火種
文叔は月に数夜、長秋宮にも通うものの、深夜のうちに陰麗華の部屋に戻り、朝食は必ず陰貴人の部屋で食べた。それは陰麗華の妊娠が進んでからも変わらない。
「長秋宮は何も仰らないの? いくら何でもやりようがひどいように思うけれど」
趙夫人は、結婚の決まった于曄の婚礼準備のために、頻繁に却非殿を訪れていたが、その折、ついでに于曄に尋ねた。――皇帝が長秋宮へのお渡りを再開したというのは、後宮内でも噂になっていたからだ。
皇帝といえども、糟糠の妻である正妻には頭が上がらないのが普通だ。亡き劉聖公でさえ、趙夫人をうっとうしがって滅多に来なかったが、来たら泊って、朝飯くらいは食べていった。それが正妻への礼儀であろうと、趙夫人などは思う。
「あちらの、お母様が何が仰ったようですけど、聞く耳を持たれるような方でもないので――」
「それは、そうねぇ……」
「今年も臘祭は、雒陽にいる親族を集めて行うつもりだそうで、陰家の鄧夫人も招待されています」
「……その席で揉めてもいやよねえ……」
「ええ、そうなんです。以前の臘祭で揉めたこともあったとか」
趙夫人が婚礼衣装の刺繍の図案を選びながら言った。
「そう言えば――陰麗華ちゃんは今日は? 珍しく出かけているのね」
「ええ。今日は魏宮人のお見舞いに。……その、本当によくないらしくて。年越しも危ういというお話なので、あちら様がどうしても陰貴人様にお願いがあると仰って」
「ええ? そんなことが?」
于曄が心配そうに言い、趙夫人が驚きに目を見開く。
「長秋宮ではなく、陰貴人に?」
「長秋宮様にももちろん、掖庭令の陸宣さんを通じてお話はしておられますが、それとは別に、どうしてもうちのお嬢様にと――」
趙夫人は柳眉を寄せる。皇后ではなく、敢えて陰貴人にお願いごとというのは、いかにも不穏である。
魏宮人は夫に死なれて後宮で下働きをしていた。戦乱で家族を失い、頼れる親族もいない。皇帝の長女とはいえ、生まれて間もない娘の行く末が気がかりなのはわかるのだが……。
「魏宮人は、元は潁川の出と聞いています。河北出身の長秋宮様より、南陽の陰貴人の方が頼りやすいのかもしれません」
何より、後宮でもっとも文叔の寵愛を得ているのは、誰が見ても陰貴人である。皇后の庇護だけでは心もとない、陰貴人のお情けにも縋りたいと、思うのかもしれない。
「なるほどね。……でも、長秋宮はおもしろくはないでしょうね……」
「そうなんです。それで、お嬢様もあちらに遠慮して、今まではお見舞いも控えていらっしゃったのですが――」
今日明日も知れない、ということで、陰麗華もとうとう、重い腰を上げざるをえなかった。
「あちらは雪香――いえ、許宮人様が常に出入りして励ましていらっしゃるようで、陰貴人様は許宮人様の元の主人ですので、そういう点からも、一度は見舞うべきと」
やがて、ザワザワとざわめきがして、回廊を陰貴人の一団が戻ってきた。
暗い表情だった陰麗華は、趙夫人と于曄が華やかな布を並べているのを見て、少しだけ表情を和らげる。
「いらしていたんですね、趙夫人」
「ええ、お邪魔していますよ! ……掖庭宮に行っていたとか」
「ええ……お見舞いに」
「あちらは――」
趙夫人の問いに、陰麗華は無言で首を振った。
「実は……皇女の義王ちゃんの養育を頼まれてしまって……」
「ええ? 長秋宮ではなくて、陰貴人に?」
陰麗華が困ったように眉尻を下げる。
「赤ちゃんはとても可愛いのだけれど、わたしが勝手に決められることでもないし、それに――」
「麗華ちゃんだって、この後産まなきゃならないじゃない」
「ええ……そうなんです……でも、必死に頼み込まれて、断り切れなくて……」
魏宮人はもともと、陰貴人に似ている、という触れ込みで嬪御に上せられた。母を亡くす娘を、せめてよく似ているという陰貴人に託したいのだと。
「御子の先行きについては、掖庭令を通じて大長秋と長秋宮さまにお伺いを立ててから……と宥めて帰ってきたのですが……」
母を亡くした皇帝の子を誰が養育するのか。後宮が開かれたばかりで前例もなく、貴族出身でもない陰麗華では判断を下すことなどできない。
「……普通の家なら、正妻に一任、という感じになるんでしょうけど……」
長秋宮がどう、感じるかが読めなくて、陰麗華は疲れたように、額に手を当ててため息をつく。
「やっぱり、後宮で平穏に暮らすのは無理なのかしら……」
魏宮人がひっそりと息を引き取ったのは、その翌々日。ひとまず、皇女の義王はそのまま、掖庭宮にて乳母や官婢らの手で育てられることになった。
建武四年(西暦二十八年)の正月が明け、長秋宮との話し合いの結果、皇女義王の養育は陰貴人が責任を持つことになった。
とはいえ、却非殿への引き移りはせず、却非殿に近い千秋万歳殿に部屋を用意することにした。――陰麗華はそれを、自身の出産を見据えた決定ではないかと考えた。
却非殿は南宮の正殿。前殿では政務も、そして朝賀などの重要儀式も行われている。後殿は皇帝の私生活のスペースとして利用されているが、陰麗華ら大人だけならともかく、子供が生まれた後は、あまりに正殿に近く、政務に差し障るのではと、陰麗華は危惧していた。
子が生まれたら――あるいは出産が近づいたら、母子ともに却非殿から居を移すべきとも思い、また皇后の郭聖通よりも遠回しに言われていた。文叔は非常識なほどに陰麗華に執着しているが、政をゆるがせにすることはない。
そのように思えば、却非殿の狭い裏庭や柱の一つ一つも、すべては日々の思い出になるのだと、陰麗華は少しずつ膨らむ腹を撫でながら、愛おしむように毎日を過ごした。
幸いにも義理の娘分となった皇女の義王は、乳母の乳もよく飲み、健やかに生い育ってくれそうである。
二月、皇帝劉文叔は懐に行幸した。
黄河の北岸、太行山脈の麓のこの離宮を、文叔はもっぱら軍都として利用し、しばしば諸将を招集して軍議を開いている。前年に南陽の鄧奉を下し、次なる形勢を定める必要があった。ひとまずの仮想敵は漢中に武安王を自称し、南陽近辺をうろつく延岑と、北方で反旗を翻した漁陽郡の彭伯通と、涿郡の張豊である。
延岑については昨年中、征西将軍の馮公孫将軍が上林でこれを破り、関中を逃れてきたところを、建威大将軍耿伯昭が南陽の穣で破り、さらに建義大将軍朱仲先と征虜将軍祭弟孫が東陽でこれを破るが、延岑自身は逃してしまった。
一方の、北方で反旗を翻した漁陽太守彭伯通は、かつて文叔が河北の薊(現在の北京)で邯鄲の王郎に大敗した時も、呉子顔らを派遣してくれた恩人である。その後も変わらずに北の漁陽郡を治め、文叔軍に兵糧を供給し続けていたが、文叔に対して疑心暗鬼を募らせるようになる。一つにはかつての部下である呉子顔らが文叔のもとで栄達するのに対し、遠く北の大地に据え置かれていると感じたこと、もう一つは、幽州牧として赴任した朱叔元(朱浮)との不仲が原因であった。
建武二年(西暦二十六年)二月に漁陽で反した彭伯通は、幽州牧の朱叔元を薊に攻め、朱叔元は文叔に救援を求めた。朱叔元は、文叔が蕭の叔父の家にいた時代からの、いわば昔馴染みで、文叔は親征してくれると思っていた。しかし、当時、関中の赤眉と対峙していた文叔は、河北に親征できる状態ではなかった。建武三年(西暦二十七年)三月、ついに彭伯通は薊を落とし、自立して燕王を称する。文叔が南陽討伐にかかり切りになる間に、建武三年の末には涿郡太守の張豊までが反し、文叔の河北支配は大きく揺らいでいた。
南陽を平定した後、十月の舂陵行幸の折に、建威大将軍耿伯昭は漁陽征伐を進言する。――耿伯昭の父は漁陽郡と隣合う上谷郡の太守、耿況であり、彭伯通とは古くからの盟友でもあった。反乱を起こすにあたり、彭伯通は耿況を誘うも、耿況はそれを断り、薊に孤立した幽州牧朱叔元への救援の兵を出した。北方は上谷太守、耿況の頑張りで持ちこたえていたのだ。
耿伯昭は文叔に言った。
「俺が自分で北に赴き、上谷郡のまだ徴発していない兵を収め、彭寵(伯通)の乱を漁陽で平定し、涿郡の張豊を討伐し、その勢いを駆って、東の斉地方(現在の山東省)を平定します!」
相変わらず、血気にはやった大言壮語だが、これ以上漁陽を放置しておくことはできない。上谷、漁陽の、いわゆる幽州の突騎――騎馬部隊――こそ、文叔軍の強さを支える主力兵だからだ。文叔は耿伯昭の案を採用し、黄河の北岸の懐に諸将を招集し、以後の方略を定めることにした。
まず、文叔は右将軍の鄧仲華に、関中から戻ってきた于匡と鄧曄をつけ、延岑の討伐を命じた。一方、耿伯昭、朱仲先、漢中将軍王顔卿、呉子顔、祭弟孫ら率い、自ら漁陽への親征を決断する。
二月、文叔はいったん、雒陽に戻る。
懐への行幸にも、文叔は当然のように陰麗華を伴っていたが、すでにお腹はかなり目立っていた。
懐から直接、関中に向かった鄧仲華らの軍が、無事に延岑を破ったとの知らせを受け、文叔は河北への親征を四月と定める。問題は――。
「ご出産はおそらく、四月の末か五月の頭あたりではないかと――」
掖庭令の陸宣が陰貴人の出産の予定を告げると、文叔は眉を顰めた。
「常識的には、雒陽に留めておくべきなのだが……」
醪を温める手を止め、陰麗華が不安そうに文叔を見た。
文叔は最近、伸ばし始めた顎髭が気になるのか、しきりに引っ張りながら言う。
「……前回、君を置いて河北に渡って、戻れなくなった」
「今回は以前よりも順調でいらっしゃいますから、よほどの変事がない限りは――」
陸宣が妊娠の順調であることを告げるが、文叔は唇を固く引き結び、首を振る。
「……魏宮人は、妊娠中に池に突き飛ばされて、早産を引き起こし、そのまま本復ならなかった。これから暖かくはなるが、まだ水も冷たい。今、同様なことが起これば、子も助かるまい」
気を回す文叔に、陰麗華が思わず笑う。
「陛下……池の畔など、わたしは参りません」
「だが、長秋宮や、千秋万歳殿には参るだろう?……何かあったらと心配で、僕の心臓が持たない。雒陽のことが不安で、きっと戦にも集中できないだろう。いっそ、親征をやめるべきかとも思うが、河北の情勢は少しばかり気がかりなんだ」
涿郡太守であった張豊は、彭伯通に追随する形で反乱したが、無上大将軍と号している。
「――どうも背景に、図讖(預言書)の影響があるらしい」
王莽が符命を利用して漢王朝を簒奪して以来、世間には天命を受けたと言って、挙兵をする者が後を絶たない。――ほかならぬ文叔もまたその一人なのだが、それ故に自身の正統性を主張するためにも、他の僭称者は潰さなければならない。
「僕の軍団の主力は幽州兵だ。河北の支配者は誰か、はっきりと示しておかなければ」
そう、言った文叔の黒い瞳は冷徹な為政者そのもので、陰麗華は思わず息を呑む。
「麗華、全力を挙げて君を守るから、ついてきて欲しい。――おそらくは、河北で、出産を迎えることになると思うが」
「主上……」
それには陰麗華よりも先に、陸宣が不安そうな声を上げた。
「その……以前のご出産で赤子を守れなかった小官が言うべきではないかもしれません。ですが、ここ、雒陽宮であれば、小官が万全の備えでご出産に向かうことができます。ですが、河北では……旅の負担はもちろん、宿舎の設備に不安が残ります。せめて懐の離宮であればまだ――」
知らない場所で出産を迎えなければならない陰麗華ももちろん不安ではあった。だが――
陰麗華は四年前の、雒陽宮に取り残された出産の記憶を思い出す。
一人はいや。文叔と離れるのはいや。……我が侭かもしれない。危険かもしれない。でも――
文叔の後宮に入ってから、陰麗華は常に軍旅にも付き従ってきた。田舎育ちの陰麗華は、旅そのものはそれほど辛くない。
――むしろこの雒陽宮に残されるよりは、ずっと――
「御迷惑でなければ、お連れくださいまし。あの時は十月で、冬に向かい、あなたは河北の冬の厳しさを思って、わたしを雒陽に残していかれた。でも、今回は春から夏に向かう季節です。雒陽よりも、北の方が過ごしやすいかもしれません」
そう、陰麗華が告げれば、文叔は黒い瞳を輝かせて、陰麗華を抱き寄せる。
「そうか、ついてきてくれるか、ありがとう。……やはり君を残していくのは辛くて……すまない」
主の決意が定まってしまえば、陸宣はそれ以上は何も言わなかった。
四月朔日の朝請で、陰麗華が河北の行幸についていくと聞いた皇后・郭聖通は、出産を行幸先で迎えるという陰麗華に絶句した。
「……正気なの?」
「陛下も、それをお望みでございますので……」
陰麗華が頭を下げたまま言えば、あくまで寵姫を手放したがらない夫に、郭聖通も呆れたようであった。
「……まさかあなた、陛下の留守にわたくしが何かするとでも、疑っているの?」
陰麗華が驚いて顔を上げ、心底驚いた表情で郭聖通を見つめる。
「え? 何をです?」
郭聖通が自分に危害を加えるなど、考えてもみなかった、という表情に、郭聖通は舌打ちの一つもしたいのを、ギリギリで堪えた。心底、無防備なのか、あるいはそれを装っているだけなのか。陰麗華の立場であれば、疑いを覚えないはずがないのだ。――皇帝・文叔には重々、釘を刺されている。万一、陰麗華に何かあれば、その責任はすべて郭聖通に負わせると。
理不尽とは思いながらも、日ごとに膨らんでいく陰麗華の腹を見るたびに、言いようのない不安に駆られる。
文叔はああ言ったけれど、もし、この女が男児を生んだら……建武元年生まれの皇太子彊と、この夏に生まれるであろう陰麗華の子はわずか三歳差なのだ。二十年後、息子たちの代替わりの時期には、三歳差などなんの意味も持つまい。
もし許されるならば、あらゆる手段を用いても、この女を排除したい。その醜い気持ちをまざまざと自覚して、郭聖通は自らに言い聞かせる。
わたくしは、天下の母であらねばならぬのに――。
郭聖通は一瞬目を閉じ、それから息を吸った。
「そう……陛下のご希望とあらば、仕方ないわ。くれぐれも気を付けて、無事な出産を」
「ありがとうございます」
「実はわたくしも……子を授かったようなの。……まだ、陛下にはお伝えしていないけれど」
陰麗華が黒い瞳を一瞬、見開くが、すぐに唇に微笑みを乗せて言った。
「それはおめでとうございます。さぞ、陛下もお喜びになられるでしょう」
「ええ……ありがとう。この後宮も子供が増えて賑やかになりそうね」
表面的には穏やかな挨拶を交わし、陰麗華は長秋宮を後にする。――後宮の火種は、ぶすぶすと音を立て、見えない地下深くに潜っていく――
四月、文叔と陰麗華は雒陽を発ち、孟津から黄河を渡る。船の上から河に花を投げ、失った子を悼む陰麗華の腹は、臨月を迎えて丸く脹れている。文叔は目を閉じて祈る陰麗華を抱き寄せ、腹をそっと撫でた。
「……今度こそ、守って見せるから」
その言葉に、陰麗華は目を開け、文叔を見て薄く微笑んだが、言葉にしては何も言わなかった。
一行は鄴に入り、十日後、さらに兵を進めて鉅鹿郡の臨平に至る。幽州討伐の発案者たる建威大将軍の耿伯昭と、建義大将軍の朱仲先、征虜将軍祭弟孫、驍騎将軍劉喜らが、懐周辺に集結していた軍団を率いて涿郡太守張豊の討伐に向かう。さらに文集は大司馬呉子顔に命じ、河東の箕山で、武装勢力である五校の賊を討伐させた。
そして五月、文叔と陰麗華は常山郡の郡治、元氏県に入る。
ここはかつて、鄧偉卿が太守を務めていた時、文叔は郡府に幾度も訪れており、勝手知ったる場所だ。文叔は出産を控えた陰麗華のために伝舎を産屋として用意させ、鄧曄と于匡がその警備に当たる。陰次伯もまた、異母妹の出産に立ち会うべく、元氏に従っていた。
先に涿郡に入っていた祭弟孫らが張豊を斬った、という知らせに、文叔の陣営が湧いていたその夜、陰麗華の陣痛が始まったという知らせが入る。
戦勝の喜びもすべて吹っ飛び、落ち着きなく動き回る文叔を、鄧仲華が宥める。
「落ち着きなよ、あんたが動き回ったって、出産には何の足しにもならないよ」
「わかっているけど不安で……」
「あんた、すっかり忘れているみたいだけど、もう四人の父親なんだよ? 今さら――」
「うるさい! 麗華の子は特別なんだ! 他とは違う!」
「ほんとあからさま過ぎ……」
じりじりと時間だけが過ぎた夜明け――
于匡将軍が文叔の部屋に駆け込んできた。
「無事にお生まれになりました! 男の子です!」
男まつりおさらい
彭伯通:彭寵 漁陽太守
朱叔元:朱浮 幽州牧
耿伯昭:耿弇 建威大将軍
耿況 耿伯昭の父 上谷太守
朱仲先:朱祜 建義大将軍
祭弟孫:祭遵 征虜将軍
馮公孫:馮異 征西将軍
呉子顔:呉漢 大司馬
王顔卿:王常 漢忠将軍
鄧仲華:鄧禹 右将軍
鄧偉卿:鄧晨 文叔の亡き姉の夫 陰麗華とは親族
陰次伯:陰識 陰麗華の異母兄




