20 無敵の力には代償が伴う
直行したのは、恭弥の家だった。
チャイムを鳴らすと出てきたのは、付き人の男だ。
「どうしたの?」
「うぅっ……」
言葉もなしに抱き付きやがった。さすがビッチ。わずか数秒で涙を流せるのも、普段から演技力を高めているからか?
俺が惨めだった時代には、人前で涙は出なかったな。弱みを見せたところで、その隙を突かれるだけだ。
「杏珠ちゃん……説明してくれるかな」
「うぅっ……もう、嫌……助けて」
今まで散々男に助けられて、また更に助けを求めるのか。女体があるというだけで男を好き勝手扱う、とんでもねぇ女だ。
男はこんな奴を招き入れた。透明な俺は壁をすり抜けて家に入ることができる。
「うぅ……恭弥は?」
「恭弥さんは……今、作業中で」
「私は恭弥に用があるの。部屋はどこ?」
「いや、えっと……」
杏珠は強引だし、男の顔は引きつっている。そりゃあ引くよな。こんな女。
杏珠は勝手に部屋中のドアを開けだした。
「え……何やってるの?」
何だ? 不倫現場でも見たか?
そう思って部屋を移動すると、そこにはベッドの上で丸くなる恭弥がいた。
杏珠が声をかけても近付いても、反応がない。
こ、こいつ……本当にあの恭弥か?
いつもなら少し音がしただけで人を判別して、親のかたきかってぐらい言ってくるのに。
眠っているのかと思って顔を見てみれば、目が開いている。しかし半目で、意識がここにないみたいだ。
「何があったの?」
杏珠が取り巻きに訊く。二人の取り巻きは顔を合わせてから話し始める。
「……実は、数か月ごとにこうなるんだ。それがわかってて、恭弥さんは昨日も夜遅くまで仕事してて……」
「疲れただけ?」
「これが数か月続くんだよ」
このもぬけの殻みたいなのが、数か月? 何かの病気じゃないのか。
「はぁ……」
恭弥が重そうな体をゆっくり起ち上げる。ベッドの上に座ると、虚ろな目を杏珠に向ける。
「恭弥、手伝ってほしいの」
杏珠が言うと、恭弥は小さな声で喋り出した。それも一言二言じゃなく、呪いの人形みたいにずっと口を動かしている。
近付いてよく聞いてみる。
「こんなどうしようもない奴に頼むなんて頭がおかしいのか。俺は何もできない馬鹿だ……」
うわ、聞くだけで気分が悪くなる。
「な、何? 聞こえない」
それもそのはずだ。隣に立ってもかろうじて聞こえる声だ。
「いつもの調子はどうしたの? もっとはっきり言ってよ」
イライラを隠さない杏珠。その声に恭弥は耳を塞いだ。
「なっ……何よそれ……!」
「杏珠ちゃん、それ以上は……」
取り巻きが杏珠を押さえる。
三人は居間に移動する。
「話を聞いてもらおうと思ったのに」
「僕でよければ相談に乗るけど……」
杏珠は男の顔を見て、ため息を吐いた。
「悪いんだけど、あなたじゃ頼りにならない」
「そ、そうだよね……」
どうしてあんな情緒が安定しない恭弥に付き添っていられるんだ。しかも謙虚で、話ができそうな人じゃないか。
そんなに儲かるのか?
「はぁ……私これからどうしたらいいの」
取り巻きはそれ以上踏み込まなかった。
「それじゃ、今日はこの辺で」
「えっ、女を一人で帰すつもり?」
さすがの取り巻きも、この発言には呆れている。
「ここにいてもいいけど、静かにしてね」
「あんたまでそんなこと言うの!?」
早速でかい声で騒いでいる。仕事をクビになったからって、逆上するなよな。
このうるさい女に詰め寄られてかわいそうだな。ご愁傷様。
それじゃあ俺は男たちの代わりに復讐するか。
杏珠の家に行き、俺は透明化を解除する。
杏珠のいない今、することは……まず落書き。幼稚に思えるかもしれないが、帰ってきて家中に落書きがされていたら気持ち悪いだろう。
誰かが侵入したという事実でもある。
部屋の中から油性ペンを探す。
俺が伝えたいのは、お前はビッチで淫売だということ。他にも仕事に関する悪口を書いていく。
直接的な『死ね』とかより、今の杏珠にはこっちの方が効くだろう。
こんなことをして暇人だとか、良心が痛まないのかと思われるかもしれない。でも俺はあんな奴にかわいそうとは思わない。
本人が一番思ってるだろう。『私は誰よりかわいそうで、守られるべき』ってな。
さて、部屋の目立つところだけじゃなく、隅々まで書いたぞ。
このペンはもらっておく。次に何をしようか……。
テーブルの上にイスを乗せたり、部屋中の扉を開けておく。空き巣に入られたと見せかけるか。
命に関わることはしない。ここで死なれては困る。
でもあの女は金も持ってるし、男の家に行っては飯を奢られている。冷蔵庫のコンセントも抜いておくか。節電になっていいだろう。
家を物色していると、玄関からドアの開く音がした。帰ってきたのか?
意外と早いな。どうする、隠れるか、それとも……。
杏珠の服を一枚取って、顔を隠して玄関へ走る。靴を脱いで歩いている杏珠。
「えっ!?」
杏珠はすっとんきょうな声を上げる。横を駆け抜ける時に体が当たった。
俺は鍵を開けたら外へ逃げる。
アパートの死角へと隠れたら、デッドオーバーが寄ってきた。
「終わったか?」
「ああ。はぁ」
透明になったら、杏珠の反応を見に行く。薬でも補給しながら。
「今の、誰……? どうやって入ったの? 鍵は……してたよね」
杏珠は部屋の奥へ行く。玄関から見える位置には落書きをしていない。ここからが楽しみだ。
落書きを目にすると、杏珠は大きく息を吸って口を手で覆った。
言葉を失って、部屋中を見回す。
「何!? 何なのよ……!?」
ヒステリックな、嫌な声だ。
テーブルに手をついて、うなだれている。
「私の家を知ってて、こんなしょうもない嫌がらせ……それにあのにおい。もしかして、あの男……?」
はは、思い当たったみたいだな。そんなに俺のことを思ってくれるなんて。
お前と出会ったことは、運命だったんだな。
「あの男……許せない……! 殺す。殺してやる……!」
拳を握って、涙を浮かべて言う。怖くないぞ、お前なんか。
杏珠は外に出ていった。
数十分で帰ってきて、何をするかと思えば監視カメラを設置しだした。
犯人である俺が出入りしていると知って、次の出現に備えているんだろう。
だがその作戦は全て筒抜け。俺がこの家に現れることはもうないだろう。
また杏珠は出ていった。
ゲームしながら一時間待ったが、戻ってこなかった。ホテルにでも泊まってるのか?
まぁ、さすがにこんな部屋では眠れないだろうな。
決戦は近いのかもしれないな。今日はもう寝る。
また悪夢を見て目が覚めた。
「うわー!」
「今度はどうした?」
「う、腕が……ペンになってる!」
「そんなはずはない。左腕を見てみろ」
「手だ」
「右腕は?」
「……手だ」
落ち着いたところで前を見たら、デッドオーバーが分身していた。
「わっ! お前、分身できたのか」
「……ああ。我の手にかかれば、造作もないこと」
食後に薬を吸ったら、杏珠の部屋に行く。
おっと、ここにはいないんだったか。
恭弥の家の方に行っても、いなかった。
歩いて捜すと、見つかった。
「あいつら、あの男の居場所も知らないなんて。役立たずが……!」
自力で捜す決心をしたみたいだな。
気が立った女の前には出たくないものだ。だからといって、このままでは何も起きない。それじゃつまらない。
こっちから声をかけるより、歩いてたらたまたま見かけた、ぐらいにした方がいいだろう。
少し離れてから、遠回りで杏珠に向かう。




