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河はあまりに広く、あなたはあまりに遠い  作者: 無憂
第二章 燕燕は于き飛ぶ
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燕燕

燕燕于飛、頡之頏之。

之子于歸、遠于將之。

瞻望弗及、佇立以泣。

 ――『詩経』はい風・燕燕

燕燕はき飛ぶに、これきっし之をこう

の子のき帰るを、遠く于きて之をおく

瞻望せんぼうするも及ばず、佇立して以て泣きぬ

          


旅立つ燕は、躊躇うように飛び立ち、また飛び下がる

遠く帰るあの人を、はるばると見送りにきた

小さく遠ざかっていく姿が見えなくなるまで、ただその場に立ち尽くして泣いていた



**********


 その日、母の鄧氏と陰麗華、そして増秩と二人の子は、女主人のこべやで夜遅くまで話し合った。


 「……やはり、行かなければならないかと、存じます」


 増秩は諦観の滲む声で言い、目を伏せた。四十はとうに越し、五十の坂も見えているだろうに、まだほんのりとした色香のあるその容貌は、若い時分にはさぞ、美しかったであろうと陰麗華は思う。


 「でも、かあさん――!」

 

 匡が激情を抑えきれない声で反論した。


 「あいつは、俺の父さんを殺した憎い奴だって――」

 

 その言葉に陰麗華はアッと思う。


 「その――来殿とおっしゃる方のお話では、増秩には男の子が一人いて、さらに妊娠中だった、と。上の男の子も、皇帝陛下の御子であるかのような言い方でしたが……」

 

 増秩が陰麗華を見て、哀し気に頷く。


 「わたしは東郷の出で、夫とは結婚したばかりでした。ただ新都侯家に対する奉仕として、侯家の奥にお仕えして……お邸に上がった時点では身籠っていることに気づかず、その後にふとしたことでお館様のお手がついて……」 


 邸奉公と言っても増秩は水汲みや掃除といった下働きで、主人の目に触れることはないはずだった。だがほんの偶然から主人の目に留まり、夫がいるという懇願も聞き入れられることはなかった。間もなく妊娠に気づき、日数から数えても夫の子だと思ったが、それを言い出すことができなかった。


 「わたしが、何度もお館様の思し召しを拒んだために、夫は些細なとがを言い立てられて、殺されてしまったのです。――もし、夫の種だと知られたら、おそらくこの子も命はないだろうと……」


 匡と曄は似たところがあるが、それは母・増秩からの遺伝であるのは明らかだった。土間に膝をつき、唇を噛んで激情を堪えている匡を目の前にして、増秩は淡々と語る。


 「お館様は人格者との触れ込みでしたが、お邸内は随分、ギスギスしていました。奥様も嫉妬心を剥き出しにされることも多くて、わたしも何度も鞭打たれました。わたし以外にもお館様の閨のご用を受け持つ女は何人もいて、孕むたびに取り換えられるような感じで……息子を無事に産んだ後で、たまたま、他の人が孕んでしまって、もう一度お召があって……」


 そうして、今度は正真正銘、王莽の子を身籠った。――それが曄であって、本来ならば皇女と呼ばれる身分であった。

 陰麗華が茫然として、曄を見る。

 

 「……曄は美人だと思っていたけど、そんな身の上だったの……」


 だが、曄もまた、薄っすらと事情は聞かされていたのだろう、沈痛な面持ちで首を振る。

 

 「どんな事情があれども、二十年も放っておかれて、他の子どもが死んだからって、今さら迎えに来られても……それに、皇女様の暮らしなんて、到底、無理ですよ」

 

 曄の言葉に、陰麗華の母・鄧夫人も頬を手で押さえて言う。


 「そうねえ。それに、高貴な姫君は、大抵は政略結婚の道具にされるだけだものね。今の皇后陛下が産んだ唯一の姫君も、幼いうちに先の皇帝陛下の許に嫁に出されて、十四かそこらで未亡人になられ、ひっそり暮らしておられるそうよ? 綺麗な衣装と豪華な食事はもらえるかもしれなけど、あまり幸せになれそうな気はしないわね」

 

 身近に皇帝の娘がいた――乙女心をくすぐる事実に、一瞬、頭に血が上っていた陰麗華も、それを聞いて冷静になる。曄は陰麗華の侍女としての教育は受けているが、高貴な令嬢としては育っていない。皇帝に引き取られたところで、賤しい女の腹から生まれたと蔑まれ、礼儀作法もなってないと苛められるかもしれない。


 「……わたしは、このままお嬢様や奥様にお仕えしたい。なんとかなりませんか」


 曄の悲痛な訴えに、とうとう、増秩が泣き出した。


 「ごめんなさい……わたしが……二十年も忘れられているから、このままひっそり暮らしていけるとずっと……」

 「かあさん……」


 抱き合って泣き出した二人を見て、鄧夫人は渋い表情をしている。


 「でも、県官おかみのご意向としては、子を引き取るつもりなのでしょう。それを突っぱねれば、おそらくこの陰家がお咎めを受けるわ」

 

 それでなくとも、知らなかったとはいえ、皇帝の娘をこき使っていたとして、理不尽な言いがかりをつけられるかもしれない。


 「それにもう一つ――」


 鄧夫人が匡を真っすぐに見た。


 「……むしろ、男である匡の方が、探している本命だと思うわ。陛下は跡継ぎが欲しいのだから」

 「でも俺は、皇帝の子じゃありません」

 「それをあちらは知らないのでしょう。男の子が生まれたはずだと、陛下は考えている。……匡の父親が皇帝ではないと、他に知っている人は?」

 

 増秩は首を振る。


 「懐能さんが先に身籠って、それでわたしをお召になりました。ですから、懐能さんの生んだ男児の方が、匡よりも数か月ですが年上です。跡継ぎにはならないと思いますが」


 鄧夫人は腕を組んで考え込む。事情を正直に話し、匡は皇帝の子でないと告げた場合の、宮廷の反応が読めなかった。もしかしたら、秘密保持のために殺されてしまうかもしれない。――理不尽極まるが、子供の存在を知りながら二十年放っておいた男だ。自分の種でないと知れば、非情に徹するに違いない。


 当主として富豪の陰氏を切り回している関係で、鄧夫人の耳にはさまざまな噂話が入ってくる。皇帝のめちゃくちゃな政策の弊害と、それに振り回されて処罰を受けた話。六筦りっかん制度という専売制はさらに厳しさを加え、煩雑な規則に対応しきれず、違反して処罰される者が後を絶たない。山東で起きた農民反乱は収まる兆しもなく各地に飛び火し始め、ついに皇帝は、盗賊に対しては春夏も関わらず斬ってもよいとの命令を発した。

 

 春夏は生命が生まれ、育まれる季節。秋冬は命が刈り取られ、死ぬ季節。――刑罰は秋から冬にのみ執行され、暦の上で春がくれば執行は許されない。これが原則であったはずだ。


 その天地のサイクルに則った古来からのしきたりを、皇帝は棄て去ると言明した。


 ――悠悠たる蒼天、此れ何人なにびとなるや。


 鄧夫人はしばし、睫毛を伏せて感慨にふける。

 上つ方の気まぐれに、常に振り回され、虐げられるのは下々の者たち。どれほど富み栄えようとも、鄧氏も陰氏も、ひとたび皇帝に逆らえば、絶大な権力の前に踏みつぶされ、侵奪される塵芥のような存在だ。


 「……守ってあげたいけれど、我が家の手には余るわ」


 鄧夫人の言葉に、陰麗華がびくりと顔を上げる。まっすぐに増秩と曄を見つめる母の瞳は、冷徹なまでに澄んで、迷いはなかった。


 「まず何よりも、わたくしはこの陰家の家族と財産を守らなければならない。あなたたちを庇うことで、家族や家を危険にさらすことはできないのよ」

 「おかあさま……」


 増秩が娘の身体から手を離し、「はい」と頷いた。


 「今まで、ありがとうございました。ご恩は一生忘れません」

 「匡は、どうするの?」


 鄧夫人の問いかけに、しばらく考えていた匡が顔を上げた。


 「俺も、一緒に行きます。――向こうが勘違いしているだけで、こちらに非はないんです。男の俺がいれば、かあさんや妹も少しは守れるかもしれない」

 「真実を隠し続けていく、覚悟はあるの?」

 「――あります」


 その答えに、鄧夫人は頷くと、陰麗華に向けても言った。


 「いいこと、ここで聞いた話は、墓の中まで持っていくのよ。たとえ誰でも、いずれお前の夫となる者にも、けっして打ち明けてはいけない。いいわね?」

 「……わかりました。おかあさま」


 陰麗華は秘密の重さに慄いて、黒い襟の縁取りをぎゅっと両手で握りしめた。






 陰家からの連絡に、新野県とは数度やり取りがあり、年明けに県宰(王莽は県の長官も宰へと変更した)が自ら陰家まで足を運び、増秩と二人の子に面会し、顔の特徴や事情の聴き取りが行われた。報告をまとめ、秘密裡に宮中に上げるという。


 「何らかのご沙汰があるまで、このことはくれぐれも内密に。この方たちの処遇も、出来るかぎり、今まで通りにするように」

 「使用人として使って、後でお咎めを受けるようなことは?」


 鄧夫人の問いかけに、県宰は一瞬、温厚な眉を顰めたが、すぐにもとの穏やかな表情に戻る。


 「見たところ、衣類も栄養状態も悪くない。問題なく遇されていたと、それがしから報告を上げておく。陛下の血を引く者が、このような市井にいたと、知られる方がまずい」

 「奥様方にはよくしていただきました。どうか、お咎めのないようにお願いいたします」


 頭を下げる増秩に、県宰は頷いて帰っていった。帰り際、ついてきた属吏の来君叔が、隅っこにいた陰麗華に声をかけた。


 「助かったよ、嬢ちゃん。見つけられなかったら、俺たちがお咎めを受けるところだった。文叔は、いいに惚れたな」

 「……最近、お会いできていないのですが」

 「ああ、あいつの家、ちょっと大変なことになってな。……突然、ものすごい額の滞納租税を本家がふっかけられて、あり得ないって大騒ぎになってる」


 陰麗華が目を瞠る。


 「舂陵しょうりょう侯家がですか?」

 「そう。舂陵の劉氏だけでなく、もとの復陽侯家の劉氏にも、同様の滞納租税の請求が行われて、どうも新しい前隊ぜんすい大夫の嫌がらせじゃねーかって言われてる」

 「嫌がらせ……」

 「劉氏を苛めて、点数稼ぎをするんだよ。もともと、元の侯家の租税額なんて、いくらでも難癖をつけることはできる。払ったら租税が増えて大夫の手柄、払えなくて劉氏の一人二人処罰しても、やっぱり大夫の手柄ってね」

 「ひどい……」


 不安そうな陰麗華を見て、来君叔が慌てて手を振った。


 「まあでも、殺されるほどの過失ってわけじゃねーし。要は本家のことだし、あいつは大丈夫だよ」

 

 それだけ言うと、「じゃ」と片手をあげ、踵を返して去っていった。







 落ち着かないまま正月は過ぎ、二月に入ってすぐ、皇后が崩御した。相い前後するように、かつての皇太子、統義陽王臨の死が伝えられ、その妻で国師公劉子駿の娘も自殺したという。数日後、さらに追い討ちのように、新遷王の安が薨去した。


 ――何か、尋常ならざることが宮廷で起きているのだと、陰麗華と曄は、互いに言葉もなく見つめ合った。


 もし、臨の死が皇帝によるものならば、皇帝は四人の息子のうち、三人を我が手にかけたことになる。あらたに息子として迎えられる予定の匡もまた――。


 不安な日は唐突に終わりを迎える。

 二月の半ばの雪の散らつく寒い日、前触れもなく、田舎に不似合いな、豪華な馬車が陰家の門前に停まった。その後ろには、一郡を治める前隊ぜんすい大夫の車。


 陰家の堂内で我がもの顔で寛ぐ大夫のしん大人は、陰険で狡猾そうな四十半ばの男であった。頭には進賢冠と呼ばれる官吏の冠を被り、豪華な織りの綿入れの袍に、さらに豪華な褶衣うわぎを重ねている。袖は大きくゆったりして、ややでっぷりしたお腹を翡翠の飾り帯で留めている。


 「皇帝陛下の詔に基づき、陛下の御子とその母御を常安にお迎えにまいった」


 対応に出た鄧夫人を甄大夫は意外に思ったらしいが、長男は天子の御許である常安の太学に遊学中と説明すれば、なるほど、と納得して黒いあごひげを扱いた。


 大夫が待つ中を、ほとんど何の用意もできないままで、郡の属吏たちが曄と匡、そして増秩を堂に引き出す。みすぼらしくはないが、三人の質素な装いを見て大人が眉を顰める。


 「皇帝の御子であるのに、あまりに――」

 「皇帝の御子が着すべき衣類を、このような田舎の寡婦が準備できましょうか」


 鄧夫人の答えに、甄大夫はなるほど、と長い髭を扱きながら頷く。


 「衣類については郡で用意しよう」

 

 大夫が言うには、匡は皇子として功建公、曄は睦脩任ぼくしゅうじんの封爵が与えられるという。任というのは、漢でいう公主にあたるものだ。


 そのまま慌ただしく車に乗せられるところで、増秩が涙を流しながら鄧夫人と別れを惜しむ。


 「ありがとうございました。……御恩は忘れません」

 「わたくしこそ、これまでありがとう。……元気でね」


 馬車に乗りかかったギリギリのところで、奥から走ってきた陰麗華が、曄を呼び止めた。


 「待って、これ……道中はきっと寒いわ」

 

 陰麗華が曄の手に、無理やり何かを押し付ける。それはこの数か月かけて、陰麗華が手ずから仕上げた絮衣ぬのこだった。

 

 「もう、こんな衣類は着なくなるかもしれないけれど、せめて旅の間だけでも……」

 「お嬢様……」


 切れ長の目に涙をいっぱいに溜めて、曄が陰麗華に抱き着いた。


 「さようなら。いままでありがとう。……元気で。幸せになって」

 「お嬢様こそ……」


 しばし二人で抱き合って、目を匡に移すと、匡が陰麗華を見て力強く頷いた。


 「匡も、元気で……」

 「ええ。ありがとうございます」


 雪はだんだんと強くなり、大きな牡丹雪となって鉛色の空から次から次へと降ってくる。ときおり、強い風が門前の枯れた柳の枝を揺らす。急かされて三人は車に乗り、無常に扉が閉められる。ゆっくりと動き出す馬車の扉を、内側から誰かがしきりに叩き、嗚咽が漏れ聞こえてくる。


 ――泣いてはいけない。

 泣いたら、皇帝の処置に反発していると、思われてしまう。

 泣いたらダメ。三人にとっては、これは幸運の始まりのはずなのだから――。


 雪が降りしきる中、車列が見えなくなるまで陰麗華は大門に立ち尽くして見送った。堪えきれない涙が頬を伝い、足元のつもりかけた雪に落ち、消える。


 雪は、その日の夜じゅう降り積もった。







 使用人の親子が皇帝の隠し子だった――。

 意外なできごとではあったが、表面上、陰家は何事もなく過ぎた。陰麗華には新しく、小夏と言う小間使いがつけられ、三人の抜けた穴も埋まり始める。

 だが、この出来事の影響が、予想外のところで出た。


 三月の末、県宰の潘大人が陰家を訪れ、郡大夫からの結婚の申し込みを伝える。あの日、曄と別れを惜しむ陰麗華を、大夫が見初めたのだと言う。


 「しかし……大夫大人には、奥方がいらっしゃいますでしょう?」

 

 鄧夫人が訝しめば、潘大人も頷いた。


 「左様。二千石にせんせきの大官ともなれば、奥方一人というわけにもまいらぬ。是非、小妻めかけにとの話だ」

 

 鄧夫人が息を飲む。陰麗華も両手で胸を押さえ、はくはくと息を必死に吸い込もうとするが、上手く吸えず、息苦しくて倒れそうだ。

 ――郡の大夫が陰麗華を妻に……いや、違う、妾にしようと言ってきたのだ。


 「その……娘はもう、婚約が決まっておりまして……」


 その答えに、潘大人も困ったように眉を顰めた。


 「それは――劉文叔のことか」

 「ええ……」


 陰麗華はドキドキする胸を押さえ、話の先行きに聞き耳を立てる。


 「しん大人も、そのことはご存知の上で、話をしておられる」

 「ご存知って、それじゃあ――」


 鄧夫人が絶句すると、潘大人が噛んで含めるように言う。

 

 「おそらく、この話が漏れれば、劉家は断ってくるのではないかな。そうでなければ、断ってやるのがあちらのためだ。今、各地の劉氏の置かれた状況はよろしくない。特にもとの舂陵しょうりょう侯家は逆賊の翟義と通婚していたせいで、監視はとりわけ厳しい。ここでさらに、郡大夫が望んだ娘を娶り、郡に歯向かう姿勢を見せればどうなるか。悪いことは言わぬ。名誉なお申し出として、お受けしなさい」

 

 四十過ぎの男の妾になるべきだと県宰に諭され、陰麗華はそのまま気が遠くなって、ズルズルとその場に倒れ込んでしまった。

 

 「麗華!」


 鄧夫人が慌てて娘を支え、部屋の隅に控えていた小夏と家宰を呼ぶ。家宰に抱き上げられて下がっていく陰麗華を見送り、潘大人がさすがに気まずそうに、眉尻を下げる。


 陰麗華は新野でも一番の美少女と名高い。県宰の潘大人も実物を見たのは初めてだが、噂通り抜けるような白い肌に、大きな黒い瞳、流れる黒髪は艶やかで、年頃もあって匂うように美しい。南陽でも有数の資産家の娘で、嫁入り先はよりどりみどりのはず。

 数ある申込先の中から、舂陵侯家の分家とはいえ中流の劉文叔を選んだ。潘大人はちらりと見かけたことのある、劉文叔の端麗な顔を思い出す。やや面長で彫りが深く、眉がくっきりとした、そう、何というかあれは――。


 龍顔――。


 漢の高祖劉邦の伝えられる容貌を、劉文叔は想起させる。大人しい男との評判だが、あの顔は妙に印象に残っている。


 「……娘御は、劉文叔との婚姻を待ち望んでおったのか?」


 潘大人の問いに、鄧夫人が微かに頷く。その眉間には深い皺が刻まれていた。


 「ええ……まあその、少々胡散臭い気はしましたが、娘の方はすっかり惚れ込んでしまって、あの方以外は嫌だと。それで渋々認めたようなもので……」

 「――ならば、陰家としてはしん大人との話は……」

 「それはさらに無茶です。奥様は悋気の強い方だと噂で聞いております。甘やかされて育ったあの子が、耐えられるとは思えません」


 陰家では、まさか郡大夫が陰麗華を妾にしようとするなんて、想像すらしなかった。――そのくらい、非常識な申し出だ。潘大人も、陰家の言い分は理解できるので、苦い表情で頷く。


 「だが、これはいわば、しん大人が陰家を試しておられるのだ。……夫人も、その点、よーく考えられよ」


 潘大人はそれだけ言うと、その日は陰家を辞した。

 

 


甄阜しんふ前隊ぜんすい大夫。

潘叔はんしゅく:新野県宰。

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