三
ところがその瓶は、私の差し伸べた手の上を通り抜け、違う手に届く。
手の主を振り返り、私は今更ながら勘違いしていたことに気が付いた。
手の主は60代くらいの如何にもお酒を飲みそうな男性。しかもアブラギッシュな肌に薄い髪。その薄い髪に反比例するかのように、目の前に伸ばされた太い腕は毛むくじゃらだ。
お酒や食べ物の腐ったようなムッとくる匂いが充満する六畳一間の部屋。買い物袋や食べ終わった総菜のプラスチック容器と紙バックの安酒の残骸の中を、風呂上がりのこの毛むくじゃらの男が裸のまま、ちゃぶ台の前にその大きな腰を降ろす。
パキンと役目を終え、その場に捨てられたまま横たわっていた瀕死の割りばしが、毛むくじゃら&アブラギッシュな尻に押しつぶされ、最後の悲鳴をあげ事切れた。
男が風呂に入っている間、逃げられないように冷蔵庫に監禁されていたボジョレーヌーボーの瓶が、男に掴まれて、ちゃぶ台の前で冷や汗を流している。
気品あるボジョレーヌーボーの酒の肴は、いつもの裂きイカだ。
畳が見えないように敷き詰められた、食品トレーなどの下に隠れるようにゴキブリたちが、おこぼれを待つ。おこぼれが少ない時には、酒の勢いで大いびきを掻いて眠るこの毛むくじゃら男の頭に残っている髪の毛を齧る。それは、男の社会性がもっと悪くなり部屋が汚れるようにという彼らの知恵だ。
ふと、こんな事を思って今度は、ひとりでに口角が上がってしまった。
若いと侮っていた販売員が、そこに付け込む。
「お姉さまのように、若くてお美しい方の美容維持にも効果がありますので、どうぞお試しください」
迂闊に上げた手を降ろし忘れていた私の手に、若い販売員が瓶を乗せ”してやったり!”と目を光らせる。
”若くて美しい私”を見破られてしまった私は、そのまま好い気になって「レジは左の奥かしら」と愛想よく聞くと「あー右奥」と既に他の客に売り込んでいる販売員に冷たくあしらわれた。