伯と李次元は洛陽に残るし、鄧偉卿義兄さんは常山太守として赴任が決まっている。鄧少君は育陽を守るために宛に残っている。……だから、僕は君のことは陰次伯に預けて、一人で行こうと思う」
「そんな……」
陰麗華は不安になり、文叔の袍をギュッと握りしめる。
「嫌です。離れるのは嫌。……一緒に連れていってください」
「僕も離れたくはない。でも、君の安全のことを思えば、無理をさせたくない。できるだけ早く戻ってくるから、南陽で待っていてくれないか」
陰麗華はあくまでもついていくと言い張ったけれど、文叔は陰麗華の同行を認めなかった。
もともと従順な性格の陰麗華は、無理を通すことができず、南陽に戻ることを渋々認めた。
それからの数日、陰麗華は縫いかけの絮衣を慌てて仕上げ、それまで縫い溜めた絮衣とともに行李に詰め、その他の衣類もかき集めて、文叔の仕度に駆け回る。明日には洛陽を発つというその夜、陰麗華は文叔の腕の中で、いつまでもぐずぐずと泣いていた。
「……ごめん、そんな風に泣かないで。僕の決心も鈍ってしまうから」
「じゃあ、やっぱり連れて行って」
「それは……」
文叔の大きな手が、陰麗華の素肌を滑って膨らみかけた腹を撫でた。
「僕も河北なんかに行きたくはない。でも、命令に逆らうことはできないし、ある意味、これは好機でもある。うまくすれば、聖公が文句を言えないような手柄を立てれば、安全な暮らしが手に入る。だから、……必ず戻ってくるから、待っていて。出産には……たぶん、間に合わないけれど」
何度も口づけを交わしながら約束を繰り返す。
「……でも、新野に戻っても、お母さまは認めてくださらないかもしれないわ」
「ちゃんと僕からの書簡も託けるし、大丈夫だよ。最悪、宛の李家に君を預かってもらうように算段してある」
「李家?」
陰麗華が身を起こし、文叔の顔を正面から見た。
「……ああ、まだ言ってなかった。さすがに、洛陽から新野まで、君を一人で返すことはできないし、正直に言って、次伯の武力では不安だ。だから、友人の李季文に君のことを託した。彼が洛陽から新野まで、君を安全に送り届けてくれる」
「……李……季文?」
陰麗華が首を傾げる。李季文とは、皇帝の側近で、劉伯升を讒言した人ではないのか?陰麗華の表情から、文叔は彼女の疑問を嗅ぎ取ったらしい。
「季文とは、挙兵以来の仲間で、緒に昆陽の包囲も脱出したんだ。確かに、季文と兄さんの間には行き違いがあって……でも、こんな事態になって、季文が一番、気にしている。何かで償わせて欲しいと言うから、君のことをお願いした」
「……信用して、大丈夫なのですか?」
なんとなく、陰麗華が不安に駆られて尋ねれば、文叔はアハハと笑った。
「まあ、季文はチャラチャラしているけど、悪い奴じゃないよ。兄貴とは馬が合わなかったけど、僕とは気が合ってね。兄貴の一件で、僕を庇ってくれた。彼は信用できるよ。……河北に君を連れて行くのはやめた方がいいと言ったのは、彼なんだ。河北の方は冬は河も凍って、とにかく厳しいと言うから。そんな寒い時期に、妊婦もだけど、赤子の命にかかわるって」
「……そう、なのですか……」
「僕だって君と離れるのは嫌だ。でも、君に過酷な旅を強いたくもない。まして、子供がいるんだし……。君はもう、行大司馬事である劉文叔の妻だよ。君のお母さんであっても、追い出したりはしないよ」
文叔は陰麗華の左手の、薬指に嵌る銀の指に手を触れ、確かめるようにそれに口づけた。
「大丈夫。すべてうまくいくよ。……愛してる。君は僕のもので、僕は君のものだから」
「文叔さま……」
もう一度二人抱き合って、文叔が陰麗華の耳元で誓う。
「……離れるのは、これが最後だよ。戻ってきたら、次から永遠に一緒だ」
それから、夜が明けるまで、二人は互いを求め合った。
翌朝、夫の絮衣の紐を結んでいる陰麗華を文叔が抱きしめ、口づけを交わす。
「君の絮衣は僕を守ってくれる。……必ず、生きて戻るから」
「河北の冬は寒いと聞いています。……もっと、綿を厚く入れればよかった」
「これ以上綿が入ると、身動きが取れないよ」
文叔は微笑み、綿入れの上に袍を羽織り、鎧を身に着ける。
「……ご武運を……」
「ああ、君も元気で、いい子を産んでくれ。見送りはここまででいい。僕の決心が鈍ってしまうからね」
文叔はもう一度陰麗華に口づけ、部屋を出て行く。その背中が見えなくなるまで夫を見送ってから、陰麗華は泣きはらした真っ赤な目で、自身の荷造りを始めた。二日後には、兄とともに李季文の私兵に守られて新野に帰る手筈になっている。――兄の次伯も私兵を抱えているが、洛陽から新野までの道筋、陰麗華を含めた女子供を守るには些か頼りなかった。陰次伯は宛に残った鄧少君を呼び出すつもりだったが、その案は文叔が却下した。その、代わりが李季文なのである。
そして出発の朝、出来上がった荷物を前に、陰麗華が兄の次伯の到着を待っていると、門前に慌ただしい声がした。だが、やってきたのは陰次伯ではなく、背の高いのっぺりした顔の男だった。
「あんたが陰麗華か?」
武装を鳴らしながら近づいてきた男に、陰麗華は丁寧に腰をかがめる。……おそらく、この男が李季文だ。
「李季文将軍でいらっしゃいますか。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「ああ、堅苦しい挨拶はいい。すぐに出発する」
そう言われて、陰麗華はしかし首を振った。
「まだ、兄が来ておりません。もうしばらくお待ちを――」
「ああ、陰次伯殿は別に出発して、洛陽の南の門で落ち合う手筈になっている。だからすぐに乗ってくれ」
「ええ?」
陰麗華と小夏が顔を見合わせる。
「そんな――」
「さ、早く!早く! 洛陽城内にあまりたくさんの兵を置いておけないんだ。一旦、洛陽を出てからじゃないと、私兵の整列もさせられないからな」
もっともらしいことを言われ、李季文に急かされて陰麗華と小夏は馬車に乗せられる。
深く考える間もなく、慌ただしく馬車は劉家の門を出た。
洛陽城は南北に長い長方形で、街の中央に南宮と北宮の二つの宮殿がある。現在、北宮は寂れ、皇帝以下百官は南宮を主に使用していた。劉文叔の舎は北宮の東側にあったから、洛陽城中をほぼ縦断する形で、北宮の城墻を右手に身ながら進むことになる。やがて北宮の城墻が途切れ、前方に南宮の、壮麗な甍が見えた。
だがこの時、馬車が右に曲がり、陰麗華はおかしいと思う。南の開陽門に向かうには、このまま直進するべきなのだ。陰麗華は馬車の中から馭者に向かって叫んだ。
「待って、おかしいわ、どうして曲がるの? 開陽門に向かうのでしょう?」
「いえ、南宮にお連れせよと伺ってございます」
「南宮に?」
なぜ――?
小夏と顔を見合わせるうちに、馬車が停まった。
「開門! 開門! 五威中郎将の李季文閣下だ。開門せよ!」
明らかに異常な事態に、小夏と二人、馬車の中で身を寄せ合っていると、ギギー……と重々しい音がして、南宮の北側の門が開かれたらしい。馬車の垂れ幕のすぐ外側でガシャガシャと鎧が鳴る音がして、ばっと乱暴に垂れ幕が開かれた。
「着いたぜ、お嬢さんがた。さ、とっとと降りな」
李季文が長身を折り曲げるようにして馬車を覗き込む。その背後に南宮の城墻が聳え、鉄の鋲がいくつも打ち込まれた頑丈な門扉がゆっくりと開かれていく。
陰麗華の、本能が告げた。――この中に入ったらダメ!
陰麗華は無意識に叫んでいた。
「イヤ! 行かないわ! イヤよ! あなたは南陽にわたしを送っていくのではなかったの?」
「こっちにもイロイロ事情があんだよ。大人しくついてこれば、乱暴はしねぇよ」
李季文は籠手を嵌めた腕を馬車の中に差し入れ、陰麗華の腕を掴もうとした。
「イヤ! いやよ、触らないで!」
陰麗華はバシっとその手を振り払うが、男は素早く腕を巡らせて、陰麗華の細い手首を掴む。
「やめて! 離して!」
「ああもう、面倒くせぇなあ。……これだからお嬢様は……おい、例の奴を持ってこい!」
狭い馬車の中で身体を捩って抵抗する陰麗華を持て余したのか、李季文は配下に向かって叫ぶ。控えていた従兵が懐から何か白い布のようなものを李季文に渡す。李季文はその布を受け取ると、素早く馬車の中の陰麗華の顔を布で覆った。
咄嗟に顔を背けようとしたが、それよりも早く鼻と口とを覆われ、陰麗華は目を見開く。
――強烈な甘ったるい匂いが陰麗華の脳を直撃し、四肢が麻痺して陰麗華は小夏の腕のなかにガクリと崩れ落ちた。
「お嬢様!」
小夏の声が、遠ざかる――。
目が覚めたのは深紅の部屋だった。遠くで、ボソボソと誰かの話し声が聞こえる。
(紅い――)
明るくも暗くもない部屋、だが黄昏の中にいるかのような、赤い色が周囲を取り囲んでいる。二、三度瞬きすると、陰麗華の意識がはっきりしてきた。紅いのは、彼女の四方に巡らされた、幕の布だった。薄く透けるような帳が幾重にも張り巡らされ、それが紅いのだ。
これだけの布を紅く染めるには、さぞかしたくさんの染料がいるだろう、と陰麗華はぼんやりと思う。それにこの鮮やかな紅色。陰麗華がいつも使う植物性の染料ではなくて、鉱物性のものかもしれない。だとしたらさぞかし高価な――そこまで考えて、陰麗華ははっと身を起こそうとした。だが、頭がズキンと痛み、身体は言うことをきかない。
(あの……変な薬……あれで、気を失って――)
ここはどこかと、わずかに首を動かす。天井もまた、紅い布で覆われていて、しかも天頂には襞を取って花弁のような飾りが作られていた。金の装飾が垂れ下がり、帳の外から内部を照らす光をわずかに弾いている。陰麗華が身を横たえている褥は綿がふんだんに詰められて柔らかく、そしてこれまた艶やかな紅い絹地でできていた。
贅沢な――だが、趣味の悪い部屋だ。すべてが真っ赤に染め上げられていて、陰麗華は目がチカチカした。
(ここ、どこ――小夏は……)
どう贔屓目にみても、ロクな場所ではない。だがここがどこかわからないのでは、逃げ出しようもない。陰麗華は目を閉じ、心を落ち着かせ、遠くの話し声に耳を澄ませた。
「あいつはもう、河を渡ったか」
「ええ、津を出たと報告もありました」
「馬鹿だな、女房が奪われるとも知らずに」
「知ったら半狂乱になるでしょうね。……兄貴の死は流せても、妻が奪われるのは耐えられますまい」
「すぐに、戻ってくるんじゃないのか?」
「情報は統制してあるから、あいつの元には知らせは行きません。早くて一月はかかるでしょう。その時兵を返せば、謀反の疑いありとして堂々と討ち取れる。あるいはその前に河北の露と消えるか……どのみち、あの男に未来はない」
話している男の内、一人は李季文の声だ。でも、もう一人の声には聞き覚えがなかった。低くて、くぐもったような声。
「よもや河北を平定するようなことは――」
「陛下、その時こそ、あの女が役に立つでしょう。女房の裏切りを突きつけて、帰還を命じてやればいい。泡を食って戻ってくるか、あるいは――」
「反旗を翻すか。だが、裏切った女房などあっさり、切り捨てるんじゃないか?」
「あの男の、妻への執着は大概ですよ。病気なんです、〈陰麗華病〉ってね。仲間うちでは有名ですよ」
その言葉に、もう一人の男がくくくくと喉を震わせて笑った。
「真面目そうな顔してなあ……」
「昆陽が包囲される直前に、抜け出して逢いに行ったようですね。六月の結婚だと考えると、腹の大きさがちょっと合わないって思いました。死を覚悟した最後の逢瀬って奴ですかね」
「なるほど、命懸けの恋人ってわけか……」
「あの女が陛下の手の内にある限り、文叔はこちらに手を出せません」
陰麗華の頭がようやくはっきりしてくる。――陛下、つまり皇帝と李季文が謀って、陰麗華を攫った。文叔を追い詰めるために――。
心臓が早鐘のように鳴り始め、陰麗華は思わず身じろぎした。
ここにいたらダメだ。逃げなくては。――でも、どこに?
チリン……何か、仕掛けがしてあったのか、陰麗華の動きにつれて鈴の音が鳴る。
チリン、チリン……
音に気付いた男たちが会話をやめ、立ち上がる。
「もう下がれ、俺はこれから、南陽一の美女の顔を拝まねばならん」
「お手柔らかに。――何しろ妊婦ですから」
「わかっておる。――ご苦労だった」
その声を聞きながら、陰麗華は身を起こし、深紅の帳の内側で周囲を見回す。チリン、チリン……見れば、陰麗華の足首に細い組み紐が結びつけられ、それが帳台の柱に繋がって、鈴を鳴らす仕組みであった。慌ててその紐を解こうとするが、焦りと恐怖で手が震え、結び目を解くことができない。そうこうするうちに足音が近づき、バサリと帳が乱暴に捲り上げられた。
「!!!」
現れたのは、四十手前くらいの、彫りの深い眉の濃い顔だちの男。口ひげは綺麗に整えられ、頭上には洒落た黄金造りの小冠を載せている。――劉家の男たちはみな、彫りの深い顔だちに濃い眉と大きな目を持っているらしい。陰麗華は、この男が劉聖公だと確信した。
「……こ、ここは……? わたしの、侍女はどこです?」
震える声で尋ねる陰麗華を見て、口ひげに半ば隠された、男の厚い唇がニヤリといやらしく微笑んだ。
「確かにこれは――南陽一の美女というのも、フカシではなかったわけだ」
男は白絹の長襦の上に、紅い錦の褶衣を羽織っていたが、それをバサリと脱いで投げ捨て、褥の上に上ってきた。陰麗華は反射的に後ろへとずり下がるが、すぐに壁に阻まれて追い詰められる。男はギラギラした黒い瞳で舐めるように陰麗華を上から下まで値踏みするように見た。その不躾な視線が恐ろしく不快で、陰麗華はギュッと目をつぶって顔を背ける。
「別嬪だな。あの、クソ忌々しい文叔が夢中になるのも、無理はないぜ」
男は陰麗華を壁際に追い詰め、乱れた黒髪に挿していた金釵を掴み、引き抜いた。するりと黒髪が解けて背中から流れ落ち、深紅の褥の上に黒い髪が散らばる。
「それは……返してください! 大事な……」
男の手にあるのが、文叔にもらった金釵と気づき、陰麗華はとっさに懇願する。だが男はニヤリと笑うと、金釵を改めて検分するように見て、「文叔にもらったか」と呟いて、金釵を自身の懐に入れた。
男は陰麗華の、胸高に絞められた帯の下、僅かに膨らみ始めた腹を見ると、そこに節くれだった手を当てた。陰麗華が、恐怖で息を飲む。
「……や、……なに、を……」
「この腹にあいつの子がなあ……あいつと俺とは互いの祖父さん同士が従兄弟になるんだ。……てことはこれは、俺の……何になるんだ? もう遠すぎて他人も同然だな」
アハハハハと笑いながら、その手が陰麗華の腹をねちっこく撫でまわす。
「妊婦を抱くのは久しぶりだ。……どうする、大人しく俺のものになれば、子供は救けてやってもいい」
男の下卑た笑いに、陰麗華は大きな瞳を見開き、必死に首を振る。
「そんな……おね、お願いします! 子供は、子供だけは救けて……っ!」
ガタガタと震えながら、必死に懇願する女を見て、男はいかにも楽しそうに笑った。
「じゃあ、ちゃんとお願いする方法があるだろう? 女が男を歓ばせる、やり方ってもんがあるだろ? 文叔に聞いてないか?」
「そ、そんな……何も……」
恐怖と狼狽で半ば恐慌に陥り、震えて涙を流すばかりの女に、劉聖公は殊更に歪んだ笑みを見せた。半ば口ひげに覆われた大きな口がいやらしく弧を描き、黄ばんだ歯と赤い舌がのぞく。節くれだった大きな手で陰麗華の顎を掴み、顔を上向きにする。
「ああ、そうか。六月に結婚したばっかりって、言ってたな。文叔はずっと潁川と河南の平定に駆け回って、新妻としっぽりやる暇も無かったからな。なるほど、まだまだウブなお嬢様ってわけだ……そりゃあ面白い」
太い親指が陰麗華の唇をなぞり、震える口の中に差し入れられる。
「子供を無事に生みたかったら、俺の言うことを聞くんだ。……何でも、だ。何でも。誓えるか?」
陰麗華の脳裏は絶望一色に染まり、まともに機能しなくなっていた。だが、他に選択肢のないことは理解できた。――逃げる場所も、味方も、陰麗華にはない。
「……ち、誓います! 何でも、何でもします……だから……子供は、救けて!」
劉聖公はくくくくっと肩を震わせて笑うと、少しだけ文叔にも似た満面の笑顔で、陰麗華に言った。
「あはははは、面白れぇ!……全部教えてやるよ、男を歓ばせるってことがどんなことか。文叔の野郎にも教えてもらってないことまで、全部なぁ。アハハハハハ」
劉聖公の卑猥な笑い声が、真っ赤な帳の中でこだまする。劉聖公は陰麗華の耳元に唇を寄せ――頬に、劉聖公の顎髭が触れて、陰麗華がギュッと目を閉じる――冷酷に命じた。
「じゃあ、まずは自分で一糸まとわぬ姿になって、皇帝陛下のご寵愛を下さいませって、俺にお願いするところからだ。……いい子にしたら、子供は許してやる」
陰麗華の頬を涙の滴が流れ落ちる。大きなため息を一つついて、陰麗華の震える手が、黒い帯にかかった。




